ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【お香】なんで人類は太古から香りを必要としたんでしょうか

< エジプトのミイラに香油を塗りこめたのは腐臭をごまかすためなんでしょうけど >

1936年っていうのは昭和11年ですから2.26事件のあった年。


日本がけっこうキナ臭くなってきている頃なんですが、
「♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ」
っていう歌が発表されています。


島崎藤村作詞の「椰子の実」
聞いたことがあるような、ないような。聞いたことあります?


景気が右肩上がりになり始めて、ブームになって来た新婚旅行客を呼び込もうとして宮崎県が椰子の樹を道路沿いに植え始めて、椰子が日本人に馴染みになりだしたのは1960年代からだっていうことですから、「椰子の実」の歌が流行った頃って、椰子の実なんて知らない日本人が多かったんじゃないでしょうか。


「椰子の実」は知らなくとも「ヤシ」って発音する言葉に違和感はない、って感じだったのかもですね。


パソコンの日本語入力メソッドを、どう使っているか、どう学習させているかによるでしょうけれど、「やし」って打って変換するとどんな漢字が表示されるでしょうか。


「椰子」っていう表示が多いんでしょうかね。私のパソコンでは「香具師」が最初に表示されました。


この「香具師」っていう漢字表記を「やし」って読むの、かなり無理がありますよね。
音節的に「し」しか合致しませんもんね。

 

 

 


香具師」を普通の日本語感覚で読めば「こうぐし」でしょねえ。香りの道具を扱う人。


お香には、香を聞く「聞香(もんこう)」なんていうのがあるそうでして、そういう時に使うのが、お香の道具、香具ってもんなんでしょうね。


香炉っていうのが有名でしょうかね。誰でも名前だけは聞いたことがありそうです。


でも香具っていうのはそれだけじゃなくって、いろいろあるんですよね。香盆、香箸、香匙(こうすくい)あたりですと、文字を見ればなんとなくお香に関連するものなんだろうなあって感じですけど、火箸。


これは「こじ」って読むんだそうで、炭火焼の時なんかに見かける「ひばし」とはちょと違う、らしいんですが、どこが違うのかさっぱり分かりません。


さらには銀葉挟 (ぎんようばさみ) 、羽箒 (はぼうき) 、灰押さえなんていう香具もありまして、極めつけは、鶯(うぐいす)っていう名前の香具もあるんですねえ。


香具の鶯は、またの名を香串っていうんだそうで、中央部分がいくらか太くなっている形状で、10センチぐらいの長さの金属製の串。
香串って名前で良さそうに思えますけど、鶯、なんですねえ。


聞香の時に、その場の畳に刺して、使ったお香を包んであった香包(こうづつみ)を刺しておく。そうすることによって使った香の種類、使った順番を確認できるっていう道具なんだそうです。
聞香ですよ、聞香。


午前中と午後では畳に刺す鶯の上下を逆にするのが流儀。


ふううん、ではあるんですけど、その金串がなんで鶯なんて名前なんでしょ? 


お香の包を刺しておくなんていうところからすると、鶯っていうよりむしろモズ(百舌鳥)、っていう名前の方が納得出来る気もするんですけどねえ。不思議ふしぎ。


そこはそれ、なにせ香を聞く、なんていう世界のことですからね、ちゃんとした謂れがあるようなんでございます。


ま、説としてはいくつかあるみたいですけど、そのうちの1つ。


1326年に成った「続後拾遺和歌集後醍醐天皇勅撰和歌集ですね。
これに選ばれた順徳院の一首、


「飽かなくに 折れるばかりぞ梅の花 香を訪ねてや鶯の鳴く」


っていうのがあるんですね。順徳院は第84代の天皇で、鎌倉幕府打倒の承久の乱を起こして失敗、佐渡へ配流されて没した人です。後醍醐天皇鎌倉幕府を倒した天皇ですから、そういうつながりで選ばれた歌なのかもしれません。


なんにしても順徳天皇は1197年~1242年の人ですから、1288年から1339年の後醍醐天皇よりちょっと前に詠まれた歌。


その歌を江戸幕府第2代将軍、徳川秀忠の娘で、第108代天皇後水尾天皇の皇后になった、東福門院(とうふくもんいん)(1607~1678)が、香串っていう名前よりはってことで、順徳院の歌にちなんで名付けたのが今に伝わっている。っていう、なんだか悠久の時間を経て鳴いているらしい鶯なんだそうです。


ほぼ400年前の歌をもってくるあたりに、当時の教養のありようが偲ばれますねえ。


畳に刺すのも、乱暴にブスっと刺すんじゃなくって、しずしずと畳に沈めるって感じの刺し方、なんでしょか。知らんけど。


っていうことで、由緒正しい感じの香道具。鶯以外にもたくさんの種類があって、それを担いで売って歩いていたのが香具師。っていうことでござんしょうけれど、香具師っていう字面とヤシっていう読み、なんかミスマッチ、ですよねえ。


なんでそう思うかっていいますと、香具師っていえば代表的なのはフーテンの寅さんでしょ。
香り、って感じはしませんよねえ。


「四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい」


「信州信濃の新ソバよりもわたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで」


「たいしたもんだよ蛙のしょんべん、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」


大好きな寅さんですけれども、どうもね「香を訪ねてや鶯の鳴く」っていうのとは合わないでしょねえ。
寅さんが売っていたのは、本だったりバナナだったり、香道具じゃなかったです。


寅さんに限らず香具師って言われている人たちは「テキヤ」っていうふうにも呼ばれていますよね。


ヤシもテキヤも、今ではすっかり見かけなくなりましたし、聞かなくなりましたが、香具師は「啖呵売」っていう芸当でもって、いろんなモノを売っていたんですよね。


大道芸みたいな感じで、要は「ウデ」で商売をしていた。
でも、香道具を扱っているっていうのは小説や映画なんかでも記憶にありませんです。

 

有名なのはクスリ、薬品販売ですよね。がまのアブラとかね。ま、がまのアブラ売りって、実際には見たことありませんけどね。

 

 

時代とともに、香道具は売れなくなって、それでも名前だけは、しかも書き言葉だけは残った、っていうことなんでしょうかね。


平安、鎌倉、室町の時代の下水設備は、今からしてみれば貧弱なものでしょうし、いくさ、大水、旱があると多くの人死にが出て、野ざらしの遺骸があちこちにあったらしいですしね、そうした腐臭のような空気感から逃れるために、中世の日本では「香り」っていうのが望まれたものだったのかもしれません。富裕層でしょかねえ。


ニーズがあるから香具師っていわれる商売が成り立っていたんでしょうからね。


今はどんな商品にしても行商、訪問販売っていうのは極端に少なくなっていますけれど、昭和になってからでもクスリを中心にした訪問販売っていうのが続いていたんですよね。


商品自体がお香や香道具からクスリに代わったんだとしても、クスリの訪問販売をしている人たちを香具師とは言っていなかったですよね。
ヤシでもテキヤでもなくって、くすりやさん、でした。訪問販売ね。


香具師の活躍の場は、お祭りだとか、日本のハレの場に限られていたんじゃないでしょうか。
しかも昭和の中頃に活躍していたハレの場の仕事師たちは、呼ばれ方として香具師じゃなくって、テキヤだった気がします。


取り扱う商品が時代とともに変わっていくのは当然のことなんでしょうけれど、香具師っていう名前が生き残ってきたのはなんでなんでしょう。


家を回って個別にクスリを売り歩くのは、その地域の情報を取得するための忍者の仕事だったっていうのは本当のことだったんだろうって思いますが、忍者に会ったことはないですねえ。


忍者の後を継いだ、ってわけでもないんでしょうけど、テキヤっていわれていた人たちは公道で、あるいはお寺の境内だとかのハレの場で、人を寄せて商売をしていたわけですが、扱っている商品にお香に関するものって、見たことないです。
匂い袋、ぐらいはあったでしょうかね。


現代人にとっての香具師っていう存在は名前だけで、実際の人の働きとして実感することが難しいですよね。


香具師テキヤも、クスリの神さまと言っていい、中国から伝わって来た「神農」を同じように信仰しているってことは、香具師がいつの頃からかテキヤって呼ばれるようになった歴史があるのかもしれません。

 

 

 


江戸時代の終わりごろには香具師の仕事として13種が奉行所によって規定されていたっていう記録があります。「十三香具師」ってやつ。


1:懐中掛香具
お屋敷なんかを回って、匂い袋を売って歩く。正統派の香具師ですね。
懐の中に入れておく香具。なるほど着物ならではの表現。懐中掛香具
にしても、かさばらないってことで匂い袋をメインにして売って歩いたんでしょうね。


2:諸国妙薬取次売
諸国発祥の反魂丹、万金丹、小田原のういろう、を売って歩く。
こうなりますと香具師っていう名前ですけど、完全にクスリ売りですね。
にしてもういろうって愛知県だと思っていましたが、小田原のういろう、別名を「透頂香(とうちんこう)」っていって、のどのクスリ。


そういえば外郎売っていう早口言葉、みたいなやつ、ありますよね。アナウンサーの練習に使われているみたいですけど、愛知県のういろうは、そういう効果ナイんでしょか? クスリとしては小田原のういろうだけ。
んなこたあナイでしょけどねえ。


3:居合い抜き
がまの油売りとは違って、居合いの技で様々なものを一瞬で切ってみせて集まってきた客に腹薬の「反魂丹」を売る。
居合いの技から腹の具合について話を持っていくような、語りの技もあったんでしょうね。
がまの油は諸国妙薬取次売の範疇になるんでしょか。


4:曲鞠(きょくまり)
曲に合わせて鞠の芸を見せるっていうことなんですが、曲を奏でる人と、芸を見せる人と、少なくとも2人以上で組んでいたんでしょうね。売り物は「歯磨き粉」っていうのがまた、鞠の芸と、どうやって結び付けていたのか不思議ですよね。
リフティング芸?


5:独楽回し
独楽を回すだけじゃあ人は集まらないでしょうから、日本刀の刃の上で回したり、曲芸的な技だったんでしょうか。
売り物はやっぱりクスリだったみたいです。


6:軽業
1951年に美空ひばりが歌った「角兵衛獅子の唄」っていうのがあります。
♪わたしゃ旅路の角兵衛獅子
♪打つやタイコのひとおどり
この角兵衛獅子っていうのは軽業は軽業でも、新潟市の指定無形民俗文化財だそうです。


角兵衛獅子は軽業によって人を寄せて、投げ銭、みたいなことで稼ぐ旅回りだったそうですから、おそらく香具師っていう範疇じゃないんでしょうね。
香具師の軽業っていうのはどういうことをやって見せて、何を売っていたんでしょう。やっぱりクスリなんでしょうね。


7:見世物
愛敬見世物とも言うんだそうで、小屋の中で珍しいものを見せる。これって、昔のお祭りでやってましたね。ろくろ首とか、ヘビ女だとかウシ男。けっこうグロイやつでした。
親の因果が子に報い、っていう口上を言っているのを映画で見たことがあります。


料金を払ってテント小屋の中に入っていくシステムでしたが、この当時の香具師の見世物は小屋に入る前に歯磨き粉を買うみたいです。歯磨き粉が入場料ってことなんでしょうね。


愛敬ねえ。店での会計の時に、お愛想、っていうのと似たようなことなんでしょうか。
何かしら売らないといけないっていう縛りが、香具師にはあったんでしょうねえ。直接、見世物にお金を払っちゃいけない。
ふううん、です。


8:覗きからくり
箱の中を覗くと、エロエロな絵が見られる、ってやつでしょねえ。
昭和中期のハワイでは、けっこうメインの見世物だったらしいですよね。話には聞いたことがあります。でも日本のこの時代のムフフですからね、絵でしょね、春画


からくりっていうんですから、あれですかね、万華鏡みたいなものもあったんでしょうか。
箱を覗いて見るには、のど飴を買わないといけない。むふふ。なしてのど飴なんだべか。


9:諸国披露目
香具師が集団で大都市や全国の町に出かけて売り歩く、っていうんですが、何を売り歩くのか不明。やっぱり歯磨き粉とかのど飴なんでしょうか。匂い袋もあるよ、って感じ? ちょと怖いでしょねえ。知らんけどねえ。


10:辻療治膏薬売
これはですねえ、けっこうアブナイんじゃないかって気がするですよねえ。
膏薬を売るっていうのは、なるほど効き目はどうあれ香具師ですよねえって思いますけど、辻療治っていうのが怪しくて、道の真ん中で抜歯しちゃうらしいんです。抜歯ですよ。辻医者ってことなんですけど、マジで怖いでしょ! なして香具師に頼る? って思いますよねえ。


11:蜜柑梨子砂糖漬売
砂糖漬けってことでお菓子売りじゃんね。
ただこれもムリヤリにクスリってことらしいんです。
蜜柑の砂糖漬けは風邪ぐすり、梨の砂糖漬けはのどぐすり。
これも家々を回って売り歩くんでしょうね。クスリじゃないとダメなんですね。お菓子はダメ。


12:小間物売
化粧品をメインにした香具師の仕事らしいんですが、これもまたムリヤリにクスリなんです。
おしろいはニキビ治療薬。治療? って思いますけど、まだイイ方で、ん? って思うのは口紅です。
口紅は口の中の熱をとってくれるからクスリです、っていう理屈らしいです。


どうなんでしょ。経験ないんで分かりませんけれど、リップスティックひいたら口の中、スッキリします?


香具師が売るんだからクスリなんです、っていうわけの分からない理屈。日本って昔からこういう屁理屈で回ってきたんでしょうかねえ。


13:火打保口売

火打ち石と、その火を受けて炎にする火口(ホクチ)を売る。
これはもう完全にクスリとは無関係でしょねえ、って思ったら、さにあらず。
火口っていうのは「もぐさ」なので、お灸に使えるからクスリなんだよお、ってことだそうです。足裏のマメにも効くよ、だそうであります。

 

 

 


これが十三香具師ってことなんですけど、ま、香具師の扱うものがあまりにも多岐にわたってしまって収拾がつかないようになってきたんで、規制しますよってことで決めたんでしょうかね。


この頃から香具師っていうのが本来の香具師っていうカテゴリーから外れていったってことなのかもしれませんです。


今はアロマってことで、名前もそうですし、なんだか輸入文化みたいに思っちゃう感じなんですけど、お香っていう文化は古くから日本独自のものがあったんでしたねえ。


香具師も本来的には全く違った内容で、香りの文化を担っていたのかも知れませんよね。


寅さんも遠い昔のことになってしまった、令和の日本であります。
香りに日常生活の安定を見出している人も少なくないんでしょうけれど、キンモクセイの香りって、せつないですよねえ。理屈なく懐かしい気持ちになっちゃいます。

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com