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【うずめめし】 石見国津和野の郷土料理 宮内庁選出「日本五大名飯」

<具材をごはんの下に埋める風習とは いったいぜんたい なんじゃらほい>

「忠七めし」 「深川めし」に続いての宮内庁選出日本五大名飯、3つ目です。

うずめめしは農林水産省のホームページにも載っています。

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出典:農林水産省


茶碗にまずごはんを少し。
その上に具材を並べ、その上からまたごはんを乗せる。


これはこれでかなり風変わりではありますが、
「ひつまぶし」も、ごはんの上にうなぎ、さらにその上にごはんという盛り方で出してくる店もありました。
これはごく少量。
小さな茶碗で、最初からお茶漬けでどうぞ、というひつまぶし。うなぎは刻んでありましたね。


なんのモンクもありません。ンまいです。

 


もう1つの経験は「海の親子茶漬け」ってやつで、ごはんの上に鮭のフレークとイクラを乗せて、その上にごはんというのも食べたことあります。


フレークったってあれですよ、瓶詰のじゃなくって、焼き身を手でほぐした、手間のかかったフレーク。


両方とも、ふううんと思って食べましたが、充分ンまかったです。
なので、うずめめしの盛り方を聞いても、ほう、そですか、程度のインパクトではありました。


ところがですね、このうずめめしの不可思議なところは、その盛り方だけではなくて、食べるときの作法といいますか、風習にあるのでした。


うずめめしは、相手に出すときや、食べるときに「伏し目がち」にするという風習があるんだそうです。

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出典:島根県食生活改善推進協議会


これ、かなりユニーク、不思議ですよね。
まあ、今でもそうしているのかどうかは分かりません。


郷土料理ですから、今でも観光サービスの一環として観光客に出されているはずです。


観光バスのコースに組み込まれている郷土料理の店で、ランチにうずめめしを食べている観光客に向かって、


「こら、そこ。食べるときに頭が高い!」


とか、やらないでしょ。たぶん。いや、絶対。


でも地元の、津和野の人たちの間では、冠婚葬祭の場で食べるときなんかは、今でもそうしているのかも、ですけれど。伏し目がち。


でもなんだってそんな不思議な風習ができたんでしょうか。伏し目がち。。。


ということで、ここからは妄想であります。


うずめめしの発祥は江戸中期ごろじゃないかってことらしいんですが、その説が、その調理法の発祥を言っているのか、うずめめしという名前の始まりなのか、はたまた伏し目がちの風習の始まりを指しているのか、ちと分かりませんね。


ま、土着の風習って、そんなもんだと思います。


ごく幼いころから「こうしなさい」と言われながら育ってきて、「なんで?」と思って訊ねても「知らんっ」という答えが返ってくるのがせいぜいでしょう。


「そうするのが決まりだから」ってことで暮らしてきてますからね、親世代からして。


トポスのチカラってやつかもですよね。その土地で暮らしている人たちは自然に受け入れている。どんなに不合理不自然な風習であったとしても、思考停止。


「昔からそうしてきているから」で全て解決です。


「昔って、いつだよ」とか食い下がったりしないです。しませんねえ。


海外のことは知りませんが、少なくとも日本ではどこの土地でもそうだと思います。

 


で、仮説にもならない、根拠のない妄想の話です。よろしくお付き合いくださいね。


うずめめしの里、津和野に津和野城が築かれたのは関ケ原の戦い直後。


藩主は坂崎直盛という武将で、元の名前は宇喜多詮家といって戦国大名の宇喜多家の人なんですね。


宇喜多氏といえば、関ヶ原では西軍の大大名で、戦後に所領を没収されています。


なのにその宇喜多家の家臣であった、つまり負けた側の武将であった坂崎直盛が、徳川から認められて津和野に4万石の城を構えたのには、当然ながら理由があります。


単純な裏切りだとか、調略の結果ということではないんですね、これが。


関ケ原の直前に宇喜多家にお家騒動が持ち上がります。その時、坂崎直盛は主家と対立して、一触即発という事態になってしまった。その調停をしたのが、なんと徳川家康


家康の裁定によって徳川家預かりとなった坂崎直盛は、そのまま東軍として関ケ原で戦ったんだそうです。

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まあ、そもそもの御家騒動自体、徳川方の調略だったんじゃないかという説はありますけれども。


ただ、いざとなれば主家とも一戦交わそうかという剛毅な人だったんでしょうね。


で、その戦功によって津和野城主。


戦国ファンでもなければ、あまり知られていない坂崎直盛という武将だと思うんですが、実はこの後、しっかり歴史に名前を残しています。


津和野城主として藩の産業を奨励して評価されてもいますが、気性の荒い人だったらしく、家来を手討ちにすることも多かったという悪評もあるようです。


ま、こういう評価は戦国武将にとって普通なんだろうと思います。


藩政の舵を取りつつ、常に戦に備えていなければならないわけですから、文武両道をおのれの才覚の中で実行していけば、良い評価も受ければ悪い評価もあるということなんでしょう。


21世紀の常識をそのまま当てはめて評価すべきことではないですね。


でもって、1600年の関ケ原から15年後、大坂夏の陣が起こります。というか起こします。豊臣氏滅亡。大阪城炎上。ってなりますよね。


坂崎直盛はここで第一級の戦功をあげています。


豊臣秀頼、そして母親の淀君の自害、ばかりがクローズアップされがちですが、大坂夏の陣では燃え上る大阪城から秀頼の正妻が逃げ延びています。


秀頼の正妻とは、誰あろう千姫さんです。

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そうです、家康の孫娘。二代将軍秀忠と、織田信長の姪、江姫との間の長女です。
そして豊臣家の奥方。


エリート中のエリート女史。戦国時代を終了させる象徴的な女性だったと言えるのではないでしょうか。


その千姫の救出は家康が心を砕いた作戦だったものの、大阪城炎上は東軍の想定外のことだったそうです。


燃え盛る城の中から千姫本人は望んでいなかったという脱出を成功させたのが誰あろう坂崎直盛その人。
かなりの火傷を負ったそうです。

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坂崎直盛と家康の間に、救出すれば千姫を嫁がせるという約束があったとか、なかったとか。そういう話も伝わっていますね。


事実なのかどうか、その辺りはハッキリしていないようです。


無理矢理かもしれませんが、まあとにかく救出された千姫は翌年の1616年に、桑名藩主の本多忠刻と結婚することになります。


本多忠刻という人は、徳川家随一の猛将、戦国期にこの人ありと知られた本多忠勝の孫にあたります。
自身も武芸を好んで、宮本武蔵を剣術指南役として迎えたことが知られている人なんですね。


ある意味華やかだったいえる戦国時代の有名武将たちの子供、孫の時代。


豊臣氏が滅びて天下泰平を唱え始めたなかで、千姫の輿入れは徳川家の威光を天下に示す派手やかなものになるはずでした。


1616年は6月に家康が亡くなって、まさに戦国時代の終わり、徳川時代の幕開けとしてかなり需要な年だった言えます。


徳川の富と武力を誇示すべく計画された千姫の輿入れは9月です。


しかしその輿入れ行列を襲い、千姫を略奪すると宣言したのが、かなりの火傷を負ってまで救い出したという坂崎直盛です。


襲撃計画が発覚した、と表現されるのが普通ではありますが、坂崎直盛という人の性格を推定するに、おそらく公言していたのではないだろうかと考えます。
こそこそやろうとしたことではない。


主家の側の理不尽が原因であるにしても、明確に反発するのは宇喜多家に対する行動と同じ。武の人です。
ま、融通が効かない人、とも言えそうですが。


ただ、天下に平和を敷いたことを示したい徳川家にとっては看過できないことです。


武の人の説得には武の人をもってあたりました。


坂崎直盛と交渉したのは立花宗茂という人。武勇を知られた豊後の武将で、文武両道の人として特に家康から東軍への参加を要請されていたことが有名です。


この人もまた凄い人なんです。戦国時代の終わりごろって、かなり優秀な日本人がゴロゴロいます。
NHK大河は、まだまだネタに困らないはずだと思うんですが、それはまあ、別の話。


立花宗茂関ヶ原では西軍として戦っていたんですが、戦後、特別に命を助けられ、西軍武将の中で唯一人旧領復帰されたというユニークな人物です。


知略に優れていたこの立花宗茂ともう一人、坂崎直盛の説得にあたったのは柳生宗矩
言わずと知れた徳川家の兵法指南役です。


出てくる武将の誰もがチョー有名な人ばかりですね。ホント凄いです。


説得というのが、どんな内容で、どんな風に行われたのか、確実なことは分かっていないようです。


文書として残っているものも、なんだか町の噂を書き留めた、という感じのものなんですね。


結果として、坂崎直盛は徳川家に反逆したことになって、死んでいます。
自決したとも、殺されたとも。

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殺されたというのも家臣に裏切られてとか、立花宗茂にとか、柳生宗矩にとか、いろいろ言われています。定まりません。


なにせ登場人物が全員スーパースターですからね。噂が噂を呼ぶ、という結果なんでしょう。


坂崎家は改易断絶。津和野城は徳川家に近しい新しい主を迎えることになります。


ここまでは、まあハッキリしないとはいえ史実に基づいた話。


妄想はここからなんですね。
前置きが長くなってあい済みませんことです。

 


徳川の世の中になって。その将軍家に刃を向けようとした殿様を戴いていた津和野の住民たち。


必要以上に質素な暮らしを示す必要を、強いられたのではなく自ら感じたかもしれません。


その頃のごはんは白米ではなかったのかもしれませんが、豊かな農産物を目立たないようにしながら、そっと「伏し目がち」に食す。
という風習が出来上がっていったのではないでしょうか。


その風習、気持ちの底にあるのは、恐縮という種類のものではなく、命をかけて千姫を救い出したのはオラが殿様だったじゃないか、という反発心があったのかもしれません。


オラが殿様に家康様は約束したそうな。それを反故にしたのは二代様だ。オラが殿様を殺してしまって、悪いのは秀忠様だろ。
でも言えない言えない。


という津和野ならではの土地の空気。


疑われちゃいけない。そっと静かに。物産的にも豊かなところを見られちゃいけない。


だからこそ、その後ずっと、伏し目がちでという、うずめめしの風習を受け継いできた。のではないかという妄想でした。


おそらく昔から今は、鯛の切り身だったり、鶏肉だったりも具材としていて、なかなか豪勢なうずめめしなようです。


人参、ごぼう、しいたけ、里芋、せり、豆腐、厚揚げ、かまぼこなどを炒め煮して具材にする。
で、茶碗にごはんを、その上に具材を並べ、その上におろしわさびをかぶせたら、さらに上からまたごはんを乗せて、出汁かお茶をかけて食べる。


具の味付けや、出汁の風味に個性が出るんでしょうね。


ンまそう!
千姫も食べればよかったのに。

 

<うずめめしの身体に旨い満足度>

実はですね、うずめめしの決め手はわさびなんだそうです、わさび。
薬味というより具材として重要だということなんですね。わさび。

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ナトリウムを排出してくれるカリウム


青梗菜と同等量のカルシウム。


メラニン色素生成を抑えてくれるビタミンC。


糖質代謝効果のあるビタミンB1


十二分に身体にンまいわさびなんですね。


西洋わさびが使われていることの多いチューブの練りわさびは、香りが乏しく、抗酸化作用もなく、なんとカロリーも高いんだそうです。
やっぱりわさびは日本の沢わさびってことなんですね。


今や、かなりの贅沢品です。天然沢わさび。
ま、機会のある時に、たっぷりと。ってことで。

 

<うずめめしの心に旨い満足度>

わさびの辛さには殺菌・抗菌作用があって、細菌の増殖を抑制してくるそうです。


さらには口臭対策にもなって、今の時代、気持ち的に心強い味方になってくれます。


こっそり食べなくたっていいんですから。

 

<うずめめしの酒のアテ満足度>

ざっくり言ってしまえば、鯛を入れれば鯛茶漬けですからね。
お茶漬けをアテに酒。


まあね、好きずきではありますけれどね。

 

<うずめめしの酒の〆満足度>

これがイイですね。


居酒屋さんでの梅干し茶漬け、めんたい茶漬けもイイですが、なんたって宮内庁選出日本五大名飯の「うずめめし」ですよ。

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罰当たり的にンまい〆であること、間違いなしです。

 

<お茶漬け イチオシはなに茶漬け?>

鯛茶漬け、ひつまぶし茶漬けなんかも高級感があって満足茶漬けですが、まだまだ知らない、食べたことのないお茶漬けってあるんだろうなあと思っているところです。

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出典:農林水産省


なにか、これがンまいっていうお茶漬け、ありますか?


うずめめしは、石見地方へ行っても、どこででも食べられるというわけではいかないそうですが、自宅でも簡単につくれる「うずめ飯の素」というのがあるそうで、まずはそのあたりからでしょうかねえ。

 

宮内庁選出日本五大名飯

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