< ローカリズムに形なんてないんだろうと思いますが 形がないと意識が薄らいでいくのかも >
ま、必要以上にローカリズムが強くなっちゃうと、それはそれでいろいろと問題を引き起こすんですけどね。
みんなが、世界中が集まって、っていうイベントとして異様っていうほどに盛り上がるサッカー・ワールドカップは、2026年がアメリカ、メキシコ、カナダの共同開催で、その次の2030年はモロッコ、スペイン、ポルトガルの共同開催になるっていうことですね。
大きくなる一方だった地球規模イベントは放送権料だとか、会場整備だとかの費用が掛かり過ぎるからなのか、もはや1か国だけでの開催っていう形態は採りづらくなって来ているのかもしれないですね。
そういう世の中の趨勢。
隣接国間での共同開催とはいっても、参加チームの移動距離はかなり大きくなりそうですし、日程調整だとかもこれまでとは違った配慮が求められてくるんでしょうね。
飛行機で移動すればイイんだから何の問題もないっしょ! っていう意見もあるようですけど、国を代表する選手たち、スーパースターの集団を1つにまとめて同じ飛行機に乗せるっていうことに、どこの国でもあっさり同意するとは限りませんし、決勝トーナメントに入ったら試合会場を1つの国の中の比較的近いサッカー場に集約していくっていう方法にならざるを得ないとして、それはそれで共同開催国同士の不公平感をなくすのにひと悶着ありそうな気もします。
国のプライドっていうんじゃなくって、いろんな利益の争奪戦ね。
けっこうね、汚職問題とか、日本だけじゃなくって世界的にうんざりしているような空気感もあります。
サッカー・ワールドカップについては開催熱が下がる気配を全く感じませんが、オリンピック・パラリンピックの開催については、なんだかマイナスイメージがささやかれていますよね。
開催に名乗りを上げる国が減ってきている。
おまけに、開催国の不正や汚職問題っていうミソを付けてしまった日本、っていう恥ずかしい現状。
なんだかなあ、ですが、コロナ・パンデミックのせいばかりじゃなくって、ニイマルニイマル東京オリンピックは、シンボルマークのパクリ問題から始まって、いまだに起訴裁判が終わっていません。裁かれる側に罪の意識なんてなさそうにさえ見えますしね。
そして、2030年冬季オリンピック・パラリンピックの招致活動を、札幌市は断念したっていう発表がありました。
設備は前回のオリンピックで使用したものを整備するんで、かなり抑えられますよ、って言ってたんですけど、それって東京オリンピックの時も同じことを言ってたでしょ。
結果的に贈収賄禍にまみれて、費用は倍増しましたよね。っていうツッコミを札幌市がはねのけられなかった結果なのかもです。
ニイマルニイマル東京オリンピックの時もそうだったんですけど、開催を望んでいる市民って半数に達していないっていう調査結果が札幌でも出ていました。
まあねえ、やるってことになれば、見るだろうし、応援もするけど、ここでやって欲しいっていうふうには思わない。っていうのが地元の人たちの正直な気持ち。喜んでいる人が実は少ない。
世界的なビッグイベント開催って、21世紀に入って、みんな急激に興味を失って来ているんじゃないかっていう気もしてきますね。
開催地って固定でイイんじゃないの? オリンピック・パラリンピックなんてギリシャ固定で、どこからもモンク出ないでしょ。設備も安定してメンテナンスできそうだし。なんにしろホントのアスリートファーストに出来るんじゃないかって思えます。
世界各国で回り持ちにする意味、あんの? ってところでしょうか。
グローバリズムはローカリズムだっていう理屈は、なんとなく分かるような気もしますけど、ローカルの貴重さに気付いて、そのローカルをグローバルに推し進めていって地球全体を活性化させるっていう目論見が、どうやら失速し始めているっていうのが現実なんでしょうね。
ネット社会になって情報の伝わり方、そのスピード、リアリティさっていうのが様変わりしていることは動かしがたい事実。人跡未踏、なんて、もうナイんでしょうしねえ。
そんでもってもう1つ。2025年には大阪万博で盛り上がりまっせえ! ってね、つい最近まで関西メディアは雰囲気づくりに躍起になって汗を流していたように見えていたんですけど、2023年に入って、なんだか急に、しょんぼりしてきたような感じがしませんか? 取り上げなくなってきていますよね、大阪万博。
1970年の大阪万博はことのほか盛り上がって、当時、会場に入って楽しんだ人たちは夢見るような感覚だったことを懐かしそうに思い出すようです。
世界各国が自分の国の威信をかけたパビリオンを展示して、アメリカパビリオンの月の石は、ワクワクしながら何回並んでも見ることが出来なかったっていうことさえも、楽しい思い出として語る人もいますもんね。
そんでもって2025年、あの感動をもう一度、再び大阪へ、ってことで準備万端に進めていたように見えていて、1970年の興奮を超える、未来のユートピアを、21世紀の大阪で、っていうことで盛り上がっていたんでした。
なんで急に熱が冷めたんでしょか。報道しなくなっちゃったんでしょか。
ノリがイイはずの大阪人がやる気をなくした?
どうやら、そうじゃなくって、やる気のないのは世界の、参加各国みたいなんですよね。大阪のせいじゃないです。
参加各国が費用を負担して独自性をアピールするはずのパビリオン。その建設が、申請さえ数が上がって来ない。
ありゃ!? って感じになっちゃっているらしいんですよね。
コロナパンデミックの影響っていうのが経済的にも世界各国に出ているんでしょうけれど、それ以上の気分的な落ち込みっていうのが世界的にあるのかもしれません。コロナ疲れってやつ、でしょか。
21世紀も第1四半期を終えようとしている今、世界は疲れている?
ただ、ネットの中で見られる意見としては、今のままのやり方としてのオリンピック・パラリンピック、博覧会ってうのは既にオワコンになっているんじゃないかっていうのが多く見受けられます。
博覧会に関しては特に強くって、国々の特徴を世界に喧伝するっていうのは、もうネットに任せておけばイイことで、わざわざどこかに集まって、お祭りにする必要を感じない、っていう空気感が、どこの国でも中堅層を中心に大勢を占めているのかもなあって感じですね。
世界大戦後の混沌とした生活状況から、国や自治体の体制が、一応、整備されてきて、多くの国では安定して来て半世紀以上が経っています。
ローカルが大事っていいながら、そのローカルの価値観に、ローカルの中で生活している人たちが重きをおかない、っていうか、世界が平均化されてきている弊害があったりするのかもです。グローバル疲れ。
ローカリズムっていうのを日本に限って見てみますと、少し前に「ゆるキャラブーム」なんてのいうのがありました。
まさにローカルを押し出していこうっていう自治体のエネルギーの産物だったように思いますが、その自治体のくくりとして「市」っていう単位のゆるキャラが多くって、「県」単位のゆるキャラっていうのは意外に少ないんですよね。
自治体のまとまりとして「県」っていう単位では、すでに大きすぎる、意見がまとまらない、っていうことなのかもしれないです。ローカルって意外に複雑、だったんでしょうかねえ。
国政だけじゃなくって地方自治も、議員さんたちの数が多過ぎるし、レベルも、なんだかねえって感じですしね。
児童虐待の考え方で、いき過ぎっていいますか、アタマオカシイでしょって物議をかもした埼玉県議でしたが、埼玉県のゆるキャラってうのは、いないんですよね。県のゆるキャラとして認知されているのは、
群馬県の「ぐんまちゃん」
新潟県の「笹だるま」
長野県の「アルクマ」
和歌山県の「きいちゃん」
徳島県の「すだちくん」
福岡県の「ふくおか官兵衛くん」
官兵衛くんは、そのまま福岡市のゆるキャラでもあるようです。
47都道府県のうち10県しかないんですね。県のゆるきゃら。
くまモンは全国区だと思いますけど、それ以外ですと、せんとくんっていう名前を聞いたことがあるぐらいですかねえ。
各市のイベントなんかにどんどん県のゆるキャラを参加させればイイのにって思いますけど、なんかあれですかね、県庁としてのコダワリみたいなものがあって、そうはいかないってことなんでしょうか。そもそもの数が少ないし、知名度も、そんなに~、って感じですよね。
自分が住んでいる自治体に対する感情って、町や市っていうレベルだとまとまりやすいかもですけど、県っていう単位になると、ん~、っていう感覚があったりするのかもです。
県民の日ってありますよね。っていってもあれです、制定しているのが1都1道17県だけですからね、そんなのあんの? っていう人の方が多いんでしょねえ。
制定している県の人たちにしても、自分の県に県民の日があるっていうことを知らない場合もあるのかもです。
カレンダー順で見ていきますと、
2月7日は、福井県「ふるさとの日」名称は各県で様々みたいなんですね。
2月20日、愛媛県「県政発足記念日」なんとダイレクトなネーミングでありましょうか。
4月18日、三重県「県民の日」
5月9日、富山県「県民ふるさとの日」
6月15日、栃木県「県民の日」、千葉県「県民の日」
7月14日、鹿児島県「県民の日」
7月17日、北海道「北海道みんなの日」
8月29日、秋田県「県の記念日」
9月12日、鳥取県「とっとり県民の日」ひらがな、なんですねえ。
10月1日、東京都「都民の日」
11月13日、茨城県「県民の日」
11月14日、埼玉県「県民の日」
11月22日、和歌山県「ふるさと誕生日」バースデイっすか。
11月27日、愛知県「あいち県民の日」
以上が1都1道17県の、県民の日、です。どうでしょうか、自分の県は制定していましたでしょうか。
いろんな地方から人が集まって来る大都市圏って「ふるさと」っていう意識を持っている人は多くないように思いますけど、東京都は都民の日っていうのを定めているんでありますね。大阪、京都は制定していないです。
都民の日は1952年から記念日にしているそうですから、半世紀以上続いています。でもその名前は聞いたことがあっても、10月1日が都民の日だって、知っている、記憶している人ってどれくらいいるんでしょうかね。
わたし自身、長いこと都民でありながら、10月1日は都民の日だよって言われれば、あ、そうだったっけ、って感じでしか受け止めていませんもんね。
都民の日は「記念日を設けることで都民の一体感や自治意識を高め、また福祉を増進することを目的とする」んだそうでございます。
この一体感っていうのが、おそらくどの県の県民の日制定のお題目の1つになっているんでしょうね。大時代な感じです。福祉を増進って、都民の日と、どう絡んでくるんでしょう。
都民の日には、東京都の公立小中学校、高校は、全部じゃないらしいですけどお休みになる。
ええ~!? そうだったっけ? って感じです。
学校生活なんて、かなり古くなってしまった記憶だからってこともありますけど、子どもの頃から、
「きょうって、なんで休みなんだっけ?」
「知らんがな! とにかく休みなんじゃ、めでたいんじゃ!」
ぐらいな感覚で過ごしていたからでしょうねえ。
ちなみに都民は「知らんがな」とか「じゃ」とか、一般的には口にいたしませんですけどねえ。
1956年には江戸城築城から500年っていう、かなり折衷案的な経過年数を記念して「大東京祭」が催されたんだそうです。
1982年からは「ふるさと東京まつり」っていう名前に変更されて毎年の恒例行事なっている、ってことなんですけど、へええ、知らんなあって感じです。都民のみなさん、知ってました?
2023年は東京ドームで、1月13日から1月22日まで行われたそうで、都民の日ですけど、イベントは10月1日じゃないんですね。
東京ドームが空いていないからなんでしょか。
当初の1956年から「大東京祭記念徽章」っていうバッジを発売しているらしいんですね。徽章っていう言い方が、なんだかなあって感じです。徽章っていうのは身分証みたいなもんでしょ。都民って身分? なの?
ま、ようするにバッジっていう以外には意味はないんでしょうけどね。
その都民のバッジは1959年からは「カッパのバッジ」になっているみたいです。
なんでカッパ?
その昔、墨田川にはたくさんのカッパの巣があったからあ~。
うっそお! そんな話聞いたことありませんよ。
イイの! 昔の話なの、ムカシの! ん~。。。
「1960年代から1990年代ごろまでの間に都内で幼少期を過ごした世代には、カッパバッジとして広く親しまれることになった」
っていうことなんですけど、都民のみなさん、知ってました? カッパバッジ。
1997年以降は発売されなくなっていて、2018年に復刻されたらしいんですけど、知らんですう。
各県の県民の日に合わせてのイベントっていうのもあるんでしょうかね。そしてそのイベントでは、東京のカッパバッジに相当するなにか記念品みたいなのがあるんでしょうか。
あるとすれば、県民バッジ、みたいなものが21世紀現在、どういう存在として扱われているんでしょうね。
道ですれ違う人の胸に、さ~んぜんと輝く「カッパバッジ」
おお、あなたは紛れもなく東京都民の方ですねえ! っていうふうにはならないでしょねえ。
そもそもカッパバッジを知らないし、カッパバッジって都民じゃなくたって買えるんでしょうし。
買えないとしたら、それはそれで、別方面的に大問題でしょからねえ。
一応の東京都民としては、10月1日は都民の日、カッパの日ってことを、せめて3日ぐらいは記憶しておこうと思いますです。
あなたの県には県民の日、ありますか?