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【面白い小説って、どんなの?】散文の書き方を考える その14

< 面白いかどうか判断するのを 他人任せにしなっていうことが 大事でしょねえ >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことについて、いろいろ考えてみる14回目です。


ところでみなさん、小説を、物語を、フィクションを、楽しんでいますか?


そもそも小説っていつからあるの? っていうことについては、まあ、いろいろ言われているんですが、


「国家のあるべき姿、志を書き表した大説に対して、日常の出来事や空想、虚構を書いたものが小説である」


っていう定義を聞いたことがあると思います。


いったい誰が定義したのか分かりませんが、この定義から判断すると、小説の起源は国家成立の後だっていうことになりそうです。はっきり、そう明言している人も居ます。


でも、そうなのかなあ? って思うのでありますよ。


国家の成立以前、言ってしまえば書き文字を持たなかった時代であっても、すでに語り言葉として物語は存在していたでしょうし、焚火を囲んで面白可笑しく話をしてくれる能力を持った人がいたんじゃないでしょうかね。いたでしょ、きっと。


見知った事実を、生活知識として話すことも多かったでしょうけれど、その頃からフィクションとして、腹を抱えて笑ったりするような、あるいは、思わず後ろを振り返らずにいられないほどゾッとする話を得意とするような、その時代の「小説家」が存在していたんじゃないかと思うのです。

 

 

 


例えば世界各国に伝えられている神話は、国家成立後に出来上がったものでしょうか。


その地域の文字によって書きとめられていなかったとしても、物語のコアは古代国家のずっと前からの伝承なんじゃないでしょうか。


人々の興味を惹きつけて何度でも語り聞かせてくれる優れた語り部、小説家がいて、みんなに支持された内容が時を超えて語り継がれてきて、ある時、書き文字として遺されるようになった、っていうものなんじゃないか。


最初に文字として書きつけた人が、その神話の製作者ってことじゃないと思います。


物語りは、そのずっと前からある。
本来的な物語、小説は原始の時代から人々に必要とされ、語り継がれてきて、文字になったっていうのが実際でしょ。知らんけど。


神話に限ったことじゃなくって、物語、フィクション、小説っていうものは、人間のコミュニケーション成立と同時に存在していたはずですよね。


国家だとかいう近代的なシステム成立以前から、我々人間は、小説を楽しんできたんだよねって思うですよ。


そして、その頃から面白い物語、つまらない物語っていう区別は、ハッキリあったんじゃないでしょうか。


21世紀の現在では、1人の人間が一生読み続けても読み切れるはずもない分量の本が存在していますね。
その中には当然のように面白い本とつまらない本とがあります。その判断区別は個人によって違うのは言うまでもありません。


2009年にイギリスの大手新聞、ガーディアン紙が発表した「死ぬまでに読むべき必読小説1000冊」は大きな話題になりました。けっこう前のことになりますが、知っている人も少なくないですよね。

 

ガーディアン紙は1821年にイギリスのマンチェスターで創刊された老舗の一般新聞ですが、話題の作り方が上手いです。おじょうず。


1000冊というボリュームがなんと言いますか、なかなかニクイところです。


1年に10冊読むペースだと100年かかってしまいますが、1年に100冊読むとすると10年で読破できる計算ですから、まあ、10年以上は要するとしても、いけそうな感じを受けますもんね。1000冊。

 

この必読小説1000冊は、イギリスの新聞社が提案したものですから、当然、英語で書かれた小説がほとんどです。もちろん邦訳されている小説もありますが、今でも入手可能な作品ばかり、っていうわけでもないんですよね。
絶版になっているものもあるですよ。


短編や短編集は含まれていないんだそうですが、そもそも邦訳されていない小説も少なくないんです。
その点が残念です。


英語圏に生活している人たちならば、この1000冊をいつでも入手可能なのかどうかは判然としませんが、世界の読書好きたちは、選ばれた1000冊のうちの何冊を読破しているんでしょうか。


そういうアンケートの結果も知りたいところです。
まあ、既に実施していて、結果も発表されているのかもしれませんが、ちょろっとググった範囲では見つかりませんでした。英語力ありませんし。


さて、この1000冊の必読小説ですが、ガーディアンの選考はその小説が面白いっていう基準じゃなくって、必読っていう基準で選別しているわけですね。読むべき小説。


もちろん必読として勧める以上は、面白いっていう判断基準が根底にはあるんだろうと思いますけどね。


面白いから、感動するから、役に立つから是非読むべき小説、っていう解釈でイイんだろうって思うんですが、いったい誰がその面白いっていう判定を下したんでしょうか。


1000冊なんていうボリュームは、たった1人が選定した結果だとは考えられません。
何人かで検討した結果の1000冊なんだろうとは思いますが、秀逸な企画タイトルが示す通り、まず1000冊という数量ありき、の企画だったんだろうことは想像に難くありません。


ガーディアンっていう新聞が、一般紙といいながらイギリス国内でどのような評価を受けているのか分かりませんが、必読小説っていうアイディアを出すことを考えると、まあ、まともな、いわゆるイギリス的でヨーロッパ文化的な新聞ってとらえて良さそうです。


サブカルチャーカウンターカルチャーじゃなくって伝統的ハイカルチャーっていう意味でですね。


っていうことは、必読書としてピックアップされている1000冊の小説は、やっぱり、必ずしも面白いっていう評価が優先されているわけじゃなくって、あくまでも読むべきであるっていうことになりそうです。


ガッコの先生が役に立つから読みなさい、って言っているのと大差のない基準なのかもしれませんね。

 

 

 


必読小説っていうプレゼンテーションは魅力的ですが、実際に自分で読み進めてみて「なんでこれが必読なの?」っていうことも、普通にありそうですよ。困ったことに。知らんけど。


教科書じゃなくって小説本は、出版社が商売として発売しているわけですから、出版する小説を選別する際に、その小説が売れるかどうかは重要な判断基準になっていると考えられます。


面白い、有意義、衝撃的だとか、編集者が売れるって判断する基準もバラバラなんでしょうね。


ガーディアン紙が発表した必読小説の、少なくない作品数が邦訳されていない事を考えると、イギリスでは人気があるかもしれないけれど、日本ではウケナイだろうっていう、日本の出版社、編集者、翻訳者の判断があるんだろうなあってことは想像に難くないですよね。


国や地域が違えば面白い小説っていう判断も違う、それは当たり前なんでしょう。


さらに言えば、国や地域の違いっていう前に、人によって、どの国によらず、個人こじんによって面白さの基準は違っているでしょねえって思います。


良い悪いであるとか、正しいとか間違いであるとかじゃなくって、好き嫌いです。感覚の問題。


海外の小説が邦訳されるかどうかは、日本の編集者の面白さに対する判断以外にも様々細々としたオトナの事情があったりするのかも、って思いますけど、気になるんだったら英語、原書で読めばイイジャン、っていう意見は、ちと横に置いておきます。


人によって面白いと思う小説、好きな作家はそれぞれです。


好きな作家でも作品によっては、どうも、これはね、っていうこともありますもんね。
小説に限らず、映画や音楽でも事情は同じ。


我々は、どのように好きな作品と、好きじゃない、時によっては嫌悪するような作品を認識するんでしょうか。


人によって違う「好み」っていうものの正体は、いったいなんなんでしょう。


面白い小説っていうのを、どういうふうに認識しているのでしょうか。


小説は色々にジャンル分けされています。
この小説のジャンルっていうのは誰が決めて、いつ頃から存在しているんでしょうかね。


そもそも小説っていう芸術作品に、本来的なジャンルっていう性質が備わっているものなんでしょうか。
かなり疑問です。


ガーディアン紙の必読小説にもジャンルが存在しています。


このジャンルからして洋の東西における小説事情の違いのようなものを感じますので挙げてみます。


私小説
「ユーモア(コメディ)」
「犯罪・サスペンス」
「恋愛」
「SF・ファンタジー


これらのジャンルは日本でも普通に認識されているものだと思いますが、日本では馴染みのない「社会」っていうジャンルがあって、この中にカミュの「ペスト」がピックアップされています。


日本だと不条理小説だとか言われることがありますが、フィクションっていう大括りにまとめられる範囲かも知れません。


そもそもフィクションをジャンル分けで、どれにも当てはまらない感じの小説、ってことなのかもしれないですね。
それを「社会」っていうジャンルにしている。のかも。


「戦争と旅行」っていうジャンル。


ええっ!? 戦争と旅行を一緒の括りにしちゃうの? ってな感じがします。


両方とも選ばれた作品が少ないので一つにまとめた結果なのかもしれません。
それとも、書かれている内容が、戦争が大陸を行進していく、兵隊たちにとって、いわば旅行の要素を含んでいるからっていうことなんでしょうか。


デュマの「三銃士」
マルケスの「百年の孤独
グラスの「ブリキの太鼓
ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る
ケルアックの「オンザロード」
メルヴィルの「白鯨」
そして中国の「西遊記


っていう超有名な小説から、旅ではありながらどちらかというと社会っていうジャンルなんじゃないかって思われる、


パーシグの「禅とオートバイ修理技術」


だとかがピックアップされています。


「禅とオートバイ修理技術」この作品は、かなり好きですね。形式的には旅ではありますけど、全然違った読み物だと思います。作者の経歴を知ってから読むと、興味深さ、マシマシです。


結果的に、かなり無理矢理「戦争と旅行」っていう1つのジャンルの中に組み込んでいるだけなんじゃないかって言う気が、ぷんぷんします。


日本では人気のある「時代・歴史」っていうジャンルがないんですけど、社会ジャンルに入っているんでしょうかね。


何にしても、ジャンル分けの正しさをあーだこーだ言っても意味があることとは思えません。


人間は分類することが大好きな動物で、何でもジャンル分けして理解しようとする傾向があるのかもしれません。そんな気がします。


日本の新聞社、あるいは出版社が独自に死ぬまでに読むべき小説をピックアップするとしても、同じようにまずはジャンル分けして発表するのかもしれないですけれどね。


あらゆる分野で細分化が進んだ結果として、作品や仕事の結果の前に、まずジャンルありきっていうのが現状であることは否定できませんし、小説の公募ではジャンルを限定してあるものもありますしね。


そうなると必然的に書く側も、書く前に自分の書きたいもののジャンルを意識することになると思いますが、こうした文化は小説が本来持っている面白さにマイナス効果をもたらしているんじゃないかっていう危惧を感じちゃいます。


小説の面白さは小説の中に在るのであって、ジャンルの中に規定されているものじゃないでしょうからね。


小説には面白い小説と、面白くない小説があるだけだ、って言ったのは山田風太郎だったでしょうか。
全面的に、全く無批判にこの意見に賛成します。


死ぬまでに読むべき必読小説1000冊は、世界にどんな作品があるのかを認識するのには大いに役立つ「データ」でしょう。


ピックアップされている1000冊の小説もそれぞれに面白いものであることは誰にも否定できないものですが、無理に面白がって読む必要はない、っていう至極当たり前のことを言う結果になってしまいました。

 

 

 


友達に勧められた映画を観たけれど、何も感じなかった。


メディアが盛んに宣伝している小説をようやく手に入れて読んでみたけれど、なんだこりゃ、っていう感想だった。


行列しているラーメン屋さんに2時間も並んでようやく食べることができたけれど、なんでみんな、これを味わうために行列しているんだろう。ちっとも旨くないよ。


そういう経験は誰もがしていることですよね。世間の常識と自分の感覚が違っている。
それでイイんだと思います。
そういう感覚の方が大事だと思います。特に日本ではね。


世の趨勢に流されるんじゃなくって、自分なりの常識を正しく認識する。
そですね、判断するのは自分自身だっていうことです。


自分で味わって、自分で考えて、自分で判断するですよ。


最近の我々日本人はこのことがうまく出来ていないようにも思えます。


自分自身の感覚を信じて映画を観、小説を読み、そして小説を書きましょう。
少なくともある小説を面白く感ずる感覚は、個人の範疇で完結するものなんでしょうからねえ。


でもまあ、なにはともあれ、読まないと始まりませんです。ね。

 

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