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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【三方よし】300年も前から日本に在ったCSRの考え方

< 21世紀これからの Corporate Social Responsibility 企業の社会的責任を考える >

みんな大好き「日本三大〇〇」の中に「日本三大商人」っていうのがあります。


大阪商人、伊勢商人近江商人が「日本三大商人」なんだそうです。
概ね、ふううんって感じでしょうか。


食い倒れの街って言われる大阪は、商都っていうふうにも言われますもんね。


儲かってまっか? ボチボチでんなあ、っていうのが日常のアイサツっていうのがホントなのかどうか分かりませんが、そういう風土として捉えられているわけですからね。

 

商人の街、大阪ってことで納得です。

 

 

 


伊勢商人。へええ、そなの? って思う人もいるかもですけど、江戸の流行り言葉としても遺っていますよ。


「近頃江戸の名物は、伊勢屋、稲荷に、犬のくそ」


まず三番目から。
江戸八百八町をたくさんの野良犬が、とにかくウロウロしていたらしいんですよね。


ま、武家屋敷なんかだと犬を飼っているお屋敷もあったんでしょうけど、江戸の犬はたいてい野良で、とにかくウロウロ歩いて、棒にあたったりなんかして、時々誰彼が自分の食べ残しをくれたりなんかして食いつないでいる。


で、あっちでポロポロ。こっちでポタポタ。落とし物をしていくんで、江戸は町中が犬の落とし物だらけ。


驚くことに、20世紀までフランスでは、あちこちがこうだったみたいなんですよね。
アパートの上階から糞尿が降って来る、なんてことも珍しくなったそうですよね。知らんけど。


ま、とにかく、犬の落とし物が江戸の名物だったってことですね。


次、二番目。
「火事と喧嘩は江戸の華」っていうぐらいで、とにかく江戸には火事が多かったそうなんですね。


幕府は「屋根を瓦ぶきにしろ」っていう御触れを何回も出したそうなんですが、江戸の町人たちにしてみれば「そんなお金、あるわけないだろ」ってことで、火の粉が飛ぶと、板屋根に火が付いてあっという間に延焼しちゃう。


もう神頼みです。
火事を防いでくれるっていうキツネは稲荷神社のお使い。


お屋敷の庭や、路地ごとに赤い鳥居を設置して、お稲荷さんの小さな祠を祀ったんですね。


江戸じゅうが稲荷だらけ。この名残りは今の東京でも見られます。
へええ、こんなところにっていうような、ビルとビルの間とかにもお稲荷さんがいます。


江戸市民はとにかく火事を恐れて、火伏の神である「秋葉大権現」をお参りに、静岡県浜松市秋葉山に講を組んで出かけることがブームみたいになっていたみたですからね。


明治になってからも火事はおさまらなくって、延焼を食い止めようっていうことで設けられた火除地が「秋葉っ原(あきばっぱら)」


これが今の「秋葉原(あきはばら)」


秋葉大権現の御利益を少しでも得られますようにってことで、名前も無いような原っぱを秋葉っていう名前にしたんでしょうね。


いつごろ読み方が代わったのか分からないみたいなんですけど、秋葉原は「あきばはら」とも読めますよね。
っていうか、元々は「あきばはら」だったみたいですけどね。


21世紀の「あきはばら」は火除の神じゃなくって、メイドさんたちがいるコジャレタ街になっています。


そして「伊勢屋」


犬の落とし物と、お稲荷さんの数に匹敵するぐらいに多かった店舗が「伊勢屋」だっていうんですから、とにかくいっぱい、どこにでもあったんでしょうね。


商売自体はいろんなジャンルだったんでしょうけど、店の名前はどこも「伊勢屋」


独自の屋号を名乗るより、伊勢神宮にあやかって、伊勢の名前を冠している方が有利っていうケイサンだったのかもですね。


江戸の町人たちからは、伊勢屋はケチだっていうんで嫌われていたなんていう記録もあるようですが、伊勢商人は江戸で商売を拡大していったんでしょうね。


それが「日本三大商人」のうちの、伊勢商人

 

 

 


そして「日本三大商人」の3つ目が「近江商人


とくに自分で商売をしているわけでもないせいか、耳馴染みがありませんです。


近江。「おうみ」ってすぐには読めませんよね。


改めて日本地図を眺めてみますと、「日本三大商人」の中で、古都奈良、京都に一番近いのが近江ですね。


古事記に「淡海(あはうみ)」ってかかれているのが、琵琶湖。
淡水の海ってことなんでしょうね。


あはうみ ⇒ あうみ ⇒ おうみ ってことなんでしょうか。
発音しやすくなっていく流れ。


西に京都、さらに進めば大阪。南は奈良、南東にすすめば伊勢です。


都の近くにある淡水湖だから「おうみ」ってなったのは分かりますが、なんで「江」の字を宛てたんでしょう。
海につながっているわけじゃないけど、海の入り江ぐらいの大きさ、役割りってことなんでしょうかね。


琵琶湖が都の近くにあって「近江」なのに対して、都から遠くにある静岡県浜名湖
こちらは「遠江(とおとうみ)」ですね。


都に近い方、琵琶湖周辺は古代から陸路の要衝地で、産業的に重要な道が通っています。


福井県の小浜から琵琶湖西側の高浜市を結んでいる「九里半街道」


三重県四日市市から近江八幡市を結んでいる「八風街道(はっぷうかいどう)」
なんか寒そうな感じもしますけど、風情のある名前ですね。


同じく三重県の千種から山越えで東近江市に至って八風街道に合流する「千種街道(ちくさかいどう)」


移動手段は人間の脚しかない時代から、近江が物品の行き来が盛んだった地域だったってことは想像に難くないでしょう。


発祥の時代的には、日本三大商人のなかで一番古い可能性もありそうです。


織田信長の「楽市楽座」の基になった「楽市」システムを考案したって言われている「六角定頼」も近江の人。
商業発展、近江商人の活躍のベースは、この辺にあるのかもですね。


琵琶湖周辺に商業の盛んな地域がいくつかあって、近江商人としてひとくくりにするのは、本来は難しいのかもしれません。


近江高島商人」「近江八幡商人」「近江日野商人」「近江湖東商人」っていう名前が残っています。
けっこう広範な地域を指す言葉ってことになりますね。「近江商人


江戸後期、「近江湖東商人」の1人、神崎郡石場寺村の「中村治兵衛宗岸」っていう人が、麻布商人としての家訓を書き遺しているのが基になって、今で言う「三方よし」っていうのが語り伝えられていますよ。

 

 

1754年、15歳の養嗣子に残した「宗次郎幼主書置」の中の一部。


「他国ヘ行商スルモ総テ我事ノミト思ハズ其国一切ノ人ヲ大切ニシテ私利ヲ貪ルコト勿レ神佛ノコトハ常ニ忘レザル様致シベシ」


他国へ行商に出かけても、自分のことばかり計算して高利を望むようなことをしてはいけませんよ。


出向いて行ったその国の全てのお客様のためを思って、何事も計らうことを優先することが大事です。


利益を得られるかどうかは天の恵み次第なのだから、自分の利益ばかりを考えるものではありません。


神さま仏さまのことを常に忘れずに、自分の心に悪心が生じないようにしなさい。
っていうような意味でしょうね。


なんだか、昔の道徳の本に出てきそうな言葉です。
居酒屋さんのトイレに貼ってある格言の類って、これのマネッコなのかもしれませんね。


この「宗次郎幼主書置」を近江出身の伊藤忠商事創業者「伊藤忠兵衛」がビジネス界に広めたんだそうです。


そして、この近江商人の経営態度を、1980年、滋賀大学名誉教授の「小倉栄一郎」が、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」っていう言葉として著したんだそうですね。


三百年近く受け継がれてきた近江商人の心得、ってことで、凄いなあって思います。


三方よし」の経営理念はまさに商売、仕事をして生きていくうえでの大切な考え方だと思いますし、それを実行してきたからこそ、日本は一時期とはいえ、世界を席巻する勢いを持つまでに至ったんじゃないでしょうか。


「其国一切ノ人ヲ大切ニシテ私利ヲ貪ルコト勿レ」
カスタマーサティスファクションっていうことの原点ですよね。


こういう社員教育が出来ていれば、コンプライアンスがどうだこうだっていう状況にはならないと思います。


「企業の社会的責任」「CSR(Corporate Social Responsibility)」って、わざわざ大きな声で言わなければならない。

そんな世界の現状を見回してみますと、日本の「三方よし」の精神って、世界に先駆けていたんだと思いますし、しっかりした日本企業経営精神の土壌になっていた時期もあったんでしょうけどねえ。


今の日本は、どこの企業も、我先に、自分ファースト、っていうのばかりが感じられます。


残念です。


日本の政治は三流だって言われたのはかなり前からですけど、今や産業界も二流、三流に落ち込んでいるのが現状ですもんね。凋落です。


日本のメディアもモザイク報道から脱却して、タブーを恐れず、偏向批判にビビらず、世界の現状、世界の中の日本っていうのをしっかり伝えていただきたいですね。

 

 

 


三方よし」の気持ちを持っている経営者って、今でも、中小、零細って言われている会社の中に、相当数いるんじゃないかって思いますけどね。


「売り手よし、買い手よし、世間よし」っていうのが「三方よし」なんです。
「おもてなし」の原点、日本人の考え方なんでございます。