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【シュレディンガーの猫】量子力学のわけの分からなさ

< 量子コンピュータが実験段階に入っているんですから ある程度解明されて来ているんでしょうけど >

シュレディンガーの猫量子力学量子論っていう言葉。
ま、誰でも聞いたことはあると思います。


新書なんかで解説本が時々出ていますよね、ブルーバックスとかに多いです。


量子論の周辺は何冊か読んでいるんですけど、その結果、なにか最先端の考え方を少しでも理解できたかっていいますと、心もとないですね。
興味はあるんですけど、数式を見ると頭痛が痛いっていうタイプですんでね、納得出来ている箇所がちっともないんです。


で、有名な「シュレディンガーの猫」っていうのが、一般人に分かりやすく量子論を説明したものだっていう解釈にも全然ついていけなかったです。


自分有利に言わせていただければ、科学本にありがちな、専門家の言葉足らずが原因なんじゃないかって、今は思っている次第であります。


書いている方は数式を使わずにっていう、なかなかな苦労をして書いてくれているんだと思いますけど、やっぱりどこか確信からはズレているように感じる本が多いなあって思います。
物理学者の著者の思いから書いているんじゃなくって、出版社要望で書かされている、のかもですけどねえ。

 

 

 


シュレディンガーの猫っていうのは、オーストリア理論物理学者「エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961)」が、量子力学の説明が不完全だっていうことを説明するための思考実験ってされていますね。


こういうふうに、さらっと説明されているんですけど、ここからして分からんのですよ。


シュレディンガーって量子力学の泰斗でしょ。

それが量子論は不完全だっていう証明をしようとするっていうことは、量子力学の中にも派閥がある、みたいなことなんでしょうけど、その辺の事情を説明するのって、難しくて面倒くさいんでしょうかね。


シュレディンガーの猫


鋼鉄の箱の中に1匹の猫が入れられています。
箱の中にはガイガー計数管が設置されているんですね。


ガイガー計数管の中には少量の放射性物質が入っていて、1時間後に原子崩壊する確率は2分の1。


ガイガー計が原子崩壊を感知すると、ハンマーが稼働して青酸ガスの入った瓶を叩き割ります。


鋼鉄の箱の中に青酸ガスが充満して、猫は死んでしまいます。


原子崩壊っていう現象は、極めて量子的なものなんですね。なにせ原子なんですからね。


そして、量子力学の理論に従えば、1時間後の箱の中の状態は、原子崩壊が起きてしまっている状態と、起きていない状態の両方が50%ずつの割合で混合したものだっていうことになります。


つまり、箱の中の猫も生きているのか死んでいるのかの状態が50%ずつの割合で混合したものだっていうことになるわけです。


いやいや、猫は猫なんだから、そんな状態はあり得ないでしょ。
っていうのがシュレディンガーの猫の解釈についての論点ですね。

 

 

 


これもまた、よく分からないんですね。


形而上学的な解釈になるのかもしれませんが、地球上のすべての生物は、生きている状態と死んでいる状態が行ったり来たりしているっていう解釈も充分に成り立つんじゃないかって思うんですよね。


動的平衡っていう観点で考えてみれば、常にどこかが死んで、そこが新たな分子で入れ替わっているわけで、どんどん死んでいるとも言えるし、常に生まれている。それが生命活動だとすれば、猫がシュレディンガーの箱の中に入っていようがいまいが、やっぱり、生きているのか死んでいるのかの状態が50%ずつの割合で混合したものだっていうふうにも言えるんじゃないでしょうか。


こうした解釈が量子論から遠く離れて、論点がズレたものであるっていう自覚はありますが、シュレディンガーは、箱の中の複雑な仕組みを含めて、なんでこんな回りくどい話を発表したんでしょうかね。


ガイガー計、原子崩壊と、生きた猫を一緒の環境に置いたのはミクロの世界とマクロの世界を閉じ込めるための工夫なんでしょうけれど、箱を透明しておけば1時間どころじゃなくって、ずっと観察できるでしょ。


ま、そういうことを言うのはルール違反ってことなんでしょうけどね。


量子論が主張しているのは「観測者が観測するまで状態を決定できない」っていうことらしいんで、それはおかしいでしょ、っていう意味で発表したんだろうとは思います。


それにしてもですね、「観測するまで状態を決定できない」っていうのは、一般人としては直感的に理解できる範疇じゃないですよね。なに言ってんの!? ってなります、よね。


量子論を発展させたデンマークの「ニールス・ボーア(1885~1962)」、ドイツの「ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901~1976)」が何を言っているのか、分かり難いです。


シュレディンガーの猫は、不確定原理に対する反論なんですよね。
量子論陣営の中の言い争い。分かりにくいです。


そもそも、なんで直感的に理解できそうもない量子理論とかが出てきたんでしょう。


それは20世紀の初めのころなんだそうです。
世界の物理学者たちは、光、電子が「粒子でもあり、波でもある」っていうことが実験で確かめられてきて、これっておかしいじゃん! っていうことになった。


物理学的にあり得ない。ってことはですね、これまでの物理学を全面的に見直して、完全に新しい物理学を作らないといけないですよね。ってことから出発したのが量子論量子力学なんだそうです。


これまでの物理学とは全く違うわけですから、直感的に理解できないことばっかり言っている、ように感じるのは、ある意味、当然のことなんでしょうね。


量子論は電子が粒子でもあり波でもあるっていうことを説明するために、いろいろ工夫している結果ってことなんでしょう。


観測者が粒子を確認した時は、波の状態からピークを作り出して粒子になっていて、観測者が波を確認した時はそれまで粒子だったかもしれないけれど波の状態になっている。観測者によって状態が変わる。


新しい、言ってみればムリヤリこれまでの物理理論と違うことをいっているようなところもあるんでしょうから、いろんな派閥があっという間に出来ちゃった。

 

 

 


そもそもシュレディンガーが1926年に「波動力学」を提唱して、シュレディンガー方程式っていう量子力学の基礎を築いたのが量子力学の始まりだっていうのに、シュレディンガーの猫で、量子力学、おっかしいでしょ、っていうことを言はざるを得ないことになっちゃった。


それこそ、おっかしいでしょ! ってなもんなんですけど、人類史上数千年も続いて、発展してきた物理学をガラッと変えてしまおうっていう理論なんですからね、一般人には分かりにくい論争があるんでしょうね。


ボーア派の「コペンハーゲン解釈」に対する反論は、シュレディンガーの猫以外にもたくさんあるようですけどね。


粒子か波か、電子の状態が決まるのは観測者が観測した時点であって、確率次第だっていう量子論に対して、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」って反論したっていうのは良く知られていますよね。


ところが量子論をミクロの世界だけじゃなくって、宇宙全体へ当てはめて考えようとすると「神はサイコロを振りまくる」っていうことになっちゃうのかもしれないみたいです。


人類はまだまだ宇宙を理解できていないんですね。


シュレディンガーの猫に関してだけに絞って言ってみれば、シュレディンガーアインシュタインが言いたかったことは、箱の蓋を開けてみるまで猫が生きているのか死んでいるのか分からないのは観測者が知らないだけで、箱の中では既に決定されている事柄だ、っていうことだったんでしょうね。


ところが、量子論の発展過程で、実に様々な理論が提唱されてきて、人口に膾炙していたシュレディンガーの猫にあやかって、猫の状態は生きているのか死んでいるのかの状態が50%ずつの割合で混合したものだっていうふうにいわれるようになってしまったっていうのが実情みたいです。


シュレディンガーの意図したことから、だいぶ変わってしまって広まった。


量子論の正当性は、どの理論が正解っていう判断を下すレベルには至っていないみたいなんですが、シュレディンガーの猫のエピソードだけがひとり歩きしてきたんでしょうね。


でもね、猫はね、とっくに外に出てきて、チャオチュールに飛びついておりますでしょねえ。

 

ん?

そもそもね、猫って、そんな怪しげな箱の中には、いくらチャオチュールで釣られても入らないと思いますですよ。


量子コンピュータって、ホントに近々、まともに動くんでしょうか。

 

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