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【遊びをせんとや生まれけむ】人間とはなんなのか 梁塵秘抄 今様の奥深さ

< 我々人間っていうのは 他の動物と比べて どう違っている生きものなのか >

動物は常に食べて飲んでっていうことを繰り返していないと、自分自身の生命を永らえることは出来ないわけで、我々の祖先は、起きている間は常に食料の確保に全神経を注いでいたんでしょうね。


狩猟採集っていう生活から、やがて栽培飼育っていう食糧問題に関する安定性を得て、次第に飲食に割く時間が減って来て、段々に効率を上げて現代に至るんだと思います。


そういう飲食に関する安定を得てからなのか、もっと前からなのか、人間はいろいろ考えるようになるんですよね。


この世界とは何か。宇宙とは何か。そして、我々人間とは何なのか。自然に考えるようになったんでしょうね。

 

 

 


初めて人間を定義したのはスウェーデン博物学者「カール・フォン・リンネ(1707~1778)」


考える動物。考える人。「ホモ・サピエンス」がそれです。


リンネは植物学者としても知られている「分類学の父」って言われる大学者ですね。


人間は考える生きものだっていう定義なんですけど、ホモ・サピエンスっていう言葉は誰でも知っていると思います。


19世紀になりますと、このホモ・サピエンスっていう定義を受けて、いくつか、人間の定義が提唱されます。


フランスの哲学者「アンリ=ルイ・ベルクソン(1859~1941)」が唱えた「ホモ・ファーベル」


道具を作る動物。道具を作る人。
自然のものを道具として利用する動物は人間以外にもいますけれど、道具そのものを作り出すのは人間だけ。
道具を作るのが人間だっていう定義ですね。


ドイツの哲学者「エルンスト・カッシーラー(1874~1945)」が唱えたのは「ホモ・シンボリクス」


言葉、記号を使う動物。象徴を操る人。
カッシーラーっていう人は「シンボル形式」っていう概念で人間を理解しようとした実績を遺しています。


そして、オランダの歴史家「ヨハン・ホイジンガ(1872~1945)」が提唱したのが「ホモ・ルーデンス


日本では「中世の秋」の著者としても知られている人ですけど、遊ぶ動物。遊ぶ人っていうのがホモ・ルーデンスですね。


まあね、人間以外でもカラスなんかを観察していますと、明らかに遊んでいるように見えるってこともありますけどね。


遊びっていうものの定義を見てみますと、「生命活動を維持するのに直接必要ではない行動」ってことになるんだそうですけど、人間が明らかな遊びをするようになったのって、いつごろからなんでしょう。


マンモスを集団で狩猟していた頃の生活でも、洞窟の中で遊ぶ子供の姿っていうのがあったのかもですしね、囲碁っていう遊びなんかもかなり古い時代からあったらしいですからね。


近現代に特化したものじゃないってことだと思います、遊びっていうのは。

 

 

 


遊びをするからこそ人間なんである。


っていうことを20世紀にホイジンガが唱えたわけですけど、日本には1180年以前にホイジンガホモ・ルーデンスっていう提唱と変わらないって言いますか、なんだか、もっと奥深いことを言っている記録が遺っていますよ。


後白河天皇(1127~1192)」が編ませたらしい「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」っていう、当時の歌謡曲って言われている「今様」を集めた歌謡集。


この中にある1つが、有名な、


「遊びをせんとや 生れけむ 戯れせんとや 生れけん 遊ぶ子供の 声きけば 我が身さえこそ 動がるれ」


歌の節回しまでは伝わっていないんですが、この歌詞は名もない遊女の作詞らしいんですよね。


この歌が「梁塵秘抄」が編纂される少し前の作品だとすると、12世紀半ばごろには「ホモ・ルーデンス」の核心を、既に日本の遊女が喝破していたように思えますね。


そういえば「遊女」って、遊び女ですよね。遊ぶ人って呼ばれていたっていうこともまた、ホモ・ルーデンスとの皮肉なめぐり合わせなのかもしれません。


編者の後白河天皇は、あまりにも短期間に敵と味方をころころと代えるってことで、源頼朝から「日本国第一の大天狗は、更に他の者にあらず候ふか」って評されているんですよね。


日本一の大天狗。


法皇としても長く院政を敷いた人で、評判は芳しくないんですけど、「梁塵秘抄」を編んで遺してくれたっていう業績からして、政よりは文学的な天皇だったんでしょうね。


「遊びをせんとや 生れけむ 戯れせんとや 生れけん」


遊ぶために生まれてきた、戯れを楽しもうと生まれてきた。
ここでやっぱり切れるんでしょうね。ブレスポイント。


この歌は、もう子供じゃない年齢に達している遊女の想いでしょう。


楽しく遊ぶためにこの世に生を受けたはずなのに、なのか、遊ぶために生まれてきたんだから、っていうふうに解釈するかによって、続く歌詞の受け止め方が大きく違って来るように思います。


「遊ぶ子供の 声きけば 我が身さえこそ 動がるれ」


遊んでいる子どもの声を聞いたら、自分の身体こそが動いてしまうよ。


っていうことなんですけど、前半部分を、だから、って受け止めれば、素直に子どもの頃の想いは変わっていないって解釈できます。


でも、はずなのに、って受け取ると、楽しく遊ぶっていうことから、すっかり遠退いてしまったって感じている今の自分に、そういう自分だからこそ、純真無垢だった子どもの頃を偲んで、子どもと一緒に遊んでみたい。出来ることであるならば、っていう気持ちを歌っているようにも受け取れます。

 

 

「遊びをせんとや 生れけむ 戯れせんとや 生れけん」


それが人間なんですよ、っていう中世の日本の遊女。その感慨と才能。どんな節回しだったんでしょうね。


12世紀の日本には、正真正銘の「ホモ・ルーデンス」が居たっていうことですね。

 

 

 


京都市左京区永観堂町の禅林寺。普通には永観堂(えいかんどう)って呼ばれている浄土宗西山禅林寺派の総本山に「今様碑」があるそうです。


お寺にあるのは、さすがに遊女の作じゃなくって、仏歌みたいです。


「仏は常に いませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ 暁に ほのかに夢に 見えたまふ」


ふむ、なるほどとは思いますけど、


「遊びをせんとや 生れけむ 戯れせんとや 生れけん 遊ぶ子供の 声きけば 我が身さえこそ 動がるれ」


の方が、やっぱり、なんだか響くように感じます。


ホモ・ルーデンス」うまく遊べていますか?

 

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