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【映画のチカラ】ミニシアターの嚆矢 岩波ホール 2022年7月29日閉館。。。

< 長引くコロナ禍の影響で施設が消えてしまうっていうことが現実として見えて来ちゃいました >

東京、神田神保町の「岩波ホール」が、2022年7月29日金曜日をもって閉館しますよって発表がありました。

 

新型コロナの影響によって、岩波ホール側に対する営業制限だとか、観客側の活動自粛だとかの影響で、経営環境が急激に変化して、運営困難、っていう判断なんだそうです。


いろんなサービス業で例外なく、そういう事態になってしまうんだろうなあっていう予想はしていましたが、そですか、岩波ホールが閉館ですかあ、って、残念無念です。


かなり前から少なくない飲食店が閉業してしまっていますが、こういう規模、岩波ホールみたいな営業規模の施設も消えていってしまうんですねえ。

 


1968年に多目的ホールとして開館したんだそうですが、1974年からは単館映画館に営業形態を変えて54年間続いていたってことですね。
多目的ホールの頃は知りませんが、ミニシアターの草分けとしての存在感は独特のものでしたね。
一番有名な単館映画館だったんじゃないでしょうか。


これまで65カ国・271本の映画を上映してきたそうですが、10本ぐらいは観ていますかねえ。
それだけしか観ていないっていうのは、今さらながら残念な気がしてきます。


岩波ホールでは「エキプ・ド・シネマの会」っていう会員制度があって、年会費を払ってその映画館を応援しながら1本ごとの料金が安くなるっていうシステムも岩波ホールが嚆矢だったと思います。
エキプ・ド・シネマっていうのはフランス語で、映画の仲間っていう意味だそうですが、総支配人として有名だった高野悦子さんが進めていた運動ですね。


大手の配給会社が上映しない、つまり商業ベースに乗らないだろうっていう営業的判断をされた映画を積極的に取り扱うのがエキプ・ド・シネマ運動でした。


4つの目標っていうのを挙げていましたです。


目標その1。アジア、アフリカ、中南米の名作を紹介すること。


中国映画「山の郵便配達」は、まさに名作でしたね。
小津作品と同様の、東アジアで正直に生きている人間を淡々と描いていました。
1980年代の中国の山岳地域の話。中国は想像を超えてデッカイです。広いです。人々の暮らしぶりも様々です。そういうのを、ごく自然に観せてくれた作品でした。


製作は1999年で、上映は2001年だったみたいですが、かなり評判でした。
この映画が岩波ホールに足を運んだ最初だったかもしれません。


目標その2。欧米作品でも大手興行会社が取り上げない作品の上映。


欧米作品って言っても最近はアメリカ、ハリウッド映画一辺倒になってしまっている感じですよね。フランス映画、イタリア映画ですらあまり興行にかかりません。
2009年に上映された「カティンの森」はポーランド映画でした。


目標その3。様々な理由で日本で上映されなかった作品。シーンがカットされた状態で上映された作品の完全上映。


前宣伝を見て、完全版っていうのを何本か観ていますが、カットシーンの理由は、よく分からないっていうのが、どの作品にも共通した感想でした。


目標その4。日本映画の名作を世に出す。


これはもう、ミニシアターの役割として最重要なものなんじゃないでしょうかね。


ウィキの岩波ホール「代表的な上映作品」にはピックアップされていませんでしたが、
2005年に上映された「山中常盤(やまなかときわ)」っていう作品がありました。
羽田澄子監督の作品で、岩佐又兵衛の「山中常盤物語絵巻」をじっくり映像に収めた史料価値の高い映画でした。

 


源義経の母親、常盤御前が、義経の下って行った奥州、藤原秀衡のもとを訪ねようと出かけて行く途中で山賊に殺されてしまうんですが、そのかたき討ちっていう、義経伝説の、いわゆる御伽草子の絵巻です。


文化財の絵巻物を観るっていう興味があったことはもちろんでしたが、絵巻物の作者、岩佐又兵衛に触れてみたかった気持ちから観に行った記憶があります。


岩佐又兵衛っていう人は江戸時代の絵師ですが、そういう人が居るなっていうぐらいの認識しか持っていなかったんですが、ふとしたきっかけで、荒木村重の子どもだっていうことを知りました。


ん? って思いましたね。


荒木村重は戦国時代の武将で、千利休に茶を習い、利休七哲、十哲の一人として知られていますが、歴史的には評判の大変ヨロシクナイ人なんですね。
戦国、織田信長の時代の人です。


摂津国池田家の家臣の子として生まれて、やがて池田家の当主の娘と結婚して一族の仲間入りをしますが、三好三人衆と共謀して当主を追放します。
池田家は織田信長の配下ですが、当主を追放しておきながら池田家を抜けて信長の家臣になります。
戦功によって茨木城を与えられ、かつての池田家を配下に収めます。


まあ戦国時代ですからね、そういうふうにして成り上っていった人は少なくないんでしょうけれど、人気のない理由はこの辺じゃないんですね。まだあるんです。


織田軍はどんどん地方を制圧していきますが、荒木村重は突然謀反を起こします。
籠城するんですね。
織田軍の羽柴秀吉は、荒木村重と仲の良い付き合いをしていた黒田官兵衛を翻意の使者として派遣するんですが、村重は官兵衛を土牢に監禁します。
このことで天才軍師黒田官兵衛は足を悪くしてしまうんですが、このエピソードはかなり有名ですよね。


1年もの間、籠城していたといいますが、戦況が悪くなる中、なんと、単身、城から抜け出して別の城に籠ります。
織田信長荒木村重の能力を惜しんで、翻意すれば城に残した妻や家族を助ける、と言ったそうですが、応じず、全員、見せしめとして殺されてしまうんですよね。


いかに政略結婚だったとしても、自分だけが生き残ればイイっていう行動選択。
女房衆122人、一族、重臣36人っていう記録が残っていて「かやうのおそろしきご成敗は、仏之御代より此方のはじめ也」とされています。


この後も荒木村重は逃亡生活を続けますが、本能寺の変が起きるわけですね。


世の中この先、何がどうなるかなんて、ほとけさまでもご存じあるめえ、ってことです。


荒木村重は、豊臣秀吉のもとで茶人として復帰しているんですね。


評判のヨロシクナイ人の息子、っていうより、生き残った子供が居たんですねっていう興味。


岩佐又兵衛の絵の美術的評価っていうのはよく分かりませんでしたが、そういうかなり偏った興味にも応えてくるれるような映画をずいぶん上映してくれていた岩波ホールでした。

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御茶ノ水駅の改札を出て、明大通りの坂を南に下っていきますと、駿河台下の交差点へ出ます。
靖国通りの角に三省堂書店のビルがあって、右手、新宿方面に軒を連ねているのが神田古本屋街。
その1本南の神田すずらん通りもそうですね。


50mも歩けば、地下鉄の神保町駅です。
この辺はなぜだかカレー屋さんが多いんですね。カレー祭りなんかやったりしてます。


靖国通りと白山通りの交差点、南西の角にあるのが「岩波ホール


特に目立つビルじゃないんですが、映画好きには馴染みの建物。
コロナ禍っていう想定外の出来事によって無くなってしまうんですねえ。

 


岩波ホール以外でも単館、ミニシアターは影響を受けているところも少なくないのかもしれません。


新宿武蔵野館早稲田松竹ユーロスペースポレポレ東中野


なんとか持ちこたえて、独自の映画文化を残していって欲しいです。


今までのところ、ミニシアターで観た最高傑作の映画は、2001年のフランス映画「アメリ」ですね。


なかなか時間がとれず、あちこちのミニシアターのスケジュールを調べて、調布パルコで観ました。
調布パルコのミニシアターも、今はもうないそうですね。


映画は商品ってばかりの側面じゃなくって、文化っていう大事な役割を持っているんだと、経営に携わらない、ただ観るだけの側としては、強くそう思いますです。


「良いものだからタダで観せるというのではなく、良い映画だからこそ、お金を頂かなくてはいけない」


って高野悦子総支配人は言ったっていうエピソードが知られていますけれど、多くのミニシアターが、コロナ禍でも成り立っていけるような、映画のチカラを持ったホンモノの作品と出会えて、生き残れますことを。