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【タイムパフォーマンス】コスパからタイパへ って豊かな時間の過ごし方 なわけないでしょ

< 情報取得の効率化は分かるような気がしますけど、映画鑑賞も時短にしたいの? >

世代間ギャップの話であります、はい。


コスパよりタイパ、っていうことになっているんだそうですね。
いわゆるZ世代。デジタルネイティブ世代のライフスタイルみたいに言われているんですけど、どうも、タイパっていうことを意識して生活している人って、SNS至上主義っていいますか、日常的に接している情報量の多さに圧倒されて、効率的に生きないといけないっていうような強迫観念に囚われてしまっているんじゃないんでしょうかね。


楽しい時間はあっという間に過ぎるっていうのは、昔から人間感覚の不思議として捉えられている事実ですが、楽しみのはずの時間を、さらに短縮しようっていうようにしか受け取れないんですよね。
楽しさの本質を否定している行為。


つい先日も「ファスト映画」を動画投稿サイトに無断公開した20代の男女2人に5億円の賠償命令が出されたっていう報道がありました。


映画を短時間、10分ぐらいで手っ取り早く「観賞」したい人がたくさんいる。そういう需要があるから著作権を無視したファスト映画が編集されるっていう解釈もあるみたいなんですけど、なんかね、この解釈自体もちょっと違うような気がするんですね。

 

 

 


ファスト映画っていうのを観たことがありませんけれど、短く編集している人が、その映画をリスペクトしているっていうんじゃないですよね、きっと。いや、絶対。


そして、その短く編集された映画をネットで見る人っていうのもまた、その映画を「観賞」したいっていうのとは違うんだろうって感じますね。


ま、中には、ファスト映画で内容を把握して、興味が湧けば改めて本編を観賞しようっていう人もいるのかもですけど、たいていは、そのファスト版を「見て」その映画を「観た」ことにしようっていうんじゃないでしょうか。


内容を「知って」、「観賞」したことにする。


つまり、ファスト映画でその映画の内容についてある程度語れるようになって、世の中の話題に精通したスキルを身に付けた気分になりたいから。


人の一生は限られているんだから、文化もアートも効率的に接触して知識として蓄えないと、満足な人生を送ることは出来ないっていうような、なんだかなあ~っていう行為に感じてしまいますね。


ファスト映画っていうことだけに限って考えてみますと、その短く編集する人の価値観によって、ダイジェスト版が編集されることになるんだと思いますが、そんなことをして本来的な映画観賞の代替行為になるわけがないですよ。


なんでファスト映画を見るの? って聞けば、なんだかんだ、失敗して時間を無駄にしたくないだとかね、尤もらしい理屈が答えとして返って来るんだろうと思いますけど、要はやっぱり、世の中の話題から取り残されたくないっていう強迫観念なんじゃないでしょうか。
自分は、それ知ってま~す! みたいな、テストではマルをもらわないとダメでしょっていうような感覚。


そういう感覚が当たり前になっていて、周りに取り残されたくない「FOMO(Fear of missing out)」っていうのが強いのかもですね。
根が深い気もします。


全部を知っておかないと取り残される、っていう強迫観念でやたらにアクセスしておくっていう行為は、結局、全部をカバーなんて出来るわけがないんで、取り残された感、さみしさを再生産していることにしかならないんじゃないでしょうかね。

 

 

 


ファスト映画は見ないんだけど、映画なんて倍速で見るのが常識でしょ、とかね、そんな人もいるみたいですけどね。
映画の内容はちゃんと解りますよ。


んあ?
あのね、研修ビデオじゃないんだよ、映画は。


理解するっていうもんじゃなくて、観賞するもの、味わうものなんでありますよ。
そんなに急いで、忙しく映画を見るって、何が楽しくて映画を見ようって思うんでしょうか。
やっぱり、その話題の映画を自分は見ましたよ、知ってますよ、っていうためなんでしょうかねえ。


考えてみますと、デジタルネイティブ世代が生まれるずっと前から、そういう下地が、学校生活の中にあったように思います。


当時から疑問に思っていたんですけど、中学校ぐらいの頃でしたかね、テスト問題に、左側に有名小説の名前が並んでいて、右側には有名作家の名前の羅列。
それで、どの小説が誰のものなのかを線で結びなさい。
そんな問題ってありましたよね。
これ、なんの意味があんねん!? って思っていましたね。


その有名小説を読んでいなくとも、正解は出来るんですよね。参考書なんかに答えが載っていて、ちゃんとオベンキョしていれば知識として小説と作家を結びつけることが出来ます。
マルをもらえるわけです。


問題として提示されている小説の1つを読んでいたんで、その小説の作家が誰かは知っていて、1つは確実に正解できるけど、ほかの作品は読んだことがないんで、適当に線で結んでバツ
成績は悪いってことになるんですけど、なんだか納得いかない気分を感じておりましたです。


その問題を全問正解しているヤツが、小説なんか1つも読んでないことを知っていたからですね。


そいつが言っていたセリフは忘れられませんよ。
「小説なんか読んだって何の役にも立たないじゃん」
あ、そ。

 

 

 


なんかね、小説をテストでマルをもらえる材料にして、本来的な評価を与えていない感じがします。
まだSNSなんて、これっぽっちもなかった時代。


そういう問題を考え出すアンポンタン。昔からいたんですけど、それが行き過ぎた感覚としてある種の人たちにとっての常識になっているのかもです。


小説なんか役に立たないから読まないって言ってたヤツが、その後どうなって、今何をしているのか知りませんが、その当時知っておくべきだってガッコのセンセ方が判断した作品数はそんなに多くなかったです。


でもねえ、今はもう、めっちゃありますよ。さらにエンタテインメントのアニメ、ユーチューブ、映画の数たるや、とても個人のキャパシティでは拾いきれる数じゃないですもんね。


時間を有効に使いましょう、っていうのには、まあ、反論はいたしませんが、「観賞」すべき作品は知識としての「情報」とは区別していただきたいもんでございますよ。

 

ファスト映画を編集する側の感覚としては、「二次創作」っていうのに慣れている、っていうのもあるのかもしれないですね。


コミケ出品だとかには定番になっている感のあるらしい「二次創作」ですけど、それ自体は、基になる作品をしっかり「観賞」しているからこそスピンアウト的な創作が出来るんでしょうし、そうして出来上がった「二次創作」を「観賞」する側も基の作品を知っていないと二次的な楽しみ方を享受できないっていうところがあって、原作者からクレームがつくっていうのが多くないのかもですけど、その原作利用っていう創作態度をファスト映画編集者が勘違いしがちなところがありそうにも思います。


世の中は変わってきています。
キャッシュレスでお買い物してポイント活用。
コスパよりタイパで、自分の時間を有効利用。
ファスト観賞で映画も音楽も豊富な情報。


そんなに効率コーリツっていう生活をして、忙しがっている人生って、楽しいんでしょうかね。


秋の鎌倉海岸で、沈んでいく夕日をただボーッと眺めたりする時間を至福って感じるんですけどねえ。
いや、別に鎌倉に限りませんけどね。


ファスト主義とかっていうことを考えますと、どうもねえ、行き過ぎた効率主義を感じてしまいますです。


ま、もちろんね、デジタルネイティブ、Z世代って言われる人たちの全員がそうってわけじゃないことは知っておりますけれどね。

 

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