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【一酔千日】という先人のあーだこーだに どーのこーのとクダをまく

<酒は呑め呑め 呑むならば~ ってか?>

ネットで調べてみますとね“一酔千日”「いっすいせんにち」って読むそうなんですが、四字熟語に分類されています。


四字熟語の説明に限らずネットの辞書はいっぱいありますが、そのどれにも共通した説明が


“非常にうまい酒” “上等上質な酒”


という意味ってことになるようです。


一酔千日とは、酒の質、極上ランクの酒ってことなんでしょうか。


たぶんチャイまっせ!

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ネットの辞書説明が言っているのは“ちょっと呑んだらすぐに酔っぱらって、千日も眠ってしまう”
だから“うまい酒”“上等上質な酒”ってことなんですが、どうでしょ、これ。


呑んだらコロッと眠っちゃうから上等な酒って言っているように聞こえます。
眠るために酒を呑むっていうのは普通にやってますよね。安い酒だってオッケーですよ。


寝酒、ナイトキャップをやっている人って少なくないと思います。


次の日の仕事、明日の用事のためにね、なるべく早く眠ってしまいたい。
そういう強迫観念みたいなものがありますよね。我々現代に生きる者たちの宿命かもしれません。


うまく眠りたい。早く眠りについて、できるだけ長い時間身体を休めたい。だから酒の力を借りて、というのがナイトキャップをする理由。


下戸の人なんかに言わせれば、そりゃただ呑みたいだけの言い訳だろ、などとおっしゃるかもしれません。
ま、そういう部分が無いとは言えないのが辛いところではあります。
酒が好きだから呑むんでしょ、というのはその通りですからね。


でもまあ、眠るための儀式的なニュアンスも少なからずあるんです。呑むのにはね。


で、呑んだらストンと眠ってしまうから“うまい酒”“上等上質な酒”なんだよというのが『一酔千日』の意味だとすると、ナイトキャップ派の擁護にはなるかもしれませんが、さっさと眠れるからうまい酒とか、ごく一般の酒呑みは言いませんよね。


眠るための酒だとすると“強い酒”という表現はありそうです。


「鬼ころし」だとか「電気ブラン」だとかいう酒の名前にはそういう、強さを強調したいニュアンスを感じます。


鬼だって腰が抜けてしまうほどの強い酒。


でもこうなると、眠るためというより、普通では居られなくなる、日常感覚を麻痺させるため。
つまり現実逃避の一手段としての強い酒、という意味になってきます。


そういう強い酒を呑むという愉しみ方もあるにはあります。はい。否定しません。


けれどもですね“うまい”“上等上質”という意味からは、どうしても遠のいてしまうんじゃないでしょうか。

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まあ、ちょっと呑んで三年近くも眠ってしまうというのは言葉の綾として『一酔千日』というのは、呑んだら眠れる酒を“うまい酒”と言っているわけではないと思うでありますよ。


眠れる、イコール、うまい酒、ではないです。


この『一酔千日』という四字熟語には基になっている話があります。
はい。ちゃんとありました。


4世紀の中国です。


東晋時代の干宝(かんぽう)という人が書いた『捜神記(そうじんき)』という怪奇小説集の中の『千日酒』というのがそれです。
4世紀っていいますと日本では“古墳時代”ですよ。卑弥呼の時代の100年後。
まだ日本というまとまりのなかった頃になりますね。
古代の中国っていうのはホント凄い国です。

 


中国三大奇書って言われている“水滸伝”“三国志演義”“西遊記”が明の時代ですから14世紀から17世紀ごろ。
その千年も前に書かれた奇書が『捜神記』ってことですから、とんでもないです。


4世紀の奇書。


10世紀の紫式部清少納言も真っ青!


怪奇小説とか奇書って言ってきましたが、正確には“志怪小説”というんだそうで、今の小説の原型となったジャンル。
『捜神記』の他に『捜神後記』『聊斎志異』だとかが有名だそうです。


聊斎志異しか知りませんでしたが、それ以外にもいっぱいあるんで驚きです。


中国、凄い! 古代ね、古代中国は凄いです。偉いです。古代はね。


で、その『千日酒』って話は、こんなです。


狄希(てきき)という名前の酒造り名人がいて「千日酒」という銘酒を造るという噂が東晋の国に流れた。

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酒呑みの劉玄石という男が、狄希にねだって、まだ完成していないというのに無理やり一杯だけ呑ませてもらった。


もう一杯とせがんだけれど、果たせず。もう帰れといわれて仕方なく劉玄石は家に帰った。


家に帰るとすぐ、劉玄石は酔いつぶれて倒れ、死んだように眠ってしまった。


翌日になっても、またその翌日になっても起きてこないので、劉玄石の妻は死んだものと思い、埋葬した。


そして三年が経って、狄希が劉玄石の家を訪ねると、三年忌を終えたばかりだという妻に迎えられた。


狄希が千日酒の説明をして墓を掘り返すと、劉玄石があくびをしながら起きてきた。


狄希の顔を見た劉玄石は、


「お前はさすがに凄い酒を造るなあ。すっかり酔っぱらって気持ちよく眠ってしまった」


と笑ったので、墓掘りの手伝いに来ていた人たちも笑った。


そのとき、劉玄石の身体から酒の匂いが漂ってきて、その香りを吸い込んだ人はみんな三か月も眠ってしまったんだとさ。


だいたいこんな話です。

 


酒を褒めてはいますが、直接、うまい酒だという結論の話ではないように思えますね。


確かにこういう種類の酒は存在します。
口当たりがよくて、といえば誉め言葉の類になりますが、そういう種類ではない。
何の抵抗もなく、むしろ物足りない感じで呑めてしまう酒。


旨いという感覚ではないけれども、決して不味いわけではない。
で、調子にのって呑んでいると突然クルんですね。


泡盛古酒(くうす)で7年ものとかにありますね。


今は3年以上という年数で古酒を名乗れるようですが、7年とか9年とかの古酒に、スイスイ呑んでいると突然ガクッとなってしまうものが確かにあります。
経験しましたです。


ホントの意味での上善如水ってやつですね。


その時の味わいの、満足感はさほどでもないんだけれど、ストーンとやられてしまう酒。


そういう話なんじゃないでしょうか『千日酒』


酒という人間の発明品の不思議さ。


なあんだ、たいしたことないよ、これ。と思っていると急激に自分を失ってしまう。
ま、たいていの場合、眠ってしまうことになるんだと思いますが、睡魔におそわれてというのではなく、ほとんど気絶です。
イキナリ来ます。


現実逃避とか、憂さ晴らしとか、そういう呑み方とは違って突然意識を失くしてしまうような、どちらかというと危険な状態変化。
その液体の不可思議さ。


そういう作用をもたらす酒があるよ、という話。


オチを付けようというのではなく“志怪小説”ですから、伝聞であるにせよ事実として書いているわけですよね。


千日酒の作者である干宝という人自身も、ずいぶん不思議な体験をした人だそうで、その不思議さを後世に伝えるために『捜神記』を書いたんだそうです。


この千日酒で考えてみたいのは、主人公といいますか、酒作りの職人として登場している“狄希”という人物です。


狄希という人が「千日酒」を造っているらしい噂がそもそもの始まりなわけですからね。


まだ出来ていないと言っているその「千日酒」を無理矢理呑んでしまうということは、すでにその酒がどういうものであるかを知っていた、と考える方が自然だと思います。
ただ珍しいというだけで、そこまで強引に自分の身体で実験しようとはしないでしょう。


予め知られていた千日酒の魔法の力。


狄希という名前に千日酒の秘密を解くカギがあるのではないでしょうか。


原文に、狄希は“中山の人”とあります。


中山というのは紀元前、中国の戦国時代に実際にあった国の名前です。
現在の河北省中南部辺り。


省都の石家庄市は、日本で人気の三国志の将軍“趙雲子龍”の出身地です。

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禅の臨済宗もここが発祥の地。


20世紀後半には中山王墓が発掘されて、遺物の中から古代の酒がそのまま発見されたニュースを聞いたことがあるかもしれません。
2500年ものの古酒ってことです。


現在では白酒(バイジュー)で知られる街ですし、神話としていろいろ不思議な事象を行った伝説を持っている“伏羲”と神も中山王国の人だとされています。
酒にも深くかかわっている伝説の神。

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酒の発祥に大きくかかわっている地域なのかもしれません。


で、この中山王国の人々は“北狄”と呼ばれていました。


古代中国の漢民族が四方の民族をさげすんで呼んでいた四夷の1つですね。
東夷、北狄西戎、南蛮の4つ。


魏志倭人伝の正式名称は「魏書第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条」ですから、日本は“東夷”の中の1つに数えられているんですね。


中華思想の根本にある意識といえるかもしれませんが、それまた別の話。


中山の人の名前が“狄希”というんですから、狄の希という人、と考えられなくもありません。

 


東晋の劉玄石さんからすれば北狄という、不思議な蛮国の人なわけです。
しかも酒の国の人の造る千日酒というんであれば、酒呑みとしては黙っていられませんよね。


東晋の時代に中山国は滅んでいますが、もしかすると“幻の酒伝説”のようなものが伝わっていたのかもしれません。


20世紀後半の発掘も、もしかすると“幻の酒”ありきだったのではないでしょうか。
幻の酒を探して発掘調査した。酒が主目的。

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2500年ものの古酒がどういう成分だったのか調べられませんでしたが、なぜ酒だと判定できたのか、不思議に思います。


紀元前の中国で酒の醸造が始まっていたという説も、実はこの“千日酒”の基になったかもしれない“幻の酒”伝説があったのかもしれません。


ま、過ぎた空想なんだろうとは思いますけれどね。


千日眠るという効能は、幻の古代酒に対するあこがれを含んだ空想の産物で、干宝という人が創作したと考えることも、さして無理ではないようにも思えます。


酒呑みが理想とする酒。
酒に対するあこがれ。空想。妄想。

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そうした思いが強すぎて、現代の我々が“千日酒”の話を知れば、それはもう“うまい酒”“上等上質な酒”の正体こそ、古代の銘酒だったであろう“千日酒”でしょう。


そう判じてしまうのは無理のないところです。


で、“千日酒”から四字熟語として派生した“一酔千日”が“うまい酒”“上等上質な酒”を言い表すように受け止められるようになった経過があるのではないでしょうか。


不可思議を愉しむっていう、酒呑みの本来性を認めない現代。即物的に酒の効果を求める。
そういうのからは、離れていたいものです。


“狄希”って東アジア文化の“酒の神”ですよね。日本でもそうですけれど、東アジア圏で酒の神って評価低いんじゃないでしょうか。


“狄希”さん、忘れられてますね。

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ま、なんにしても“うまい酒”を高い金出して満足するのではなく、安い酒を“うまく呑む”というのが、令和の日本の酒呑みの正しい気概だと思うわけであります。はい。