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【歳時記】意味をなくしていたネタメモから こうしてブログ記事を書いちゃう件

< ブログ記事をムリヤリ書くって こういうことであります あくまでも個人的ナレッジですけど >

ブログを始めてみたはイイんだけど、いやあ、毎日、ふつ~に過ぎて行くしなあ。特にイベントなんかに参加もしてないし、何も書くネタなんてないんだよなあ。
ってなって、いつの間にかブログ自体から遠ざかっていく。


ブログを始めてから1年経って、途切れとぎれだったとしても継続しているのは1割ぐらいだっていうことも言われていますからね。


例えば、ブログを始める前は、書くことなんていっぱいある、ような気がしていることって、たぶん普通なんだと思うんですよね。


ブログ記事のネタが3つ以上、っていうのはちょっとオーバーですけど、例えば5つ、6つ、ネタが思い浮かんでいるとすると、「ブログ記事のネタなんていっぱいあるぜ!」っていう気になるのって決して珍しいことじゃないって思います。


で、そういう思いで実際書き始めて、書いたらブログにアップしていくわけで、5つ、6つ、どころかネタが10あったとしても、それは10の記事にしかならないわけです。
いっぱいあるっていう気になっていたネタは、あっというまに枯渇しちゃいますね。


あれ? ってなります。


「継続はチカラなり、正義なり」
ってことでですね、そうなってからは、とにかくムリヤリ記事を書くっていうチカラワザになるですよねえ。


ところがですね、チカラワザっていってもですね、当たり前ですけど、そんなに無尽蔵な腕力なんてないんですよね。


そのことにも、そうなった時点でしか気が付かないってことなんですよ。
ま、わたしのようなアンポンタンは、ってことではありますけどね。

 

 

 


で、まあ、何とかしてブログを続けようとアンポンタンは考えるわけです。


日常生活の中で、ちょっとでも気になったことは、漏れなくメモしておけばイイんじゃないか!?
とにかくブログ記事のネタになりそうな言葉、ニュースに出会ったらメモしておく。


何も書くネタがない時に、そのメモを見れば、ブログ記事を書くアイディアが誘発されるんじゃないか。
そう考えたわけです。


エクセルにメモをし始めました。


ずっと前からテレビを持っていませんので、その日に聞いたラジオだとか、読んだ雑誌、目に入った電車の吊り広告。

 

 

そんな中から、面白いと感じたこと、興味を持った言葉、だとかをどんどんメモしていきます。


この習慣は曲がりなりにもブログ記事を書き続けることに関して、けっこう役立ったと思います。
ムリヤリ書いちゃうことが出来ましたよ~ん。


ところがですね、メモの数は相当数にのぼりますけど、あくまでもメモですからね、単語だけっていうメモが多いわけです。
その単語から何を発想したのか、とか、そこまで書いてあることは稀です。


で、あとからメモを見ても「?」っていうことも多々あるわけです。


メモをしてからそんなに日数が経っていなければ、ああ、あのことか、ってな感じにもなりますけど、メモの単語だけが日にちを経て、呼び起こしてくれるインスピレーションが何もなくなってしまうことが多い。


その代表が、この記事のタイトルにした「歳時記」なのでありました。


このことは前にも書きましたが、「歳時記」??? なのであります。


俳句をやっているわけじゃありませんので、歳時記っていう単語に思い当たるふしが、なにもない。
メモした時には、何か、歳時記に付随するエピソードがあったんだろうとは思うんですが、そのことがまるで思い当たらない。


メモをとればイイってもんじゃないことの典型例ですね。


歳時記の何に、どこに、どう反応した自分の思いだったのか、そこまで書いていなければ、ブログ記事を書くにあたってのヒントにはならない。
歳時記ってメモった時に、いったい自分は何を思い描いていたのか、さっぱり手掛かりがないです。


でもですねえ、消さないんですねえ。メモの歳時記っていう単語、消しません。
意味が分からなくとも、なんかそのうち、思いつくこともあるんじゃないかっていう、ビンボ臭い理由からなんですけどね。


で、何回見ても、何も思いつかなかった「歳時記」だったんですが、ついに陽の目をみる時が来たんであります。
それが今回の記事ってことなんですけどね。

 

 

 


文庫本を読んでおりました。
津村記久子「やりたいことは二度寝だけ」
エッセイ集ですね。


太宰治賞を受賞して2005年に作家デビュー。2009年「ポストスライムの舟」で芥川賞
本編を読んだことのない作家さんですが、このエッセイ集は、タイトル買いですね。


文庫本になってからの初版が2017年ですから、そこそこ積読山脈の中で眠っていた一冊です。
何回目かの積読雪崩が起きて、ひょこっと目の前に現れたので読み始めました。


このエッセイ集の中に「個人的な歳時記」っていうのがありました。
いつもエクセルのメモを見ながら気になっていた「歳時記」っていう言葉です。
お、って思いました。


作家さんですからね、独特の文体なんですが、こんなことを言っておられます。


「(前略)自分はいろいろなものを見てきたし、知っているし、もうこれ以上学ぶべきこともない、とおごっていたのだった。大馬鹿だと思う。生きることのこつには、実は際限がない」


20歳を過ぎても自分はオトナじゃなかったなあっていう思いを言っているようなんですが、この文章を書いたときの作者は30歳ぐらいなんでしょうか、ようやく大人になってきた感を持ち始めたらしいんですね。
ま、誰でもそんなようなもんじゃなかろうか、っていう気もしますけど、大人の世界に踏み込み始めた津村記久子さんはこう言います。


「そういう思いが高じて、ここ最近はやたらに歳時記が気になる」


でました! 歳時記です。


さあ、俳句を詠むわけじゃないっていうプロの作家さんは、歳時記からいったい何を連想しているのか。


津村さんは季語について、本じゃなくってネット検索しているみたいです。
って言いますか、「個人的な歳時記」っていうエッセイが入っている大枠のタイトルが「今週の検索」っていうものだったりするんですけどね。


「日本人の生活の多様性というか、どんなことをして日々を過ごしていたのかがよくわかってくる。会社と家の行き来だけの生活の中に、いったいどれだけ歳時記にのっとった事象を取り込んでいるのかは期待できないが、あーこんなにいろいろできるんだな、と考えると、なにやらわくわくする」


なるほどですねえ。季語っていう言葉が先行していて、すぐに俳句ていう方向に意識が向いてしまうっていうんじゃなくって、その季語がなぜその季節を表す言葉となったのか、そこに日本人の生活を見るわけですね。


「そういうわけで、すべての行動を歳時記にのっとって生きている人、の話を考えたことがある」


そうきましたか。


「その人がやることなすことにおいて、わたし自身の言葉は極力書かず、ひたすら歳時記に出てくる言葉で構成する。難しいうえに、需要があるのかどうかわからないが、いつかできればやってみたいと思っている。風流を超えた、わけのわからないせわしさに満ちた話になるのだろう」


歳時記っていうものに対して、ぼんやりしかイメージを持っていない者と、いくつかの季語を調べていて、空想を巡らせるだけの知識がある者との差、それ以上のものがあることは明白ですが、やっぱりプロの作家さんも常日頃からアタマの中で創作のアイディアをぐるぐるさせているんですね。

 

 

 


ちなみに、季語っていうのはだんだんに増えて来ているものらしくってですね、今は5000ぐらいあるんだそうです。


ということで、エクセルメモに残して置いた「歳時記」っていう言葉から、思いもよらない記事が、今回のこの記事なのでありました。

 

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