< なんや知らん ぼんやりした味の芋ちゃうか? んにゃ 芋を棒みたいにしたもんやろ >
何言うてまんのん。「えびいもと棒だらの炊いたん」のことでっせ。
ほんま、いけずやわあ。
京都出身のオネエサマはお怒りでございますね。
伝統的な京料理の代表的な一品。らしいんですが、知ってました? いもぼう。
正直言いまして、知りませんよ。聞いたことないですし、お店のメニューで見たこともないです。
京料理っていうんですから、京都近辺の人にはお馴染みのものなんでしょうか。
その後、関西人1人、関東人7人に聞いてみましたけれど、誰も知りませんでした。
関西人は大阪の人です。知らんなあって言ってました。
こういう料理って、案外たくさんあるんじゃないでしょうかねえ。
知らんなあっていう食べもの。
地元では当たり前。ザ・スタンダード。
でも、一歩外へ出てみると、他の地域の人はだ~れも知らない。
ええ~っ!? いもぼうって全国区じゃないの~ッ! ってヤツですね。どこの地域にもけっこうありそうです。
わが家の常識、世の中の非常識。っていうのとは全然違いますけれど、生活環境の中で、食べものってけっこうローカル、ドメスティックってこと、ありますよね。
その土地独特ってことは、食材そのものがその土地独特ってことだから、なんだと思われますね。
で、いもぼうですが、「えびいも」と「棒だら」が主な食材ってことなんですね。
まずは「えびいも」ですが、名前を聞いたことがあるような、無いような、そんな感じなんですが、京野菜みたいです。
里芋の一種で、曲がっていて、横縞模様があるのが特徴で、えびに似ているからっていうネーミング。
写真で見てみますと、その通りの見た目ですが、えび、ですかあ? ってところですね。
そういえばって感じで何かの写真で見た記憶がありますが、普通に八百屋さんの店先で見かけたことはないです。っていってもですね、八百屋さんで買い物とかしませんので、ちゃんと店の中に入って行けば、あるのかも知れません。
京野菜って言いながら、京都原産なのかといいますと、そうじゃないみたいですよ。
唐芋(とうのいも)っていうのが長崎に伝わっていて、それを京都に持ってきたっていうことみたい。
唐の芋っていうぐらいですから、唐の時代、7世から10世紀の間に当時の中国からもたらされたんでしょう。遣唐使でしょうかね。
で、1772年から1781年の間に、京都市東山区の青蓮院宮(しょうれいいんのみや)が長崎から持ち帰って、平野権太夫っていうお付きの人に栽培させたものらしいです。
青蓮院宮って?
青蓮院っていうのは、天台宗のお寺で、最澄さんが開山した有名なお寺さん。
唐芋を長崎から持ち帰って来たのは、年号から推測してみますと、「尊真法親王(そうしんほうしんのう)」が1744年から1824年まで第35代門主を務めていたみたいですから、この人なんだろうと思われます。
伏見宮貞建親王(ふしみのみや さだたけしんのう)の第四皇子ってことですから、皇族であらせられますね。
江戸時代の後期に差し掛かった時期、まだまだ平和で安定していた頃だと思われますが、青蓮院宮さんが長崎へ行ったのは何が目的だったんでしょうか。
第210代、212代、215代、217代の天台座主を4代も務めた人ですからね、かなりの尊敬を集めた人格者だったんでしょうね。
その青蓮院宮さんが気に入った唐芋。長崎で食べた料理は何だったんでしょう。
わざわざ京都へ持って帰ろうってんですから、よっぽどのお気に入り。
長崎の唐芋料理???
しかしですね、京都でこれを栽培しなさいって言われちゃった平野権太夫っていうお付きの人。大変でしたよねえ。
でですね、こういうところが京都って凄いんだよなあっていうエピソード。
平野権太夫さんが初代の「いもぼう平野家 本家」京都祇園の丸山公園でバシッと営業中です。凄いなあ。
ホームページには、
「祇園円山の地で栽培したところ、京の地味にかなって立派に育ち海老に似た独特の形と縞模様を持った「海老芋」(えびいも)となりました」
ってサラッと書いてありますが、そうなのかなあ~って思いますね。簡単に育ったのかなあ。
けっこういろいろあったんじゃないのかなあ。
失敗するわけにいかないシチュエーションでしょ? 種芋だって無尽蔵にあるわけじゃないでしょうし、そもそも唐芋から海老芋になったってこと自体が、初代の工夫がそこにあるってことですもんね。
海老芋の曲がり具合とか縞模様っていうのは何回も土寄せするからなんだそうです。
その工夫って、なんなんでしょ。最初からそうやった、ってことはなさそうに思えますけれど。
ま、とにかく、初代平野権太夫さん、エライッ!
で、海老芋は京野菜になりました、地野菜です。として、棒だらは?
そもそも棒だらって、どんなたら?
はい、マダラの干物です。
それってだいぶ北の方の保存食ですよね。なんで京都に?
って、このあたりもさすが京都ってことなんですが、棒だらって、名前のニュアンス的には完全にわき役みたいな感じもするんですが、なんと宮中への献上品なんだそうですね。
京都にはいろいろ集まりますからね。遠隔地からの食べものって、保存食だったりするんですね。なるほどと思います。
で、宮中出入りの初代平野権太夫さんですからね、海老芋と棒だらの出会いがすんなりと実現されちゃった、ってことみたいです。
京都でいう「であいもん」ってやつでしょうかね。
そのであいもんを、またことさら「めおと炊き」したのが「いもぼう」なんだそうです。
めおとですよ、夫婦。ま、ここは仲の良いふーふってことで理解しておきませう。
農林水産省の「うちの郷土料理」に「京都府 えびいもと棒だらの炊いたん」として詳しいレシピも載っています。
コツといいますか、惜しんじゃいけない手間として、棒だらを丁寧に、時間をかけて戻すことと、その戻し汁はそのまま煮込むときに使っちゃいけない、ってことみたいです。
「いもぼう平野家 本家」では、一子相伝で継承してきた「いもぼう」は海老芋の季節の11月から6月の限定メニューだそうですが、季節ものとはいえ、半年も味わえるっていうのは、そこにそれなりの工夫努力ってもんがあるんでしょうね。
昔はもっと短い期間しか食べられなかった京料理だったんだろうと思います。
「おばんざい」の大村しげさんによりますと、その昔、週休が当たり前になる前は、毎月1日と15日が京都の店の定休日だったそうなんですが、1日も15日も「改まる日」として特別な日。
で、秋から冬の間の15日には、決まって「いも棒」を食べたそうなんですね。
大村しげさんのエッセイには、毎日のメニューを考えるしんどさを救ってくれる、「その日に食べる決まりもん」としてのニュアンスがあります。
決まった日に決まったものを食べる。考えずに作る。頷いて食べる。気持ちを改める食べもの。
京都ではそうやって食べられていた「いもぼう」なんですね。
尤も、普通の町家では海老芋じゃなくって、普通の里芋を使っていたみたいです。
令和の今はもう、季節の食っていうもの自体が、かなり影が薄くなっていますよね。
生産者側の工夫、輸送手段の拡充とか、いろいろ、恩恵を受けている我々ではありますが、その季節にしか食べられないもの、その日に食べると決まっているもの。そういうのも、悪くないよねえ、とか、罰当たりかもしれないですが思うことがあります。
旬っていうのが、消えてしまったっていう側面がね、どうしてもありますもんね。
海老芋と棒だら。どちらも宮中に収められる有り難い食べもの。それを、それモドキを食べて、日を改める。
京都に限らず、その地方地方に、そういう、暦を数えるような、さ、明日からまた切り替えて、ちゃんと生きて行こうなっていうような食文化があったんでしょうねえ。
食べものによって季節を知る。日を知る。
そういう気持ちを取り戻せるような気がして、そうだ、京都行こう、って人、居ますよねえ。
分かるような気がします。
いったい、、いつになったら、何も気にすることなく動けるようになるんでございましょうかねえ。
いもぼう、ねえ。。。いってみたいですねえ。。。
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