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【クスリと忍者と】織田信長が滋賀県の伊吹山に開いた「薬草園」は東京ドーム11個分の広さ

< 結局はコロナワクチンも治療薬も輸入に頼ったままで国産のクスリって出来なかったですねえ >

ちっとも医療先進国じゃなかったんですよね、日本は。パンデミック対応力、ダメダメでした。


2023年になって、新薬の開発にチカラを入れていきましょう。とかね、政府も言い始めましたけど、遅いですよね。しかも掛け声だけの感じですし、今のところ。


クスリに限ったことじゃなくって科学全般の基礎研究に対して、日本政府はずっとチカラを入れてこなかった歴史があるですよね。そう言われ続けてきました。


一部の科学者たちからは批判の声も出続けていて、科学頭脳の海外流出っていうのもかなり前から言われていました。産業も科学もコアが抜けてしまって中空構造の日本社会。なんでしょかねえ。


それでも今までは日本国内に留まった優れた個人科学者が相当数いて、世界に伍して来れていたみたいですけどね。


国民皆保険制度っていうのもあって、日本の医療体制は世界トップ、なんて言っていた医療関係者は多かったイメージです。
歴史的に見てみますと、実際に世界的な成果を上げている日本人も少なくないのは事実なんですけどね。

 

 

 


江戸時代の医者「華岡青洲(1760~1835)」は現在の和歌山県の人ですが、「通仙散」っていう麻酔薬を開発しています。1804年に60歳の女性乳がん患者に全身麻酔をして手術に成功しているんだそうです。世界初の全身麻酔。江戸時代でっせ!


「近代日本医学の父」として知られる微生物学者「北里柴三郎(1853~1931)」は、やっぱり江戸時代生まれの熊本県人。
破傷風菌の純粋培養に成功したり、ペスト菌を発見したりして、血清療法の開発に成功しています。有名な人ですよね。


またまた江戸時代生まれの「高峰譲吉(1854~1922)」は富山県の薬学博士。
消化酵素のタカジアスターゼ、それとアドレナリンを発見してアメリカで大金持ちになった人だそうです。


高峰譲吉アメリカに移住していますが、それは日本政府が研究資金をケチっていたからじゃなくって、アメリカ女性との出会いがあって、結婚してのことみたいです。ふむふむ。アメリカ女性に持っていかれた日本の頭脳、ってことですかねえ。ラブです。


静岡県出身の農芸化学者「鈴木梅太郎(1874~1943)」は、明治生まれの人ですが世界で初のビタミン、B1を米ぬかから発見しています。
世界で初めて発見されたビタミンの名前が「B」っていうのも不思議ですよね。


こうした開発や発見から日本だけじゃなくって、世界の医療が大きく発展したでしょうし、救われた人も相当数いることだろうと思いますが、日本の医療体制が世界に冠たるっていえるのは、ここらへんまでで止まっているのかもですね。


今あげた人たちはほぼ江戸時代生まれの人です。鈴木梅太郎のみが明治生まれですけど、明治7年です。江戸の香りがまだ色濃く残っている頃の人。
そういう時代っていう要因もあるんでしょうけれど、優れた成果を残した先人たちの多くは、化学成分っていうより身近な植物からヒントを得たり成分を特定したりしているみたいです。


人間にとってのクスリって、長い歴史上、そういうものだったんでしょうね。植物や動物由来の成分を人間の治療に役立てる。
1859年に横浜港が開港されて一気に西洋医学も入って来て、日本のクスリ開発がそれまでの歴史とは全く違ったものになっていったことは想像に難くありません。


それで現在につながっているってことなんでしょうけれど、そもそも日本の、日本独自のクスリってどういう始まりだったんでしょうね。


石器時代の遺跡から、大量の植物痕跡が見つかって、食べるためじゃなくって医療用だったんじゃないかっていう説もあるみたいですけど、今の段階では、仏教の伝来とともに中国の薬草利用文化が入って来たのが最初だって言われています。


聖徳太子が薬草園を作って栽培をしたっていう記録があるらしいんですよね。
もちろん日本でもその前から薬草利用っていうのはあったんでしょうけど、中国から入って来た薬草文化っていうのは体系だっていたんでしょうね。


中国で薬草利用を始めたのは5000年前とも言われている神話時代の「炎帝神農」っていう神さま。


頭人身だったっていう神農は、身体が透明で、薬草を食べてそれが身体のどの部分にどういう影響を与えるかを観察できたんだそうですよ。


んなアホな、というなかれ。神話とはいえ、実際にいろいろな症状に対していろいろな植物を、いろいろな摂り方で試してみて、長い時間をかけて薬草とその効用を記録していったっていうことなんでしょう。


人類と植物の関係性って、身近でありながら神秘的です。


聖徳太子の時代に仏教とともに入って来て、それからは日本独自にクスリとして発展していった。
っていうことなんでしょうねえ。


聖徳太子の後は戦国時代、織田信長滋賀県長浜市伊吹山に東京ドーム11個分の広さの薬草園を作って、ポルトガルの宣教師たちに栽培させたっていう記録があるみたいです。
ポルトガルの宣教師たちっていうことは、西洋ハーブなんでしょうね。


っていうことは、ハーブの効果に詳しい宣教師が、予めその苗を持ち込んでいるとも思えませんので、いったん国に帰って、伊吹山でも育ちそうなハーブを選択して再度日本へ、っていう流れになるんでしょうから、なかなか壮大な計画の薬草園だったんでしょうね。


織田信長っていう人が何を考えていたのかって、現代人にはホントのところは理解できませんですよねえ。


残念ながらその後、信長の薬草園がどうなったのかは分かっていないようですし、どの辺にあったものなのかも特定できていないらしいです。でも伊吹山

 

 

 


信長がどういう理由で伊吹山を選んだのかは分かりませんが、伊吹山から南南西に55キロメートルほど山脈沿いに行きますと、甲賀市甲賀忍者の里に出ます。


信長が西洋ハーブに関心を示すっていうのは、なんとなく信長の性格が透けて見えるような気がするんですけど、たぶんおそらく、この戦国時代の末期、甲賀の里では薬草栽培が盛んに行われていたんだろうって思います。


もちろん、甲賀だけじゃなくって、日本全国、どこでもそうだったんじゃないでしょうか。


忍者に必要ないろいろな薬効。日本の薬草、日本のクスリ。


なので新しい日本を作ろうっていう精神の織田信長としては、西洋ハーブのクスリを作って独自性を確保したい。ってう狙いがあった、んじゃないかっていうようにも思えます。


この時代の日本のクスリって、やっぱり薬草を利用したものだったんでしょうけど、製造を担っていたのは甲賀に限らず「忍者」だったんじゃないでしょうか。


甲賀忍者のクスリっていうのが知られていますけど、甲賀だけに限ったことじゃないだろうと思うですよねえ。


大きくとらえれば1つの谷の北側が甲賀、南側が伊賀。ってことで伊賀にも伊賀のクスリが当然あったでしょうし、クスリ製造に関しては協力していたってことも考えられますでしょ。


なんにしても薬草は自然のものですから、どこにでも、いつでも生えているっていうもんでもないですね。甲賀の里には薬草の種類が昔から豊富で、独自のクスリ文化があったらしいです。


医者の数も少なかったでしょうし、製薬会社なんてない時代ですからね、民間療法の発展したものがクスリ。ただ、忍者が使うクスリですからね、ヘビーデューティです。効き目、信頼性、あるでしょうねえ。


戦国時代の忍者は大忙しで、日本全国の情報収集に努めますね。伊賀忍者甲賀忍者が有名です。
伊賀、甲賀に限らず、日本全国、城主や豪族たちは各々、忍者を雇って敵対する勢力の情報を探ります。


さりげなくその土地の情報を探るには、忍び装束でお城に潜り込むより、そこの住民の意見を聞くのがより安全で有効。城主の評価や、その土地の問題点。そのホンネを聞き出す。


ってことで忍者たちが扮したのがクスリ売り。

 

うまくすればクスリが売れて利益も出るし、情報も得られる。


で、そのクスリの効き目が重要な要素になりますよね。


住民は簡単にはヨソモノに情報を提供しませんよね。いろいろと聞き出すには、人間関係、信用が第一なわけで、クスリ売りとしては、売っているクスリの効能が勝負です。効き目がなければ信用されませんし、リピートも望めません。情報を引き出す前に門前払いをくっちゃいますもんね。


逆にクスリの効き目が評判になれば、その土地の重要な役割を務めている人間とも接触する機会が出てくるってもんでしょねえ。


クスリを売り歩く役目の忍者と、地元でクスリを開発、製造する忍者、っていうか製薬師がいる。


大きな製薬会社、ドラッグストアが出来る前はクスリの訪問販売がスタンダードだった時代があるんですよね。


さすがに昭和の頃の訪問販売しているクスリ売りたちが忍者ってことはなかったでしょうけれど、有名なのは「越中富山のクスリ売り」ですよね。


越中富山の反魂丹、鼻糞丸めて萬金丹、馬の小便水薬、それを買うやつアンポンタン」なんてのもありましたね。


三大クスリ売りとしてあげられるのは、富山県のほかに奈良県滋賀県のクスリ売りです。


富山県上杉謙信が使っていた忍者「軒猿」の拠点だったそうです。


奈良県滋賀県伊賀忍者甲賀忍者の拠点っていってイイでしょうからね、クスリと忍者ってかなり関係性の深いものって感じがします。

 

 

 


反魂丹萬金丹っていうクスリは万能薬的に使われていて、今でも販売されているみたいです。

ほかにもいろいろ、名前の残っている、おそらく忍者が作ったクスリっていっぱいあるみたいです。万能薬が多い感じ。


そういえば「正露丸」とか「毒掃丸」っていうのも、万能薬的な生薬ですよね。


今でもしっかり残っている日本古来からのクスリ。忍者たちの基礎研究があってこそのものなんでしょねえ。


かつての日本各地、忍者たちの基礎研究に匹敵するような地道な科学基礎研究に勤しむZ世代の日本人たち、どこかにちゃんといるんだと思いますですよ。


大事なのは忍者、じゃないんでしょうけどねえ。

 

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