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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【瓦】ずっと身近な物だったはずだけれど 直に見たり触ったりってないんですけど

< 瓦って 屋根とか鬼瓦的な役割だけじゃなくって なんかね 地上に降りてきているのかもです >

まだまだ続くコロナ禍の巣ごもり生活ですが、ま、運動不足解消にって感じで散歩に精出しています。マスクです。


散歩ですからね、運動って程ではないんですが、ちょっと遠くまでランチに行くとか、早めの夕飯の後、うろうろ歩きます。マスクです。


なるべく通った事の無い路を歩くよう心掛けているんですが、ま、ご近所ですからね、見慣れた風景の中を歩くことになります。


夕映えで薄紅く染まった住宅街をゆっくりと歩きます。マスクです。


人とすれ違うことはあまりないんですが、一応ね、マスクです。暑くて邪魔ですが、してます。みんなしてます。


生垣に夕顔が白い花を咲かせている一軒家があります。
よく見ると、咲いている夕顔の周りに、閉じている花冠が幾つもあります。朝顔か昼顔なんでしょうね。


一緒に植えていて、生垣に一日中ずっと花が咲いているという演出なのかもしれません。
もしかすると夜顔もあるのかもですが、その時間には歩いていませんので、確認は出来ていません。


しかしまあ、朝顔、昼顔、夕顔、夜顔って、同じような花なのに、なんでまた花の開く時間が違っているんでしょうかね。植物の不思議。種の保存のための役割分担?


で、調べてみますと、夕顔だけはウリ科なんだそうで、他はみんなヒルガオ科。


散歩コースの竹垣で、静かな空気感を漂わせているのは、ウリ科の夕顔。ふううんって思いながら、目をとめて挨拶します。


ヨッ! 暑いね。咲いた姿を見せてくれてありがとう。

短いお付き合いですけれどね。


で、角を曲がると、おっ! 空き地! あれ? 空き地?


何回も歩いているはずの路地の家並み。確実に見ているはずの風景なんですが、ふっと建物がなくなって、空き地になってしまうと、そこにどんな建物があったのか、ん? という状態になってしまいます。


消えてしまった建物が店舗だったりすれば、ああ、○○屋さんがあった場所だなあ、と判ると思うんですが、普通の住宅があった場所だと、なかなか思い出せませんね。


見ているようで見ていないってことなんだと思います。ま、だからといって実害のあることではないんですが、ホームズにはなれないなあ、という感じです。

 


で、しばらく経って、またそこの路地を通りかかると、新築の家が建築中。
コンクリートの土台が出来上がっていて、柱がニョキニョキ立ち上がっていたりします。


で、またまたしばらくして通りかかりますと、工事は順調に進んでいて、もう建物の形がほとんど出来上がっています。
二階建ての屋根に、はしごをかけて、肩に何枚も重ねた朱色の瓦を担いで、屋根屋さんがスイスイと上って行きます。


屋根瓦は20枚ぐらい重ねてあるでしょうか。軽々とスイスイ登れるような重さじゃないようにも見えるんですが、そこはそれ、職人さんですからね、肩に乗せた屋根瓦を右手で抱え込むようにしながら、左手ではしごをつかむようなつかまないような、まるで普通の階段を上って行くような身軽さです。


黄色いTシャツににじむ汗を見ながら、ふと思ったのは、そういえば最近、こういう屋根屋さんの姿をあまり見かけなくなったなあということです。


いろんなところで新築の建物を見かけることはそこそこありますが、圧倒的にビルが多いです。
もちろん地域にもよるでしょうけれど、木造住宅で瓦屋根を葺くという家は少なくなっているのかもしれません。


寅さんの啖呵に


「たいしたもんだよ蛙の小便 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」


っていうのがありましたけれど、以前はどこでも家の屋根は瓦が多かったですよね。


銅屋根、トタン屋根もありましたが、高いビルの上から見える家並みの屋根は、色とりどりではありながら、瓦屋根でした。


新築の時ばかりじゃなくって、屋根屋さんは修理作業にも活躍していました。
今どき、ふんどし一丁の裸で仕事をする屋根屋さんはいないでしょうけれど、昔の瓦は、今の瓦より分厚くて重かったかもしれないですね。


日本家屋の屋根が主に瓦になったのは、江戸時代とされています。


「【東京「町」歩き】23区 江戸川区編 江戸川区の「町」はチョウかマチか」
「【東京「町」歩き】23区 葛飾区編 葛飾区の「町」はチョウかマチか」

 

の両記事で、鷹狩の活躍をみせてくれました8代将軍の徳川吉宗ですが、鷹狩ばっかりしていたわけじゃなくって「享保の改革」で知られた将軍です。メークンなんです。


この徳川吉宗の逸話に鷹狩が多く出てくるのには、ちゃんとした理由があって、それまで廃止されていた鷹狩を復活させたのが吉宗その人だからなんですね。


享保の改革では、庶民の声を直接聞くために「目安箱」を設けて、南町奉行大岡越前守忠相が細かい実行を主導していて、様々な改革を実施したそうです。
大岡裁きといわれる施策が実行されたのが、この吉宗の「享保の改革」ってことですね。


享保5年に江戸の大火があったことを踏まえて、江戸の火消し、「いろは組」を設置したのもこの「享保の改革」です。「め組」の火消し纏も「享保の改革」がなければ出来ていなかったのかもですね。


さらに火消しの組織を整備しただけにとどまらず、それまで贅沢であるとして、町家の屋根に瓦を使うことを禁じていたのを廃止して、少しでも延焼を防ぐために瓦屋根を推奨したのも「享保の改革」で、実施にあたっては大岡越前守忠相が活躍したそうです。


瓦屋根にするために、江戸の町家の作り方、そして瓦自体にも技術革新があって、現代まで通じる日本家屋になっていったという歴史があるらしいんですね。
屋根瓦の普及の陰に大岡越前アリ、ってことなんですね。


ちなみに、赤坂の「豊川稲荷」は愛知県本院の唯一の直轄別院だそうで、火伏の神として江戸の庶民の信仰を集めていたそうですが、大岡越前守忠相屋敷跡です。

 


昭和の頃までは東京でも日本家屋が目立っていましたし、瓦屋根が普通でした。


でもまあ、せまい地面を広く有効に使おうとなると、日本家屋で二階家を建てるよりは、4、5階建てだとしてもビルを建てた方が効率がいいですからね。そうなるとビルの屋根に瓦は葺きません。平らな屋上ってことになります。


ホント、瓦ってだんだん少なくなっているのかもしれません。


世界中で使われているはずの瓦ですが、日本以外の国ではどうなっているんでしょう。
世界の瓦事情、とか、ニュースにはならないでしょうねえ。聞いたことないですねえ。


はしごを軽々と上って行く屋根屋さんの担ぐ瓦を見て、ふと思い出したのが、別の散歩コースの途中にある蕎麦屋さんです。


今回のコロナで閉業してしまった店なんです。とっても残念。
その店のメニューに「瓦蕎麦」というのがありました。


歩道に面した店の外に、店の代表的なメニューが墨痕鮮やかな筆文字で出されていました。
メニューは季節によって変わるんですが、瓦蕎麦はいつも書かれていました。


最初見た時は「瓦蕎麦 3.2人前」と書いてあったので、パーティ用? とか思って敬遠していました。しかも3.2前って、なんでそんなハンパなの? って不思議でした。


蕎麦は大好きですが、さすがに3,2人前は無理ですね。


なので、その瓦蕎麦ゆえに、その店は敬遠していました。


で、しばらくすると、冬だったんですが「瓦蕎麦 2.5人前」と変わっていました。
でも相変わらず2.5人前というハンパな大盛り。


なんで少なくなったんだろう? それに、そもそも瓦ってなんなん?
とは思ったんですが、1人で2.5人前はちょっとね。


食べられなければ残しちゃえばいいじゃん。とはいうものの、やっぱりねモッタイナイ気がするので、食指は動きませんでした。
ビンボ―症ですからね、出されたら、なんとしてでも全部たべないとねえ。


それでまたしばらくして、今度は春でしたが「瓦蕎麦 2人前」となっていました。
おっ! これならいけるかも。ホントいけるかア? 蕎麦だけだったらさ、いけるんじゃねッ?


で、チャレンジしてみました。


確かに大きめで、かなり平べったい、濃い灰色の瓦に蕎麦がどーんと2人前。やっぱりボリュームです。
付けダレは別注文という形式で、普通のもり蕎麦ダレでいってみました。コスパ、悪っ!
普通に旨かったです。完食できました。


店の人は忙しそうでしたので、瓦蕎麦の由来とかは聞けませんでした。


で、調べてみますと、「瓦そば」っていうのが山口県下関市にあったのでした。


「熱した瓦の上に茶そばと具を載せて、温かいめんつゆで食べる料理」

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熱した瓦? 茶そば? ん~、これは食べたのと違いますね。


でもまあ、しょぼい推測ですが、山口県の瓦そばを模して、瓦は熱しない、茶そばじゃない、具はない、という瓦蕎麦にしたのかもですよねえ。


なんで量が多いのかは、不明。。。


山口県の瓦そばは、1877年、明治10年の「西南の役」の際に、薩摩軍の兵士たちが、戦場で食器の代わりに瓦を使って食事をとったということが始まりなんだそうです。


瓦に肉を乗っけて、瓦を熱することによって焼いて食べた。
ってことは、今でいうと、フライパンで料理して、フライパンからそのまま食べるっていうのと同じですよね。


瓦をわざわざ食器として利用するのは、もしかすると後付けの理由があったりするのかもしれませんが、遠赤外線が出るとかね。でも、要は、やむにやまれずっていうことなんですね。


「私は生きた食器、死んだ食器ということを言っておりますが、料理を盛って、生きた感じがしますのと、なにもかも殺してしまう食器とがあります」


って、北大路魯山人センセは言っていますよ。


瓦って、どうなんでしょうか。蕎麦は殺されてはいませんでしたけれど。


なんちゃって瓦蕎麦は食べましたが、ホンモノ? の山口県の瓦そばっていうのも、機会があればチャレンジしてみたいです。


で、山口県の瓦そばを調べてみるとですね、やっぱり出てきました「遠赤外線効果」


ん~。ホントに効果あるんでしょうねえ。名物として紹介されているんですもんねえ。遠赤外線。

 


川棚温泉ってトコの名物らしいです。ここには他に「瓦シュー」っていうパリパリのシュークリームもあるそうです。瓦にこだわりアリ、なんですね。


もう、コロナ明け、一泊旅行決定ですね。食べてみたいです。瓦シリーズ。


蕎麦界では食器として利用されている瓦ですが、こんな情報もありました。
瓦の花器「時を止めるフラワーベースKaren」

花が長生きするそうです。


瓦って、屋根から降りてきて、何か違った形で、もっと身近な物になっていくんでしょうか。