ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【アフターコロナを考える】元に戻る変化なのか 戻りようのない変節なのか 屋根の上の銀の牛

<2020年 日本の一般生活者は何を失ってしまったのか 失いつつあるのか>

世の中の変化というものは、いつだって人の予測を超えるものなのかもしれませんが、2020年に起きた変化は、今現在もジワジワと続いていて、アフターコロナ、ウィズコロナなどと表現されているその現実に、大いに考えさせられる気がします。

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誰かが望んだことではないにしろ、世界が変わってしまった事実をしっかり認識することは、今を、今からを生きていく我々にはとても大きなことだと思うからです。


そう感じたのは、久しぶりに近所をウロウロ散歩してみたからでした。


みなさんはどうでしょうか。散歩とか出かけたりしてますか? 外出というか、近所を出歩くことさえ気軽には出来難くなっていますからね。
そんな雰囲気に抗おうという気持ちというわけでもないのですが、小春日和に誘われて歩いてみた、という感じです。


そして十五分も歩かないうちに、かなりのショックを受けました。
街の少なからぬ部分が変わっていたのです。

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パチンコ屋さん、閉店。鳥貴族、閉店。お弁当屋さん、閉店。カレー屋さん、閉店。


そして何より目を引いたのがファミレス。
ジョナサン、閉店。スカイラーク、閉店。角を曲がって歩いて行くと、カウボーイ家族、閉店。


小さな街の通りを少し歩いただけで、出くわしたこの変化。
閉店していたカウボーイ家族の店の前に立ち止まってしまいました。店内のテーブルやソファも撤去されている様子で、ただガラスの向こうが暗く沈み込んでいるだけでした。


建物の中に動いているものは何もありません。
とりたててカウボーイ家族のファンだったというわけではないのですが、とくに閉店の挨拶文が張り出されているわけでもなく、寒風に吹き寄せられた枯れ葉が、玄関前に溜まっています。


動きのない、その静かすぎる風景には、寂しい、残念な感覚を通り越して、何か、凄く大きな変化が既に起きてしまっているのではないか、と慄然とせざるを得ないものがありました。
街から生活感が消えてしまった。

 


店舗というのは、そこで営業しているだけで街の活動、生命力を担っていたのかもしれない。それがなくなってしまった。


どこの店舗も、そこそこの人数で賑わっていたんです。ワイワイやってたんです。
家族サービスやら友人との語らい、気取らないデート、だとかに利用されていたはず。
そんなことの一切をやめてしまっているということなんでしょうか。


GoToイート。積極的に利用している人も少なくないんでしょうけれども、近場では数店舗しかその対応している張り紙を見かけません。
やらないの? の小さな定食屋さんで聞いてみると、
「ウチあたりでやったって意味なさそうだし、手続きもよく分かんないんです」
と苦笑いの反応だったこともありました。


外食をヨシと言おうというのではないのです。
食べる場という、そのバリエーションが失われていくことに、危機感があります。
誰にとっても、くつろぐ場、ニコニコする場だったのに。


どうでしょう。最近、どこかで外食しましたか?
居酒屋さん、焼き鳥屋さんはどうでしょうか。
私自身を含めてですが、自粛、ですよね。

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止むを得ないんだけれど。営業時間短縮の照明を落として、ため息をもらす経営者を見ます。


一時停止になったGoToキャンペーンの混乱した運用と、飲食業に限らないサービス業界の疲弊が連日メディアによって報じられています。
経験したことのないウィルス禍ですから、正解を求めても、得られるものが見えてこないのも無理のないことなのかもしれません。


いずれは去る、ということは間違いないと思っているのですが、既に大きな影響が出ている事実を目の当たりにして、打ちひしがれた散歩の結果だったのです。


閑散とした現実をハッキリと見せつけられた。

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苦しい中でもナントカ切り抜けられれば、コロナが治まりさえすれば、その店舗は一気にではないにしても回復が見込まれるでしょう。でも、閉店という形で終わってしまっては、あらゆるリソースの再確保に相当な時間を必要とするでしょう。


特に個人経営の店は、ぎりぎりまで耐えた末の閉店だったのだろうと思います。
閉店などしたくない。


ですが、その閉店という姿があちこちで現実になっているんです。ショックです。
それでもまだ多くの個人店は、表情は暗くなりながらも、続けていくしかないからと頑張っています。これは私が知っている店だけの話ではないと思うのですが、みなさんの周りはどうでしょうか。

 


閉店してしまっているのは大型店、チェーン店に顕著な気がします。
資本主義社会の店舗経営の形が変革を余儀なくされているという現実なんでしょうね。


空き店舗がどんどん増えていっても、これをチャンスと捉えて、外食産業に限らず新店舗開店に乗り出す経営者の動向は今のところ聞こえてきません。
個人事業主が食指を延ばす対象としては大きすぎる敷地であることが多いでしょうから、閉店した店舗は、この先長く、風雨にさらされるに任されるのかもしれないです。


多くの街の風景がゴーストタウン化してしまうのではないかと考えるのは、心配し過ぎなんでしょうか。


ファミレスに限って考えてみても、多くの店舗が閉店してしまうと、そこに供給されていた食材が要らなくなります。
肉や野菜の生産者は売り先を失い、ロジスティック業者の仕事もなくなります。
かなり大きな損害なのではないでしょうか。


店舗閉店というダメージは、単にその店舗に限られたものではなく、社会生活全体にマイナスの影響をもたらすわけです。
さらに言えば、そのまま放っておかれる店舗はどんどん荒れていくでしょう。荒廃。


一枚の窓ガラスが割れ、敷地内に違法なゴミが捨てられ、建物は落書きに汚れ、さらに窓という窓のガラスが割られる。
ブロークン・ウィンドウ現象。


そんな建物、敷地が街のあちこちに出来てしまう。このままでは日本中、いいや世界中どこの街だって、人なつかしさの欠片もない、劣悪な風景になってしまう。
ま、考え過ぎですよね。そう思いたいです。


そうなる前に、そうならないように、何とかやっていきますよね。そうですよね。日本人は、人間は、世界は大丈夫ですよね。


閉店したカウボーイ家族の玄関屋根の上。
銀色の牛がとり残されたまま、足を折り曲げ、腹ばいになって、まっすぐ前を見据えています。
暮れかかる太陽からいっぱいに浴びている光を、強く照り返して、そのボディは銀色に輝いて見えました。


少なくとも悲しそうな顔はしていません。
銀色の牛が見下ろしている、街。


先の見えないぼんやり不安な日々はいつまで続くんでしょう。

 


でも、もうすぐですよね。人類の英知、コンピュータAIの活用、もうすぐ新型コロナウィルス、コビッド19に打ち勝つ時が来ますよね。
その日その時まで、ストレスにつぶされないよう、生きる工夫が大事な時なんだと思います。


イライラしてきたら、意味なんかなくたって笑って。不安にかられてきたら、ネットでイイからコミュニケーションを図って。
自分自身を、家族を、仲間を、もう一度客観的に見直してみて、考えてみて、捉えなおしてみる機会なのかもしれません。


外食しなくたって、焼き鳥屋さんに行かなくたって、自宅で工夫して、ウキウキ呑んで、ニコニコ食べて、お互い、しっかり生活していきましょう。

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いつになく、硬い記事になってしまいました。
みなさん、ごきげんよろしく、あそばされますよう。