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【鬼も十八、番茶も出花】鬼っ娘に見立てて言う裏返しの娘自慢なので 他所の娘さんに言っちゃダメです

< 鬼っ娘っていえば 有名なのは、うる星やつらの「ラムちゃん」でしょねえ >

うる星っていう宇宙のどこからか地球侵略のためにやってきた「鬼型宇宙人」っていう設定でしたけど、だっちゃ、だっちゃ言っているので仙台出身の宇宙人なんじゃないかっていうウワサもありましたね。


鬼型宇宙人ですからね、トラ柄のビキニスタイルで、冬の雪山でも全然ヘーキでそのままの格好でした。


うる星っていう星はめっちゃ寒いのか、あるいは外気温に左右されない体質なのか、地球の寒暖差には何も反応を見せないラムちゃんでした。
そういえば、鬼っていつも上半身ハダカ、でしたっけね。


地球のラーメンは「味がない」っていうことで好きじゃなさそうなラムちゃんでしたけど、スルメが好物なんですよね。


ラムちゃんの手料理はモノスゴク辛いんだそうで、辛さが、あの放電エネルギーの素になっているのかもしれません。


それと、梅干しが苦手で、口にすると酔っぱらっちゃうんですよね。


これって、梅干しを「うめ星」っていうことにかけて、梅干し食べてスッパマンの「あられちゃん」を意識したのかな、とも思ったんですが、改めて調べてみますと、うる星やつらの連載は週刊少年サンデーで1978~1987。あられちゃんのDr.スランプ週刊少年ジャンプで1980~1984


ん~。微妙な発表期間のズレなんですが、ラムちゃんの梅干しで酔っぱらっちゃうエピソードがどのタイミングで公開されたんだったか、思い出せませんです。

 

 

 


ラムちゃんは連載中、17歳っていう設定で、番茶も出花の年齢には1年の余裕があるんですね。
まあね、連載中から「めっちゃかわいい」っていう評判のラムちゃんですから、格言的に言う鬼っ娘っていうのには当てはまらないんでしょうけどね。


最近でも言うのかどうかはよく分かりませんが、「鬼も十八」っていうところを「娘十八」っていうふうにも言いますよね。


我が家の「娘十八、番茶も出花」


安くて品質の良くない番茶でも、淹れたばっかりならふくよかな香りが立ち上るように、ウチの器量の良くない娘も十八になりまして、少しは見られるようになりました。


っていう言葉を、もしラムちゃんの両親が口にしたとすると、ただのイヤミってことになるでしょねえ。


鬼も十八っていう鬼っ娘は、器量が良くないっていう代表選手になっちゃってますけど、ここでもう1つ、番茶側からもクレームが付きそうです。


良くないお茶って、なんやねんッ!


番茶も煎茶も茶の樹の種類、製法に変わりはないんですが、三番茶、四番茶だったり、煎茶の製造工程ではじかれた育ち過ぎた葉を番茶って言うみたいなんですよね。


番茶っていう種類の茶の樹があるわけじゃなくって、煎茶よりは劣るお茶っていうニュアンスがあるネーミングなんですけど、地方によって、ほうじ茶を番茶っていう習わしのところもあるんだそうです。


「京番茶」っていう名前をよく聞きますけど、あれって、ほうじ茶ですもんね。めっちゃ薫り高い、旨いお茶です。


名前として番茶とほうじ茶って、入り混じって使われているってことですね。


ほうじ茶となりますと、焙じるわけですから、たいてい茶色くなります。


カフェインが少なくなって身体に優しい。飲み口が爽やか。ほうじ茶ファンってけっこういますよね。


焙じるお茶の葉は、様々なものを使うらしいんですが、多くは番茶っていわれる葉っぱを焙じる。


今は、ほうじ茶として完成されて売られているのを飲むのが普通だと思いますが、その昔は、自分で焙じていた時代があるんですね。
ま、なんでもそうだったって言えるのかもですけどね。


今現在、一般家庭で自分で焙じるんであれば、フライパンってことになるんでしょうけれど、その昔には、ちゃんと「焙烙(ほうらく・ほうろく)」っていう、言ってみれば焙じる専用の土鍋があったらしいです。

 

炒め鍋っていう言い方もあるみたいですから、要はお茶っぱを炒めるって捉えてイイのかなって思いますけれども、昔の人から言わせれば、バーロー、炒めるのと焙じるのが一緒なわけねえだろ!


ってことなんでしょねえ。知らんけど。


グルメで知られた作家、小島政二郎の随筆「食いしん坊」に「泉すゞ流うまい番茶の焙じ方」っていうのがあるんですね。

焙じ方の名人の話なんです。


※ ※ ※
泉家の番茶のうまかったことを書いておかないと、文壇伝説が一つ消えてしまう恐れがある。そのくらい泉さんの奥さんの番茶の焙じ方は天下一品だった。
※ ※ ※


泉さんの奥さん。タイトルにもなっている「泉すゞ」っていう人の技が天下一品っていうことなんですが、ここで言われている泉さんっていうのは、誰あろう、作家の「泉鏡花(1873~1939)」のことなんです。

 

 

 


潔癖症で、いろんなエピソードに事欠かない泉鏡花ですが、最も知られているのが、奥さん、すずさんとの結婚のことでしょうね。


数ある泉鏡花の人気作の中の1つに「婦系図(おんなけいず)」があります。


「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉。私には死ねとおっしゃってくださいな」


昭和の人なら、1度は聞いたことがあるだろう名セリフ。
何回も映画や舞台にもなっていますもんね。


この切羽詰まったような男女関係は、泉鏡花と、すずさんの恋愛そのものだったそうです。


1891年、「金色夜叉」の尾崎紅葉の門をたたいて書生生活を開始した泉鏡花は、苦吟しながらも「義血侠血」「夜行巡査」「外科室」「照葉狂言」を書き上げて、1900年には「高野聖」を発表しています。


1902年、胃腸を悪くして逗子で静養していたそうなんですが、そこへ知人の紹介で台所の世話をするっていうことで現れたのは、東京の神楽坂で芸者をしていた桃太郎。その時22歳。


翌年から2人は神楽坂で同棲を始めます。
ところがすぐに師匠の尾崎紅葉に同棲がばれて、叱責されます。


で、「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉。私には死ねとおっしゃってくださいな」ってなことになって、表面上は切れたことにして、密かな偲び合いって次第になったみたいなんですね。


ところが、それから半年ほどして尾崎紅葉が急死。


まあ、すぐにおおっぴらにしたわけじゃないんでしょうけれど、桃太郎さんは結婚して泉すずさんになったっていうことです。


小島政二郎が作家同士として付き合いのあった泉鏡花。その奥さん、泉すずさんを訪ねたのは泉鏡花が亡くなった後のことみたいです。


※ ※ ※
私が泉さんのお宅へ伺ったのは、この番茶の焙じ方を教わりに家内を連れて伺ったのが、あとにも先にもたった一度きりだ。
※ ※ ※


泉すずさんが焙じて淹れてくれる番茶の評判は相当なものだったんでしょうね。


自分の奥さんを連れて行くっていうのは、旨いものを奥さんに食べさせて、作り方を覚えさせて、自分の家のものにするっていう小島政二郎の有名な主張です。


「完本檀流クッキング」を著わした檀一雄の息子の奥さん、檀晴子さんは、ふざけんな! って怒っていますよ。いや、小島政二郎を指定しているわけじゃないですけどね。

 

※ ※ ※
お茶は、日本橋の本町にあったなんとかいう葉茶屋。名は忘れた。そこの八十銭の川柳(かわやなぎ)
※ ※ ※


川柳っていうのは、一番茶、二番茶を摘むときに大きく育ち過ぎた茶葉を言う名前。


※ ※ ※
お茶はタップリつまんで入れられた。それを遠火に掛けて、初めから不精をしずに茶焙じを揺すられる。煙が立ち登るのを見てからあわてて揺するようなことはされなかった。気もないうちから揺すっていられた。


そのうちに、いやでも西の内の上で番茶が身をよじったり、もじったりし始める。そのころから、目には見えないが、番茶は芳香を放って来る。それを構わず焙じていれば、ハッキリと目に見えて煙が立ち登る。


この辺が千番に一番の兼ね合いで、煙が立つか立たないかの瞬間をとらえなければならない。その瞬間に、最上の味が出るのらしい。言うまでもなく、前でもイケないし、あとでもイケない。番茶の葉の一つ一つが、身をよじったりもじったりし始めるのを見ると、奥さんは明いている左の手をつと伸ばして、静かにお茶の立てる芳香を御自分の鼻の方へ招くようにされた。


この動作がニ三度で及第する時もあるし、五六度で及第する時もある。あとは、変わったことはない。焙じ上がったお茶を番茶土瓶に入れて、熱湯をつぐだけだ。


(中略)


大振りの湯飲茶碗についで出してくださった。私はそのころ四十五六だったが、その年まで、こんなうまい番茶を飲んだことがない。
※ ※ ※


「西の内の上で」っていうのが何のことなのか分かりません。


原稿は手書きの時代でしょうからね、誤字、誤植の類なのか、西の内の上っていう、当時としては当たり前の何かがあったのか。


ま、丁寧に淹れる番茶です。焙じ方にワザがある。
番茶も出花、だとかね、簡単に言ってますけど、その出花をちゃんと咲かせるためには、きっちりとした名人芸があるんですねえ。

 

 

 


鬼も十八、と言いながら、この時の桃太郎さんは、お幾つだったんでしょうね。


玉露を点てていただくのもよろしいですけど、番茶、焙じていただくっていうのもヨサゲです。


たまご料理専用のフライパンを用意しているっていうのは、たまに聞きますけど、お茶っ葉焙じ専用のフライパンっていうのもアリなのかもですねえ。