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【黄肌の鳥】明治・大正時代の食通たちの方がホントに旨いものを知っていたのかも

< この人が旨いって言うんだから間違いないでしょ っていう人って 今 誰なんでしょ >

旨い不味いなんて、嗜好なんだら人によって違うでしょ。


とは言うものの、ちょっと評判の店が出てくると、あっという間に長蛇の列っていうの、日本ではけっこうありますよね。


そんなに評判なんだったら一度は試してみましょうってことではあるんでしょうけれど、平成の頃からは最早、旨さで選ぶとかいうんじゃなくって、メディアの情報が頼りになってきて、自分が経験する前から旨いって決めちゃっているようなところもあるように感じます。


自分の舌の判断よりも、他人の判断を鵜吞みにして、既にアタマの中で満足している。
右へ倣えの国民性。


飽食の時代がずっと続いているって言える日本ならではの特徴なのかもですけど、食のブームっていうのが頻繁に起こっては消えていきますよね。
ここ最近は、そのサイクルが速くなってきているかもしれません。

 

 

 


ちょっと前にタピオカブームっていうのがありました。


個人的な近所の話でいいますと、2軒の持ち帰り寿司の店が、同じタイミングでタピオカ屋さんに代わって、ええ~!? みんな、そんなにタピオカばっかりいくの?


なんて思っていたらですね、その2軒のタピオカ屋さんの中間ぐらいの位置にあった調剤薬局が、ある日突然タピオカ屋さんになっていて、ビックリ。
タピオカ屋さんの密集。なんなんでしょ!? タピオカ村計画?


いくらブームとはいえ、狭い範囲にタピオカ屋さんばっかり作って、お互いに商売が成り立つのかなあって、大きなお世話ながら思ったものでした。


原宿辺りで飲みかけのタピオカ容器が路上に置き捨てられているっていうのが、風紀的な問題として取り上げられたことがありました。


インスタをアップするために、タピオカを買って、仲間と、あるいは1人で自撮りして、ひと口ぐらいは口にするのかもですけど、中身のたっぷり入った容器が歩道にごしゃっと並べて置き捨てられている映像を何回も見ました。


これなんかは、もはや、タピオカドリンクの味や風味はちっとも評価されていなくって、なんでだか流行ってるらしいから、ま、一応乗っかっておきましょう。ハ~イ、原宿のタピオカだよお、パシャっと一枚。ってことだったんでしょうね。写真撮ったらもう要らない。重たいから置いて帰る。


タピオカってその時のブームの前にも、一度、ありましたよね。


2回目のタピオカブームはユーザー側から起きたもんじゃなくって、店の側、店長さんたちじゃなくってオーナー側、つまり資本側が仕掛けたブームだったんじゃないかっていう気がします。


このタピオカブームからだと思うんですけど、やたらと同一種の店舗がたくさん出店されるようになっていませんか。
そういう方法で、ヘンな言い方ですけど、強制的にブームを作りだす、っていう感じで、資本側の商売方法が変わったんじゃないでしょうか。


タピオカブームの終わりごろから、並行してブームになっていたのが食パンでしたね。高級食パン専門店。


タピオカ屋さんよりは大きなスペースを必要とするんでしょうから、店舗数としてはそれほど目立つようなことにはなりませんでしたが、町内にいつのまにか2店舗出来て、すぐに3店舗目が出来ました。


食パン専門店の数としては、異例でしょうね。


食パンしかないっていうのに、ここにもまた行列が出来ていました。
予約制、だとか貼り紙している食パン専門店もありましたよ。


呑み屋さんへ話題の高級食パンをもって来てくれた人がいて、1回食べさせてもらったことがあります。


2センチぐらいにスライスしたのを4つに切り分けた1ピース。
確かに旨かったです。耳まで柔らかいっていうのが特徴なんだそうですけど、個人的には耳は硬い方が好きですね。


それにスーパーで買って来る食パンを食べるときは、サンドウィッチとかじゃなくって、たいていトーストですからね。コスパ的には高級食パンじゃなくって充分って思いました。


それにしても、みんなそんなに食パンが好きなんですねえ、って思っていたら、コロナパンデミックが始まった頃には行列もなくなって、予約しなくとも買えるようになっていました。


そして2023年の春には3店舗とも撤退! 同時期に閉店しちゃいました。


元々、街のパン屋さんっていうのもありますしね、食パン専門でやっていくのは、やっぱり難しかったんでしょうね。


直近のブームっていえば、なんといってもから揚げ専門店でしょうね。


もとタピオカ屋さんだったところは、全店があっというまにから揚げ専門店に早変わりしていました。
さらに調剤薬局の店舗もから揚げ専門店になって、街中から揚げだらけって感じ。


3丁目の角のから揚げ専門店のが旨い、とかいって、けっこう盛り上がっていたんですが、2023年夏、シャッターが閉まったままの店舗が多くなってきていますね。


から揚げブームもどうやら終焉の時期を迎えたみたいです。


なにせこのブームの過当競争は、店舗の作り過ぎ。資本側の仕掛けなんでしょうから、うまくブームを作り上げることに成功したとしても、下火になることも織り込み済みのブーム。


また、次の手を打ってくるんでしょうね。
次にはなにがブームになるんでしょうか。


タピオカも高級食パンもから揚げ専門店も、縁遠いまま、ブームは虚しく去っていってしまいました。
ま、ちっとも残念な気はしていませんけれどね。


このところのブームを作りだしたのは資本側だっていうのは、全く個人的、勝手な判断ですが、昔はブームっていうのとは全く関連のない「旨いもん情報」っていうのが、ちゃんと伝わって来ていたのに、なんか商売の方法っていうのか、流通から何から、ガラッと変ってしまって、純粋に日本的な旨いもんっていうの、なくなっちゃったのかもなあって、残念な思いにとらわれてしまいます。


旨いもんを提供するっていうより、儲かることが第一義。

 

 

 


閑話休題


今はあまり読まれなくなってしまっている作家って、けっこうたくさんいますけど、戦前から戦後にかけて一世を風靡したって言われている作家に「小島政二郎(こじま まさじろう)(1894~1994)」っていう人がいます。


明治、大正、昭和、平成を生きた作家さんですね。食通としても知られた人です。


1951年から1968年にかけて食の雑誌「あまカラ」に長期連載された食味随筆「食いしん坊」が大人気だったそうで、本人の言葉が遺っています。


「今まで誰からも褒められた作品は、この食いしん坊とわが古典鑑賞ぐらいだ」


「食いしん坊」は一冊にまとめられて、今でも読めます。河出書房新社

 

33話収められていますが、その中に「魯山人と黄肌の鳥」っていうのがあります。


魯山人っていうのは言わずもがなですけど「北大路魯山人(1883~1959)」


交流があったんですね。
黄肌の鳥の部分を抜粋で、


※ ※ ※
いつか私の家へ北大路魯山人がブラリと遊びに来た。
この先生は、昔、山王台で星ガ丘茶寮を経営していた料理の大家でもある。私のところへ来る途中、ブラブラ歩いていると、左側に小さな肉屋があった。
「小島さん、あすこの店に、丁度二百七十匁ぐらいの黄肌の鳥がぶらさがっていた。帰りに、あれを買って行こうと思っている」
そういう話だった。
「キハダ?」
「そう。黄いろい肌と書く。黄肌の鳥が、鳥の中では一番うまい。それも、二百八十匁留まりのオスーー」
ところが、その晩、魯山人は私との話に興が乗って、帰る頃にはその肉屋は店を締めてしまっていた。
翌日、私はさっそくその肉屋へ行って見た。そこに肉屋のあることは知っていたが、実はこれまで私の眼中になかったのだ。
「きのう僕のところへ遊びに来たお客様が、君のところに二百七十匁ぐらいの黄肌の鳥がぶらさがっていたと言っていたが、まだありますか」
そう言って聞くと、坊主刈りの、オデコの、白い上ッ張りを着た四十二三の主人が、口不調法らしく、ビックリした顔をして私を見上げた。
そこへ、ちょいと綺麗なお上さんが応対に出てきた。
「通りすがりに、二百七十匁ぐらいなんてお分かりになる方は、どなたですか。黄肌の鳥がうまいなんてことを知っている方は、今時めったにいやしません」
鳥は幸い売れずにいて、計りに乗せて見ると、丁度二百八十匁あった。それを買ってきて、煮て食べて見ると、なるほどうまい。
※ ※ ※


尺貫法の1匁は、五円玉の重さと一緒で、3.75グラムだそうですから、280匁は1キログラムちょっと、になりますね。


魯山人は逸話が山ほどある人ですが、何から何まで自分でやっちゃうからこその眼力なんでしょうね。


しかしですね、黄肌なんていうのはマグロしか聞いたことないですよ。
って思ったらですね、明治以降になって、日本でも肉食が当たり前になった頃、一気に大量に入って来たのが白いブロイラーで、それと区別するために、元々日本にいた鶏を黄肌って言っていたそうなんですね。


同じ時代の魯山人は黄肌っていう言い方をしていて、政二郎さんは知らなかった。
鶏の区別をしていなかったってことなんでしょうね。


っていうか、白いのもいれば茶色いのもいる、っていう捉え方の方が普通なんだろうとは思いますけどね。


でも、こだわっている人、そして、プロは知っていた。


「黄肌の鳥がうまいなんてことを知っている方は、今時めったにいやしません」


っていう店側のお上さんが言っていることを考えますと、昭和の初期、中期のころには既に、日本の旨いもんを知っている人、日本本来の旨いもんを知っている人が少なくなっていたんでしょうね。


そう言えば坂本龍馬は大の軍鶏好きだったらしいですね。

 

 

いや、ブロイラーで充分でしょ、ってう意見も分かりますけど、ホントに旨いもんっていうのを知っているか知らないかっていう差は、かなり違う人生になりそう。って言っちゃったら大袈裟でしょうかね。

 

 

 


食のブームっていうのが悪いわけじゃもちろんなくって、商売っていうのも大事ですからね。


ただ、ショートスパンでもイイから、無理矢理ブームを作っちゃえっていう考え方が実際にあるんだとすると、なにか、大事なものを見失っちゃうような気もします。


人は自分が食べたもので出来上がっているわけですからね、イイ材料の見分けなんかできなくたって、食べる方の専門家として、旨いもんを知っておくことは大事でしょねえ。


ただ、信頼できる情報を発信している人が、どうもね、見当たらない気がする令和日本ではあります。

 

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