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【積読山脈の夏崩れ】日本では江戸の昔から「朗読」「黙読」「積読」が三読法

< 日本語以外の言語には同義語がなくって 英語でもtsundokuというらしいです >

たいていのオトナは履歴書を書いた経験があると思います。


氷河期といわれたタイミングで就職活動をした人なんかだと、それこそオーバーではなく100以上の履歴書を書いたことでしょう。世の中、理不尽なものですね。バブル世代っていうのもあるのにね。


就職してからでもスキルシートが必要とされる機会も少なくないですけれど、履歴書に在ってスキルシートに無い項目。それは「趣味」ですね。


どういう人物なのかを判断するための一助、ってことなんでしょうけれど、大きなお世話じゃ! っていう気もしますし、正直に書かない人だって多いんだろうと思います。


それって犯罪じゃないの? っていうような趣味の人だって居ますもんね。
履歴書やスキルシートって、ホントのことが書いてある確率、低いです。


今でもあるのかもしれないですが、履歴書の書き方講座なんていうのがあったりしました。


その昔、履歴書を書かなければいけなかったシチュエーションで、書き方講座を受講した友人からアドバイスを受けたことがありました。
趣味欄の書き方についてです。


友人曰く、「趣味欄に書いちゃいけない趣味が2つある。それは読書と音楽鑑賞なんだよ」
なんで?


「読書と音楽鑑賞っていうのは何の特徴もないし、誰でも無難だから書くんだけど、アピールにならないから」
ほ~っ、なるほどねえ。


ってアホか! 本当にそうなんだからしょうがないじゃん。


という次第だったんでありますが、そういう経験、ありませんか?
ま、趣味として、読書か音楽鑑賞をあげる人に限られますけれどね。
リアルを書くなってことです。


音楽鑑賞っていう言葉のニュアンスって、履歴書の書き方講座からすると、イコール、クラシック鑑賞なんだそうです。


こういうのを聞くと、判断する側って、脳みそ無いのかって思っちゃいますけれど、ま、そういう世の中の傾向みたいなのは、あるのかもですねえ。外国のことは知りませんが、日本にはね。
バカじゃないとエラクなれない。


そりゃあね、クラシックだって聞きますよ。交響楽団も聴きますし、グールドとかホロヴィッツブーニンとかも好きですけれど、主に聴くのはブルース、リズム&ブルース。ハードロック、グラムロックプログレッシブとかもね。歌謡曲や民謡だって好きなものがたくさんあります。
音楽鑑賞って、そういうもんでしょ。ドラムンベースだって対象ですよ。


みんな、そんな感じじゃないでしょうかね。偏りはあるにしてもね。

 

 

 


履歴書の趣味欄に読書と音楽鑑賞って書いておけば人畜無害、ってそういうイメージって、あったんでしょうか。
そう書くなっていうアドバイスがあるぐらいにみんなが書いていたってことなんでしょうね。


なんで、みんな揃ってそう書いたのか。
考えられる原因としては、履歴書のサンプルに「趣味は読書」「音楽鑑賞が趣味です」とか、そんなのがあったのかもってことですね。
履歴書を買うと、パッケージとして付いてくるヤツね。「履歴書の書き方」とかいう肩書で。


でもですね、ひと口に音楽鑑賞って言ったって、どんな音楽を聴いているのか、ジャンルからして広すぎるぐらいの世界です。


鑑賞っていったって、聴きながら踊る人だって少なくないですよね。そでもないかなん?
読書にしたって、何か特定されるようなジャンルじゃないと思いますね。


アイドルの写真集なんかも読書の範疇なのかどうか、ちと考えてしまいますが、小説にしたって、さまざまなジャンルがありますし、同じジャンルに区分されていても、作家によって、作品によって、全然違います。


だからこそ、趣味として成り立つもんでしょう。
音読する人だって居ますもんね。


音楽鑑賞に関しては、レコードからCDになった時点で、一度離れました。


プレイヤーの針が買えなくなったからですね。今はリバイバルブームとかで、また普通に買えるみたいですけれどね。高いのかもしれないです。
プレイヤーとかアンプとか、バカ高いですからね。真空管アンプなんて、うひょ~っていう値段。


当時、1,000枚ちょっと持っていたレコードは全部友人たちにあげてしまいました。なんかね、デジタルに対する反発心みたいなものがあったように思います。


で、音楽から離れていられたかというと、すぐに諦めてCDで買いなおし始めました。


今現在で700枚ぐらいのCDコレクション。減っています。
あのですね、CDになっていないレコードってかなりあるんでございますよ。ガックシの音楽鑑賞事情です。

 

 

 


読書の方は、まあ、読むときは読むって感じがずっと続いていますが、引っ越しのたびにゴソッと捨てて、また溜まって、の繰り返しです。マンガも相当数あります。


で、5本の本棚がCDと本でいっぱいになって、市販の普通の本棚ですが、隙間に突っ込んでぎゅーぎゅーになったのもかなり昔のことで、床に「平積み」するようになりました。


買う時は数冊ずつ買います。で、読んだら窓際に平積みして、新たに買ってきた本は机の脇に平積み。
このあたりから「積読」生活に入りましたね。


いろいろな都合で読む時間が減っているにもかかわらず、買ってくる本の数が減らない時期が続いたんですね。


机脇の積読は、あっというまに「積読山」になりました。
窓際の読了山も高くなっていきます。


読んでは積んで、また買って。そうしているうちに窓際の読了山が高くなり過ぎて、不安定になっていきます。


2つ目の山が出来始めます。
読了山が3つになると、窓の開け閉めに邪魔になって来ました。


で、結構大きめの整理棚、骨だけの組み立て式のやつですね。思い切って買ってきて、それに読了本を平積みすることにしました。未読本は机脇のまま。


机脇からどんどん増殖して、あっといまに積読山脈です。


ので、それ以来、部屋の中はほぼ横歩きするしかない状態なんですね。
こんどうまりえさんには、思いっきり怒られそうですけれど、そんな状態。


問題は未読本の山、積読山は増殖の一途です。


文庫本、単行本、新書。50冊から60冊ぐらいが1つの山の高さ。その山が今現在11あります。
積読山脈。3列に連なっています。


未読の本が600冊ぐらいあることになります。アホやなあ、とはね、少し思います。少しだけ。


でも、いつか読むんだもんねえ、という意識です。

 

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月に20冊ぐらい読んで、山が低くなる時もあるんですが、酔っぱらってネットをやると、いけませんねえ。
数冊買ってしまいます。


散歩に出てのリアル本屋さんはもっといけません。


買わないつもりで、覗くだけのつもりで入るんですが、店を出るときには1万円ぐらい買ったりしてしまいます。
7、8冊。積読山脈のそれぞれの山が徐々に高くなりつつあります。


平積みするときの工夫。

背表紙を交互になるように積んでいきます。そうするとズレにくいから。


暑い時期、梅雨から残暑にかけて、東京はけっこう湿気が多い季節です。ま、これは、東京じゃなくたってそうでしょうけれどね。


背表紙を1方向に揃えて積読山を高くしておくと、崩れます。間違いなく山は崩壊します。
なぜか?


本は紙です。背表紙側は接着剤で固められていますが、ページをめくる側は1枚1枚の紙が紙であることを主張しています。湿気で紙は膨らみます。ほんのわずかなんでしょうけれど、膨らむんです。


1冊の本のページは薄手の文庫本で200ページほどでしょうか。厚い本になると600ページぐらいはいきますねえ。
1枚の紙のふくらみは、ほんのちょっとだとしでも、数百ページ分膨らむと、背表紙側の厚さより厚くなるんですね。1ミリ、2ミリ違ってきます。


そうすると、本の上側、平積みした表紙は傾斜が付いてしまいます。傾斜の付いた本が50冊も積まれると、ほ~ら、傾いて崩れてしまうんです。


背表紙を交互にして平積みするなんて、面倒ですので、さぼって同じ方向に平積みしておいたりすると、暑くなりはじめる時期に、必ず崩れます。積読山脈の夏崩れです。


積読山はホンモノの山のように裾広がりじゃなくって、頭も裾も同じ幅です。不安定に立っている山が群れを成して山脈を形成しているだけです。
山脈の中の1つの山が崩れますと、隣りの山にもたれかかります。


もたれかかられた方の山だって、ガッチリオッケーって状態で立っているわけじゃないんですね。
あらら~って共倒れです。どんどん、あらら~が連鎖していきます。山脈丸ごと夏崩れです。


これをですねえ、何回も繰り返しているですよ。はい~。


部屋に入って夏崩れを確認すると、ドッと疲れます。部屋の中はむんむんに暑いですし、積みなおすのって、なかなか時間のかかる作業だったりしますからね。


積みなおしている作業中に、さらにガッカリすることがあります。


同じ本が2冊出てくること。最高で3冊同じ本、ということがありました。辻邦生西行花伝」
718ページもある厚い文庫本です。積読山の中にあっても、かなり目立つはずなんですが。しかも、2冊じゃなくって3冊も。


ア、アホやろ。ほんま。


興味のある事柄に変化が無い証拠ではあるんですが、そんなの嬉しくもなんともないですね。


ある一冊の本を読みだして、つまらんなあ、と思っても貧乏性なので最後まで読むんですね。ですが、さすがに同じ本を3冊は読みません。お金も無駄です。


ですので、戒めとして目の前にずっと3冊並べて置いています。考えろ。積読山脈の中に既にあるかどうか思い出してから買え。


でもダメですね。600冊もあると、その中に何があるのかなんて把握できません。覚える気もありません。
結果、今でも時々やりますね。いや、まあ、「西行花伝」は3冊で打ち止めですけれどね。


ま、そういう自分なんだと思ってアキラメの境地です。

 

 

 


海外では、積読の同義語ってないんだそうです。


でも、積読生活をしている人は海外にも居て、アメリカの新聞記者なんかが、積読っていう日本語を知って、こんな日本語があるよって紹介したりしているみたいです。


でもアメリカでは積読は否定的なニュアンスが強いみたいです。「本の備蓄症候群」とかいって病気扱いです。
ビブリオマニアって言葉にも病的なニュアンスがありますよね。


そりゃ日本でも積読に好意的な意見は無いかもしれないですが、ま、いつか読もんだもんねえ、で暮らしておりますです。


積読って平成辺りに生まれた新語なのかって感じがしていたんですが、調べてみたら、なんと「江戸時代すでに朗読・黙読・積置を書の三読法と称した」という記述がありました。


「積置」ってさすが、言い得ていますよね。置いとくだけじゃん。読む時間なんて取れないでしょ。
かもね、ではあるんですが、いつか読むんだもんねえ、って思いが「置」を「読」に変化させて「積読
なんでしょかねえ。


ところで「積置」って、なんて読むんでしょ。


「ツミオキ」? ツンデオク、から、やっぱりツンドクって読むんでしょうかね。


にしても、本を積み上げて、それが読法の1つとして数えられているって、やっぱ、日本って好いなあ。
って思うのであります。


自分で思わないと、誰も味方してくれませんからねえ。


積読山脈を共有しておられる皆様。暑い時期の夏崩れにはくれぐれもご用心を。


いつか読むんだもんねえ、でいきましょう。義務感とか要らないと思いますです。本はあの世に持っていけないんだから、とか尤もそうなことをおっしゃる御仁もいらっしゃいますが、持っていっちゃうんだもんねえ、でいきましょう。


積読山脈を愚弄する輩には、アッカンベエ! です。


きょうも東京はとってもじめじめ、気持ちの悪い暑さ。ホント最近おかしいです。暑苦しいです。


決して積読山脈のせいではありません。と思うのであります。

 

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