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【切腹最中】日本の御挨拶には必須だった和菓子っていう大切な存在

< 和菓子はかしこまった感じがして気軽に食べられない って言いますけどねえ >

たまには「かしこまる」っていうのが、正しい日本人の生活習慣ってもんですよ。ね。


ってね、お中元とかお歳暮とか、デパートで配送伝票書いて送ってもらうっていうのが普通になっている感じですけど、本来ならね、歩いて、あるいは電車で行けるところへは、直接出かけていって「お世話になりました」とか「これからも変わらぬお付き合いを」とかね、顔を合わせてのご挨拶。


その時に持参するのが、相手に負担を感じさせないレベルでありながら、貴重品感をさりげなく演出している箱詰めの和菓子、だったりしたものでしたが、このところどうなんでしょう。
和菓子の需要って、どうもね、このところずっと芳しくないそうなんですね。

 

 

 


まあね、改めて考えてみますと、最近はスイーツとか言っちゃってね、和のイメージがどんどん薄らいでいるっていうのが現実なのかもしれません。


和菓子職人の方も、どんどん高年齢化が進んでしまって、そんでもって跡継ぎがなくって閉業しちゃう店も少なくないんだそうですし、そもそも最大の客層、和菓子愛好家も高年齢化によって減る一方。


和菓子って、例えば昭和半ばごろの世代的なブームだったんでしょうか。
作る側も食べる側も減少傾向みたいなんですよね。


2021年には、宮城県仙台市で「宝まんぢゅう」で人気だった「宝万頭本舗」が、コロナ禍の影響から売り上げ減少。創業者の死去に伴って自己破産申請して閉業。


2022年には東京武蔵村山市に本店を置く「紀の国屋」が突然、閉業してニュースになりました。
「相国最中(しょうこくもなか)」で人気があって、都内西部地域に20店舗も展開していた「紀の国屋」ですが、やはりコロナ禍によって売り上げが減少して、ぎりぎりまで頑張ったけど、突然の閉業っていうことになったみたいです。


「宝まんぢゅう」だったり「相国最中」だったり、和菓子屋さんにはそれぞれのお店にそれぞれの名物がありますね。


まあ、これは和菓子屋さんに限ったことじゃなくって、ケーキ屋さんでも同じでしょうけれども、和菓子屋さんの名物っていうのは、当然ながら日本語の名前が付いています。
漢字だったり、ひらがなだったり。英語をカタカナにした名前の名物和菓子ってうのは見たことないです。


なかには読めないような漢字表記の和菓子もありますけど、誰でも読めて、なんじゃそりゃっていう名前の代表的和菓子って言えば、東京新橋駅近くに店舗を構える、大正元年創業の老舗和菓子店「新正堂(しんしょうどう)」の「切腹最中」


なんでしょうか、このネーミング。「せっぷくもなか」ですよ、切腹


「切腹最中 感謝帯」なんていうラインナップもあります。

 

新橋っていう土地柄からなのか、サラリーマンの男女のお客さんが、時には行列を作るっていう人気の「切腹最中」なんだそうです。


勘のイイ人にはもうお分かりですかね。
並んで買っていく人たちのほとんどは、営業職、でなければ役付きの人なんだろうって思いますね。


「この度の不祥事、誠にもって申し訳なく、世が世なれば切腹ものと認識いたしおりまして」


とかなんとかね、そんな「謝罪」に行かなければならないシチュエーション。
ヤな感じではありますけど、あるんでしょうねえ。


不都合な出来事があれば、時を移さず、すぐさま謝罪に行く。まず大事なのはスピード。そして欠かせないのが手土産です。
こういう時に威力を発揮してくれそうなのが、和菓子屋の包装紙と紙の手提げ袋。

 

 

 

そしてなにより、その中身。お詫びのしるしとして持参するのはなんなのか、ってことが大事です。


「どうかひとつ、ひらにお許しいただきますよう」
って差し出すのが「切腹最中」


分かる人には分かってもらえるでしょうし、シャレをシャレとして受け止めてくれる人だって少なくないってことでしょう。
老若男女、サラリーマンの街ですからね、新橋は。


それにしても「切腹最中」に行列が出来ちゃってるっていうことはですよ、「申し訳ございませ~ん」って謝る必要に迫られているサラリーマンが、すんごい多いってことですよね。
それはそれで、大丈夫なんか、日本? って思ってしまうところではあります。

 

 

 


そういう、謝る必要のあるサラリーマンばっかりだから新橋で「切腹最中」なのかっていうと、さにあらず、「切腹最中」には正しい(?)理由があるんでした。


「新正堂」があるのは東京都港区新橋4丁目。新橋駅から直ぐです。


ここは江戸時代初期、芝、愛宕下って呼ばれていた地域で、ここに江戸屋敷を構えていたのは陸奥一関藩の初代藩主「田村建顕(たむらたつあき)」っていう3万石の大名なんです。


田村建顕っていう人は、そんなに名前を知られた人じゃないかもですけど、すごく学問に優れていた人だったそうで、時の5代将軍、徳川綱吉に抜擢されて「奏者番」っていう役職を拝命しているんですね。
奏者番っていう役職は、城中における武家の礼式を管理する仕事。


ああ、そういう堅苦しそうな役職の人のお屋敷があったから「切腹」?


じゃないです。そういう単純なつながりじゃなくってですね、たぶんおそらく、日本で一番有名な切腹が。ここ芝、愛宕下の陸奥一関藩江戸屋敷であったからなんです。


「風さそう 花よりもなお我はまた 春の名残をいかにとやせん」


っていう辞世の句、聞いたことがあると思います。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、浅野長矩(あさのながのり)の辞世の句ってされていますね。
実際には辞世の句なんて詠んでないよ、っていう説もありますが、まあ、花を持たせてってこともあるのかもしれません。
人気の忠臣蔵の端緒を作った人ですからね。


浅野長矩っていう人は、播磨赤穂藩5万石の第3代藩主です。


江戸、鉄砲洲に上屋敷を持っていて、ここと赤穂を行ったり来たりってことだったみたいですね。


この赤穂藩の江戸上屋敷跡には、今「聖路加病院」が建っています。
へええ、って思いませんか? あの有名な聖路加病院って赤穂藩上屋敷跡なんですって。関連は何もないんだろうと思いますけどね。


浅野長矩は勅使饗応役を務めていて、敵役の吉良上野介は勅使饗応指南役です。
勅使(ちょくし)っていうのは、天皇から派遣される使者なんですね。


その使者を饗応してオ・モ・テ・ナ・シするのが勅使饗応役。浅野内匠頭ってオモテナシ係だったんです。


江戸城本丸、松の廊下での刃傷沙汰にいたるに当たっては、吉良上野介が意地悪をしたからだとか、浅野内匠頭がワガママだったからとか、いろんな説がありますけれど、真相は闇の彼方ってことみたいですね。


鉄砲洲に住んでいる浅野長矩が、江戸城本丸で起こした刃傷沙汰、ってことで、芝、愛宕下って何の関係もないんですね、元禄14年3月14日(1701年4月21日)11時40分のこの時点では。


城内で直ちに取り押さえられた浅野長矩は城内の坊主部屋で、形ばかりの取り調べを受けて、それで奏者番である陸奥一関藩、田村建顕の江戸屋敷に「お預け」ってことになります。
ここが新橋駅の直近く、今の和菓子屋さん「新正堂」ってことになるんですね。


田村建顕の指示によって一関藩藩士75名が浅野長矩を受け取りに江戸城へ向かったっていう記録があるそうです。
まあね、未遂に終わったとはいえ、さすがに大ごとではありますからね。


田村建顕は奏者番ですから、城内での不謹慎を取り締まらなければいけませんし、どんな裁きが下るのか、決定がなされるまで、何事も、間違いのないように浅野長矩を預からなければいけません。
覚悟と緊張があったでしょうね。


ところが、例外中の例外で、その日のうちに浅野長矩切腹となります。


江戸城松の廊下での刃傷沙汰が11時40分ごろ。


13時50分ごろ、愛宕下の田村屋敷へのお預けが決定。


15時50分ごろ、田村屋敷に浅野長矩が入ります。


18時10分ごろ、裁きが決定して切腹


朝廷と幕府の儀式を台無しにされたから、将軍徳川綱吉の逆鱗に触れたっていう説もありますが、城内での刃傷沙汰っていうのはこれが初めてのことじゃなくって、そんなに頻繁じゃないにしても少なからずあったのに、即日切腹っていうのはこの1件だけみたいです。


まあ、なんにしても、新正堂での切腹があったからこそ、日本の年末、恒例行事になっている感のある忠臣蔵があるわけで、それをなんとか利用できないかって考えた結果が「切腹最中」


たぶんおそらく、店主さんの考えていたのとは関係のない、サラリーマン事情から大いにビジネスシーンで活躍することになっているっていう「切腹最中」なんです。


あんこのマリトッツォみたいな最中でございますよ。

 

 

 


お詫び、だけじゃなくって、お中元、お歳暮にもね、こんなんありましてね、ってね、東京なりのシャレでいかがでしょうかね。
1990年から、絶賛発売中!


ってね、まあ、元気な和菓子もあるんでございますよ。


和菓子の詰め合わせっていって、大袋に入ったやつね、セブンで売ってるの。
あれは、どうなんでしょうか。ちゃんと和菓子の仲間に入れてもらえるんでしょうか。好きですけど。


和菓子文化、なんとかね、コロナを乗り切ってもらいたいもんです。