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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【花の名前】その1 花に名前を付けたのって誰なんでしょう なんでその名前にしたんでしょう

< おしべとめしべでタネを作るために花を咲かせます ってだけでは花の存在理由 納得出来ません >

花との関係っていうのを考えてみますと、蝶や蜂は花の奥にある蜜っていう実利をとっていますけど、人間は観賞するだけっていう不思議な付き合い方ですよね。

 

ま、蜜を舐めれいる人もいるかもですけどねえ。


「バラは好き? 漢字で書ける? バラっていう字はね……」


そういう口説きかたがあるんだそうですけど、「薔薇」なんて、何か魂胆がないと覚えようとする漢字じゃないように思います。


作家の「伊集院静(1950~2023)」が、この手法で女優さんを連続ゲットしていたとかいないとか。


バラねえ。っぽい花もいくつかありますよね。後から人工造成された花も。

 

 

 


イタリアの作家で記号学者でもある「ウンベルト・エーコ(1932~2016)」が1980年に発表した「薔薇の名前」っていう小説。


世界的なベストセラーになりましたので読んでいるかたも少なくないと思います。


1986年には映画にもなりましたし、イタリアでは2019年にテレビドラマにもなっているそうです。

 

薔薇の名前」は、14世紀、北イタリアの修道院を舞台にした、ミステリ要素の強い魅力的な小説でしたが、背景に中世スコラ哲学の「普遍論争」が敷かれていることも有名ですね。


教皇庁フランシスコ会との間で繰り広げられた「普遍論争」っていうのは、普遍っていうものは実体として存在しているものなのか、それともその人間の思考の中にだけ存在するものなのか、っていうなかなかに面倒くさい哲学論争で、ハッキリとした結論みたいなものは21世紀になっても出ていないらしいです。


そもそものタイトルも、日本語ではアッサリと「薔薇の名前」っていうふうに訳されていますが、原題的にいえば「その薔薇のその名前」っていうふうになるんだそうですね。


論争の面倒くささを表現し得ている感じがしますですねえ。でもこれじゃあね、人気は出なかったかもしれません。


ウンベルト・エーコっていう作家さんは記号論の提唱者としても知られているセンセですからね、記号って、名前ってなんだべか!? 普遍なの? っていうような含みを持たせているタイトルなんでしょうね。


記号っていう意味からすればタイトルにする花の名前が薔薇である必然性は薄いのかもしれません。


漢字の「薔薇」は中国語表記からそのまま来ているみたいなんですが、発音は「ジャンジュエイ」
中国語の発音って難しいですからピンインを見ただけじゃ精確な発音は分かりませんけどね。


今の中国語、簡体表記だと「玫瑰(メイグイ?)」になるみたいです。なんだかぜんぜんちゃうやんけ! になってますよ。


すっきり画数は少なくなってます。ま、「薔薇」っていう漢字がそもそも画数多過ぎだっていうことではあるんでしょうけれどね。


なんでしょ、バラの花びらが複雑にごちゃごちゃしているんで、こんなに画数の多い漢字を宛てたんでしょうか。


薔薇っていう漢字を実際に書いてみると、なんだかとっても不思議な感覚になってきます。


なんでこんな漢字を考え出せたんだろう。日本語のバラっていう音の響きはどこから来たんでしょ。


「ジャンジュエイ」でも「メイグイ」でもないですし「ローズ」とも全然違います。


花に限ったことじゃないんですけど、改めて考えてみますと名前って不思議です。
「その薔薇のその名前」です。


花を咲かせる植物は地球上に20万種ぐらいあるそうですから、花の名前も20万種あるっていうことになるんだと思いますけど、別名とかあったりしますからね、花の名前の数って2倍、3倍ぐらいあるのかもです。


昔からあるから何の疑問も持たずに受け止めている花の名前ですけど、特に、なんでこういう名前にしたんでしょうね、っていうことを考えちゃう花、いくつかあります。

 

 

 


「反魂草(はんごんそう)」


魂を呼び戻すっていう名前ですもんね。そう呼ばれるようになったのにはどんな理由があるんでしょう。
夏のお盆のころに黄色い花を咲かせるキク科の多年草


花の咲く時期が時期ですから、仏花としてお盆に供えられている花なんだそうですね。
先祖の魂を招くってことで、反魂?


その昔、この葉を煎じて重病の人に飲ませて回復させる効果があったっていう説があって、それで反魂?
魂が反って来た。


風に揺れる葉っぱの様子が、まるで人を招いているように見えることから、死者を呼び戻しているように見えるっていう説もあって、それで反魂?


でも人を招くように揺れるっていうことからすると、死者の国からこの世の人を呼んでいる、っていう解釈も成り立ちそうですよね。
こわあ~。


でも、あれですよ、お盆の時期に花屋さんで「反魂草」っていう名前を見たり聞いたりした記憶って、ぜ~んぜんありません。


みなさん、普通に「反魂草」って言ってます?  お供えしてます? 別名ルドベキア
知らんですう。


いったい誰が、いつ付けた名前なんでしょう。
その答えを得ることは、ないものねだり、ってもんでしょかねえ。

 

 

 


虞美人草(ぐびじんそう)」


「ひなげし」っていう花の名前は聞いたことがあります。ありますけど、実は、どういう花なのかは知りません。


「ポピー」っていう花の名前も聞いたことがあります。これまたどういう花なのか知らないですねえ。


♪車にポピー
っていうのが昔ありましたけど、香りが強い花なんでしょうかね。


今回調べてみて初めて知ったんですが、ひなげしとポピーって同じ花なんですね。


ま、亜種とかの違いで名前が違っているようなのもあるんでしょうけれど、ひなげしとポピーは同じ花。そんでもって虞美人草っていうのも同じ花。


コクリコっていう名前でも知られている。


んえ~!? なんでそんなにたくさん別名を持っているんでしょう。


日本で虞美人草っていえば、「夏目漱石(1867~1916)」が1907年にプロの作家として書いた第1作目の小説「虞美人草」が知られていますよね。


ずいぶん前に読みましたけれど、なかなかにこんがらがった男女の心情が書かれていたですよね。けっこう感動作だった記憶です。


主人公の女性は甲野藤尾っていう名前なんですけど、クレオパトラに例えられているような描写があります。


小説では中国の史実に触れていなかったと思うんですけど、タイトルに虞美人を持って来ているのは、宿命的な自死に至る女性っていう共通点を強調したかったんでしょうかね。
甲野藤尾とクレオパトラと虞美人と。


虞美人草の花の名前の由来になったのは、古代中国「司馬遷(紀元前145~紀元前87)」の著わした「史記」の中の「項羽本紀」ですね。


紀元前221年に始皇帝が初めて中国を統一した「秦」が紀元前206年に滅亡して、中国は再び乱世の様相を呈します。


紀元前202年に漢の劉邦が再統一するんですけど、司馬遷によれば、秦を滅ぼした中心勢力で、乱世の中で最有力だったのは「西楚の覇王」を名乗った項羽だったそうです。


項羽と劉邦っていうのも、さまざま、物語りが遺されていますよね。


盗賊の首領のような劉邦に対して、集団戦に優れた力を発揮したっていう項羽は、中国で覇王といえば項羽っていうほどに豪傑だったんだそうです。


その項羽が自分の強さに自信を持ち過ぎたのか、乱世の終盤、項羽の西楚と劉邦の漢との一騎打ちになってきて、項羽が優勢に戦いを進めている中で、西楚内部のもめ事を収めるために項羽劉邦と一旦、和議を結びます。


和議が成って国内に戻りかけた項羽の軍に、和議を破棄した劉邦軍が襲い掛かります。


戦争っていうのは古代からそういうもんなんですね。


劉邦に味方する知恵者もあらわれて、西楚の軍を取り囲んだ漢の軍に項羽の国の歌を歌わせます。


取り囲まれている項羽は、敵陣の中に捕虜となってしまった西楚の兵が多いことを知って、思いがけず不利になってしまった戦いの状況を嘆きます。

「四面楚歌」っていうのがこれですね。


最早これまでか、と空腹と疲労を感じた項羽のそばには、虞姫(ぐき)っていう女性と、騅(すい)っていう愛馬が片時も離れることなく付き従っていたそうです。


虞姫っていう人が虞美人なんですけど、夫人じゃなくって愛人ってされていますね。


「美人あり、名は虞」って紹介さてています。


美人っていうのは西楚の国の側室の位階名称じゃないかっていう説もあるみたいですけど、別嬪さん、っていう理解でイイんじゃないでしょうかね。美人ね。


愁風五丈原諸葛亮公明もそうですけど、中国の歴史書にも日本でいう判官贔屓みたいな心情がベースにあるような気もします。


逃れようもない状況を悟った項羽は、その嘆きを詩に託すんですね。


力は山を抜き 気は世を蓋う


時利あらずして 騅逝かず


騅の逝かざる 如何すべき


虞や虞や 若を如何せん


山を引き抜くようなチカラがあったし、世界を覆うような気力もあった。


だが今、私に時は味方せず、愛馬の騅も疲れ果てて動こうとしない。


騅が前に進まなければ、どうすることも出来はしない。


虞や虞や、そなたをどうしてあげることも出来なくなってしまった。


虞美人はこう返します。

 

 

漢兵 已に地を略し


四方は楚の歌聲


大王の意気はつき


賤妾 いずくんぞ生をやすんぜん


どうやら漢の兵士たちは西楚の地を攻略してしまったようですね。


周り四方から楚の歌が聞こえて来るではありませんか。


こうして大王が諦めきっておられるというのに。


私ごときがどうしてのうのうと生きておられましょうか。


項羽本紀」の中では虞美人の最後までは触れられていないようですが、京劇なんかでは、詩を返した直後に項羽の刀を抜くと、真っ赤な血をほとばしらせて自ら命を絶ったってされているのが虞美人です。


覇王項羽、30歳。虞美人、29歳。


夏になると虞美人の墓には、真っ赤な鮮血を思わせるひなげしの花が咲き誇って、人々はその赤い花を「虞美人草」って呼ぶようになった。
っていうのが虞美人草の謂れ。

 

 

 


ヨーロッパでは小麦畑に生える雑草として「コーンポピー」って呼ばれているそうで、虞美人草は案外、生命力が強いみたいです。


フランスでの呼ばれ方は「コクリコ」


与謝野晶子(1878~1942)」がフランス旅行をした際に、小麦畑に咲き乱れている虞美人草を目にして歌を詠んでいます。


ああ皐月
フランスの野は
火の色す
君もコクリコ
我もコクリコ


やは肌のあつき血汐にふれも見で、の人ですからね。やっぱり血を見ていたんでしょうか。


今では虞美人草って、あんまり言わないかもですね。
ポピーか、ひなげし。でしょかねえ。


虞美人草。。。花の名前ってねえ。。。

 

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【コーヒー禁止令】 嗜好品っていうのはいつ頃から人類の隣りに存在するようになったんでしょ

< それを摂取しなくたって生きていけるんだけれども それが無い生活は味気なさ過ぎる ですよね >

誰が決めたのか知りませんけれど「4大嗜好品」っていうのがあるですねえ。


それは「酒」「コーヒー」「お茶」「タバコ」の4つ。


タバコを喫む、って書いて「のむ」って読ませるフリガナを見たことがありますし、今ではだいぶ年齢層が高くなってしまった人たちからは、実際にタバコをのむっていう言い方を聞いたこともあります。


それを含めますと、呑む、飲む、飲む、喫む、で、酒、コーヒー、お茶、タバコ、4大嗜好品は全部「のみもの」なんですね。


1993年発表の傑作マンガ「船を建てる」

 

主人公の2人のアシカたちは「煙草」と「珈琲」っていう名前でした。
4大嗜好品を代表する2人だったわけですね。


嗜好品っていうのは、栄養摂取を目的としたものではなく、味、香り、食感、刺激を楽しむことを目的としたもの、って定義されているようで、食べものに限らないともされています。


ま、代表的なものとしてタバコも入っているわけですから、食べものに限らない、っていう一文を付け加えているんでしょうね。


要は、生きていくのに栄養的に必要じゃないけれども、好きな人にとっては精神的に良さそうな効果があったりする、のかも、っていうことなんでしょうかね。嗜好品。


人生の必需品じゃない、ってことなんですけど、楽しみってことを認めているんだったら、必需品に含めても良さそうな気がしますよね。諸行無常の世の中です。楽しみなくして何の人生か! ってなもんでござんしょ。

 

 

 


嗜好品っていう単語は名詞ですね。


これって日本語特有の言葉なんだそうです。
中国語には、無い、らしいですよ。


中国語にも当然「嗜好」っていう言葉はあって、っていうか、中国語から来ているんでしょうけどね、嗜好って。


でも嗜好品っていう、カテゴライズ、みたいなニュアンスの言葉はない。


へええ、って思いますよね。


嗜好は、名詞、そして行変格活用の動詞。
あれです。し、する、する、すれ、しろ、ってやつ。


連用形:嗜好し
終止形:嗜好する
仮定形:嗜好する
命令形:嗜好しろ、嗜好せよ


嗜好せよって言われましてもねえって感じです。嗜好の強制。むむむ。


中国語での活用とかは全然違うんでしょうけれども、中国にもこの嗜好っていう言葉はある。でも嗜好品っていう言葉はない。
面白いですね。


これってさあ、だいたいみんな好きだよね、っていう嗜好の共通性、みたいな感覚は、やっぱり日本人にしか通じない概念なんでしょうか。


嗜好っていう概念は中国でも一緒なんだろうって思いますけど、動詞的な使われ方だけで、グルーピングとか、個人こじん、嗜好は違うんだから、カテゴライズとかそんなのしませんっていう感覚。


本家本元から伝わってきた言葉に新たな概念を加えて独自に発展させていく。
ま、日本の特徴ではあるんですけどね。


「嗜む(たしなむ)」好みの品、ってことでの嗜好品っていう言葉は、明治の文豪「森鴎外(1862~1922)」が作った単語みたいです。


この時代の文豪たちって、新しい日本語をバシバシ作ってたりしますもんね。


夏目漱石(1867~1916)の「肩凝り」っていうのもそうらしいです。それまでは誰も凝るなんていう表現はしていなかった。さすがです、夏目漱石も。


1912年に発表された森鴎外の「藤棚」に使われたのが「嗜好品」の最初。


「薬は勿論のこと、人生に必要な嗜好品に毒になるような物はいくらもある。世間の恐怖はどうかするとその毒になることのある物を、根本から無くしてしまおうとして、必要な物までを遠ざけようとする。要求が過大になる。出来ない相談になる」


「藤棚」っていうのは、雑誌「太陽」に発表された小説だそうです。
その中で初登場した、嗜好品っていう言葉。


ドイツ語の「Genuss-Mittel(楽しみの手段)」っていう言葉を、森鴎外は「嗜好品」って訳していて、それを小説にも使った、っていうことらしいですね。


中国語とドイツ語を概念的合体させた日本語。


楽しみの手段っていうんだと、飲食物からだいぶ遠いものでもあてはまりそうですね。
嗜好品の英訳っていうことになると、「pleasure products(楽しむための物)」「luxury goods(贅沢品)」っていうことになるんだそうで、厳密に言えば翻訳不可能な言葉の1つってことになるみたいですね、嗜好品って。


生きるのに必要じゃないのに、それを求めるっていうのは贅沢でしょ、っていう理屈。
ん~。


嗜好品の中には確かに贅沢品もありますけど、嗜好品と贅沢品は交わってはいるとしても別集合でしょねえ。

 

 

 


嗜好品の代表格、タバコはこのところワルモノ扱いされてますけど、どうもね、過剰反応なんじゃないかっていう気もします。


身体に悪いし、副流煙で迷惑だからってことで、保険料にも影響するからワルモノらしいんですけど、昔は塩と一緒に国が専売していたアイテムですし、税金収入って、酒もそうですけどかなりの歳入になっているみたいなんですけどね。


江戸時代にポルトガル経由で日本に入って来たらしいタバコなんですけど、江戸時代には何度となく禁止令が出されたらしいんですよね。


何度も禁止されるっていうことはちっとも禁止令の効き目がなかった。誰もタバコを止めなかったってことなわけで、その辺の事情は今でも変わっていなくて、オフィス街の喫煙場所には男女同数ぐらいの喫煙者がワンサと集まってます。


電子タバコっていうのもあって、まるで大道芸人みたいに大量の煙(?)を一気に吐き出して見せている人もいます。


タバコはどんどん値上げしていますけど、あれって、お小遣い的に値段が高くなったら気軽に買えないでしょ、だから止めなさい、身体にも悪いんだから、っていう、やんわりの禁止令なんでしょか。


タバコ税って、いったい何に使われいるんでしょうかねえ。


船を建てるでも名前として取り上げられているもう1つの嗜好品の代表、コーヒーなんですけど、コーヒーはそんな目にあってはいませんよね。


コンビニコーヒーなんてのが登場して来てずいぶんになりますけど、レジ横でコーヒーの順番待ちしていたり、かなり人気が長続きしています。


コンビニばっかりじゃなくって、スターバックスドトールエクセルシオール。なんだか世界的に浸透していて、嗜好品っていうより必需品みたいなポジションになっているのかもしれないコーヒー。


ところがそういうコーヒーには、事件レベルの弾圧があったんですよ。


歴史の授業なんかではやらないと思いますけど、1511年に起こった「メッカ事件」っていうコーヒー弾圧です。


コーヒーが弾圧されたんですってよ。


エジプトを中心に西はシリア、東はアラビア半島の紅海沿岸に領土を広げていたスンニ派イスラム王朝マムルーク朝(1250~1517)」で起こった弾圧なんですね。
聞いたことありますよね、マムルーク朝


そもそもコーヒーが現在のものに近い形の飲料として普及し始めたのは10世紀ごろのアラビア世界だろうってされているんですよね。


飲酒の禁じられているイスラム世界では、コーヒーの特殊性っていうのが、まさに嗜好品的な人気を集めていたのかもしれません。


夜通し礼拝を行うイスラム教の信者たちに支持されていたらしいですね。


今のように焙煎して淹れるようになったのは1500年頃らしいんですが、そうなると一気に広まってメッカでは「カフェハネ」って呼ばれる、今でいう喫茶店も出来始めて、裕福な人たちばかりでなく、一般の人たちもたくさんコーヒーを楽しむようになったそうです。

 

 

こうした急激なブームっていうのは、コーヒーに限らず、16世紀だからっていうことでもなくって、反発を受けるっていうのが人間世界、なんですよねえ。


コーヒーブームを率先したのはイスラム宗派の中でも神秘派って分類される「スーフィー」っていわれている人たちだったせいもあって、正統派の人たちの中には大流行のなかでも、コーヒーは邪道な飲みものだとして眉をひそめていた人たちも少なくなかったんだそうです。


神秘派、対、正統派。


メッカの市場監察官たちはメッカの風紀を乱すものとしてカフェハネを禁止して、そのころカフワと呼ばれていたコーヒーそのものも「飲むとバランスの取れた気質に害を及ぼす」っていうことで禁止する決定をした。
そして1511年禁止令を発して実行に移したんだそうです。


カフェハネは強制的に閉鎖されて、さらに個人でコーヒーを淹れて飲む者がいないかどうか、小役人たちが匂いを嗅ぎまわったりして禁止の徹底を図った記録が遺っているんだそうです。


見つけ出されたコーヒー豆は路上で焼却処分。豆を売ったり、コーヒーを飲んでいるところを見つかった者は鞭打ちの刑。


こりゃ、お前。コーヒー飲んだな。臭いで分かるんだぞ!


どっひゃあ!


こうしたメッカの活動はマムルーク朝の首都、カイロに伝わって、スルタンの裁きを待つことになります。


結果、イスラム教の妨げになるような行動を抑制することは止めないけれども、コーヒーはオッケーですよ。
ってことになったのが1512年。


なんでかっていうと、その時のスルタンがコーヒー好きだったからあ~。


コーヒー弾圧に積極的だったメッカのエライ人たちは一斉に職を解かれたらしいです。
このメッカ事件の5年後にマムルーク朝オスマン帝国に滅ぼされてしまうんですが、その原因にコーヒーが絡んでいるのかどうかは誰にも何とも言えないでしょねえ。

 

 

 


21世紀の日本では、コンビニコーヒーのSサイズカップを買って、Lサイズボタンを押下。そんなことを何回も繰り返して逮捕。


とか、レギュラー料金でラテを注いで逮捕とか。


かなりコスイ事件が起きているみたいですけど、なんだかね、日本人っぽくないような、ね。。。


弾圧とは何の関連もないですけど。。。

 

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【アインシュタインと】 ミツバチと 人力車と アッカンベエと

< その名前と顔は誰もが知っているのに どんな人かはちっとも知らない そんな人? >

野球のことなんてルールすら知りません、っていう人でも日本人であれば「大谷翔平選手」の名前と顔は知っているんじゃないでしょうか。デコピンもね。
ロッサンジェルス「ダ」ジャース! での活躍が大いに期待されますですね。


大谷翔平選手は、ピッチングやバッティングばかりじゃなくって、その身の丈も文字通り頭抜けているスーパースターですが、スポーツ以外のどのジャンルでも、キャパシティ的に頭抜けている人って、いるですよねえ。


もちろんそんなにゴロゴロ、どこにでもいつでもいるってわけでもないでしょうけれど、歴史上のスーパースターっていう存在は、けっこうたくさんいます。


ま、現生人類に限ってみても20万年ぐらいは経過しているらしいですから、そりゃまあ、そこそこの数、おられたんでございましょうね。名もないスーパースターも含めて。


21世紀の四半世紀が過ぎ去ろうとしている今、スポーツ以外のスーパースターって、誰でしょ? いる?

 

 

 


いろんな面で凋落のスピードに加速がかかっている感じのする日本ですが、どうもね、世界的な資本主義の行き詰まりっていうこともけっこう前から言われ出していて、日本だけじゃなくって、地球人類の暮らし方っていうこと自体、変革期に入っているのかもなあ、とかね、柄にもなく地球規模の心配事をしてみたりなんかしているわけであります。


1968年生まれのイギリス人科学ジャーナリストクリストファー・ロイドは「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」の最終章の中でこんなことを言っています。

 

※ ※ ※ ※ ※


世界はどこへ向かうのか?


「いつまた会おうか、3人で。雷鳴とどろき、稲妻ひかり、雨ふるときか?」


運命を占う3人の魔女は、煮え立つ大鍋の周りを回りながら呪文をつぶやき、未来を占う。


吹きさらしの荒涼とした原野を舞台として、シェイクスピアの「マクベス」は幕を開ける。


わたしたちの旅を終えるにあたり、マクベスの魔女たちに、3人の思想家の亡霊を過去から呼び戻してもらうことにしよう。


※ ※ ※ ※ ※


3人の亡霊。なんだか穏やかじゃなさそうですけど、魔女に呼び戻させようとしている3人もまた、かつて、頭抜けた輝きを見せていた思想家、スーパースターであると、クリストファー・ロイドは判断しているんですね。
特に異論反論はありません。


その3人とは、


イギリスの経済学者「トマス・ロバート・マルサス(1766~1834)」


イギリスの自然科学者「チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809~1882)」


ドイツの哲学者「カール・マルクス(1818~1883)」


マルサスっていう名前を知りませんでしたが、みなさんはどうでしょうか。


1798年に「人口論」を発表した人なんですね。人口論っていう本は、なんとなく聞いたことがあるような気がします。


「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」


18世紀の段階でこのままだと人口が増え過ぎる、っていうことを警戒していた理論なんですが、20世紀に入って人口は爆発的に増えて、21世紀の今は80億人目前ですもんね。

 

事実、食糧不足は次第に大きなニュースになって来ています。


3Dプリンターで「なんちゃってステーキ」は作れるようになっていますけれど、食糧問題の解決策っていうようなものにはならないでしょねえ。なんちゃってステーキの材料がないっていうのが現実ですからねえ。


食品廃棄を減らしましょうっていう国と、一日に一食も摂ることができない国と。


確かにね、社会制度の変革っていうのは実現されてきているんでしょうけれど、貧困っていう、ちっとも解決されない格差問題はどんどん大きく広がっている感じです。


じゃあ、どうすればいいのか。


マルサスが警鐘を鳴らしていた世界の破綻は、既に始まっているのかもですから、誰か、ホントに頭抜けた政治的リーダーが出て来ないと、人類、ヤバイのかもです。


ダーウィンは有名ですよね。
種の起原」は1859年に発表されました。


「ある動物が他の動物よりも高等だと言うのは不合理だ」っていう言葉は、人間中心の考え方にけっこうシビアな反論を唱えているわけですが、現生人類が特殊な生物であることは事実だとして、その特殊性があるからこそ地球上で生きながらえること自体をあきらめざるを得ない方向に向かってはいないだろうかっていう心配を、魔女の口を借りてクリストファー・ロイドは言いたいんでしょうね。


ダーウィニズムっていう言葉は「適者生存」的な意味合いで使われることが多いですけど、地球上の生物種としてだけじゃなくって、マルサスの言っている貧困問題にしても、同じ人間同士での適者生存をごり押ししているように思えちゃう政治家もいますもんね。


人間中心主義ねえ。


われわれも安穏としていられない状況に、気付いていないだけなのかもです。
人類だって、やっぱりいつか滅びるんでしょうからねえ。


マルクスっていう名前もまた有名ですね。


経済業界のアカデミックな世界ではデフォルトになっているぐらいの名前なのかもしれません。
だいたいどこの大学でも、経済学部、経営学部って、ありますしね。


マルクスの「資本論」が発表されたのは1867年。19世紀半ばのことです。


「有史以来の人間社会は階級対立を通じて発展する。資本主義の下にあって階級対立は、生産手段を管理する支配階級のブルジョワジーと、賃金と引き換えに労働力を売る労働者階級のプロレタリアの間に現れる。以前のどの階級社会とも同様に、資本主義が内部崩壊を引き起こし、新しいシステムである社会主義へと変革される」


なんだそうでございまして、理想的とも考えられた科学社会主義マルクス主義を標榜した社会主義国は、実際にいくつか登場して、20世紀中には一旦、失敗したかにも見えたんですが、資本主義を取り入れてウマクやって来ている国もありますよね。

今のところね。


それとは別に、資本主義主要国、G7とかいう枠組みにあんまり意味がなくなって、行き詰まり、息詰まりっていう感じが出てきていますもんね。21世紀の中盤辺りからは「新しいシステム」っていうのが、マルクス主義の新解釈みたいなもの、っていう形で出てくるのかもです。


3人が3人とも将来的に明るくなるようなことは言っていませんですね。

 

 

 


クリストファー・ロイドが呼び戻そうっていう企みが、そもそもマクベスの3人の魔女によってですからね、明るい方向に考えるのは難しい感じでしょかねえ。


頭抜けて頭のイイ人っていうのは、有史以来たくさんいらっしゃるでしょうけれど、21世紀初頭の段階として、誰でも知っていてわりと人気が高い人っていえば「アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)」じゃないでしょうか。
アインシュタインは外せませんよね。


ドイツ生まれのユダヤ理論物理学者で、日本びいきだったことも知られています。


頭抜けた天才だったことは世の中に異論にないところでしょう。


1905年っていいますからアインシュタインが26歳の時、重要な論文を立て続けに発表しています。


光っていうのは波であるだけじゃなくって、粒子の流れでもある。
光の粒1個1個を 光子(光量子) って呼ぶですよ、っていう「光量子仮説」


1827年スコットランドの植物学者「ロバート・ブラウン(1773年~1858)」が発見した、液体、気体中の微粒子が不規則な動きをするっていう「ブラウン運動」について、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こされているからって、その運動の謎を解き明かした「ブラウン運動の理論」を発表したのもこの1905年。

のちに実証されていますね。


そして「特殊相対性理論」の発表も1905年なんですね。


1907年「E=mc^2」


1916年「一般相対性理論


ニュートン力学は人間の直感に馴染みやすいものだと思うんですけど、それだといろいろ不都合な問題がある、っていうんで相対性理論の登場なんですけどね、量子論もそうですけど、もう肌感覚で一般人が理解できるレベルじゃないです。


もちろん専門家にはデフォルトになっているような人間の知恵なんでしょうけれどね。
カーナビにも使われている相対性理論です。


アインシュタインが日本ばかりじゃなくって世界中でよく知られているだろう理由は、なんといっても、例の「あっかんべえ写真」でしょねえ。

 

 

 

1951年、72歳の誕生日の時の写真なんだそうですね。


普段はシカメッツラで、めったに笑うことのなかったアインシュタインが通信社の車の乗って移動中、カメラマンに「笑ってください」ってリクエストされたのに応えたのが、あっかんべえだったそうです。


ふざけ過ぎだ。博士に相応しくない対応だ。


新聞に発表されると、さまざまな批判にさらされたそうですが、アインシュタイン自身は写真の出来が大いに気に入ったそうで、通信社に焼き増ししてもらって友人たちに配ったっていうエピソードも知られています。


なんと切手にもなっているこの写真は、1951年度、ニューヨーク新聞写真家賞グランプリを受賞しているんだそうです。


世界中に拡散して、相対性理論の正体は理解できないにしても、誰でもこの「あっかんべえ写真」は見知っているでしょうね。


あっかんべえ写真の30年ほど前、中年のアインシュタインは日本を訪れています。
1922年11月17日から12月29日までの43日間。


日本人の応接ぶりが気に入ったらしくって、大の日本びいきとして有名になりましたけれど、講演の合間の観光中に、人力車に乗ることを勧められて、断固として拒否したっていう逸話が遺されています。


その名の通り、人力で大きな車を引っ張って人を運ぶわけですから、アインシュタインからしてみれば文明国であるはずの日本で、なんと非人道的なことか、これは馬の代わり、奴隷労働じゃないのか、っていう意思表示だったんでしょうね。


1922年は、大正11年です。


その頃の道路事情とか車輪の性能とか、今とはずいぶん違うんでしょうけれど、21世紀の浅草には女性の車夫さんもいて、インバウンド景気に一役買っているらしいですね。


車夫のユニフォーム。今だと海外の人にとってもイナセな感じに捉えられるような気もしますが、大正時代の日本は、まだ着物姿の人も多かったでしょうしねえ、ユニフォーム、っていうふうには思えなくって、アインシュタインは差別っていうふうに感じたのかもです。


物理、科学のことばっかりじゃなくって、生活意識全般に対してしっかりアンテナを張っていたってことでしょうね。専門莫迦じゃなかったアインシュタインさん。


そして、いつどこでのインタビューに答えたものなのかハッキリしない、って言いますか、ホントにアインシュタインがそう言ったのかって疑問を呈されている言葉ではあるんですが、


「もし地球上からミツハチが消えたなら、人類は4年しか生きることができないだろう」


っていうのがあります。
物理についてのインタビューっていう短い時間の中でアインシュタインが自発的にミツバチの話を始めるとも思えませんし、どういう話の流れでこの言葉が出てきたんでしょうね。


今ではミツバチが突然いなくなったニュースがあったりしますけれど、かなり前からミツバチの減少が心配されていて、もしいなくなったら大変だよ、っていうことが話題になっていたのか、あるいは、人類の未来はどうなるでしょう、人類は永遠に生きながらえるんでしょうか、とかいった方面の質問に対する答えだったんでしょうか。


地球上のあらゆる生命に対する化学薬品の弊害を訴えたレイチェル・カーソン(1907~1964)の「沈黙の春(Silent Spring)」は1962年ですから、アインシュタインはもういませんですね。


でもまあ、地球の自然、生命の在り方を書いた「海辺(The Edge of the Sea)」は1951年ですから、この本は話題に上がる可能性はありそうです。
沈黙の春の前作にあたるレイチェル・カーソンのベストセラー。


アインシュタインが読んでいた可能性は高いと思います。

 

 

 


もう1つ、アインシュタインのマルチっぷりを示す、日本人に関連した逸話があります。


1930年11月26日午前4時に発生した北伊豆地震。270人もの犠牲者を出したこの地震発生を予知して、前日に

「アスアサ、ヨジ、イヅニテ、ジシンアリ」

っていう電報を石野又吉京都帝国大学理学部長宛てに打ったことで知られている一般の地震研究家「椋平広吉(むくひらひろきち)(1903~1992)」


市井の研究家が石野博士に予知電報を打ったのはなぜかっていうとですね、石野博士が前年の1929年に避暑で訪れていた天橋立で偶然出会っていて、天橋立のある宮津湾にかかる「虹」から地震が予知できるようになったって主張する椋平に、


「もし地震が予知出来たら京大に電報を打ちたまえよ。はっはっは」


って言った経緯があるそうなんですね。
石野博士じゃなくたって、そんなバカなって思いますでしょうからねえ。はっはっは、です。


その後もいくつも的中させている地震予知。世界が驚きますよね。


1930年12月10日、椋平広吉宛てに手紙が届きます。


「親愛なる日本の科学者ムクヒラ君。
貴君が今回、日本に起こった大地震を前日に予知し、京都大学理学部部長石野教授に報ぜし偉大なるニュースを知り、遙かに敬意を表します。


地震が起こる前に知ることは世界的な学問であり、人類のためにきわめて重大な問題であります。貴君によって、この学説が世界に発表されたことは誠に喜ばしいことです。


一層の研究を続けられんことを御祈りし、重ねて健康を望んでいます。


アルベルト・アインシュタイン


情報取得のアンテナもそうですが、アクションの速さにも驚かされます。


アインシュタインより24歳年下の椋平広吉ですが、宮津湾の「虹」っていうのは彼にしか見えないもの、なんだそうで、学術的な研究を進めるチカラにはならなかったみたいです。


椋平広吉の地震予知イカサマとみるのか、特殊能力とするのか。


天才っていうのもある意味、特殊能力だと考えると、天才同士で何かひらめくものがあったのかもしれないなあ、とか思っちゃいますけどねえ。


それにしてもアインシュタインさん、八面六臂の活躍だった人なんですね。
4月18日が命日だそうです。


今、一般人にもハッキリ認識できるようなスーパースター。大谷翔平選手の他は?

 

 

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笛吹市の新名物【ラーほー】「ラーメン」のように気軽に食べられる「ほうとう」なんですってよ

< 「特選やまなしの食47食」の中に「ラーほー」は入っていませんですよ まだね >

え~、毎度のお運び、誠にありがたく存じます。
大いに御礼申し上げますとともに、最後までのお付き合いをよろしくお願い申しあげておきますが。


今回はなんでしてね、山梨県笛吹市のオハナシから始めさせていた来ます。
聞いたこと、行ったことのある人ってのもけっこういらっしゃるかと。


県の真ん中あたりに位置しておりますね、山梨県笛吹市ってえトコは、たいへん結構なトコなんだそうでございましてね、昔っからそういうことになっております。いやホントに。


昔ばなしってことになりますれば、はい、みなさんご存じ、国民的テーマソングから始まります。


♪坊や~いい子だ 寝んねしな


♪今もむかしも かわりなく~


♪は~はの恵みの子守歌


♪遠いむかしの も~の~がたり~い~い~

 

 

 


昔むかし、鎌倉時代ごろのお話じゃあ。


今の山梨県の北の外れ近くに芹沢の里というところがあってなあ、そこは埼玉県、群馬県、長野県との県境辺りで、たいそうな山の奥だったそうな。


そこに権三郎という男の子と母親が倹しく暮らしておったんじゃ。


権三郎はたいへんな笛の名手でな、母親が山の中の暮らしにめげることなく過ごせていたのは、その息子の奏でる笛の音に癒されていたからじゃったろうなあ。
里の者らもみ~んな、権三郎の笛の音に聞きほれておったもんじゃった。


なんでも母子は鎌倉幕府から追われて身を隠している権三郎の父を探して芹沢の里に住み着くようになったそうな。


静かに暮らしのある年の秋に、雨が長く続いて里を流れる子酉川(ねとりがわ)が氾濫してしもうた。


川の近くに小屋掛けしておった母子は、あれよあれよというまに濁流に流されてしもうてな、権三郎はそれでも男の子じゃ。なんとか岸辺に這い上がったんじゃが、母親の方は行方知れずになってしもうたんじゃ。


濁流に流されても肌身離さずに持っておった篠笛で母の好きだった調べを奏でながら、権三郎は子酉川に沿って来る日も来る日も母を探し歩いておったそうな。


里の人々はみな、権三郎の笛の音を聞きながら気の毒なことじゃと涙を浮かべておったもんじゃったが、その権三郎の母を探す笛の音も数日のうちに聞こえなくなったしもうた。


可哀想に、まだ子どもの権三郎は子酉川をだいぶ下った、今の春日居町の辺りで水死体となって見つかったんじゃ。


里の人たちは悲しまぬ者とてなく、野ざらしになっていた権三郎をきちんと葬ってやったそうな。


里人たちだけの葬儀を済ませたその夜から、どこからともなく権三郎の奏でる笛の音が子酉川の川音とともに聞こえてくる。
それが夜な夜な続いて里人たちを怖がらせておったそうな。


相談を受けた春日居町の長慶寺のお坊さんが、権三郎たち母子の話を聞いて、丁寧にお経をあげて葬ってあげたそうな。


その夜から権三郎の笛の音は聞こえなくなったそうじゃ。


この話を聞いた子酉川沿いに暮らす人たちは、しだいに子酉川を笛吹川と呼びならわすようになって、今は市の名前になっておるというわけなんじゃ。


今でも権三郎は笛吹不動尊として奉られておるんじゃよ。


どんとはれ!

って、これは違う地方の昔語りの終わりの合図でしたね。

 

 

 


2004年、石和町御坂町一宮町八代町境川村春日居町の6町村合併に際して市の名前を公募した結果「笛吹市(ふえふきし)」に決まったそうなんですよね。


いつの頃からか笛吹川の名前がすっかり定着していて、川の周辺の町が合弁するにあたって、笛吹の名前は地元の人たちのアイデンティティになっていたっていうことが言えるのかもです。


ところで「笛吹」っていう表記をする名字ってありますけど、「ふえふき」さんじゃなくって「うすい」さんですよね。笛吹っていう字をうすいって発音するのって、馴染みませんです。なんか謂れがありそうですよね。


いくつか説があるみたいです。


古代の横笛にあたる楽器が「竽吹(うすい)」っていう名前で、楽器として横笛が登場してきて表記も笛吹に代わったんだけれども、読みとしての「うすい」が残っていて、笛吹って書いて「うすい」って読むようになった、っていう説。


もう1つ。
群馬県軽井沢の「碓氷峠(うすいとうげ)」


碓氷峠は強い風が吹くことで知られていて、その風の吹く音がまるで笛の音のように聞こえるっていうことから「笛吹の碓氷峠」って呼びならわされているんだそうで、このことから「笛吹(ふえふき)」を「碓井(うすい)」って呼ぶようになった、っていう説。


ふううん、ってなもんですけど、なんにしても、何かしらの謂れがなければ「笛吹」は「うすい」って読めませんよね。


で、山梨県の市の名前は「笛吹市(ふえふきし)」であります。権三郎くんがいますからね。


甲府盆地にあるんですけど、桃とぶどうの収穫量が日本一の自治体なんでありますよ。笛吹市ね。


「桃・ぶどう日本一の郷」「日本一桃源郷」を宣言しています。


2018年には「笛吹市地域おこし協力隊」が開発した純国産の「ふえふきマスタード」っていうのを発表していますねえ。


なんか名物が欲しいよねっていう、なかなかに地元愛の強い笛吹市なんであります。


たまに地方に行きますと、たいていどこの街でも地元の人が、ここには何もないからねえ、ってなことをおっしゃるんですけど、地元の人にとっては当たり前に存在しているものがけっこう珍しかったり貴重だったりするっていうこともよくある話で、そうであるからこそ旅の面白さっていうのもあるってことでしょうけどねえ。


この2018年には笛吹市の新しいご当地グルメとして「ラーほー」なるものも登場しているんですよ。


ラーほー??? なんやねん、ってことなんですけど、
「ラーメン」のように気軽に食べられる「ほうとう」がコンセプトだそう。


「ラーほー」ねえって思っちゃいますけど、なるほど山梨県の郷土料理として「ほうとう」は知られています。


農林水産省の「うちの郷土料理」でも山梨県の郷土料理としてほうとうがピックアップされています。

 

by 農林水産省

小麦粉を練って平たく切った「ほうとう麺」を、たっぷりの具材と一緒にみそ仕立てで煮込んだ料理ですよね。


稲作に適さなかった山梨県の地の名物として昔から県内全域で食べられてきたものだそうです。


中国が発祥らしい「ほうとう」なんですけど、枕草子の中にも「はうたうまいらせむ」って登場しているんだそうですね。「はうたう」っていうのが「ほうとう」で、ほうとうを差し上げましょう、ってことですね。


平安時代には都でも食べられていた「ほうとう」みたいなんですけど、21世紀の現代では、どこにでもあるって感じじゃなくって、やっぱり山梨県一帯って感じでしょうかね。


ツーリングで石和温泉近辺へ出かけたときに、本家、地元の「かぼちゃのほうとう」を食べたことがあります。


他の土地でも食べたことはあったんですが、さすが本場。石和のほうとうはめっちゃ旨かったです。
アタマのてっぺんから足指の先までホッカホカに温まります。


麺料理っていう感じより、ホントに具だくさんで、麺も入ってるよ、ってな感じの食べもの、でしょかねえ。
熱々が旨いですよねえ。


ほうとう」っていう名前は、宝刀から来ているっていう説があります。


それは武田信玄が陣中で宝刀を使って麺を切ったからあ~!


まあね、いろんなものにいろんな説があるんでありますよね。

 

 

 


山梨産のかぼちゃが入っていなければ正式なほうとうじゃないでしょ。とかこだわる人もいないではないんでしょうけれど、もっとほうとうをみんなに食べて欲しい、っていうことで考え出された、って言いますか「発明」されたのが「ラーほー」っていうことなわけです。


笛吹市の市長さんの「名物を作りたい」っていう発案から出来たっていうことですんで、笛吹市の新名物。


ほうとう麺とラーメンスープを使うこと、っていう決まりごとがあるようなナイような感じみたいで、提供しているお店ごとのバリエーションがあるんだそうですよ。「ラーほー」


今回初めて知った「ラーほー」なんですけど、意外って言っては失礼なのかもですけど、なかなか評判らしいです。


なにせセブンの商品にもなって、山梨県内で売られているみたいですからね。


売れ行きが良ければ全国進出してくるかもです。

 

 

 

「笛吹新名物ラーほー  肉煮干し醤油」
560円(税込604.80円)


でもって2023年に、なんと登場5周年を記念して「ラーほーの日」っていうのが制定されちゃってますよ。


栄えある「ラーほーの日」は毎年11月21日。


なんで11月21日。ちょっとね、語呂合わせでもなさそう。


最初に「ラーほー」を思いついた日が11月21日だから? それとも初めて食べてみた日がそうだから?


両方とも違うんですよねえ。


なぜ11月21日が「ラーほーの日」なのか、その理由がまた、らあほお! です。


山梨県ですからね、昔から「ほうとうの日」っていうのがあって、それは4月10日。


でもって、全国区で「ラーメンの日」っていうのもあって、それは7月11日。


なので「ラーほー」なんだから、両方の日付を足しちゃった。それが11月21日。
そゆことです。はい。合ってますでしょ、計算ね。


今度、中央線に乗って山梨県に行って「ラーほー」食べてこようと思います。


「ふえふき観光ナビ」の「ラーほー」っていうページで提供店を紹介しています。

 

やっぱり寒い時期にチャレンジするのがイイでしょねえ。
まず「ラーほー」いってみて、「かぼちゃのほうとう」もいきたいですう。


ところで笛吹市、「ラーほー」でオーバーツーリズムを狙ってる? ん?


おあとがよろしいようで。

 

【虫やしない】 初めて聞いてもなんとなく分かるような気がする日本語の言い回し

< いつから使われ始めた言葉なのか分かりませんが 昭和生まれの人であれば通じるでしょねえ 虫養い >

旦那が定年退職してから夫婦で始めたっていう小さな小料理屋さんがありまして、時々寄せてもらっています。


黒いエプロン姿の女将さんがしっかりと仕切っているお店ですね。


「なにごとも普通がイイんですよ。酒もサカナも、うちは特別なことはしません。60の手習いってやつで始めたお店ですから、欲張っちゃいけませんでしょ」


夫婦とも丸っこい体形の、ほんわかムード。カウンターのみのこの店の面白いところは、大将も女将さんも、2人とも料理をするところ。小料理って言っても肉じゃが、筑前煮とか、そういうのばっかりじゃなくって、肉でも魚でもなんでもござれのメニュー。お通しはナシのシステムです。


で、とくにどっちが何を作るっていう決まりもないんだそうで、注文を受けた時点で手の空いている方が作り始める。両方とも手が空いていなかったら、先に仕上げた方が次を作る。酒を注ぐのも同じやり方。


なもんで、この店はアテが出てくるのが早いんです。フライヤーの他にコンロの口が4つあって、オーブンとレンジと。厨房の大きさの方が客席より広い感じでたっぷりのスペースです。


「うちはほら、2人ともね、まあるく出来てるでしょ、身体が。広くないとつっかえちゃうんですよ」


大将はいつもニコニコしてますけど、積極的にしゃべるタイプじゃないんですよね。だいたい女将さんが店内の音声担当です。BGMもテレビもなし。調理をしている音と、女将さんの話し声でほんわかムードを醸し出して呑ませてくれる店なんです。


「はあい、カキフライのご注文いただきましたんでタルタルソース作りまあす。タルタルのメニュー、他にご注文ございませんですかあ。タルタルは一度にたくさん作った方がおいしく出来ますからね。出来立てのタルタルはタマゴの香りもしておいしいですよお。チキン南蛮とか白身フライとか、ご注文ございませんかあ。絶賛受付中ですよお」


カウンターに座る顔ぶれを見回しながらの注文催促は女将さんのお仕事です。

 

 

 


で、先日、その女将さんが調理の手を休めることなく、カウンターに陣取る酒呑みたち全員に向けて長広舌をふるったんでありますね。全員って言っても全席埋まって8人の顔ぶれ。


「おかげさまでね、あたしも無事に古希を迎えることが出来ましてね、うちのは5年前に古希になったんですけど、歩けるうちにっていうんでね、今度、十日ばかり旅行しようってことにしたんですよ。古希祝いってしゃれこみましてね。欲張ってあちこち歩き回るんじゃなくって、じっとね、ひとっところに落ち着いてのんびりしようって。山形の月山へ行くんですよ」


そりゃまたシブイとこ行きますね。


山形県には縁もゆかりもないんですけど、うちのがね、森敦(もりあつし)って作家のファンで、昔から月山に行ってみたかったって言うんでね。月山って小説、あたしは読んだことありませんし読む予定もないですけど、あれなんですって、60過ぎで芥川賞獲ったみたいなんですね。森敦は小島信夫とお付き合いがあって仲が良かったらしいんですけど、小島信夫はわりと好きで何冊か読んでいるんですよ、そうするとまんざら縁が無いわけでもなさそうじゃないですか。それでまた森敦の奥さんが山形の人なんですってね。東北は仙台に行ったことがありますけど、山形はどこも知りません。月山にはね、温泉もあるらしいんで、湯治っていうんじゃないですけどあんまり広く動かないでじっくりお湯に浸かったりなんかしてね、10日ばかりね、ゆっくりしてこようって思うんです。まだ日程、決まってないんですけどね。でもお店は開けてますよ10日間ずっと」


どゆことなんでしょ!?


「なんていいますかね、休みの間この厨房、何も動かさずに放っておくのが心配なんですよ、衛生的に。そりゃ帰って来たら大掃除してちゃんと消毒して始めれば問題ないんですけど、包丁だってね、使わない時間が長くなるとね、なんだか人の手に馴染まなくなっちゃう気がするんですよ、10日の間にね。なんとかならないかっていろいろ考えましてね、あたしの妹にやってもらうことにしたんです。妹はね、旦那をなくして今こっちにいますけど、京都でお店を手伝っていたことがあるんですよ。あたしと同じで料理好きでしてね。メニューにこだわらなくってイイから、とにかくナベカマ包丁を使って洗って、店の空気を動かしてちょうだいって頼んだんです。ですんで、ちょっと出し物が違っちゃうかもしれないんですけど、よろしく願いいたしますね。あたしの妹ですからね、もうおばあちゃんですけど、顔を覗きに来てやってください。あたしが言うのもなんですけど腕は悪くないと思うんですよ、まあ、そこそこにね」

 

いつも通り、一気におしゃべりになりますでうねえ。


で、いつ出発するのかとか、そういう話を聞かないまま終わって、何日かして行ってみますと、今時珍しい白いかっぽう着の女将さんの妹さんがニコニコと迎えてくれましたです。
体型も顔もそんなに似てはいらっしゃいませんね。ほそおもての妹さんです。


「ひとりでやっておりますんでね、お待たせしてしまいますけど、よろしく願いいたします」


やっぱり、姉妹ってことで、しゃべりかたはそっくりですね。


寒い日でしたんで肉じゃがを温めてもらおうかなって思ったら、肉じゃがの大皿が見当たりません。夏でも置いていた定番の肉じゃが、やらないんでしょか。

 

 

 

「ゆうべ、全部出ちゃったんです。気に入ってもらえて良かったんですけど、きょう、材料を買い揃えるのに時間取られちゃいましてね、もうすぐ煮あがりますんでもうちょっとお待ちくださいね、すいません」


あ、そなんですね。何の問題もないです。


と、おからの煮物が小鉢で出てきました。
あれ? お通しシステム?


「肉じゃがが仕上がるまで、これ。お通しっていうんじゃないんですけど、虫養いにどうぞ。お代には勘定いたしませんので」


おからとさつまあげ、白豆、にんじんとたけのこの細切りが、白地に青模様の小鉢の中でほこほこと湯気をあげています。

 

 

 


小鉢の中身もさることながら「むしやしない」っていう言葉にドカーンとやられましたね。


京都では普通に使う言葉らしいです。虫養い。


あなたのお腹を満たすほどのものではありませんが、グーグーと鳴って空腹を訴えているお腹の虫を黙らせるぐらいのものにはなりますよ。ぐらいの感じの軽い食べものっていうニュアンスなんでしょうけれど、虫用の食べものっていう呼びかたじゃなくって、虫を養うっていう言い方が、なんとも日本的なやさしさを感じさせるように思います。


虫は虫として、その虫の「飼い主」に対するサービス精神でしょねえ。


何に気を遣った言い回しなのか。単純な物言いじゃないところが日本的。


自分の腹の中には虫なんかイネーよ! っとか怒っちゃう向きには通じないニュアンスでしょかねえ。


腹の虫は空腹と何の関連もない時にも鳴いたりして不思議なやつですが、虫の知らせなんていうのもあります。


虫は誰の腹にもいるんですねよ、昔から。日本人にはね。


その虫が機嫌悪くならないように、あなた自身の満足の前に、あなたの腹の中の虫にご挨拶。腹の虫を活かしてあげましょ。虫を養いましょ。
っていうようなニュアンスと、私の作ったこの食べものはあなたの満足には適さないかもしれませんけれども、お腹の虫を養う程度にはなるでしょう、っていうような意味合いがバックヤードにありそうにも感じます。

 

 

 


ちょろっとネットで虫養いを調べてみますと京都の方言、っていう説明が多く見られましたが、東京浅草生まれの作家、池波正太郎のエッセイ集「ル・パスタン」に「虫やしない」っていう一編があります。

 

「少年のころは、遊び惚けて空腹となり、夕飯が待ちきれなくなってしまう。そんなとき、曾祖母や祖母が、
「ほら、虫養いだよ」
こういって、こしらえてくれたのは、にぎりめしにたっぷりと味噌をまぶしたものだった。
虫やしないとは、空腹の虫を一時的にしのぐということで、食欲のみか他の欲望にも用いられるが、むかしの人は何と気のきいた言葉を考え出したものだろう」


この言い方からすると、江戸時代、お城に奉公に出ていたこともあるっていう曾祖母も祖母も下町の人だったみたいですから、京都に限った方言っていうことでもなさそうですね。


晩年になって食も細って来て、今の食事は虫養いみたいなものになってしまったと、池波正太郎は結んでいます。
酒豪としても知られた作家さんでしたが、養われていた虫は食も酒も、ずいぶんと堪能してシアワセな虫だったでしょうね。

 

虫やしない。後世に伝えていきたい日本語ですねえ。

 

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