< ウルトラマラソンとか 300km以上の果てしない距離を走ろうなんて なんで思うんでしょ >
呑み仲間の1人に、サンデーランナーを名乗っている女性がいます。
ルミさんっていうんですけど、いわゆる市民ランナーっていうやつですね。
40代の小柄な人なんですが、走って汗をかいて、日ごろのビールを抜いて、すっかり乾いた状態で、また新しいビールを流し込むのが「サイコーに」幸せなんだそうです。
「それに、走らないとなんとなく気持ちが悪いようになっちゃってね、いつのまにか」
てなことをおっしゃってます。
30代になった頃にダンナさんと一緒にジョギングから始めたんだそうですけど、ずっと走り続けているのは奥さんの方だけで、ダンナはマラソンリタイア。
そんでもって、肉信仰まっしぐら!!
焼き肉、ホルモン、ポークソテー大好き。
おまけにこってりラーメンが大好物で、今じゃお腹がポンポコリン。
ありがちですよねえ。ダンナの気持ち、わかるですよ。みんなポンポコリンになるですよ。
「あのねえ、その腹は結婚生活の契約違反だろ、って言ってるんですけど、もう走れないって、ニヤニヤ笑ってやがるんですよ。オレの分までがんばって走ってくれだとか、勝手なことばっかり言って、ダメダメな夫です。ダメンズです。まったくもう、ですよ」
まあ、そういう表現ではありますけれども、ニコニコとおっしゃってるんですね。
ダンナさんは小中学校の同級生だそうですし、とくに険悪な夫婦関係ではなさそうです。
男と女はそんなもん、かもですよねえ。知らんけどねえ。
「走るのってお金がかからなくってイイねって言われるんですけど、シューズってけっこう高くって、安いものでも1万5000円以上とかしちゃうんです。消耗するのも速いし、ウェアもイイのになるとけっこうするから、そこそこ経費かかるんですよね」
なるほど、そですか。サンデーランナーとは言いながらイ~カゲンな気持ちじゃ続けられないですねえ。
「青梅(おうめ)マラソンと東京マラソンに出るだけなんですけどね」
ふむ。両方とも有名ですよね。名前だけは知っております。
「走る前には七兵衛さん参りに青梅まで出かけるんですよ。速く走れますようにって。それがレースに出る前の恒例行事になってます」
七兵衛さん参り? なんすか?
「青梅マラソンってあたしが生まれるずっと前にね、いいですか? ココ大事ですよ。あたしが生まれるずっと前の昭和42年、1967年に始まったらしいんですけどね、なかなか面白い歴史があるんですよ。女性の参加もけっこう早くから認められてた大会らしいですし、青梅にはマラソンの神さまがいるんです」
そういえばマラソンって女性の参加、最初は認められてなかったらしいですもんね。
でも最近では女性のマラソン参加は当たり前になるどころか、100kmだとか300kmだとか、距離の長い「ウルトラマラソン」は近い将来、女性ランナーの方が速く走るようになるっていう説が真剣に取り沙汰されています。
なんかね、私個人はゼッタイ走ったりしませんけれど、テレビとかで一旦見始めちゃうと、ずっと最後まで見ちゃうのがマラソンとか駅伝だったりします。
マラソンっていう言葉を聞くと思い浮かぶのが1984年に発表されて、翌年に芸術選奨新人賞を受賞した、干刈あがた「ゆっくり東京女子マラソン」
覚えてます?
タイトルから想像するようなマラソンの話じゃないんですよね。
小学校のPTA役員として知り合った4人のお母さんたちの話で、生きていくってこういうことだよねえっていう内容だった記憶です。
タイトルになった東京女子マラソンは、それをテレビで見ているシーンがありました。
走る日本女性をスラリとしたアスリートとして見ているんじゃなくって、ずっと畳に座るような生活文化の中で生きてきたんだからスラリと走るのになんか向いているわけがない。スタイリッシュじゃない自分に重ね合わせて東京マラソンを見ている。
でもほら、あたしはね、PTA活動とか子育てとか、ゆっくりでイイから、まずまずがんばって、どんどん変化していく日常の中で今風にね、生きていくのよ。っていうお母さん。
だから、ゆっくり、東京女子マラソン。
みたいな感じの話だったですよね。
「ゆっくり東京女子マラソン」を原作としたテレビドラマ「風にむかってマイウェイ」が1984年に放送されています。
倍賞美津子、音無美紀子、宮本信子、香野百合子、宇野重吉、樹木希林、藤田弓子、加藤登紀子、米倉斉加年、河原崎長一郎。
今から考えますと、めっちゃ凄いキャスティングです。
そして、問題点をいろいろ細々指摘されながら、なにかと話題に取り上げられる「東京マラソン」は2007年に始まっていますので、干刈あがたの小説が発表された1984年となると、PTA役員のお母さんがテレビで見ていたのは「東京国際女子マラソン」だったんでしょうね。
佐々木七恵選手、浅井えり子選手、松田千枝選手が活躍していた頃。
カトリン・ドーレ選手、ビルギット・ワインホルト選手が東ドイツから参加していたのを記憶しています。
東ドイツです。時代が違いますね。
カトリン・ドーレ選手は大阪女子マラソン、東京女子マラソンで優勝して成績を残していますが、女性がマラソンを走るっていうことはこういうことなんだ、っていう鮮烈な記憶をとどめさせたのはビルギット・ワインホルト選手の方ですね。
1985年の東京国際女子マラソンでは優勝がカトリン・ドーレ選手。2位がビルギット・ワインホルト選手でした。
東京国際女子マラソンは1979年に始まって2009年に「東京マラソン」に吸収される形で終わっています。
国際陸上競技連盟(IAAF)が公認した、参加者が女性限定のマラソンは、東京国際女子マラソンが世界初だったそうなんです。
男子の東京国際マラソンが2007年に東京マラソンに統合された時に、うんにゃ、あたしらは女子だけでやりまっせ、ってことで突っぱねたそうなんですけど、警視庁から泣きが入った。
東京の中で大規模なマラソン大会が年に複数回実施されるっていうのは、交通規制やら警備人員やらの負荷が大き過ぎますねん。
ふううん。なんで関西弁やねん。
で、男子より1年遅れて、女子も東京マラソンに合流、ってことになった経緯があるみたいですよ。
30回も継続していた「東京国際女子マラソン」
みなさん、昔から、走るの、好きなんですねえ。
もう一方の「青梅マラソン」っていうのはいつから始まったのかっていうと、なんと第1回大会は1967年。早いです。
30kmの部と、10kmの部で開催されているのが青梅マラソン。
42.195kmじゃないじゃん! マラソンじゃないじゃん!
っていう声も昔からあるんだそうですけど、30km、充分に長いでしょ!
長い距離を走ればマラソンって言ってイイんでないかい!?
紀元前450年。アテナイ軍はマラトンでペルシャ軍を奇襲で撃退した。
やたあ! ってことで、勝利の良い知らせ「エウアンゲリオン」をマラトンから約40km離れたアテナイまで走って「我、勝てり!」って叫んだのがマラソンの起原ってことになっているんですけど、これ、いろいろ異説のある伝説らしいんですよね。
ちなみに「エウアンゲリオン」は「エヴァンゲリオン」っていう名前の基になった言葉ですね。
紀元前のギリシャを伝令が走ったのは40kmどころじゃなくって、アテネからスパルタまでの約250kmだっていう説も支持されていて、この説にちなんだ246kmを走るスパルタスロンっていう大会もあるそうなんです。
ウルトラマラソンの起原って、どうやらこのスパルタスロンなんでしょうね。
マラトンから走ったからマラソンっていうのも確定的な根拠はなさそうですし、距離も確定的じゃない。
メートル法で表現するから42.195とか半端な数字になるんであって、ヤードポンド法であればキッチリした数字になっているかっていうと、42.195kmは26マイル385ヤード。
ええ~!? めっちゃハンパ!
こんな中途半端な距離、誰が決めたの?
ん~。決めたっていうか、たまたまそうなっただけ、、、みたいです。
マラソン競技が42.195kmに固定されたのは1924年のパリオリンピックからなんだそうで、それまではけっこうバラバラだったみたいです。
ってことで、かなり無理矢理ながら30kmの青梅マラソンだってマラソンを名乗ったってイっしょねえ。
青梅マラソン30kmの部にエントリーできるのは、一応、30kmを4時間以内に走れる人、ってことになってます。
なんで一応かっていうと、途中に設けられたいくつかの関門で、制限時間をオーバーしてしまっているランナーには、その時点でリタイアしてもらうこともあるからあ~。
大会の運営もなかなか大変なんでありますねえ。
マラソンなんて経験したことないし、チャレンジする気持ちも全然ない身からしますと、30kmを4時間っていうペースがどれほどのものなのか、ちっとも判りませんのでなんとも言いようのないところです。
東京マラソンの方の参加資格は、42.195kmを6時間30分以内に完走できる人。
ザクッとした計算ですと、青梅マラソンは時速7.5km。東京マラソンは時速6.5kmが参加資格ってことで、青梅マラソンの方が厳しい感じでしょか。
日本人の歩くスピードは時速4kmから5kmぐらいだそうですから、なんにしても頑張って走らないと参加資格に達しませんね。
30kmっていう距離、フルマラソンに比べれば短いですけど、4時間も走れます?
なめちゃいかんですよねえ、青梅マラソン。
ちなみに東京マラソンの参加料金は16,500円。青梅マラソンは9,000円だそうです。
諸物価高騰のおり、料金ってのはどんどん変わるでしょうから、参加する方はそのたびごとに主催者のページで確認してくださいねえ。
東京都は西北西にアタマを向けて仰向けに寝っ転がっている埴輪、みたいな形をしていますけれど、東京駅を始発終着駅にしているJR中央線っていう電車が埴輪の身体の真ん中をまっすぐに、東京都の中をほぼ東西方向に走っています。
だいぶ西の方に走って行くと青梅っていう駅があります。埴輪の首の辺り、ですかね。
東京駅から直通でもいけますが、立川駅で青梅線に乗り換えて行くのが普通みたいです。
東京駅からだいたい1時間30分ぐらい。
青梅市は吉野梅郷で知られる東京都下の観光地です。
ところが、プラムポックスウイルスっていうのにやられてしまって、2014年に梅郷の梅の樹を全部、1266本を伐採して対応したんですよね。
人類もコロナウイルスを体験して、パンデミックに陥りましたけれど、梅の樹も大変だったんですね。
ウイルスって、なんだかとっても困ったヤツ。ま、彼らもそういう生きる工夫をしているってことではあるんでしょうけれど。
青梅市では2015年にNPO法人「青梅吉野梅郷梅の里未来プロジェクト」が設立されて、梅郷、梅の里再生に向けて、いろいろ様々な活動を繰り広げているですよねえ。
そして、呑み屋さんでルミさんから聞いた「七兵衛さん参り」なんですが、調べてみますと青梅市には七兵衛さんがいっぱいなんでありました。
JR青梅駅を南に出ますと「七兵衛街道」が西に向かって延びています。
浅い山あいの空気を呼吸しながら七兵衛街道を歩いて行きますと「七兵衛公園」
七兵衛公園は、なんと七兵衛さんの生家跡なんだそうです。公園辺りの住所は青梅市浦宿。七兵衛さんは「浦宿七兵衛」って呼ばれる義賊なんだそうです。
義賊、浦宿七兵衛。青梅のねずみ小僧なんていうふうにも呼ばれている人。
七兵衛公園の中には「七兵衛供養塔」があります。
どういう人だったのか。
裏宿七兵衛(生年不詳 ~1739)は青梅市の農民。8代将軍、徳川吉宗の頃、江戸時代の中頃の人なんですね。
七兵衛さん、とにかくやたらめったら足が速い。天賦の才。
アタマに被る笠を胸に当てたまま走ると、その笠は落ちることなく、七兵衛さんはどこまでも走っていけた。
風の噂で聞く甲斐、相模、秩父の悪徳商家に盗みに入って、一夜のうちに帰って来て、貧しい近隣の農家の軒先に金品を投げ込むと、自分は素知らぬ顔でいつもと変わらず農作業に精を出していた。
現在の住所で言えば、多摩地域から山梨県、神奈川県、埼玉県、もちろん都心にも走って行ったんでしょうね。
青梅にはずいぶん助けられた人たちもいたのかもしれません。
しかし、1739年、七兵衛さんは盗賊の首領として捕縛されちゃいます。打ち首、獄門。
義賊、裏宿七兵衛の首はさらしものにされます。
青梅近隣の人ならば知らないはずのない人の首を見て、かつて助けられた人たちはやり切れない気持ちになったでしょうね。
その思いが雲を呼んだものか、暴風雨が青梅の地を襲い、七兵衛さんの首は流されてしまいます。
首が流れ着いた宗建寺の住職が手厚く葬ったそうで、七兵衛公園とは青梅駅を挟んで反対側にある宗建寺には七兵衛さんのお墓があります。
七兵衛さんを拝むと足腰が丈夫になるんだそうで、宗建寺で扱っている「七兵衛わらじ」はランナーだけじゃなくって足腰大事なアスリートたちのお守りとして人気だそうです。
韋駄天義賊の七兵衛さん。田舎町によくある荒唐無稽な伝説でしょうって言われていたそうなんですけど、1951年に発見された古文書「谷合氏見聞録」で実在が確認されているそうです。
で、ランナーたちが足が速くなりますようにって訪れるのは、ま、供養塔とか、お墓にも参るんでしょうけど、なんといっても「七兵衛地蔵尊」
赤いのぼりがたくさん、はたはたしていますから、分かりやすいですね。
足が速くなりますように、マラソンを完走できますようにって、けっこうな数の人がお参りに来るんだそうです。
足首を負傷した横綱北の湖(1953~2015)がお参りしたことでも知られているんだそうで、足の神さま、ってことなんでしょうね。
世界的に有名なランナーたちもお参りしているらしい、七兵衛さん。
足の速い泥棒、だからじゃなくって、義賊、だからでしょねえ。
ルミさんは七兵衛わらじを何足持っているんでしょうか。
けっこういっぱい持っているような気がしますけれど、ダンナも持っているのか、それはなんとも微妙かも。。。
ところでみなさん、マラソン、走る?