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【リライトとブラッシュアップ】散文の書き方を考える その11

< 長めの散文、小説、シナリオを書き上げる 完成させるための最終作業 >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことについて、いろいろ考えてみる11回目です。

 

小説だとか、散文の形式はなんであれ第一稿を書き上げたあとの話です。
初稿、草稿って呼ぶ人もいるかと思いますが、同じものとして考えます。


小説にしてもシナリオにしても、あるいはエッセイやブログ記事にしても、とりあえず形として最後まで書き上げた。その一番目、だから第一稿。


書き上げた最初のものだから初稿。


書き上げた本人の意識としてまだ完成じゃない意識があって、まだこれからもっと面白くする意欲がある。これは下書きに過ぎない、っていうニュアンスの草稿。


第一稿、初稿が、そのまま発表される可能性があるのに対して、草稿がそのまま発表されることは、通常ではない、っていう区別ができるでしょうか。


下書きですからね、そうなると思われますが、作者が突然死んじゃったりして、完成に向けての作業が継続されなくなっちゃった場合なんかですと、草稿、がそのままで発表されることはあるようです。
フランツ・カフカ(1883~1924)の作品はほとんどが草稿だったみたいですからね。


作品の完成っていうのには、いろいろな形態があって一概に括れるものじゃないっていうのがややこしいところです。


あらすじを書いていようがいまいが、プロットを書いていようが、箱書きを作成していまいが、つまり途中のプロセスがどうであったにせよ、とにかく作品を最後まで書き上げること、これがとても大切なことですね。


そして実は、そこまで来るのが、つまり第一稿を書き上げるまでが最もしんどいところです。


実感している人も多いことでしょう。その出来具合に満足できていないとしても、とにかく最後まで書き上げる。この段階こそが真のスタートですよね、っていうのが今回の話です。

 

 

 


やっと完成させたその小説の初稿、苦吟の末ラストシーンまで書き上げたシナリオの第一稿。きちんと読みなおしましたか? 


最後までいったから完成! っていう考えもあるかと思いますが、読み直してみると、誤字脱字、そして意味の通らない部分が見つかったりするものなんですよね。


書きなれている人は、毎回、必ずそうなっちゃうんだから、自分が最初に書き上げるのは草稿なんだっていう、そういう意識になるのかもしれません。


ベルリン在住の作家、多和田葉子さんは「言語と歩く日記 四月二日」の中でこう言っています。


「毎日、毎日、『雪の練習生』のドイツ語バージョンを読み返して推敲していたが、きょうやっと最終行に行き着いた。でも、あと二度は通して推敲しなければ、行きたいところへ行き着けないという気がする」


繊細に言葉にこだわっているプロの作家さんですら、っていいますかプロだからこその、こういう態度なんでしょうね。


「行きたいところへ行き着けない」


行きたいところ、書きたかったなにものかが、書くことによって明確になっていくってこともあるでしょうからね。推敲は1回だけサラッと、ってわけにはいかないってことでしょう。


こうした内容そのものについての満足感とは別ですが、誤字脱字っていうのも不思議なもので、何回読み直しても、新たに見つかるものなんですよね。
全体が長いと、必然的にそうなります。


書いている間に何度も読み返して、推敲しながら完成させているから、第一稿イコール決定稿、完成稿なのだ! っていう人が意外に多いようにも思いますが、新人賞の応募作品なんかですと、そんなんじゃ大概、通用しないと思われます。


作品を書き上げたときは、それまでの苦しさから一気に解放されて、経験した者にしか分からない大きな満足感に浸れます。至福と言っていいような感覚ですよねえ。


こうした気分、精神状態のまま自分で書き上げた作品に対する客観性を持つっていうことは、まず無理なんじゃないでしょうか。


第一稿が仕上がったら、ある程度の時間、可能であれば数日、その作品から意識的に離れるっていう過程を経たうえで、誤字脱字のチェックも含めて客観的に読み直すっていう作業を必須とすることで、初めて第三者に通用するレベルに引き上げることが可能になるんだと思います。


そのあたりのことを考えてみます。


例えば小説の第一稿を完成させた直後、原稿の最後に「終わり」「完了」って書ける状態になったとき、作者は、つまり我々は、アドレナリンが溢れているようです。
ですよね、満足感で興奮しているですよね。


無茶苦茶に考えたし、がんばったし、最後に到達するまで苦心したんですから。


こういった興奮状態で、まともに第一稿を見直せるでしょうか。


なので、しばらく、つまり冷静に第一稿に向き合える状態になるまで時間を置いて、確認、見直し作業に入りましょう、ということになりますね。


たくさん出ている小説の書き方、シナリオの書き方、ほとんどの本でもこのことに触れていますが、ニュアンス的にさらっと流している感じです。


なんですが、ここが初心者には一番実感しにくい段階なのかもしれません。勝負は第一稿を書き上げてから始まる、と言っても言い過ぎではないと思います。


小説新人賞、シナリオ新人賞の公募に向けてがんばっている人、たくさんいると思います。


書き上げるスケジュールをたてる場合、第一稿の完成を〆切に合わせちゃダメですよね。


一週間なり二週間、可能であれば一ヶ月ほど前に第一稿の完成をスケジュールすることが勝負に勝つ第一段階と考えるのが良いんじゃないでしょうか。少なくとも第一次選考は通過できるためにです。


そんな余裕、持てるわけないっしょ、とかね、憤慨される方もあるかもしれませんが、誤字脱字だらけの原稿が高く評価されることはないです。


言葉に対するこだわり、自分の感性に合った言葉が選択されて、正しく使われているか。原稿の見直しはとても大切な作業です。


ここで考えているのは誤字脱字のチェックだけっていう意味での見直しじゃないです。


リライト、ってやつですね。書き直しっていうことです。


世に出ている作品でリライトを経ていない完成作は無い、と言っていいと思います。第一稿を書き上げる作業と同様に、もっといえばそれ以上に大事な作業だからですね。


自分の書きたかったことは何だったのか。その小説に、そのシナリオに込めた思いは何だったのか。


それがその第一稿で、第三者に伝わるように書かれているか。狙いが完遂されていると判断できるか。
その完成度を判断するのが本当の意味での見直しっていう作業で、見直し作業の結果、自分の思いに沿うように、より的確、効果的になるように書き直す作業。それがリライトです。

 

 

 


リライトで最も必要、重要なものは「読むチカラ」ってことになりますかね。


第一稿に対する見直しは、自作に対して、いかに客観的に、いかに冷静に読んで、その出来の如何を判断出来るかがポイントになるでしょねえ。


つまり、苦心惨憺で書き上げた第一稿が自己判断で「ボツ」になることもある、っていう残酷な作業がリライトなんですね。


そういう客観性が必要。自分で自分にダメ出しをする。ハイレベルに厳しくなければ意味がない。簡単にできることじゃないですね。


特にシナリオの場合、時間の制約、つまり原稿枚数の制約は小説以上に厳格なものです。
あるシーンを書き直した結果、枚数をオーバーしてしまったり、足りなくなってしまったり、かなり決定的な未完成状態に陥ることはごく頻繁に起こり得そうです。


それじゃあダイナシじゃん、と言うなかれ、です。


そもそも、第一稿のタイトルは効果的かどうか、考え直してみましたか。タイトルほど難しいものはないですよねえ。
書き上げてからタイトルを考える場合でも同じでしょう。


そのタイトルが商品として魅力的だって、独りよがりじゃなく判断することも難しいですけどね。
無題、とかやっちゃう人を時折見かけますが、その状態では第一稿以前だと評価されても致し方のないところではないでしょうか。


シナリオの構成として判断した場合に、シーンの順番は効果的に並んでいるでしょうか。


意味のない、あるいは意味の分からないシーンが紛れ込んだままになっていませんか。
提供したナゾに解決はつけていますか。主人公に課した枷は本当に効果的ですか。


リライトは書き手としてではなく、読者として、その作品の最初の客として、ドライに、客観的に、書かれている内容を判断して書き直す作業です。


最初からこなせる人なんていないでしょうね。
難しい、創作を完遂するうえでの最重要スキルなんだと思います。


書き手から客観的読者に、自分の意識を変えることは、当然ながら簡単なことじゃないですもんね。


書き上げるまではむしろ独善的であった方が進捗を望めるのかもしれません。
客観性なんか足手まとい、っていう意識も間違いとは言えません。


でも、書き直し、リライトの段階に至っては、客観的になれるかどうかがその作業の真価を問うことになるでしょねえ。
読むチカラの重要性がここにあります。


読むチカラを付けるためには、本を読むことです。いろんな本を読むことに勝る方法はないと思います。


リライトの時にはその読むチカラに、より一層の客観性が求められます。


苦労して書き上げた第一稿ですが、思い切って、バサバサと削るくらいの覚悟が重要。


書き上げた小説を、完成させたシナリオを、評価するのは書き手ではなく読み手ですからね。主観じゃなくって客観っていうことです。


自分の作品を他人として読むっていうことです。


テニオハや誤字脱字にのみ執着してリライトしました、っていうんじゃスキルはちっともアップしていかないですし、作品の魅力も上がりません。


書き手にとってほとんど希望の持ちようがないようなことばっかり並べていますが、思い切って削って、書き直してみると、きっと好いことがあります。
嬉しく思えることが出てきます。そうです。思わず口角が上がってしまうほど、小説が、シナリオが良くなります。面白く変わります。これこそがリライトの効果です。


一回でもそういう経験をすると、リライトのコツが実感できますよね。確実なスキルアップです。


創作に限ったことじゃないと思いますが、スキルっていうのは誰かから授けられるものじゃなくって、自分でつかみ取っていくもの、なんでしょねえ。


少しでも納得いかない部分に、思い切ったリライトのメスを入れる勇気。そこが勝負です。
そして、脳ミソにアセをかくほど考えて、悩んで、さらにさらに考えて、書き直すんです。本当の意味でのリライトを実行するんです。


小説が、シナリオが、エッセイが、ブログ記事が、どんどん良くなる、はずっ!


改悪してしまうんじゃはないか、とか逡巡しないことです。


結果としてレベルダウンしてしまったと感じたら、リライトの方法が、書き直しのアイディアがズレていたのかもしれません。


もう一度考えてリライトすればいいだけのことです。創作のスキルアップを意識しての頑張りどころでしょねえ。


さらに、リライトが一回で済むってことは稀だっていうことも言えると思います。


いくつか作品を書き上げた経験のある人は実感していることだと思いますが、少なくとも数回、多いときには十回以上にも及ぶのがリライトの実際です。


ここで、作品を空中分解させないことが重要になります。


数回繰り返すリライトをうまく着地させるコツは、リライトする箇所、書き直すボリュームが回数ごとに少なくなっているかどうかをチェックすることです。


機械的にリライト個所を少なくするっていうんじゃ意味がありません。
要は初期段階のリライトを実行する際に、作品全体に意識を行き渡らせているかどうかが大切です。
そこがリライトスキルの最重要ポイントです。


書き始める前に、何を面白いと思ったのか、その面白さが効果的に伝わっているかを客観的に判断できていれば、どこを書き直すべきなのか、明確に自己判断できるはずです。


その自己判断ができるっていうことが、書き上げるスキルを持っていることと同義になります。


創作のスキルを身に付けましょう。とにかく最初は、枚数が不足してしまうとしても、思い切ってザックリ削ってみることです。


削った状態で読み返してみてください。改悪状態になっていますか。それとも違和感なく読み進められましたか。
そもそも違和感のある部分を削って、改悪状態になったのならその箇所をリライト個所に選んだことが間違っていたのかもしれません。


それだけ重要な部分だったんです。以前より効果的になるようにリライトしましょう。


リライトは、トライ・アンド・エラーです。


今はパソコンを使って書いている人が多いと思います。


原稿用紙をまるめて捨てたり、消しゴムですっかり消して書き直すっていう作業じゃなくって、アンドゥー機能も使えますし、そもそもリライト前のファイルをバックアップしておけば手間なく元に戻れる環境なんですから、本当に思い切ってリライトできますよね。

 

 

削ってみても違和感がなかった。ことによったら読みやすくなったとしたら、その部分はそもそも要らなかったんでしょう。


なんで、その部分を書き入れたのか。自分自身による自己評価です。創作スキルそのものです。


これもまた経験してみないと実感できない最重要ポイントです。
自分の中の客観性っていうのは、確立できたって判断すること自体が主観から発しているわけですから、極言すれば思い込みに過ぎないものかもしれません。


ただ、創作の本質はそういう概念の中にあるものだとも言えるだろうっていうことがやっかいなところです。


才能があるとかないとか言われるのは、この部分なのかもしれません。


なんにしても思い切ってやってみることしかないでしょねえ。


失敗することがあったとしても、スキル自体は必ずアップしていくでしょ。たぶん。


こうして数回の、苦しいリライト作業を経て完成した、小説、シナリオは第何稿になっているでしょうか。意外に数を重ねていることに驚くかもしれませんね。


その回数の分だけ創作スキルはアップしているはずです。やり遂げたんですから、自信を持ってイイんじゃないでしょうか。


リンダ・シガー著「ハリウッド・リライティング・バイブル」はとても優れたシナリオライティングの一冊ですが、この本で言われている最大のポイントは、ただ一言「ライティング・イズ・リライティング」ということなんですよね。


書き始めるにあたって腹をくくれる言葉ではないでしょうか。ハリウッド女史、恐るべしです。


そして、リライトを経て完成した小説。ラストシーンまで書き終えたシナリオ。この段階に達して初めて実施できるのが、ブラッシュアップです。


まだあんの? って感じましたか? でも、あるんですねえ。

 

 

 


ブラッシュアップでは、テニオハ、誤字脱字の最終チェックを行うのは当然のこととして、句読点のチェック。句点が適切か、読点の方が効果的ではないか、っていう演出判断。


意図しないダブルミーニングになっている言葉を使っている箇所が無いか。別の言い回しの方がカッコよくないか。そして、タイトルは今のままでいいか。枚数を整える工夫として何か別の言い回しがあるのではないか。


作品に磨きをかけるのがブラッシュアップです。枚数を整えるための技術さえも、気持ち良く身につく作業だって言えるんじゃないでしょうか。
このブラッシュアップにもそれなりの時間を要します。


っていうわけで完成までにかかる時間は、創作に慣れるまではかなりの長さになります。しかもこの間、ずっと孤独な作業になります。


繰り返しになりますが、これから小説新人賞、シナリオ新人賞に応募する予定の方、スケジュールをたてるにあたって、〆切ぎりぎりに第一稿の完成、っていうのは避けたほうが賢明だと思います。


思い切って削って、リライトできるスキルを身に付けましょう。
楽しんでブラッシュアップできるボキャブラリーを自分のものにしましょう。


何よりも重要なことは、タイトルを含めて、満足できる小説を、自慢できるシナリオを、たとえ一作であっても、完成させる経験を持つことです。


脳ミソにアセをかいて、とにかくがんばりましょう。創作スキルに磨きをかけてアップさせましょう。


アイディア。第一稿。リライト。ブラッシュアップです。


プロになるとか、そういうんじゃなくとも、自分が満足できる散文を書き遺すために、です。

 

< いろいろ考えるです >


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