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【ライターズ・スピリット】散文の書き方を考える その16

< 簡単に思い通りに書けるわけもないんですけど そこからネバる気持ち それが勝負でしょねえ >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことについて、いろいろ考えてみる16回目です。


何かを創造したい欲求が我々の中のどこから来るものなのか、その仕組みについてはさっぱり分かりませんが、衣食住に直接的関係がなさそうなアート、スポーツ、芸能に対する参加欲求、創造欲望っていうようなものが、人間の中にどうしようもなく存在していることは事実でしょうね。だしょ?


小説を書こう、シナリオを書きたい、っていう欲求は人間的に正直なものだっていうことなんでしょね。


ただ、実際に書き始めると、とたんに壁にぶつかってしまうことがあります。うまくいかない。


これもまた当たり前のことではあるんですが、たいていの場合、そこで一時、停滞してしまいます。
うまくいかないまま、進捗させることは出来ませんもんね。


色々と悩みますし、工夫したり考えたりはするんですけど、完成が望めない状態になってしまう。


ここで、誰にでも訪れる、日々の気持ちの変化がやってきます。そうです。経験のある人なら誰でも一度は経験しているあの陰鬱な気分です。ど~んよりです。


必ず最後まで書き上げてやるぞ、っていう確かだったはずの意思が揺れ始めるんですよねえ。


書こうとしている物語の主人公の変化よりも、我々自身の感情にこそ日々の変化は絶え間なく訪れちゃいます。


そして、まあ、今回はここまでで止めて置いて、次の物語のアイディアを練ろうかな。このジャンルじゃなくって、別のアートの方が自分には向いているかもしれないなあ。


とかね。あんなに揺るぎないと思われた一途な創造意欲は変遷しちゃって、雲散霧消。

 

その作品は完成しない。っていう憂き目にあってしまった経験、認めたくはないことだとしても、おそらく誰にでもあるんだと思います。
残るのは書きかけのスクラップの山ばかり。

 

 

 


ただ、一方で、うんうんと苦しみながらも、ちゃんと一作を完成させる人がいますよね。
いったいその人にはどんな神様がついていて、どんな女神さまが微笑みかけているというのでしょう。何が違っているんでしょう。


作品を完成させる力っていうのは他力本願じゃダメなことは、皆さんご存知ですよね。
自分です。自分だけの問題。


だとすれば、書こうと思った作品を完成させるチカラ。それは自分の中にあるもの、っていうことにになるわけです。神頼みとは別のもの。


自分の中のクリエイティブ・スピリット。


そもそも出来上がった作品が、新人賞を獲れますように、だとか、売れますように、っていう願いには聞く耳を持ってくれるかもしれない神様でも、この、書き始めた作品を完成できますように、っていう願いに対してはどうでしょうか。


思うんですけどね、創造の神様ってお方は未完成の物には興味がないんじゃないでしょうか。


やっぱり完成させるまでは自分の中の力を頼るしかないんでしょう。


スピリット。耳に違和感のある言葉ではないにしても、頻繁には使わない言葉。
精神、情熱、あるいは根性といった意味で認識することが多いと思います。


我々の中には、クリエイティブ・スピリットは間違いなくあるはずです。だからこそ、よし書こうと思い立ったはずですもんね。


スピリットって、いったいなんなんでしょう。


アメリカでは霊的なニュアンスが含まれて使われる言葉らしいんですが、面白いのは、スピリットが集まって複数形のスピリッツになると、蒸留酒、になることです。


イーグルスのヒット曲、ホテル・カリフォルニアの歌詞に出てきたスピリッツとは、霊なのかリキュールなのか解釈が別れて話題になったことがありました。

 

何かしらの変化を人にもたらすもの、と考えると、リキュールとしてのスピリッツもスピリットの範疇なのかもしれません。


散文の執筆は、どうしようもなく孤独な作業です。しかも長く続きます。


書き始めるときには、あれほど確実性をもって先が見えていたストーリーなのに、ハタと止まってしまう。何故なんでしょう。


書き続けるっていう作業を阻害してしまうのは、他人の目、隣人からの批判じゃなくって、自分の判断ですよね。


自分自身を疑ってしまうから、そうなってしまうんじゃないでしょうか。


今書いているものを最初に読むのは自分自身です。書いている本人が最初のシリアスな読者となります。


シリアスな、ってトコが大事でしょねえ。


途中でふと感じる感覚。これって本当に面白いのか。


あれほど確かな閃きを感じて書きだしたストーリー。間違いないはず。なのに何故不安を感じてしまうのか。何故面白さに疑問を持ってしまうのか。


自分では掴んだと思っていた、あの面白さはどこへいってしまったのか。どこに表現されているというのか。


このまま続けていっても、いわゆる独りよがりを重ねるだけに終わるんじゃないか。


おかしい、こんなはずじゃなかった。どこかに大事な何かを忘れて来てしまっているんじゃないだろうか。


つまりこれは、失敗しているんじゃないだろうか。

 

 

ってね、自分の書いたものを読む自分によって、書き手の自分自身に疑いを持ち始めちゃったりします。


この段階まで来ると、書き続けるための方法、書き上げるためのメソッドに意識が向かい出したりしますねえ。


メソッドっていろいろあります。
特にシナリオには多くのメソッドが提供されています。小説についても提供されているメソッドは少なくありませんです。貪欲に吸収すべきものだとは思います。


そんなことは皆さん重々ご存じですよね。学んでいるはずです。その上で、構成は学んだ通りにキチンと組み立てた。なのにどうしてこんなふうに不安な気持ちに囚われてしまったのか。


疑心暗鬼。負のスパイラルに陥ってしまうと、たちまち自信を無くしてしまいますよねえ。


こういうのって、いくつか作品を書き上げた経験があっても変わらないんだと思います。


新しいメソッドに頼っても、結果は変わらないかもですよ。


でも、思い出してください。著名なベストセラー作家でも、歴史的に名を知られた画家でも、失敗作はあるんです。


発表されていない、公表されていない作品が少なからず存在することは、色々な情報で知ってますよね。
メソッドを提供している側にも、うまくいかなかった実例があるっていうことです。


メソッドは消耗品のようなものと言えるかもしれません。一つの作品に効果をもたらした一つのメソッドが全ての創造バリエーションに役立つ、絶対のものじゃないっていうことなんでしょうね。


延々とメソッド本が出続けていることからも、そうだっていうことが分かります。


確実に仕上げることのできるメソッドなんていうのがあったら、誰でも書けちゃうわけで、そんなことはあるわけないですもんね。

 

 

 


創作を始めたばかりの人であれば、メソッドをしっかり学んできたとしても、むしろうまくいかない場合の方が多いとさえ言えるのかもしれません。


自分なりの方法を確立しているはずのプロフェッショナルでさえ、うまくいかないことがある創作っていうものを完遂するには、どうすればいいか。何が必要なのか。


独りよがりにならずに自分に自信を持つっていうことは、具体的にどういうことなのか。


こうした迷いの感覚が出てきたときに、スピリット、クリエイティブ・スピリット。っていう概念を思い起こしてみるのはどうでしょうか。


創作方法に正解なんてありませんよね。


誰かに相談するべきでしょうか。
でも、それもまた難しそうですよね。


面白さを伝える表現方法や、どこに何を書くべきなのかを直接的に感じ取れるような他人とのコミュニケーションは稀でしょうし、そういうアドバイスに素直に従っていては、本当の意味での自分の作品を書いていることから外れちゃいそうです。オリジナリティがなくなる。


失敗かなって感じている作品を、ダメだって感じている自分自身を冷静に判断してみましょう。


これはダメだって思えるっていうことは、創作する態度として絶対に必要なモノは失っていないっていうことですもんね。


書いている途中の作品っていうよりも、ダメだって判断している自分がいる。


自分の中にこそ、自分を鼓舞してくれるもの、新たな工夫が必要だって感じさせてくれるもの、それを感じ取る力、感じ取ろうとする気持ち。


必ずあるはずだと思います。それがあるからこそ、ダメだって判断している。
自分の中の何かが、そう判断している。


これがスピリットっていう概念に近いものなんじゃないでしょうか。


このスピリットがあれば、創作についてのコミュニケーション相手を選ぶ幅が拡がりますし、実は書籍を読む態度としても、悩んだ経験をしてから、自分自身のクリエイティブ・スピリットを意識して再読すると、まるで違う内容を読み取れたりするのかもです。


クリエイティブ・スピリットを自分のものにしていくには、相手が必要なんだと思います。上手は下手の手本、下手は上手の手本、っていうあれです。


イヤな奴、じゃなくって、下手な奴というところがミソ、かもしれません。


書籍が相手の場合は、自分からの働きかけは無くたってイイんですが、コミュニケーションにクリエイティブ・スピリットを求める場合は、自分からの発信も重要になるでしょうね。


そうしたクリエイティビティのギブアンドテイクには、正直に自分の受け取った感覚を精確に相手に伝える技術が必要になりそうです。


受け取る相手がチンプンカンプンとしか受け取れないコミュニケーションでは、スピリットが宿ることはないでしょう。決して簡単なことじゃないんですね。


近代の作家同士が言い争うっていうレベルの作品論を展開したことも一度ならずありますよね。
我々はそうした言い争いになってしまうようなコミュニケーションは避けるべきでしょう。そこにはスピリットが、学ぶべき内容が有りそうには思えませんからね。


作品が完成していない段階での自己主張って、ね。


創作についてのコミュニケーションにディベート技術は不要だと思います。


その場に支持者が居そうにない場合でも、自分自身の正直さを失ってしまっては自分自身のクリエイティブ・スピリットは育たないでしょう。


創作のコミュニケーション仲間とは、リテラシーの共有がとても大事なことになるでしょねえ。


自分の好みはしっかりと確立して、きちんと意識すべきですが、他人にその感覚を強要するようなことは意味のないことです。自論に他人を従わせるために使う労力は無駄ですし、クリエイティブ・スピリットとは全く無縁のことですもんね。


コミュニケーションの相手に自分のアイディアを取られてしまう、っていう恐れを抱く人が居ますが、取り越し苦労でしょねえ。


そういう感情を持ってしまう人は、明らかな読書不足、映画鑑賞不足なのだと思います。文芸に対する客観性、メタレベルの意識が薄いって言えると思いますよ。


少なくない人がこうした意識に囚われてしまいがちなんだそうで、もったいないことだと思います。


人類の創造活動の歴史はとてつもなく長く古く、多岐にわたって、ありとあらゆる物語は既に語られているのだっていう説に深く賛同します。


自分のアイディアを秘密にしておくより、信頼できる仲間に話してみて、面白さを存分に自慢出来たら、その作品の完成は間近なはずです。


ちゃんと他人に話して聞かせることが出来たんだったら、完成までの道筋、骨組が出来ているっていうことですよね。うまく話せたっていうことは、面白さの演出も既に計算されているからでしょうし。


ただ、難しいのは小説やシナリオの面白さっていうものは、誰にでも均等に伝わるものじゃない、っていうことでしょうかね。
発信する面白さが様々なら、何を面白いと思うかも人によって様々。


べき論に時間と労力を割くのはもったいないことです。この作品を面白く感ずるべき、っていう理論は陳腐でしかないでしょねえ。


コミュニケーションの相手を、選別するっていう方法じゃなくって、自分自身のキャパシティを拡げていく意識が大事なんじゃないでしょうか。


コミュニケーションを自分の中の面白さの種類を増やすことにつなげられれば、とっても有意義ですね。


自分に自信が持てなくなってしまった時、創作仲間とのコミュニケーションとともに重要な脱却方法は、自分のクリエイティブ・スピリットを意識してみることです。

 

 

 


あるんです。必ず、自分の中にクリエイティブ・スピリットはあります。だからこそ始めた創作行為だったはずですしね。


それと、一旦、創作行為から離れてみることも工夫の一つになるのかもしれません。


街へ出かけてみる。お気に入りの路地、よく見かけるネコ。工事中だった家が出来上っていたり、新しい店が開店していたりするでしょう。少し遠くまで足を延ばして小さな本屋さんを見つけたりするのも有意義な気分転換になるでしょう。そこに初めての本との出会いがあるかもしれませんし。


いつも眠そうな顔しか見たことのない司書さんのいる図書館。圧倒されるほどキチキチとしゃべるおばちゃんのいる文房具屋さん。
自分のエリアにしかないお店だったり、自分しか気付いていなさそうな富士山がちらりと見えるビルの狭間。


そんな場所を確認しながらの散歩。クリエイティブ・スピリットに新鮮な空気を送ることを意識しながら歩くことがポイントになりそう。


歩くこと、身体を動かすことが、頭の中に、想像力に、働きかけるっていうことは知られていることですよね。キーボードの前でウンウン唸り疲れたら、外へ出て歩いてみましょう。


アイディアを思いつくために、あるいはストーリーの続きを考えるために、歩く、っていう話をしている先人は少なくないんですよね。


今書いているものを意識しないようにして歩くっていう人もいます。ところが意識していないはずなのに、まさに今書いている話のヒントを思いつく、っていうのが不思議なところなんですよねえ。


クリエイティブ・スピリットは潜在意識の中にあるのかもしれませんです。


それが顕在意識に働きかけた結果なんでしょうね。散歩中に閃くアイディアって。


自分の脳の働きに客観性を与える、ぐらいの意識が有効だったりするのかもですよ。


適切なコミュニケーション、身体を動かす散歩。想像力は行動力であり創造力。
クリエイティブ・スピリット、ライターズ・スピリットを鍛えましょう。完成の苦しみは創作の楽しみであると感じられればしめたもの、なんでしょねえ。


簡単に書き上げられるはずなんて、ない、でしょねえ!?

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

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< いろいろ考えるです >


【考えてから書くか、書きながら考えるか】散文の書き方を考える その1
【神サマの集まり過ぎ?】散文の書き方を考える その2
【オノマトペの実力】散文の書き方を考える その3
【熟字訓と、その周辺】散文の書き方を考える その4
【書くために不可欠な読むチカラ】散文の書き方を考える その5
【マクガフィンって?】散文の書き方を考える その6
【ヨーコさんの秘密】散文の書き方を考える その7
【ビート・ザ・スナフキン!】散文の書き方を考える その8
【フィクションを読む】散文の書き方を考える その9
【タイトル、この悩ましくも決定的なもの】散文の書き方を考える その10
【リライトとブラッシュアップ】散文の書き方を考える その11
【読む楽しみ、書く楽しみ】散文の書き方を考える その12
【プロット】散文の書き方を考える その13
【面白い小説って、どんなの?】散文の書き方を考える その14
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