< たいへん強く同感いたします でも普通には 話しかけるべき相手 スヌーピーはいないですよ >
人生はうまくいかないもんだ、っていうのが底辺に流れている不思議なテイストのロングランアメリカマンガ。
ああ、スヌーピーね。っていう反応が普通なような気もしますけれど、あのマンガ「ピーナッツ」っていうタイトルなんですよね。
でもまあ、みんな、スヌーピーって言ってます。それで普通に通じています。日本ではね。
「ピーナッツ」っていうのは、豆の1粒ひと粒が、半球型の2つが縦長にくっ付いています。
それで、チャーリー・ブラウンとスヌーピーの、別個体だけれど、しっかりくっ付いているっていう状態を表しているタイトルなのかなって思っていたんですけど、全然違うんですよね。
パーソナルコンピュータ黎明期。マルチメディアの簡易オーサリングツールにマクロメディア社の「ディレクター」っていうのがあって、そのディレクターを開発した技術者が千葉県の幕張メッセで、開発秘話っていうか、プログラミングのカンファレンスをやってくれて、参加したことがあるんです。
ひょろっとした長身で金髪の講師はカタカナで「ピーナッツ」って書かれたティーシャツ姿で、開発グループのチーム名が「ピーナッツ」なんだってことを、はにかみながら説明してくれたことを覚えています。
そして教えてくれたのが、
「ピーナッツっていうのは、くだらないやつら、こまったやつらっていう意味なんです」
ピーナッツ。もちろん豆の方じゃなくって、スヌーピーたちの方ですね。
まあ、このエピソードはその時の講演内容とはなんの関連もないんですが、一番インパクトのあったスピーチはピーナッツに関するものだったんですね。
その後、パソコンの簡易オーサリングツールは「ショックウェーブ」「フラッシュ」へ移行していって「ディレクター」は完全に過去のものになって、マルチメディアそのものがレガシーになっていきましたです。
1950年にアメリカの新聞7紙で連載が始まったっていう「ピーナッツ」
「ピーナッツ」っていうのは、作者の「チャールズ・モンロー・シュルツ(1922~2000)」の意図したタイトルじゃなくって、ユナイテッド社が勝手に付けたタイトルなんだそうです。
ええ~!? そんなんアリなの!? って思っちゃいますけど、アメリカって意外にそういうことをやっちゃっているんですよね。
1981年に発表されたレイモンド・カーヴァ―(1938~1988)の「愛について語るときに我々の語ること」っていう短編集が、実は編集者によって勝手に書き換えられていたっていうことは、けっこう知られていますよね。
カーヴァ―の死後、2009年になってオリジナル版が元々のタイトル「ビギナーズ」で出版されています。
原書、英語で読まれる人で未読の場合には、かなり興味深い2冊になるんじゃないでしょうか。
ただですね、この2冊は村上春樹が中央公論新社の「村上春樹翻訳ライブラリー」の中で、2冊とも翻訳してくれています。
「愛について語るときに我々の語ること」「ビギナーズ」17の短編が収められています。
ゼロから書き起こしたカーヴァ―作品より、1ありきの改変作品の方が概ね評価が高い感じなのが、また面白いトコだとは思います。
「ピーナッツ」はマンガですからね、改変は難しいでしょう。
タイトルを勝手に付けられただけですけど、だけって言ってもね、シュルツさんは大いに不満だったそうです。
不満だったっていうエピソードは伝わっているんですけど、じゃあ、元のタイトルは何だったのかが伝わっていないみたいなんですよね。
元々のタイトルは、なかった? どうなんでしょ。分かりません。
「ピーナッツ」こまったやつら。
2023年、20代から60代の1000人を対象に調査した「大人に人気のキャラクターランキング」っていうのが発表されていまして、
第3位「くまのプーさん」
第2位「ミッキーマウス」
第1位「スヌーピー」
なんだそうです。
スヌーピーは女性からの人気が高いんだそうで、特に60代と40代から支持されているっていう結果なんですね。
「ピーナッツ」の連載が終了してしまったのは、2000年の初頭でしたから、20代には馴染みが薄いっていう要因がありそうな、年代別のスヌーピー推し、ってことになるんでしょうか。
60代、40代に続いて多いのは50代ですからね、そんな感じがします。
男性のスヌーピー推しは第9位ですけど、やっぱり60代が群を抜いて多いみたいですね。
ムーミンよりスナフキンの方が人気があるっていうのと同じような感じなのかもしれませんが、スヌーピーとチャーリー・ブラウンの場合は、もしかするとかなり人気順位の差があるのかもですねえ。
スヌーピー人気っていうのは、言うまでもなく「カワイイから」なんでしょうね。
でもねえ、チャーリー・ブラウンがいてこそのスヌーピーなんだと思うんでありますよ。
まあね、チャーリー・ブラウンはカワイくもありませんし、カッコよくもないです。
ん~。どうでしょうか。カワイイっちゃカワイイんでしょうか。
どうもね、女性陣のカワイイ推しにあずかれるようなキャラクターじゃなさそうですね。
でもチャーリー・ブラウンっていう名前の浸透性は、むしろ男性陣に強いんじゃないかっていう気もします。
この名前は作者、シュルツの親友の本名なんだそうですね。
「ピーナッツ」が人気を得てから、その親友が交通違反をして警官に車を停められました。
「名前は?」
「チャーリー・ブラウンです」
「こら、警察をからかうんじゃない!」
っていうエピソードが有名ですよね。
英語圏でなら普通にありそうな名前のような気もしますけど、ごく一般的に、チャーリー・ブラウンっていえば、もう浮かんでくるキャラクターは1人しかいないってことなんでしょうね。
みんな知ってる、あのチャーリー・ブラウン。
なんで男性陣には人気がありそうだって思うのか。
ダメなやつ、だからですね。
ダメなやつキャラで、支持されているのはチャーリー・ブラウンと、フーテンの寅さん、ぐらいのもんじゃないでしょうか。世界的に。
2人はダメの種類が違いますし、チャーリー・ブラウンは子どもなんですけどね。
でも、子どもにしては、かなり哲学的な言葉を吐くのがチャーリー・ブラウンですよ。
作者のシュルツが、大失恋をして、それを引きずった精神で出来あがっているらしい「ピーナッツ」チャーリー・ブラウンです。
失恋っていうことから学んだ「人生はうまくいかない」っていう教訓。
これがチャーリー・ブラウンの性格になっているみたいなんです。キノドク~。
ま、チャーリー・ブラウンだけじゃなくって、「ピーナッツ」に登場するキャラクターはみんな、妙にヒネてますけどね。
年齢設定がいくつなのかハッキリしませんが、オシャマ、どころのレベルじゃないチャーリー・ブラウンの妹、サリー。
チャーリー・ブラウンは言います。「あの作曲家の人生は悲劇的だったんだね?」
サリー「でもロマンチックよ」
チャーリーブラウン「ロマンチック?」
サリー「悲劇的な人生はロマンチックなのよ。それが他人の人生ならね」
こんな妹との会話を、そっくりそのまま呑み込めるのがチャーリー・ブラウンです。
「ピーナッツ」の女性陣は、みんな子どもなのに、全然子どもじゃないんですよね。
そういう「こまったやつら」との会話に左右されることなく、なのか、何事にも積極的じゃないように見えるチャーリー・ブラウンはこんなことを言います。
「この手はいつか偉大なことを成し遂げるかもしれない。この手はいつか驚くべき仕事をするかもしれない。橋を架けたり、病人を治したり、ホームランを打ったり、魂を揺さぶるような小説を書いたりするんだ。この手はいつか運命を変えるかもしれないんだ」
「もっと人に好かれたいなあ。少しの人にでもイイから好かれたいなあ。たったひとりにでもイイから好かれたいな」
まあ、チャーリー・ブラウンが失敗するって言いますか、うまくいかないことっていうのは、失恋以外はたいしたことないこと、なのかもしれないんですけど、そこが「ピーナッツ」の心髄ですからね。
でも、チャーリー・ブラウン推しとして感じるのは、うまくいかなくとも、次にチャレンジし続けているってことでしょうかね。
ホントにみんなこまったやつらではあるんだけれども、いつも一緒にいて、コマッシャクレタ会話を交わしながら、お互いのこまった部分を、こまったことそのままに受け入れて、生活していく。
そういう仲間同士の生活が大きな破綻なく過ごせていくのは、中心にチャーリー・ブラウンがいるからなんじゃないでしょうか。
うまくいかない自分を、うまくいかない自分として受け止めている。
ダメをダメとして受け入れている。自分にも他人にも、イヌにも。
そういうやつなんですよね、チャーリー・ブラウン。
スヌーピーとの話し合いに慰められることもあるけれど、スヌーピーも辛辣なんですよね。
チャーリー・ブラウンは、いつもこう言ってました。
「どうしてぼくは、他の子のように普通の犬を持てないんだ?」
って言いながら、お互い、大好きなんですよね。
いろんな経験から学ぶべきことはたくさんあるはずなんだけど、それがなんなのか、分からない。
ホントこまったもんだ。
で、そういうこまったもんだの子どもたちの集まりが「ピーナッツ」
「ピーナッツ」の登場キャラの中で、ダントツ人気なのがスヌーピーだっていうことを、登場キャラたちはこまったもんだって思いながら受け入れているんだと思います。
チャーリー・ブラウンは、真っ正直な負けず嫌い。
作者のチャールズ・モンロー・シュルツそのものの精神なんだそうですよ。