ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【文系ですか? 理系ですか?】なんで そゆことを 気にするんでしょ?

< 普通は 文系でも理系でもなくって 言うんだったら野良系ってな感じゃないでしょうか >

居酒屋での雑多な話なんですけどね、3人とか4人とかで、とある話題がわりとシリアスになっていって、その話をしている全員が「なんでだろ」ってなったときに、よく出てくるセリフ。


「いやあ、自分、文系なんで、そういうのよく分かんないっすねえ」


そう言われて「ああね」っとか、納得できることはまずないんですけど、面白いなって思うのは、文系だからっていう言葉が、分からないっていうことの免罪符みたいに使われていることですね。


「いやあ、自分、理系なんで、そういうのよく分かんないっすねえ」


っていう言い訳は聞いたことないですよ。

 

 

 


正しいって言いますか、人文科学だとか自然科学だとかいうアカデミックな方面での文系、理系の分類はひとまず置いておくとしまして、居酒屋トークレベルの分類で考えられる文系、理系って、どんなでしょ?


日本人全般に馴染みのあるオベンキョの分野、国語、算数、理科、社会。今はこれに英語っていう外国語が加わってるんでしょうかね。小学校でもね。


この分類でいくと、文系っていうのは国語、英語、社会、ってことになりそうですよね。
理系は算数と、理科。


居酒屋トークで使われる文系って、要は、計算とか、理論とかが苦手なんですっていう意味なんじゃないでしょうか。ハッキリした結論を出すのは、どうも、っていうんで文系。


なんとなくですけど、理系の人はアタマイイ! っていうふうに捉えているのかもしれません。


目の前の問題に対して、明確な答えを持っていないこと、説明できるほどの知識がないこと、その理由として文系っていう概念の中に逃げ込んでいる。
っていうふうに言えないこともない。って感じでしょうか。


文系だから分からないっていう言い訳に対して、これって、別に理系の問題ってことじゃないでしょう、っていうツッコミが入ることはあるかもですけど、文系をバカにしてんのか! っていうツッコミはまず入らないでしょうね。居酒屋トークレベルの話ではね。


そもそも、居酒屋トークなんかで文系、理系っていう言葉で表現しようとしているのって、人間の性質、性格、みたいなことですよね。その場合、特に学問分野だとか意識していないように感じます。


「小学校の時は算数、得意だったんだけど、中学に行って数学ってなってから、さっぱりわけ分かんなくなっちゃって、それからはずっと文系」


とかね、ロジック的に正しいのかどうか怪しいことを言う人もいます。


国語、算数、理科、社会っていう「学問分野」からワンランクアップして、世間一般で言われている区別っていうのがあります。


文系とは、経済学、人文学、教育学、法学、外国語だとかの文学を学ぶ分野。


理系とは、医学、薬学、農学、工学だとかの理学を学ぶ分野。


ってことになるみたいなんですね。

 

 

考えてみれば当たり前のことなんでしょうけれど、文系、理系って、その人の性質っていうより、各々の学問分野に対する区別としての括りなわけで、義務教育の段階で、なんだか本人の体質的に決まっているような言い方って、実はおかしいんでしょねえ。


文系、理系っていう分け方は海外でもしているんだそうですけど、個人の性質として文系、理系を分けているのは、日本に特徴的なことなんそうです。


海外からの留学生なんかだと、医学と日本文学を同時に専攻している人もいたりして、文系、理系は、学ぶ対象となる学問分野の方で、それを学ぶ人間は、どっちに偏ることもなく、横断的に学習しているっていうことですね。


日本人が、自分は文系、あの人は理系、っていうふうに固定観念的に思ってしまうのはどうしてなんでしょう。


日本人っぽいっていえば、そうなのかもですけど、どうやらこれまでの政策にも原因があるようです。


明治維新を経て国際競争の中に飛び込んだ日本は、西欧に負けない近代国家たるべく、法学と工学の人材を急いで育てて、人材を確保する必要が出てきたわけです。
ここに、特徴的に文系、理系っていう区別が出来上がったみたいなんですね。


大学の学部制度、そして官僚採用の基準としても文系、理系っていう区別がそのまま発展して、日本全体に浸透した。


そしてそのまま太平洋戦争にまで突っ込んでいくわけですね。

 

 

 


戦後、GHQ占領政策が終了したのが1952年です。


その頃になると、日本は経済復興の時代に入って、世界は盛んに「技術革新」っていうことが言われ始めます。


イノベーション政策1.0」っていわれる政策ですね。


イノベーションって、実はけっこう幅の広い概念を表していて、物事の「新しい切り口」「新機軸」「新しい捉え方」「新しい活用法」っていう意味なんですね。


とにかく社会を新しく切り替えていこうっていうわけです。世界は技術革新の旗を振る。


日本の「イノベーション政策1.0」は主に経済政策として科学技術に重点が置かれたようです。


蒸気機関から内燃機関への転換です。
生産効率を良くしようっていうことが言われて、国策として理系に対する投資が行われた時代なんだそうですね。


この、国が理系を推したっていう辺りから、文系不利な感じが始まったのかもしれません。


文系の学部は国立大学には要らない、文系は私立だけにしようっていう意見が国会で出されたっていう話もありますからね。1回だけじゃなくってですよ。


世界的な「イノベーション政策1.0」によって、うまくいって発展した国が先進国ってことになって、そうじゃない国を発展途上国とか言うようになったんでしょうねえ。


そうした経済格差が目立って来ると、世界市場っていうことまで含めて考えないとダメなんじゃないかっていう考えが出えきます。


1970年代になると「イノベーション政策2.0」っていうのが唱えられます。


世界市場を考えるって言いながら、「イノベーション政策2.0」は応用性の高い理系分野が注目されて資本投資が進んで、結果、アメリカにFOMAが集まるっていう結果に繋がったみたいです。


コンピュータもネットも、たしかに理系ですもんね。


一部の多国籍企業には巨額の富がもたらされたものの、そ以外の企業には特に恩恵がない。
1国の中でも、さらに国際関係の中でも、格差社会がより広がってしまった。
明らかな不平等。


こうした国民の不満をうまく利用しているのがトランプさん、なのかもですよね。知らんけど。


で、今、言われているのが「イノベーション政策 3.0」


国連のSDGsに代表される、もっと地球全体を考えたイノベーションを、ってことなんですよね。


経済、経済ばっかり言ってないで、人文社会科学的な考えに基づいたイノベーションを、ってことで、文系、復活の流れっていうことでもありそうです。「イノベーション政策 3.0」


理系偏重に対する反省、っていうのは、ホントは「イノベーション政策2.0」のタイミングで取り組むはずだったんですけど、言動不一致って、お家芸、みたいな所がありますからね。世界的にね。


で、「イノベーション政策 3.0」なんですけど、コロナパンデミックがあって、沸騰化宣言があって、特に具体的な動きはまだ見えて来ていませんですね。


こういう世界的な潮流に、もはや二流どころか三流国だっていう声も聞こえてくる日本は、どう対応しているんでしょうねえ。


処理水の放流についても、国内にさえ充分な説明が出来ているとは思えません。
岸田さんの言ってることって、提携文言ばっかりで、ダサイです。


一般の日本人は、そんなこれまでの政策の歴史なんて知りもせず、ただ単に文系と理系って、明らかに違うよねえ。理系の方がアタマイイんでしょ。とか、まったく意識せずに思いこまされているところがあるのかもしれません。


海外のことは知りませんけれど、日本ではそういう空気感がずっと続いていた。続いている。


理系だ、文系だっていうのはかなりハイレベルの学問分野のこと、あるいはそれを修得している人のことなわけで、ただの酒呑みたちには文系も理系もないんじゃないでしょうか。


っていうよりですね、自分は文系だから、とか、自分で自分を檻の中に囲っちゃうような考え方自体、これからの世の中に寄り添っていないっていうことなんじゃないかって思えてきます。

 

 

 


「いやあ、自分、文系なんで、そういうのよく分かんないっすねえ」


まだ言うか、バーロー、コンニャロ! せめて体育会系って言って、笑いを取りに行ってください。誰も笑わないと思いますけどね。


文系に逃げるのは、文系に失礼ってもんでしょねえ。


わたしは「野良系」でいきますです。はい。