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【唐茄子屋政談】政談っていうんですけど その部分は端折ってある噺です

< 国力が落ちて来てるっていう日本ですけど まだまだ贅沢なもんでございますよ >

え~、本日もお立ち寄り、まことにありがとうございます。


今回の「唐茄子屋政談」っていうのは、ご存じのむきも多いかと思いますけど、人情噺ってやつに数えられる落語なんですね。


しかしまあ、ここで人情噺をご披露しようってなことではございませんで、どんなことになりますやらアテもありませんが、ひとつ最後までお付き合いを願いあげておきますが。


他人の痛みを分かる人間になりなさい、っていうのはですね、あっちこっちでよく言われたもんです。


ここんところ「オレサマ族」なんてことを言いましてね、自分はサービスを受ける側であって、サービスする側じゃないってな態度の老若男女が大手を振って歩いている世の中になっているんでございますね、日本はね。


いろんな場面で、実害は無いってことではありましても、なんとも気分の良くないやりとりになってしまっていますね。
他人の痛みなんて知る由もない、って世の中です。


ご自分の言動が相手にどう受け止められるか、そこに気を付けていないようじゃあね、他人の痛みなんてものは解りようもないってもんでございますよ。


人情の機微ってのはね、よっぽど洞察力のある人なら別なんでしょうけど、たいていは自分で体験してないことは理解できないんですね。解りゃしません。

 

 

 


悪口として言う「坊ちゃん」「お嬢」「ぼんぼん」っていうのは、「オレサマ族」と似たようなもんでしょうかね。


自分の言動が周りに対してどういう影響を与えているのか、ちっとも考えていない。
悪意は無いんでしょうけどね、親の七光りで「何様のつもりだ!」なんて言われることなく暮らしていますから、どこか世間を誤解しちゃっているんでしょうね。


2世議員、3世議員に批判が集まるのは、そういった一般市民の生活レベル、日々の暮らしってのを考えない言動をするからですよね。


もちろん2世議員、3世議員の全員がそうじゃないですけど、たいていの人がね、議員さんじゃなければイイ人なのにね、ってことになるのかもしれませんですけどね。


まあね、そうはいっても身分のあるような家の人間じゃなくたって、だいぶ贅沢になっているんでしょうね、今のわたしたちはね。
みんなが貧乏だったころは、べつにそのことでひがんだりしませんよ。みんな同じなんですから。


でもまあ、そん中にも程度の差ってもんがあって、イイ時もありゃあワルイ時もあるってもんで、しんどい状態の時の他人の気持ちってもんが理解できたんでしょうね、昔は。


噺家の言葉らしいんですけど、こんなのがあります。
「心中の本場が向島、身投げをするのが吾妻橋、犬に食いつかれるのが谷中の天王寺、首くくりが赤坂の食い違い」


犬にまで食いつかれて、ロクなことのない日常生活で、背中に死の世界を背負って生きていたんですね。


今の向島吾妻橋、谷中で江戸時代を感じることは出来ませんけど、ま、土地ですからねそのままあります。
赤坂の食い違いっていうのは、今はございませんね、残ってません。
江戸時代には「食い違い門」「食い違い坂」「食い違い土手」って呼ばれてたトコがあったそうなんです。
江戸城の外郭門で、四谷門と赤坂門の中間にあった門が「食い違い門」
まっすぐに侵入できないように工夫された門だったんでしょうね。紀州藩中屋敷の傍に在ったみたいです。


かなわぬ恋の行き先が心中になっちゃうっていうのは、歌舞伎、浄瑠璃、落語、だとかにたくさんありますね。創作もあるんでしょうけど、基になった心中ってのがけっこうあったそうなんですよね。

 

 

 


今の時代ですと、世をはかなんでの一家心中だとか、そんなんですけど、今に伝わる江戸時代の心中モノっていうのは艶っぽい顛末ばっかりですね。


その心中っていうのが向島にかぎって多かったのかどうかは、かなり怪しいですけどね。


吾妻橋っていうのは、関東近辺の人じゃなくっても知っているんじゃないでしょうか。
浅草、浅草寺雷門からすぐの、東側に見える橋。あれが吾妻橋です。
雷門から隅田川の方向に目をやりますと、川向うに燦然と輝いている金色のピイーー(自主規制)が見えます。
アサヒビールのあれです。はい。


そういう名物もあったりしますんで、吾妻橋はいつでも人混みですね。


今では歩いている人の日本人率が低かったりするんですけど、江戸時代、身投げの名所だったっていうのは、いったいぜんたいどういう理由があったんでしょうかね。
とくに身投げしやすいような雰囲気もないんですけど。

 

 

落語好きならみなさんご存じ「文七元結」「辰巳の辻占」「星野屋」っていう噺は吾妻橋から身投げをしようとする人が出てきますね。


でもみんな引き止められるんです。


どうやらあいつは身投げをするんじゃないか、そういう顔をしてるよ、なんてね、周りの人間が気遣って、引き止めて思いとどまらせるんです。
死にたがる人っていうのはいつの世でも一定数いるんでしょうけどねえ、引き止める方もなかなか大変なことです。


「唐茄子屋政談」っていうのも、徳三郎っていうぼんぼんが吾妻橋から身投げしようってとこがあります。


徳さんは江戸の大店の若旦那なんですね。
ま、お決まりで、遊び惚けてばっかりいるわけです。


家のお金がありますから、𠮷原でも大モテで、幇間(たいこ)にもチヤホヤされて、すっかり勘違いの青春を謳歌しておりますね。
で、これまたお決まりの、勘当だ! ってことになります。


勘当されたってあたしはヘーキだよ。花魁(おいらん)が世話してくれるし、幇間たちだって助けてくれるよ。それに仲間たちだって、これまでさんざんおごってやってるんだから悪いようにはしないさ。


こういうような考え方って噺の中だけじゃなくって、現実にもあるような気がしますね。
オレサマ族っていうのは昔っからいましたよってことですね。


お金が無いなら来るな! お金が無いなら遊ばないよ。ってことになって、どこにも頼るところがなくなって途方にくれる徳さん。
ま、これはそうなりますよね、カネの切れ目がなんとやらっていうのは、男女の関係だけじゃなくって世間全体がそんなもんです。オレサマ族に対してはですね。


はなっからね、コンニャロって思いながら付き合っているわけですから当然です。


「唐茄子屋政談」は夏の噺なんです。


今みたいに40度なんてことはないでしょうけど、江戸時代だって夏は暑いんです、うだるような夏なんです。


カネがなければ飯も食えませんから腹は減るし、人間関係は情けないし、やたらに暑いし、寝るところもないしってんで、徳さん、心身ともにすっかり疲れちゃいますね。
もうなにもかも面倒だ、やけのやんぱち飛び込んじまおうっていう気持ちになったのが吾妻橋


早まるなって後ろから抱き留めた人がある。


徳さんは力なく引き戻されます。そうすると、


「なんだ、人助けをしたと思ったら徳じゃねえか。お前だったら引き止めるんじゃなかった。もっかい飛び込め」


なんてことを言われます。


徳さんを引き留めたのは叔父さんだったんですね。
叔父さんですから徳さんの行状は知っていますし、一族のツラ汚し的なことを言うのも無理のないところなんですね。


一度決めた身投げを止められてみると、なんとか生き延びようって思えてくるのが人間ってもんです。
徳さんは、なんでもするから助けてくれって叔父さんにすがりつきます。


で、叔父さんに言われてやることになったのが棒手振りの「唐茄子売り」


唐茄子っていうのはカボチャのことですね。


カボチャって、カンボジアから来たからカボチャって言うんですよ、なんてことも聞きますけどね、日本全国どこでもカボチャって言うわけじゃなくって「とうなす」「とうがん」「なんきん」っていうのは今でも使われている名前ですよね。

 

 

 


棒手振りなんか当然やったことのない徳さん。しかも大量のカボチャです。重いです。途中でひっくり返って道端にカボチャをぶちまけてしまいます。


「ちくしょー、人殺しー」ってなもんなんですが、通りすがりの人たちが事情を聞いて、買ってくれたり、中には通りかかる人に売ってくれたりする人も現れて、あっという間に残りは2個って次第になります。


徳さん、ちょっと何かを感じますよ。


あと2個になった唐茄子を担いで通りかかったのは吉原の見える田んぼ道。
ああ、何の苦労もなく、おいらあ、あすこでドンチャンやってたんだなあ。
だけど今は、棒手振りで唐茄子だ。自分じゃあロクに売ることもできないけどなあ。


徳さん、しみじみ考えながら「唐茄子、いらんかね」素人じみた売り声をつぶやきながらフラフラ行きます。


裏長屋に入っていくと若奥さんが1個を買ってくれます。


これで最後だからってことで、もう1個をサービスであげて、その家で弁当を使わせてもらいます。
と、腹をすかせた子どもが出てきます。


ついきのうまで、空腹を抱えて江戸の町を暑さの中うろついていた徳さんです。
弁当を子どもにあげて事情を聞いてみると、武家を離れた旦那が出稼ぎに出ているんだけれど、数か月も仕送りがない。


こんな小さな子どもをかかえて、生きていくのは大変なこと。
徳さんはね、短い期間の放浪で、すっかり他人の痛みが分かる男になったってことなんですね。
だいぶ端折りましたが、そういう噺なんです。


売上金を置いて、走って帰って来ます。


なんだか不思議な気持ちのまま叔父さんの家に帰って来ます。
唐茄子は全部売れたけど、これこれこういう事情で売上金はない。
叔父さんと確認に行くことになります。


で、裏長屋に行ってみると、若奥さんと子どもが無理心中をしたっていうんで大騒ぎなんですね。


徳さんが走って帰った直後に長屋の大家がやってきて、徳さんの置いていったお金を全部、家賃として持って行ってしまって、その理不尽さに生きて行こうっていう気持ちが萎えちゃったみたいなんですね。


で、徳さんが因業大家を殴りつけたりなんかして騒ぎになったんで、御白州でお裁きっていうことになって、ここが政談っていうタイトルの由縁になるんですけど、ここは噺のなかでは端折られてますね。


長い噺ですから、だんだん端折られるようになって政談の部分がなくなったのか、はなっからなかったのかは、プロでも分からないみたいですね。


で、お裁きの結果、大家は罪に問われて、徳さんには褒美が出る。勘当も解かれて、若奥さんと子どもも命を取り留めて叔父さんの家で暮らすことになる。
情けは人のためならずってことで、目出度しメデタシの人情噺であります。


筋の運びとしてはかなり強引で無理のある話なんですけど、他人の痛みが分かったら、その痛みに対して自分の出来ることを精いっぱいやる。


情けは人のためならずっていう言葉なんですがね、本来の意味を理解していない人が半分ぐらいいるんだそうですよ、日本人ね。
今困っている人に情けをかけることは、巡り巡って自分に恩が返って来るんだから、やれることを積極的にやりましょうって意味ですね。
他人に積極的に係わりましょうってことです。


情けをかけることは、その人のためにはむしろ良くない、って意味じゃないです。


でもね、この相見互いっていう考え方がね、最近薄いのかもです。


他人の痛みを分かって、情けは人のためならず、っていうアクションを、大きなお世話っていわれても心がけておきたいものです。
要は人としてのやさしさ、ってことですもんね。


他人の痛みを分かるっていうところは、政治家センセ方に特にお願いしたいもんでございます。
世間一般の暮らしぶりっていうのを、分かってないんだよ、あんたがた。


おあとがよろしいようで。