< 修験者、忍者が「九字を切る」っていうのをマンガでもドラマでも 見たことあります? >
九字を切るっていうのとはチョト違う話から。
昔は誰もが強制的に参加しなければいけなかった会社の呑み会。
呑める口を持っているとはいえ、ちっとも尊敬できない同僚たち、上役と同じ酒の席にいることの苦痛。
復活の兆しっていうのも言われ出しました。
これはいつの時代でも変わらない「修行」なんでしょうかねえ。
ヤダなあって思っている人は、少なからずいるんですけど、参加必須だし、途中棄権なんて出来ませんもんね。
ところがね、そういう環境からスルっと抜け出ていっちゃう人っていうのがね、ちゃんといるんであります。
すっと立ち上がって自分のカバンを準備よく引き寄せてから、右手の人差し指と中指を2本並べ立てて、その2本の指を、左手の人差し指と中指以外の指で包みながら、やっぱり左手の人差し指よ中指をピンと並べ立てて、自分の周りの数人にだけ聞こえるようなトーンで、
「それじゃ、ワタシはこの辺で、ドロンさせていただきますんで」
ふっる~! って思うんですけど、誰かからの伝統芸なのか、今の30代ぐらいの男子もやってますよ。
まあ、女子のドロンは見たことないですけど、空をドローンが飛び交う世のなかになって、古式ゆかしく印を結んだドロンが復活してきているんでしょうか。
呑み会からのドロンっていうのは、その会社で引き継がれている伝統芸っていう可能性もありますけど、その発祥は昭和の映画かドラマか、マンガなんでしょうね。忍者もの。
ハッキリと思い当たるシーンがあるわけじゃないんですが、忍者が印を結んで、ぶわあっと白煙が上がって、煙とともに消えていなくなる。これがドロンするってことなんでしょうね。
印を結ぶっていうのは、陰陽師とかの得意技で、ドロンで消えていなくなるっていうんじゃなくって、結界を張るだとか、悪霊を調伏するだとか、本来的には宗教、思想がらみの大真面目なものなんですよね。
人差し指と中指をくっ付けて立たせるのは「刀」を意味しているんだそうで、左手の2本は「鞘」右手の2本が「刀身」だっていう説もあります。
この説で行くと、呑み会からのドロンのポーズは刀身を鞘に納めますよ、ってなことを表しているんでしょうか。ま、そんなことまで辻褄を合わせようとしなくともイイんでしょうけどね。
忍者映画の中で何回か見たのは印を結んで白煙ぶわああってやつの他には「九字を切る」ってやつですね。
2種類あって、複雑な指の形の印を結びながら次々に印を唱える方法。
「臨(りん)」独股印
「兵(ぴょう)」大金剛輪印
「闘(とう)」外獅子印
「者(しゃ)」内獅子印
「皆(かい)」外縛印
「陣(ちん)」内縛印
「列(れつ)」智拳印
「在(ざい)」日輪印
「前(ぜん)」宝瓶印
YouTubeなんかでこの印を結んでいるのを見ることも出来ますが、なかなかに複雑な感じです。
指がツリそう。
九字護身法っていう正式な呪文なわけですから、難しくて当たり前なんでしょうけど。
ただね、印の結び方にも流派があるみたいですけどね。
映画なんかで見る九字護身法は印を結んでいるのもありますが、多いのはもう1つの刀印方ってやつですね。
右手の人差し指と中指を立てて形作った刀身で空中に横、縦の線を刻んで九字を切る。
まず左から右へ水平に「臨」
「臨」の線と左端で交差するように上から下へ「兵」
「臨」の線の下側に左から右へ「闘」
「兵」の線の右側に上から下に「者」
交互に交差させながら「皆」「陣」「列」「在」「前」大きく格子模様を描くんですね。
これ以外にもいくつか種類があるんだそうですが「臨兵闘者皆陣列在前」っていうのは真言密教の手法で、「臨む兵、闘う者、皆、陣を列べて前に在り」っていう意味。
九字を切ることによって自分がいかに守られているのか、いわば結界を張る意味合いを持たせているのかもしれないです、
元々は中国の道教から始まったらしい九字護身法なんですが、「臨む兵、闘う者、皆、陣を列べて前に在り」っていう節としての意味と、漢字一文字ひともじに込められた「念」っていうのもあるのかもしれません。
漢字1字にそれぞれ対応する印があって、印の1つひとつには守護神となる神が想定されているんですもんね。
九字護身法。文字数の「9」っていうのにも意味があるんだそうです。
「9」は輪廻転生を象徴する「聖数」
これは古代インド哲学から発生した考え方で、古代中国に仏教とともに伝わったとされているもの。
掛け算の9の段です。
9×2=18 ⇒ 1+8=9
9×3=27 ⇒ 2+7=9
9×4=36 ⇒ 3+6=9
9×5=45 ⇒ 4+5=9
9×6=54 ⇒ 5+4=9
9×7=63 ⇒ 6+3=9
9×8=72 ⇒ 7+2=9
9×9=81 ⇒ 8+1=9
9×99=891 ⇒ 8+9+1=18 ⇒ 1+8=9
9っていう数字は9に戻って来る。それで、輪廻転生の聖数ってされているんですね。
金剛界曼荼羅も9つの区画になってますしね、9ってそういう数字なんですね。
9っていう数字が九字護身法っていう形で、古来、修験者、忍者に身近なものであったわけなんですが、日本でいえば本家本元って言えそうな陰陽師にとっての9は「禹歩(うほ)」ってやつなんですね。
平安時代までは天皇、貴族が屋敷を出て道を行くときに、先ぶれとして陰陽師が禹歩を行っていたんだそうです。それが9歩。
行先の邪気を払うために呪文を唱えながら、地面を踏みしめて、道を千鳥足に歩く。
この地面を踏みしめるっていう動きは、相撲の四股に通ずるっていう説もあるらしいです。
でも、なんで千鳥足なのか。禹歩。禹の歩き方。禹ってなんなんでしょ。
古代中国の神話時代、三皇五帝っていうことが言われていますね。
3人の神と5人の聖人っていうことなんですが、これには時代によって、あるいは地域によって様々な人物が三皇五帝にあげられています。
発掘作業が進んで確定されている中国最古の世襲王朝「夏(か)」以前の時代の中国。
三皇とされるのは「天皇」「地皇」「人皇」
あるいは「伏羲」「神農」「女媧」っていうのが知られていますね。
中国の始まりですからね、伝説っていうか神話なんでしょう。
五帝っていうのも伝説上の人物らしいんですが、三皇にあげられている神様をも五帝に数えている説もあります。いろいろあるみたいです。
易経があげている五帝が時代の古い順から「伏羲」「神農」「黄帝」「堯」「舜」
伏羲、神農っていうのが三皇にも数えられていますね。
易経と史記で共通しているのが「堯(ぎょう)」と「舜(しゅん)」で、民心を安定させた「堯舜の時代」として知られている中国皇帝の2人です。
堯は、自分の息子にではなく、優れた人物と判断した舜に帝位を譲るんですよね。
舜は人に慕われた皇帝で、舜がいるところには人が集まって、すぐに都会になったっていう伝説の人。
古代世界は中国に限らず治水こそが王者の役割りで、大河の氾濫を治めてこそ優れた治世者として認められていたそうです。
まあね、このことは現代でも変わらないことだと思うんですけど、今の世界の治世者たちって、みんな、治水なんてもうとっくにやり遂げたこと、って思っている感じもあります。
毎年、世界各国で水の被害がでているんですけどね。日本だってね。
舜は黄河の氾濫を治めるために「禹」を治水工事の担当者に任命します。
禹は自ら身体を張って懸命に治水工事にあたります。
あまりにも頑張り過ぎて半身不随になってしまったんだそうですね。まさに懸命です。
でもなんとか黄河の洪水を治めることが出来た。
舜は死にあたって、禹に皇帝の座を譲ります。
禹の起こした王朝が「夏」だってされているんですね。
禹は黄河の流れの確認や、王朝の様々な問題を治めるために半身不随の身体を押して歩きまわったそうです。
そのふらついた歩き方が「禹歩」
伝説上の人物とされている禹ですが、中国では古代からずっと崇められているんですね。
日本にも伝わって来ていて、業績ばかりじゃなくってその歩き方に、人に非ざるチカラを見ていたんでしょうね。
禹歩が定着します。
そして永遠にめぐっている、輪廻転生の9っていう歩数で、邪気を払う千鳥足。
千鳥足っていう表現が適切なのかどうか、怪しい気もしますけど、儀式として相当に重要とされた禹歩なんでしょうね。
時代が進んで、禹歩の9歩からチカラを受け継いで、歴史を踏まえながら考え出されたのが九字護身法。
忍者っていうのも真摯な仏教信者だったんでしょうね。
臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前!
それではこのへんで、ドロンさせていただきますです。はい。