ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【在りの遊び】 「ありのすさび」って読むんだそうで 現代語に訳しがたい哲学的な言葉でやんす

< 在る時は 在りの遊び(荒び)に語らわで 恋しきものと 別れてぞ知る >

え~。毎度のお運び、誠にありがとう存じます。


なにやらコムツカシそうなタイトルを掲げさせていただきましたが、いつもながらのバカバカしいお噺でございまして、え~、本日もひとつ、最後までのお付き合いをよろしくお願い申し上げておきますが。


なんでございましてね、噺の中に出てくる人っていうのはだいたい決まっておりましてですね。


主人公って申しましょうか、噺をひっかき回す役目を担っているのは、八五郎熊五郎与太郎ってな野郎たち。金さんなんてえのも出てまいりますね。


みなさんご存じ、だれもかれも能天気な性格で、トリックスター的な問題を起こしたり持ち込んできたりするわけです。


でもって、そうした問題を持ち込まれる方の役は、たいていの場合、長屋の大家さんか寺の坊さん、横丁のご隠居さんってことになっておりますね。


人情噺なんかですと、案外まともな人間なんです。相談を受ける大家さんとかご隠居さんね。まっとうなオトナ。


でもそうじゃない落とし噺の方ですと、なんだかハチャメチャなアドバイスになっちゃうってえのが、噺の醍醐味ってもんでして、はい、これまたみなさんご存じ。


これはもう江戸時代から続く、噺の不文律ってことになってる感じでございましょうね。
そうでなければ噺にならない。


相談を持ち掛けられて、そんなこと知りもしないくせに、なんだか適当なことをまくし立てるご隠居。


はい、今回もそういう噺でございます。


八五郎さんの方は、どの噺でも学校の勉強が好きじゃないタイプってことになっておりましてね、学問とか、そんなのは「あっしには関りのねえことで」って思って暮らしております。


で、まあ、それでもなんとか一丁前に暮らしておりますとね、そもそも悪い奴じゃございませんからね、そのうちに奥さんが出来ちゃったりするんです。


それでね、奥さんが出来ますってえと、やがて子どもが出来ますよ。


世の中、こうでなくっちゃいけません。子どものはしゃぐ声が世界を回すんですからね。


その子どもにとっちゃあ親が全てですからね、学校で言われて、なんだかわけの分からないことは家に帰って、早速自分の親に聞きます。


八号郎さんトコの子ども、小学2年生の女の子なんですけど、なかなか成績もイイんだそうでしてね、トンビが鷹を産むっていうお手柄。自慢の娘さんです。


娘さんの担任っていうのが日本文学を専攻してきた女のセンセで、小学2年生を相手に授業とは関係ないような日本文学の話をしてくれるんだそうでして、それが八五郎さんの娘はお気に入り。家に帰って来て親に話して聞かせるのが習慣みたいになってる。


いますよね、そういう子ども。
答えに窮しちゃう親っていうのも少なくないんだそうですね。

 

今どきの子どもの疑問って、難しいんです。親の方がアタマ、こんがらがっちゃう。お気の毒。

 

 

 


で、今回、その娘さんが学校から持ち帰って来たのが古い和歌、なんでして。


歌の意味をセンセがひと通り説明してくれたんだけれども、小学2年生にとっちゃあ、さっぱり分からない。


八五郎さんの娘はなかなかに賢い子どもで、分からないままに放っておくことが出来ない性質なんです。


でね、国語のノートに全部ひらがなで、その和歌を書き留めて来ましたね。


《 あるときは ありのすさびにかたらわで こいしきものと わかれてぞしる 》


まず母親に聞きますね。


「お母さん、これ、どういう意味?」


「ああ和歌だね。そういう古典のことはお父さんが詳しいんだよ。なにせ名前からし八五郎なんていう化石みたいな名前なんだからね。お父さんに聞けば分かりやすく教えてくれるよ」


お母さんはうまく切り抜けちゃうんです。
だいたいこういうのは、女親の方がうまくやれるもんらしいんですけどね。


なもんで、化石みたいな名前だって言われちゃってるお父さん、八五郎さんにオハチが回って来ましてね、聞かれます。


「お父さん、これ、どういう意味?」


《 あるときは ありのすさびにかたらわで こいしきものと わかれてぞしる 》


なんだこりゃ? 八五郎さん、弱っちゃいましたね。


ああ、うん、これか。これな。これは難しいんだ。これを説明するには長い時間が必要になるから今度の日曜日にしよう。きょうのところは早くお風呂に入って寝ちゃいなさい。


なんて感じで、その場は何とか切り抜けましてね、横丁のご隠居さんのとこへ行って、教えてもらって娘にイイトコ見せようって算段です。


はい、そうですね、「ちはやふる」と同じような状況ってことですね。


その横丁のご隠居ってえのが、「ちはやふる」のご隠居の末裔なのかどうかまでは分かりませんが、八五郎さん、次の日の夕方に一升瓶片手に訪ねましたですね。


あ~、ご隠居、居ますか。ハチです。


「おお、八五郎じゃねえか、ささ、こっちへずずい~っとお入り。一升瓶の差し入れたあ感心じゃないか。お前もオトナになったもんだ」


ひとつ教えてもらいたいことがありましてね。


「おお、まかせときな。世の中にあたしが知らないなんてことはないんだから安心しな。何でも来いってもんだ」


娘にうまいこと説明してやりたいんですけどね、この和歌の意味、ご隠居、丁寧に教えてくださいよ。


《 あるときは ありのすさびにかたらわで こいしきものと わかれてぞしる 》


「ああ、これは、あれだ。すさびでかたらわってやつだな。うん」


ご隠居、それじゃまるで分かりません。ちゃんと分かるように教えてくださいよ。娘に説明してやろうってんですから。しっかりお願いしますよ。最近は一升瓶だってバカにならない値段なんですから。


「まあ、そんなに焦るもんじゃないよ。じっくり聞きなさい」


はいはい、じっくり聞くのはもとからそのつもりで来てるんですけど、とにかく早いトコ願いたい。

 

 

 


「おっしゃ、そんじゃ始めようじゃねえか。これはな、お前さんも知っていると思うが、例の「ちはやふる」な。あれの続きだ」


冗談言っちゃいけませんよ。「ちはやふる」ってのは落語ですよ。バカ噺ですよ。そういうんじゃなくってこっちは学校のセンセから聞いてきた和歌ですよ。真面目にやってもらわないと。娘に聞かれて困ってんだから。


「あたしはいつだって真面目だよ。ウソじゃねえんだよ。ちゃんとつながりがあるんだから、よく聞きな。ちはやふるの主人公はあれだよ、竜田川っていうお相撲さんだよ」


それはおいらだって知ってますよ。


《 千早ふる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くぐるとは 》


ってやつでしょ。花魁の千早さんにふられて、妹分の神代さんにもふられて、《千早ふる神代もきかず》ってんで廃業しちゃったお相撲さんの《竜田川》ね。


その情けない竜田川と、この和歌にどういう関係があんです?


竜田川はお相撲さん辞めて豆腐屋さんになったんだよ」


そうですよ。そこへ落ちぶれた千早がやってきて、何日も食べてないんで、せめてそのおからを分けてくれって頼んでるのに、《からくれない》ってイジワルしちゃうんでしょ。そんで千早は可哀想に入水しちゃって《水くぐる》、千早の本名は《とは》だったっていう。


「そうそう、そうなんだ。お前さんも案外詳しいじゃねえか。それでな、その竜田川の子孫が「とは」さんの菩提を弔って田舎へ引っ込んでローカル線の運転士になった」


はあ? なんですかそりゃ? ローカル線の運転士?


「そんな驚いたって、なっちゃたんだからしょうがないよ。他人の仕事にどうこう言っちゃいけないよ」


他人様の仕事についてどうこう言うつもりはありませんがね、ローカル線の運転士と、この和歌がどうつながんですか? ってことですよ。


「《あるときは》ってあるだろ。それをお前さん《あるときわ》って読んでるだろ」


そりゃそうですよ、誰だってそう読みますよ。《あるときわ》でしょ。


「そこが素人の浅はかさってもんなんだなあ」


なに言ってんですか、ご隠居だって素人の毛が抜けたようなもんでしょうに。


「誰の毛が抜けてるって? ああん? あのな、そこは《あると》《きは》と読むんだ。《きは》はひふへほのハと読んで《きは》だ」


《あると》? 《きは》? なんなんですかそれ、どういう意味です。


「《きは》っていうのはディーゼルエンジンの付いた普通車のことだ。電車であればモーターだから《もは》っていってモーター付きの普通車ってことになるんだな。お前さんも見たことがあんだろ、電車の腹に書いてある「クハ」とか「サハ」とか」


はあ、見たことはありますけどね。ディーゼルエンジン? なんで急に列車が出てくるんです?


「だから最初に言っただろ。これはローカル線の運転士の和歌なんだって」


ははあん。《きは》っていうのがディーゼルエンジン付きの普通車だとして、《あると》ってのは?


竜田川の子孫の運転士がな、《きは》を走らせてると思いなさい」

 

はい、そりゃ、運転士なんですから走らせるでしょ。《きは》でも《もは》でも。


「なにせローカル線でな、予算があんまりない。線路の整備が追い付かなくって、走らせているといつもブツブツいう女の声が聞こえる」


女の声? なんですかそりゃ、物騒な話になってきちゃった。


「《あると》っていうのはな、昔はテノールよりも高い音域を表してた言葉なんだが、いつのまにか女の低い声域のことを言い表すようになったっていう、なかなか複雑怪奇な歴史を持った音楽業界の単語だ。こういうのはあたしぐらいにならないと分からないことなんだな。ああん。たいしたもんだろ」


はいはい、先を急いでください。でないと一升瓶、持って帰っちゃいますよ。


《きは》を走らせるとどこからか《あると》が聞こえるってことですかい? どうも物騒なローカル線ですね。


「そうなんだ、物騒なんだ。ずいぶん前からいろんなトコでローカル線が廃線になっちまうってニュースやってるだろ。いずこもみな同じってことなんだな。それでもなんとか継続させたいって思った運転士が、じっくり調べた。なんで《あると》が聞こえてくるのか」


そりゃあれでしょ、レールの老朽化、経年劣化ってやつじゃないんですか?


「ん~、お前さんもアタマのカタイ男だねまったく。経年劣化じゃ和歌になんかなるわけないだろ」


ま、そりゃそうかもですけど。


「じっくり調べたら蟻の仕業だってことが分かった」


蟻? 蟻って、あのアリンコのことですかい?


「そう、あのアリンコたち。《ありのすさびに》っていうのがそれだ。アリンコたちは酸を出すんだな。その蟻酸のせいで線路がガタガタに錆びついちゃってるっていうことなんだよ。蟻酸ってのは、酢だから酸っぱいよ。蟻の酢で錆びる。それが《ありのすさび》」


あのねご隠居。なんだか「ちはやふる」みたいになってきてませんか?


竜田川の末裔の和歌なんだから、そうなってくるよ。ローカル線は運転の時間間隔がけっこう長いからな、ここのローカル線は昼間は2時間に1本って塩梅で、1回《きは》が通ってしまえばかなりの時間蟻たちが蟻酸を線路に撒き散らすことが出来るんだな。そこで件の運転士は聞いてみた」


誰に? 何をです?


「蟻に決まってんじゃねえか。なんだって、よりによって線路に蟻酸を撒き散らすのか、蟻に直接聞くのが一番早いじゃないか。蟻と語り合って《かたらわで》ってことなんだよ」


一番早いたって蟻でしょ、相手は。いったい何を語り合うって言うんです?

 

 

 

「なにせ《かたらわで》ってことで語り合ってみれば蟻には蟻の言い分がある」


蟻の言い分ねえ。


「蟻の世界でも落語があってな、「ちはやふる」は人気があってよく知られた噺なんだ」


なんです? 蟻の世界にも落語があんですか?


「蟻ってのは社会性の高い生き物だからな、娯楽も必要なんだろな。落語もあれば芝居もある。羽アリ亭志ん生っていう蟻の落語家がニンキモノらしい」


へええ、蟻の世界にもいますか、志ん生がねえ。


「特に女王蟻が「ちはやふる」の千早太夫がお気に入りで、おからを分けてくれなかった竜田川をひどく憎んでいて、お触れが出ているんだな」


はあ、女王蟻のお触れ。


「《きは》の運転士は竜田川の末裔」


あ。それ、そんなとこでかかわってくるんですか。


「ああ、そんなトコなんだな。そのうえタイミングが悪いことに、その女王蟻が亭主と大げんかの最中で、男が憎い。とくに《からくれない》ような男は最低だってんで、《きは》の運転士の妨害をしなさい、ってお触れを出した。レールだけじゃなくって2両編成の車両の鉄の部分は全部ターゲットだ」


ろくでもない女王様ですね。運転士が迷惑をこうむる前に、脱線しちゃったら乗ってる客が危険な目に遭っちゃいますよ。


「そこだ。お前さんイイトコに気がついた。客なんだよ乗客。その時乗り合わせていたのが、なんと《神代》の末裔でインテリアコーディネーターの別嬪さんだ」


いやいや、それはないでしょ。なんでそこに都合よく乗り合わせて来るんです? インテリアコーディネーターってのはなんなんですか?


「このローカル線が走ってるのは北の街だからな、冬は寒い。ストーブ列車なんてことを昔からやってみてるんだが、どうも暖かく感じない。それは見た目が寒々しいからだってことで、《神代》の末裔さんは車両の床にじゅうたんを敷くことを提案したんだな」


列車の床にじゅうたん?


「そうだ、なにせインテリアコーディネーターだからな。ちょうどその日、1両目の床に鯉の柄を染め抜いたじゅうたんを敷いて、ローカル線の社長に説明していた」

 

 

 


え!? なんだか話が急に進んじゃいましたね。女王蟻のお触れから、一気にじゅうたんのプレゼンですかい?


「そうだ、話しは早い方がイイんだよ、覚えときな。社長がじゅうたんを踏みしめながらこう言った。感触はイイんだが、鯉の柄じゃ見た目的に暖かい感じがしない。そこで別嬪さんは、実はその鯉の柄に秘密がある。離れたところから眺めてみれば分かりやすいだろうってことで、社長とインテリアコーディネーターが2両目に移ったところで、《ありのすさび》が効いて来て、なんと連結部分がポキリ」


へ!? 連結器が折れちゃった?


竜田川の末裔が運転している1両目の《きは》は何も気付かずに、2両目の社長と《神代》の末裔を取り残したまま遠ざかっていく。2両目は「サハ」っていう普通客車だからな、自分じゃ動けない。どんどん離れていく」


ありゃりゃ、まずいじゃないですか。


「そうよ、ここがこの和歌の重大な場面だ。鯉の柄の敷物がどんどん離れていっちゃう。《神代》の末裔は思わず大声をあげちゃったってことなんだよ」


インテリアコーディネーターさんね。


「鯉の敷物がすっかり遠ざかって行ってしまった。《こいしきものと わかれて》だな」


こいしきものって、え? 鯉の柄のじゅうたんのことなんですかい? じゃあ《ぞしる》ってのは?


「思わず知らず叫んじゃったんだな、《神代》の末裔さんは、遠ざかる1両目の車両に向かってバカヤロー、ってぞしった」


ぞしった?


「車両と一緒に竜田川の末裔に向けても怒鳴ったのかもしれねえよな。そしったわけだ。《ぞしる》っていうのは「そしる」の最上級だ。な、これで和歌の完成だ。分かったか?」


ふうむ。


《 あるときは ありのすさびにかたらわで こいしきものと わかれてぞしる 》っていうのは、なんだか難しくって怖い歌なんですねえ。


「怖いはずだよ。いいか、こう並べるのがホントなんだ」


《あ あるときは》
《あ ありのすさびにかたらわで》
《こ こいしきものと》
《わ わかれてぞしる》


「ほらな、ひと文字目を縦に並べてみりゃ、な、「ああこわ」ってことになってんだよ」


ん~。


長のお付き合い、ありがとうございました。
おあとがよろしいようで。

 

 

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【ビバ! 酔っぱらい】 集まれ地球の酒呑みたち

< ぼくらはみんな生きている みんな仲間だ 酔っぱらいなんだ >

21世紀に入ったあたりから減ってきたように感じるのが「昼の酔っぱらい」でしょか。


もちろん24時間営業の居酒屋チェーンもありますし、東京ですと錦糸町、赤羽、西荻窪だとかには朝からやっている人気の焼き鳥屋さんも健在ではあるんですけどね。


そういう「呑み屋さん」じゃなくって、町中華とかファミレスで、つまりアルコールも置いてはいるけれど呑み屋さんじゃない店で、お昼どきからデキアガッチャッテいる酔っぱらいね。見かけません。


昭和の町中華では普通にお昼を食べに来て、水代わりのつもりなのか、ビールの大ビンを呑んでいる人って珍しくなかったです。いや、ホントに。


作業着姿の人もスーツ姿の人も。み~んな呑んでいたもんであります。


世代なのか時代なのか、そういう酒呑みも令和の日本ではすっかり見かけなくなりました。酔っぱらいじゃないですけどね。その程度に抑えて呑んでいる。


まあね、ガテン系であれオフィスワーク系であれ、午後からも仕事があるし、お昼から酔っぱらってちゃ勤まりませんでしょ、ってことなのかもですけどね。


でもね、いくら昔はおおらかだったとはいっても、酒のニオイってのもありますし、仕事の現場で飲酒状態が許容されていたとは思えませんし、もしかすると、われわれ日本人のアルコール消化能力がだんだん弱くなってきている、ってことがあったりするんでしょうか。


昔の人たちは多少呑んでも現場仕事をこなすのに支障はなかった、んでしょかねえ。酒のニオイはしてもです。


ま、その辺のところはよく分かりませんが、とにかく昼からの酒呑みはほぼ見かけなくなりましたです。

 

 

 


でもですね、ついこの前なんですけど、いましたねえ、久しぶりに昼どきの酔っぱらいをお見かけしたんであります。珍しいです。


東京の郊外、冬晴れの陽射しが燦々と降り注いでいるファミリーレストラン


お昼少し前、冬の低い太陽がだいぶ上がってきたころ合いで、大通りに面した大きな窓をまぶしさを避けるために塞いでいたロールカーテンをお店の人が次々に開け放っているタイミングでした。


モーニングもやっている店で、朝のうちは直射日光がその大きな窓から入って来てまぶしいんでしょね。


一番奥のシートに分厚い私服のセーターを着た中年オヤジ2人組が、わやわやとニギヤカにおらせられましたです。


「んはははあ、バッカじゃねえの~」


ほほう、やってますねえって思いながら、窓際のシートに席を占めると水を持って来てくれた店長さんが、顔をしかめながら言います。


「すみませ~ん。声を抑えてくれるようにお願いしてるんですけど……」


はいはい~。


BGMも鳴っているんですけど、2人組のノイズに押されてますね。
でもまあ、自分も酒呑みですから、はい、モーマンタイです。


明るい酔っぱらいは大声だけで非難しちゃいけませんでしょ。


ま、お店側としてみれば、うちは居酒屋さんじゃなくってファミリーレストランなんだけどなあ、っていう気持ちになるっていうのもね、分かります。


酔っぱらいたち、当人たちは気持ちイイんでしょうけどねえ。


24時間営業のファミリーレストラン。アルコール類も豊富に置いています。メニューに載せている以上、断るわけにもいきませんでしょうねえ。


2人組は夜中の2時ごろから呑んでいるんだそうで、なかなかのツワモノたち、みたいです。
体力がないと10時間近く呑み続けられませんもんね。


他には、酔っぱらい2人組の対角線上の遠いシートで若いカップルが静かにお食事中でした。
そのカップルにも取っ払いのだみ声は聞こえているでしょねえ。


「うっはあ、ほらカーテン開いたら世の中明るいんだよ。この朝陽を浴びれば何でも明るく行けるだろっつの」


「朝じゃねえよ、もう昼だよ」


「どっちだってイイんだよ、太陽さえ浴びれば」


「そろそろ昼めし食って帰るか。酔っぱらいは迷惑だから」


「酔っぱらいはウルサイってか? 最近は酒も呑めない軟弱なやつが多過ぎんだよなあ」


「だから、それがウルサイっつんだよ」


「なに言ってんだ。世の中に酔っぱらいほどエレガントな人間はいないんだぞ。お前、全然分かってないだろ。地球人類の中で最もエレガントな人種。それが酔っぱらいだっつんだよ」


んはは。こういうのを「怪気炎」って言うんでしょねえ。


調子がよすぎて、真実味がないように聞こえる、盛んな意気。
与太を飛ばす、なんて言い方もありますね。


酔っぱらいのタイプとして声が大きくなっちゃう人って、いるんですよね。


店長さんが2人組のテーブルへ向かって急ぎ足。
と、


「みなさん、すみませ~ん。酔っぱらいはもう帰りま~す」


店長さんに何事か言われる前に、自主規制、自己判断。


かなり困ったやつらですけど、アルコールが抜ければイイヤツ、なのかもです。自覚してるっていうところが救われる、のかなん。それともかえって始末が悪いのかなん。


店長さんが困った笑顔を見せながら引き上げて来た、と思った瞬間、ロールカーテンを開け放った大きな窓に、


「ズドーンッ!」


酔っぱらいの大声を吹き飛ばすには充分な衝撃音でした。


何事!?


窓ガラスは割れていませんが、何かがぶつかった跡がハッキリついています。


店長さんが落ち着いた声でカップルと私に教えてくれました。


「お騒がせしました。今の季節、たまにあるんですけど、スズメの仲間らしいんですよ。衝突してくるんです」


お呼びでない酔っぱらいが店長さんに応えます。


「ビックラしたあ。スズメの酔っぱらい運転かよお。あ、酔っぱらい飛行か。スズメだから」


「ばあか、スズメが酒呑むかよ」


とかなんとか言いながら、さすがの2人組もスズメの衝突に少しは正気付いたのか、あとは口をつぐんで、フラフラと帰っていきました。


「ありがとうどざいましたあ」


店長さんが戻って来て説明の続きをしてくれました。


「レンジャクだろうってことなんですけど、死んじゃってるかもしれないんですよね。ホントに酔っぱらって、思いっきりぶつかって来るのかもしれないんだそうです」


ここ5年間で3度経験しているんだそうです。
2回目の時の客席に動物病院の先生家族がいて、野鳥は酒を呑んで酔っぱらうことがあるって教えてくれたんだそうです。


野鳥が酔っぱらうことを目的として酒を吞むわけじゃなさそうですけど、後で調べてみますと、発酵してアルコールを含んだ状態になった果実を食べてしまって酔っぱらうんだそうですね。


どこか近くに冬になっても実が落ちずに、発酵してしまっている樹があるんだろう、っていうことらしいです。


へええ、って思ってですね、さらに調べてみましたら、酔っぱらい鳥って、世界中にけっこういるみたいなんですよね。


野鳥にエサをあげるエサ台に果物を置いて、それに、ウイスキーとかビールとかをかけると、あっという間にいろいろな野鳥が集まって来るっていう記事もありました。


鳥って目だけじゃなくって鼻も効くんですかね。


ん~。だとすると、偶然、発酵してアルコール分を含んだ樹の実を食べちゃって酔っぱらうってことじゃなくって、アルコールを求めて食べているってことなんでしょうか。

 

 

 


酒呑みスズメとか、酒好きレンジャクとか、酒呑み、酔っぱらいは人間だけじゃないみたいですねえ。


仲間意識が広がりますねえ。地球の生き物、みな兄弟!


ポーランドの首都、ワルシャワ


たくさんのコマドリがいるんだそうですけれど、冬場のエサはいろんな種類のベリー。
そのベリーが枝から落ちずに発行してしまってアルコールを含むようになる。


そうなると、ついばむコマドリたちが酔っぱらっちゃう。酔っぱらいコマドリ、大量発生。


で、路上で寝ちゃう。

 

酔っぱらって寝ているんですって コマドリ


こんな寝方、鳥はしないですよね。


鳥たちは枝につかまったまま眠ります。器用です。


あれって、身体の左半分だけ眠るとか、右半分だけ眠るとか、そういう眠り方だから出来るらしいんですよね。


さらには、枝をつかんでいる爪はそのままの形で自動的にロックがかかる仕組みになっているんだそうで、落ちないってことなんですよね。


原初の頃から身を護るために進化させてきた鳥たちの眠り方。


それがねえ、路上で無防備に泥酔しちゃうんですねえ。


アメリカ、ミネソタ州では、コマドリだけじゃなくって、北米に多くいるヒメレンジャクっていう鳥も、大勢で千鳥足になっているのが目撃されたり、方向感覚を失って壁やガラスに衝突する「事故」を起こしているんだそうです。


連雀っていう名前の通り、大きな群れで暮らしているヒメレンジャク。酔っぱらう時にもみんなで一斉に酔っぱらうってことで、方向感覚を失っちゃう「事故」って、地元の人は慣れっこになっているのかもですけど、なんか凄惨な光景が浮かんできちゃいますねえ。


言ってみれば「空飛ぶ酔っぱらい」ですからねえ、当人たちの生命も、ヤバイ、んでしょねえ。


旅客機のパイロットたちも、フライトの何時間か前にはアルコール摂取しちゃダメよ、っていう規則が作られたニュース、ずいぶん前にやってましたです。


鳥、ヒメレンジャクたちはお客さんを運んでいるわけじゃなくって、自分の命だけなんだからオッケー!? じゃないでしょねえ。


イギリスでは「空飛ぶ酔っぱらい」クロウタドリの大量激突死っていう事例も確認されているんだそうです。


日本ではどうなんでしょ。バードウォッチャーさん、「空飛ぶ酔っぱらい」観察したことあります?


中国で象の群れが、なんだか方向違いの旅に出ちゃって、農村部を北上。
途中で壺酒を呑んで、酔っぱらいツーリスト。っていうニュースもありましたねえ。


なにせ象ですもんねえ。酔っぱらってフラフラされたら、オオゴトですよ。
人間社会にしてみれば、ちょっとぶつかられちゃうだけで破壊行為です。


象は水だと思って壺酒を呑んだのか、あるいはやっぱり、本来的に酒吞みなのか。どうなんでしょね。


酒を呑む動物たちのなかで意外なのはハムスターでしょか。


ハムスターって「酒豪」らしいですよ。


飼っている人も少なくないと思うんですけど、アルコール、呑ませたりしているんでしょかね。


野生のハムスターはライグラスっていう植物の種や実を巣に貯める習性があって、冬の間にそれが巣の中で発酵。アルコール濃度の高い種や実になってしまう。


それを普通に食べて暮らすため、ほぼ例外なくハムスターたちは酒豪になる。っていうこと。


人間に例えていうと、度数40度以上のウイスキーだとかを1回で1.5リットル呑む。呑んじゃう。
ハムスター、とんでもないです。


でもってハムスターはそれぐらいじゃ酔っぱらわないんだそうです。


なんか特別な酵素だとかを持っているんでしょねえ。人間がまねしたら、まず間違いなく1回でオダブツ、ですね。


大酒呑みなのに酔っぱらわないハムスター。


でもまあ、のべつまくなしにアルコールを摂取しているわけじゃないですよね。


大酒呑んでハムスターホイール回したりなんかしていたら、アタマ、割れちゃいます。


ハムスター、大酒豪!

 

 

 

 

ところがもっとすごいヤツが地球にはいるですねえ。


マレーシアにいるハネオツパイっていうネズミぐらいの大きさの小型哺乳類。


彼らは酒が主食らしいんです。主食が酒ですよ。どういう生活やねん。


ハネオツバイの食べるのはブルタムっていう椰子の花。
その花にある蜜は、なんと3.8%の度数のアルコールを含んでいるんだそうです。


ハネオツバイはブルタムの花しか食べない。ので、主食は酒、ってことになって、年がら年中酔っぱらっている。
んじゃなくって、ちっとも酔っぱらわないんだそうです。


酒しか摂取しないのに、酔っぱらわない。
へええ、でっす。


なんか、ちゃんと研究したら、吞む前に飲む、とか、ホンキで効きそうな酔っぱらい防止薬とか、出来ちゃうんじゃないでしょうか。


恐竜時代の人間の祖先は、ネズミみたいな姿をした哺乳類だったんじゃないかって言う説がありますけど、このハネオツバイ、人間と共通の祖先をもっているかも、って言われているんだそうです。


っちゅうことはですよ、人類って2足歩行になって、しばらくしてから酒に出会ったんじゃなくって、もっとずっと前のネズミモドキの頃から酒呑みだった可能性がある、ってことじゃないでしょうか。


ご先祖さんに比べて現生人類は、なんと酒に弱くなってしまったことでしょうか。


でもあれですね、全く酔っぱらわないっていうのも、ツマンナイかもですよねえ。


地球は酔っぱらいだらけでイイんじゃないでしょうか。ダメ?

 

 

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【青木まりこ現象】本屋さんに入ると突然もよおすっていう現象 大のほうね 便秘解消法に使える?

< 町の本屋さんがどんどん消えているのは青木まりこさんのせいだったのかしらん >

って言うかですね、「青木まりこ現象」そのものも気になりますけど、それ以上に「?」って思うのが、青木まりこさん、ご本人のことだったりしますです。


日本全国津々浦々に「青木まりこさ~ん!」って呼びかけたら、何人の青木まりこさんが振りむいて返事をしてくれるか分かりませんけれども、「青木まりこ現象」の青木まりこさん、本名らしいんですね。


青木まりこ現象」っていうことがメディアで取り沙汰されて、なんだか急に盛り上がったのは、1985年のことなんでありますよ。


まだネット社会じゃありませんし、ハンドルネームとか浸透していない時代ってこともあるんでしょうけれど、本名を使ってのカミングアウトだったんですねえ。


聞いたことあります? 「青木まりこ現象
シンドロームじゃなくってフェノミナン。


「書店に入ると急に便意を感じる」
っていうのが「青木まりこ現象」なんであります。

 

 

 


「現象」の、そもそもの始まりは1985年2月に発行された「本の雑誌」の読者欄。


「数年前から本屋さんに行くたびに便意をもよおすようになった」


っていうような投稿の内容が、他のメディアでも取り上げられてイキナリ話題になったんですね。


投稿の主は東京都世田谷区在住、当時29歳の独身女性。名前は、そうです、青木まりこさん。
なので、書店で便意は「青木まりこ現象


もしかすると「青木まりこ現象」っていう言葉を聞いたことはないけれど、本屋さんにいくと便意を感じるんですよねえ、っていう人、いるかもしれません。


いや、けっこういるみたいなんです。
ミー・トゥー、ってやつですね。だからこそ社会現象として取り上げられた。


20世紀末に行われた小規模な調査結果によりますと、人口全体で見ると国民の5%から10%の男女が「青木まりこ現象」を経験している、または経験したことがあるんだそうです。


男女比を見てみますと、男1に対して女4っていう偏りがあるんですね。


22歳から33歳の働く女性に「青木まりこ現象」があるかどうか聞いたところ、有効回答件数150のうち40が「イエス」だったっていうデータもあります。26.7%。


オフィス街の女性、4人に1人以上が「青木まりこ現象」体験者。
こりゃ少なくないですねえ。


本屋さん、書店に行くと便意を感ずる、っていうことで、そういう生理現象にある人を「書便派」って言うんだそうです。


なんか、そういう括られ方、嬉しくないような。。。ネーミングがね。「書便派」


本屋さんに入ると、なんで便意を感ずるようになってしまうのか。


その原因についてはいろいろあれこれ、面白半分っていうこともあるでしょうけれど、様々な考察が行われてきているんですよね。


主流な説は、本を構成している「紙とインクの匂い」に原因があるんじゃないか、っていうもの。


つまり、なにかしらの化学成分が呼吸によって鼻から身体に入って来て、それが便意につながるんじゃないか、っていうことですね。


ただ、この説は、インクの匂いが強いはずの新品の本が並んでいる本屋さん以外、図書館や古書店なんかでも「青木まりこ現象」に襲われる人がいたり、逆に、町の本屋さんでは「青木まりこ現象」にはならないんだけれど、図書館では必ずなってしまう、だとかの意見が相次いで、どうも「紙とインクの匂い」が「青木まりこ現象」の原因だっていう説は支持されていないみたいです。


「トイレで本を読む習慣」のある人が、条件反射的に本がたくさん並んでいる環境で「青木まりこ現象」になってしまうんじゃないか、っていう書便派パブロフ説もあります。


これもまた、書便派の全員がトイレで本を読む習慣があるわけじゃないってことで、支持されていない。


その他、背表紙だとかのたくさんの活字が目に飛び込んでくることによって緊張して、精神状態が通常ではなくなることで便意が促される、っていう、なんだかなあの説。


過敏性腸症候群」によるんじゃないかっていう医学用語寄りの説もあります。


これは心身症の一種だそうで、これだと明らかな疾病の範疇ってことになっちゃいますね。


青木まりこ現象」の人、全員が心身症だっていうことも考えにくいでしょうから、これもまた支持されていない。


大好きな本がずらりと並んでいることから、幸福感を感じて安心することが便意につながる、っていう「リラックス効果」説、なんていうに¥のもありますけど、リラックスと便意

 

ん~。関係なさそうですよねえ。


ま、これ以外にも実に多くの説が取りざたされていて、一応真面目に検討されて、どの説もチャウでしょねえっていう歴史を経てきているらしいです。


でもまあ「青木まりこ現象」の原因っていうのは、結局、よく分からない、ってことですね。

 

 

 


本屋さんに入ると便意をもよおすっていう人は、青木まりこさん以外にも存在するっていうのは確かで、私の周りにも5人ほど、居ます。けっこう居るんですよね。


呑み仲間なんですけどね。全員40代。でもまあ若いです。
男1人に女4人。たしかに調査結果のパーセンテージと合致する割合です。


っていうか、最近の居酒屋さんは女性客の方が多い感じなんですけどねえ。


で、その彼らに「青木まりこ現象」のことを聞いてみたらですね、全員知ってましたですよ。


ですが、オンタイムで知っていたわけじゃなくって、自分の現象に気付いて、不思議だなあってことでググってみたら「青木まりこ現象」に出会った。っていうことだったんでした。
たしかにね、ネットの時代です。


本の雑誌の投稿は1985年ですから、2024年時点で40年も前のことになるんですけど、ネットには今でもいろいろ載っているみたいです。


「都市伝説なんですよね」


って、そのうちの1人が言ってましたけど、チャウでしょ。


だって、あなた自身が「青木まりこ現象」の体現者なんでしょ。リアルな例として自分の便意があるんですから、都市伝説じゃないでしょ。ホントでしょ。


青木まりこ現象」は「トイレの花子さん」とかいうような根も葉もない都市伝説とはチャイまっせ。


ってことで、もっと若い世代にも知られているであろう「青木まりこ現象」なんですけど、その原因よりなにより不思議なのは、なんで「青木まりこ」から始まったのかっていうことですね。


なんでそう思うかって言いますと「書店に入ると急に便意を感じる」っていう現象は、町の本屋さんが登場してからずっと言われてきたことみたいだからなんです。


言ってみればこの現象は「青木まりこ以前」「青木まりこ以降」っていうふうに分類できるってことです。


1985年の「青木まりこ以前」


1957年、吉行淳之介の「雑踏の中で」


1972年、豊田穣「皇帝と少尉候補生」


1981年、やねじめ正一「コトバもまた比喩ではなく汗をかく」


っていう作品の中で「書店に入ると急に便意を感じる」っていう現象についての記述が見られます。


さらにはラジオなんですけど、日本放送の夜ラジオ「ヤングパラダイス(1983~1990)」


たくさんあったコーナーの中の1つに「我慢の極地! 水戸様の怒り」っていうのがありましてね、突発的な便意をもよおした時の状況を、まあ、ゲスに笑おうっていうコンセプトだったらしいんですけど、その中に「本屋で便意をもよおしてしまう」っていうネタが集まって来て、ヤングパラダイスでは「山田よし子症候群」っていう名前が付いていたんだそうですよ。


青木まりこの前に山田よし子がいる。


経緯だとか詳細は分かりませんでしたけれど、今現在「山田よし子症候群」でググりますと「青木まりこ現象」に行きつきますねえ。


不思議です。こうして「症候群」なんて名前で認識されていた「書店に入ると急に便意を感じる」っていう現象が、山田よし子では一般に浸透しなかったのに、青木まりこになって一気に浸透したのはなんでなんでしょう。


でもまあ、山田よし子っていう名前が誰なのか、実在する人間の名前なのか、ラジオのトークの中で適当に作り上げられた架空のキャラクターなのか、調べられませんでしたので、青木まりことの単純比較は出来ないんですけどね。


ですが、現実問題として、1985年に青木まりこが名乗りを上げると、あの、週刊文春に話題として取り上げられて、一気にメジャーになったみたいです。


青木まりこ現象」が広く知られるようになったのはやっぱり、雑誌の雄、週刊文春の影響が大きいんでしょうかね。


本の雑誌社文芸春秋の関係はどんなものなのか分かりませんけれど、本の雑誌社千代田区神田神保町文芸春秋は同じ千代田区ですけど紀尾井町
皇居を挟んで反対側です。仕事上の繋がりとかは、なさそうに思えます。


規模も違いますしねえ。本の雑誌社は、ま、みなさんご存じかと思いますけれど、群ようこさんが勤めていた会社です。


群ようこさんは1984年7月に「午前零時の玄米パン」を書いて作家デビューしていますから、1985年2月の「青木まりこ現象」の時点で在社していたのかどうか、微妙な時期、ですねえ。


で、本格的に不思議なのは、1985年以降もこの「青木まりこ現象」は一時期の話題ってことじゃなくって、繰り返しいろんなメディアで取り上げられているってことなんですね。


1995年にはNHKの「生活ほっとモーニング


1998年、TBS「ウンナンのホントのトコロ」


2003年、朝日新聞社アエラ


そしてなんと日本ばかりじゃなくって「スティーブン・ヤング」っていうアメリカ人の作家が「本の虫 その生態と病理―絶滅から守るために」っていう本を2002年に出しているんですね。


本の虫として「読み虫」「書き虫」だとかを定義づけしているユニークな本らしいんですが、この中に「マリコムシ」っていうのが出てくるらしいです。

 

マリコムシ?

マリコムシ」は、書店に生息していて人々を書店依存症にする「ショシムシ」の一種で、書店で本を選ぶ者の便意を誘発させる能力を持つ、って定義されているらしいです。


あ・ほ・か。っていうこの本なんですけど、翻訳者は「薄井ゆうじ(1949~)」っていう作家で、ま、スティーブン・ヤングは薄井ゆうじ本人、ってことなんだろうと思います。


海外では青木まりこ、有名じゃないです。ちゃんちゃん。。。


マリコムシっていうのが原因であるわけもないとして「青木まりこ現象」っていうのは、医学会が認めていないとしても確実に存在する現象なんだろうと思います。


実際にそうなるって言っている人がいるんですからね。

 

 

 


便秘気味の人は、ネットで本を買うんじゃなくって、町の本屋さんへ出かけてみると、効果が。。。


でもあれですね、ホントに効果がすぐに出て「青木まりこ現象」が現れたとしたら、町の本屋さんはトイレを利用できる環境じゃない場合の方が多いでしょうから、試してみるときにはビルの中に入っている、わりと大型の書店にしておいて、整列している本の群れの中に入る前にトイレの場所を確認してからの方がヨサゲ、でしょねえ。


人間にとって排便って、とっても重要なイベントですからねえ。


充分に大人なんだけど、本屋さんに行くときは白いズボンは穿かないようにしているっていう人もいるらしいです。


みなさん、どうぞ、ご安全に!


(ご安全にって、……、なんのこっちゃ。町の本屋さん、ホントに激減してますねえ)

 

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【花の名前】その2 プランターで咲き誇る色鮮やかな花々 観賞用 虫たちよりもまず人間のための花?

< 「秋海棠」って ちっとも花の名前っぽくない気がしますけど ファンはたくさんいるらしいです >

1969年っていいますから、もう半世紀以上前の大ヒット曲「白い色は恋人の色」

ベッツィ&クリスっていうアメリカ人デュオが歌っていたんですね。
作詞は北山修、作曲が加藤和彦っていう黄金コンビの歌。


めっちゃロングヒットで、その後もいろんな人がカバーしていますんで、けっこう若い世代の人でも聞いたことのある人も少なくないんじゃないでしょうか。


♪花びらの白い色は 恋人の色


♪なつかしい白百合は 恋人の色


っていうんですよね。


2番の歌詞が、
♪青空の澄んだ色は 初恋の色


3番が、
♪夕焼けの赤い色は 思い出の色


っていう、まあ、昭和らしい美しく懐かしい感じのする歌詞。イイ歌です。
なんでアメリカ人デュオがたどたどしい日本語で歌ったのかは、ナゾです。


で、花の話なんですけど、北山修センセは、恋人の色に花びらの「白」を持って来ています。白百合の白。


初恋の色は青空ですから、白百合の白は、ちゃんと経験を積んで、一歩踏み込んだ、大人としての恋人の色、ってことになるんでしょうかね。


白のイメージの恋人っていうのが男なのか女なのか、ちょっとね、分かりませんけれど、白百合ですもんね。白百合のイメージが男っていうのだと、かなりグロイかもです。


歌っていたベッツィ&クリスは女性デュオでしたけれど、作詞は北山修センセですからね、白百合のごとき君なりき、ってことで恋人は女性なんでしょね。


ってまあ、そこにこだわる必要などこにもないんであります。

 

 

 


今回、偶然にも、この「白い色は恋人の色」がラジオから流れてきたんですけど、蘭華(らんか)っていう大分県出身の女の人がカバーしたバージョンでした。


おお、聞いたことありますねえって惹きこまれたんですけど、気になったのは白いイメージは男なのか女なのかじゃなくって、花の色って、何色あるんだろ? 何色が多いんだろ? っていうことなんでありました。


自然界に青い色の花はない! っていう話を聞いたこともありますし、20万種ぐらいあるっていう花の色って、何色ぐらいあるんだろうっていう、恋人の色とは何の関係もないことが気になったんであります。


厳密に色を定義していけば同じ白い花の色だとしても、やっぱり違いはあるんでしょうから、20万種の花があるっていうことであれば20万種の花の色があるっていうことなのかもしれません。


青い色の花に関しては、ちょろっと調べたら簡単に結論が出ました。
自然界でも青色の花はあるよ、なんでありました。


自然界には青い色の花はないって聞いたときには、ほほう、虫たちには青い色が見えないからなんでしょか、とか考えていたんですけど、虫たちにも青色は区別出来ているらしいです。って、虫に見えている色、そういうの、どやって調べているんでしょうかね。不思議です。


疑問や考えがどんどんあさっての方にいってしまいがちですが、今はバイオテクノロジーとかっていうやつで、どんな色の花でも作れますよ、なんて話も聞こえてきます。


自然界の青い色の花は、紫陽花(あじさい)、露草、桔梗、竜胆(りんどう)、勿忘草(わすれなぐさ)。自然界の青い花、けっこうありますよ、ってことなんですね。


なるほど紫陽花なんて街なかでも毎年必ず目にしているんですけどね。
一株の中でも色が違っていたりして、しっかり青い色の花も見ていたのに。


ん? でも、紫陽花のあの花のような部分は花じゃなくって、とかいう話もあったような。。。


ま、イイじゃないの。実は花じゃないんだよっていう花です、っていうことで。
そういう捉え方をしておきませう。


花の色の数っていうのは意外に少なくって、あの童謡で言い表されているって言えるみたいです。みんなが知っているチューリップね。


♪咲いたさいた チューリップの花が


♪並んだならんだ 赤 白 黄色


自然界の花の色。
白色系統が33%。
黄色系統が28%。
赤色系統が20%。


この3色系統で81%ってことになりますから、赤、白、黄色でほぼ全てな感じなんですね。
童謡チューリップ、なにげに凄いです。


ちなみに作詞は、東京都世田谷区に住んでいた近藤宮子さんっていう、その当時のおばあさんだそう。
1930年の作品。


青色系統の色の花は紫色系統も含めて17%だそうです。
青い花も含めると98%ですから、ほぼコンプリートですね。


そういえば、よく見ると紫なんだけれど、ぱっと見、黒ッ! に見える花びらっていうのもありますもんね。


なんていう名前の花なのかは知りませんが、プランターに、わりと大きな黒い花が並んでいるのを見たことがあります。


まあね、花の色って、チューリップなんかでもマーブルっていうんでしょうか、何色か混じっている花もありますよね。ホントに何でもアリっていうことになってきているんでしょうかね。


にしても白でも黄色でも赤でもなくて、青、紫系統でもない残り2%の花の色って、どんななのか、そっちも気になります。金色とか? まさかね。

 

 

 


花の好きな人って老若男女問わず、たくさんいます。


住宅街の散歩。一軒家なんかですと、ほぼプランターが庭先とか塀の脇に並べられていて、季節ごとの花が見事に咲いています。


ハッとするような鮮やかな色。赤でも黄色でも、白であっても強烈な色合いの花を並べてある家も少なからずあります。花弁が輝いて見えます。栄養満点! なのかもです。そう見えます。


日本家屋の庭に咲いている花とは違って、マンションだったりコンクリート製の建物の脇に似合うのは、かなり強めの見た目の花なのかもしれませんね。そういう強さが求められている?


そうした強烈な華やかさ、言ってしまえばハデハデしい色の花も見事ですが、消え入りそうなほどの色合いで、何とも可憐な風情を感じさせる花も素敵ですね。


東洋風。日本風。


そういう静寂な空気感を感じさせる艶っぽい花の代表っていえば「秋海棠(しゅうかいどう)」じゃないでしょうか。


秋海棠っていう名前を初めて見たとき、読めませんでした。「棠」っていう字なんて見たことなかったですしね。


可憐な色合いの花のイメージと秋海棠っていう、何の名前なのかすら想像できないようなカクカクしたイメージの単語が、どうにも結びつかないんですよね、今でも。


江戸時代の初め頃、園芸用として中国から日本に入って来た花なんだそうです。こういうの、帰化植物っていうんだそうです。ふううん、帰化ねえ、って感じです。いえ、他意はありませんが。


多年生草本球根植物。
花期は 8月から10月。同じ株に雄花と雌花が付く種類で、雄花は茎の上の方に正面を向いて開いて、雌花は下の方に下を向いて開くのが特徴だそうです。


大和本草」の中で貝原益軒(1630~1714)はこう言っています。


「秋海棠。寛永年中、中華より初て長崎に来る。花の色海棠に似たり。故に名付く」


「海棠」っていう花の色に似ているんで「秋海棠」
っていうことは江戸時代初期より前に海棠っていう花が日本にありました、って言ってますよね。


調べてみますと、どうやら海棠っていうのも中国から入って来たみたいなんですけど、ハッキリしないですね。


でも海棠はバラ科リンゴ属の耐寒性落葉高木。草花じゃないです。


似ているっていう淡紅色の花を咲かせるのは、春。
秋海棠の花は旧暦の秋に咲くってことで秋海棠、って名前を決めたのは、貝原益軒? なんでしょね。名付く、って言ってますもんね。


日陰とか、わりとジメッとしたところが好きなんだそうです。秋海棠。


ベゴニアの仲間みたいなんですが、今現在多く流通している数種類のベゴニアは昭和の中ごろからのものなので、江戸時代からあった秋海棠をベゴニアって呼ぶことはないんだそうです。
秋海棠はいつまで経っても秋海棠。

 

 

なんか、育てている人たちのこだわりってことなんでしょかね。ま、こだわりを持っていた方が楽しめそうではあります。


日本に入って来てすぐ人気が出たみたいで、松尾芭蕉(1644~1694)が詠んでいます。


「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」


ん~。どうなんでしょうね。あんまりイイ句には感じませんけど、秋海棠の花にじっと見入っている芭蕉さんは感じられますねえ。


小さな花で、そっと咲いている印象の秋海棠ですけど、不思議に存在感のある花。


秋海棠って「八月春」とも書くみたいです。
でも八月春って書いてシュウカイドウ、って読めないでしょねえ。


北村薫(1949~)の円紫さんシリーズ、初の長編作品。1997年に出た「秋の花」

 

珍しく人が死んでいる作品でしたが、この中に出てきていますね、秋海棠。


※ ※ ※ ※ ※


「……秋海棠」
「え」
「津田さんのうちの前に……」
私は、昨日、垣根で揺れていた可憐な花を思い出し、頷いた。今頃はあの小さい花も大粒の雨に打たれているだろう。和泉さんはいう。
「あの花の名前、津田さんのお母さんに教えてもらったんです」


※ ※ ※ ※ ※


そして、秋海棠の別名「断腸花(だんちょうか)」の話が出てきます。


死んでしまった津田さんの、お母さんの気持ちを断腸花っていう花の名前になぞらえて、我が子を喪ってしまった母親の涙が落ちて、そこに咲いた花だから、断腸花っていう名前が付いたって説明しています。


うつむき加減にひっそり咲いているんで、さぞかし断腸の想いだっただろうっていうネーミングなんですよっていうことなんでしょう。津田さんのお母さんの想いに重ねているわけですね。


ただですね、中国の「採蘭雑誌」っていう本には、また別の断腸花の由来が語られているんだそうです。


昔むかし、って中国の昔むかしは、かなりの昔むかしな気がしますが、あるところに、それはそれは美しい女の人がおりました。
はい、昔話に出てくる女の人はたいてい美人さんです。


その美人には狂おしいばかりに愛するトノガタがおりました。トノガタは毎日、美人のもとに通って来てくれておりましたので、溢れるような幸せを感じて暮らしておりました。


ところがある日を境に、どうしたことかトノガタのお運びがありません。
美人は狂おしく身を揉んで不安に襲われてしまいます。きょうは来るか、明日はどうか。
待ちあぐねて家の生垣から身を乗り出して遠く、道の先を見やって哭き暮らしておりました。


美人の涙が落ちたところからは、名も知られていない草が生えて来て、ほんのりと赤い花が咲くようになりました。


緑の生け垣の陰にひっそり花を咲かせているその風情を、道を通る人たちが眺めながら、その美人の断腸の想いに同情して、いつからか、その花を断腸花と呼び習わすようになりました。


中国の話も北村薫の話も、どっちも涙から生まれた花ってことですね。


秋海棠っていう学者寄りの名前より、こっちの断腸花っていう方が、なんか人気がでそうな気もしますけどね。


って思ったら、はい、いらっしゃいましたね、やっぱり。
永井荷風(1879~1959)です。


1937年に発表した「濹東綺譚」も知られていますが、1917年から書き始めて1959年、死の前日まで書き続けていたっていう「断腸亭日乗」も有名ですよね。

 

 

 


この「断腸亭」っていうのは、永井荷風の住居の名前、っていうか号みたいな名乗りなんですよね。やがて引っ越した先の名乗りは「偏奇館」
変人ぶりに自覚はあったんでしょうね。


「偏奇館」に引っ越した後でも、日記の名乗りはそのまま断腸亭日乗で書き続けたってことですね。


官僚を父親に持つ、ボンボンで、かなりクセの強い人だったみたいです。


本名は「永井壮吉」荷風っていうのはペンネームっていいますか、雅号ってやつなんですね。


大学時代に入院した病院の看護婦さんに恋をして、その相手の名前が「お蓮(れん)」


「荷」っていう字には蓮(ハス)っていう意味もあるんだそうで、ちょっとだけひねって自分の名前にしたんですね。


で、屋敷を断腸亭って名乗るについては、永井荷風本人が断腸花が好きだったから、っていう単純な理由みたいです。


変人ではあっても江戸文化を愛していた風流人だったっていう永井荷風ですからね、庭に風情を失わないようなこだわりで植えていたんでしょうね。


秋海棠。八月春。断腸花。


実はもっといろいろ、別名のありそうな帰化植物、ですね。

 

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【花の名前】その1 花に名前を付けたのって誰なんでしょう なんでその名前にしたんでしょう

< おしべとめしべでタネを作るために花を咲かせます ってだけでは花の存在理由 納得出来ません >

花との関係っていうのを考えてみますと、蝶や蜂は花の奥にある蜜っていう実利をとっていますけど、人間は観賞するだけっていう不思議な付き合い方ですよね。

 

ま、蜜を舐めれいる人もいるかもですけどねえ。


「バラは好き? 漢字で書ける? バラっていう字はね……」


そういう口説きかたがあるんだそうですけど、「薔薇」なんて、何か魂胆がないと覚えようとする漢字じゃないように思います。


作家の「伊集院静(1950~2023)」が、この手法で女優さんを連続ゲットしていたとかいないとか。


バラねえ。っぽい花もいくつかありますよね。後から人工造成された花も。

 

 

 


イタリアの作家で記号学者でもある「ウンベルト・エーコ(1932~2016)」が1980年に発表した「薔薇の名前」っていう小説。


世界的なベストセラーになりましたので読んでいるかたも少なくないと思います。


1986年には映画にもなりましたし、イタリアでは2019年にテレビドラマにもなっているそうです。

 

薔薇の名前」は、14世紀、北イタリアの修道院を舞台にした、ミステリ要素の強い魅力的な小説でしたが、背景に中世スコラ哲学の「普遍論争」が敷かれていることも有名ですね。


教皇庁フランシスコ会との間で繰り広げられた「普遍論争」っていうのは、普遍っていうものは実体として存在しているものなのか、それともその人間の思考の中にだけ存在するものなのか、っていうなかなかに面倒くさい哲学論争で、ハッキリとした結論みたいなものは21世紀になっても出ていないらしいです。


そもそものタイトルも、日本語ではアッサリと「薔薇の名前」っていうふうに訳されていますが、原題的にいえば「その薔薇のその名前」っていうふうになるんだそうですね。


論争の面倒くささを表現し得ている感じがしますですねえ。でもこれじゃあね、人気は出なかったかもしれません。


ウンベルト・エーコっていう作家さんは記号論の提唱者としても知られているセンセですからね、記号って、名前ってなんだべか!? 普遍なの? っていうような含みを持たせているタイトルなんでしょうね。


記号っていう意味からすればタイトルにする花の名前が薔薇である必然性は薄いのかもしれません。


漢字の「薔薇」は中国語表記からそのまま来ているみたいなんですが、発音は「ジャンジュエイ」
中国語の発音って難しいですからピンインを見ただけじゃ精確な発音は分かりませんけどね。


今の中国語、簡体表記だと「玫瑰(メイグイ?)」になるみたいです。なんだかぜんぜんちゃうやんけ! になってますよ。


すっきり画数は少なくなってます。ま、「薔薇」っていう漢字がそもそも画数多過ぎだっていうことではあるんでしょうけれどね。


なんでしょ、バラの花びらが複雑にごちゃごちゃしているんで、こんなに画数の多い漢字を宛てたんでしょうか。


薔薇っていう漢字を実際に書いてみると、なんだかとっても不思議な感覚になってきます。


なんでこんな漢字を考え出せたんだろう。日本語のバラっていう音の響きはどこから来たんでしょ。


「ジャンジュエイ」でも「メイグイ」でもないですし「ローズ」とも全然違います。


花に限ったことじゃないんですけど、改めて考えてみますと名前って不思議です。
「その薔薇のその名前」です。


花を咲かせる植物は地球上に20万種ぐらいあるそうですから、花の名前も20万種あるっていうことになるんだと思いますけど、別名とかあったりしますからね、花の名前の数って2倍、3倍ぐらいあるのかもです。


昔からあるから何の疑問も持たずに受け止めている花の名前ですけど、特に、なんでこういう名前にしたんでしょうね、っていうことを考えちゃう花、いくつかあります。

 

 

 


「反魂草(はんごんそう)」


魂を呼び戻すっていう名前ですもんね。そう呼ばれるようになったのにはどんな理由があるんでしょう。
夏のお盆のころに黄色い花を咲かせるキク科の多年草


花の咲く時期が時期ですから、仏花としてお盆に供えられている花なんだそうですね。
先祖の魂を招くってことで、反魂?


その昔、この葉を煎じて重病の人に飲ませて回復させる効果があったっていう説があって、それで反魂?
魂が反って来た。


風に揺れる葉っぱの様子が、まるで人を招いているように見えることから、死者を呼び戻しているように見えるっていう説もあって、それで反魂?


でも人を招くように揺れるっていうことからすると、死者の国からこの世の人を呼んでいる、っていう解釈も成り立ちそうですよね。
こわあ~。


でも、あれですよ、お盆の時期に花屋さんで「反魂草」っていう名前を見たり聞いたりした記憶って、ぜ~んぜんありません。


みなさん、普通に「反魂草」って言ってます?  お供えしてます? 別名ルドベキア
知らんですう。


いったい誰が、いつ付けた名前なんでしょう。
その答えを得ることは、ないものねだり、ってもんでしょかねえ。

 

 

 


虞美人草(ぐびじんそう)」


「ひなげし」っていう花の名前は聞いたことがあります。ありますけど、実は、どういう花なのかは知りません。


「ポピー」っていう花の名前も聞いたことがあります。これまたどういう花なのか知らないですねえ。


♪車にポピー
っていうのが昔ありましたけど、香りが強い花なんでしょうかね。


今回調べてみて初めて知ったんですが、ひなげしとポピーって同じ花なんですね。


ま、亜種とかの違いで名前が違っているようなのもあるんでしょうけれど、ひなげしとポピーは同じ花。そんでもって虞美人草っていうのも同じ花。


コクリコっていう名前でも知られている。


んえ~!? なんでそんなにたくさん別名を持っているんでしょう。


日本で虞美人草っていえば、「夏目漱石(1867~1916)」が1907年にプロの作家として書いた第1作目の小説「虞美人草」が知られていますよね。


ずいぶん前に読みましたけれど、なかなかにこんがらがった男女の心情が書かれていたですよね。けっこう感動作だった記憶です。


主人公の女性は甲野藤尾っていう名前なんですけど、クレオパトラに例えられているような描写があります。


小説では中国の史実に触れていなかったと思うんですけど、タイトルに虞美人を持って来ているのは、宿命的な自死に至る女性っていう共通点を強調したかったんでしょうかね。
甲野藤尾とクレオパトラと虞美人と。


虞美人草の花の名前の由来になったのは、古代中国「司馬遷(紀元前145~紀元前87)」の著わした「史記」の中の「項羽本紀」ですね。


紀元前221年に始皇帝が初めて中国を統一した「秦」が紀元前206年に滅亡して、中国は再び乱世の様相を呈します。


紀元前202年に漢の劉邦が再統一するんですけど、司馬遷によれば、秦を滅ぼした中心勢力で、乱世の中で最有力だったのは「西楚の覇王」を名乗った項羽だったそうです。


項羽と劉邦っていうのも、さまざま、物語りが遺されていますよね。


盗賊の首領のような劉邦に対して、集団戦に優れた力を発揮したっていう項羽は、中国で覇王といえば項羽っていうほどに豪傑だったんだそうです。


その項羽が自分の強さに自信を持ち過ぎたのか、乱世の終盤、項羽の西楚と劉邦の漢との一騎打ちになってきて、項羽が優勢に戦いを進めている中で、西楚内部のもめ事を収めるために項羽劉邦と一旦、和議を結びます。


和議が成って国内に戻りかけた項羽の軍に、和議を破棄した劉邦軍が襲い掛かります。


戦争っていうのは古代からそういうもんなんですね。


劉邦に味方する知恵者もあらわれて、西楚の軍を取り囲んだ漢の軍に項羽の国の歌を歌わせます。


取り囲まれている項羽は、敵陣の中に捕虜となってしまった西楚の兵が多いことを知って、思いがけず不利になってしまった戦いの状況を嘆きます。

「四面楚歌」っていうのがこれですね。


最早これまでか、と空腹と疲労を感じた項羽のそばには、虞姫(ぐき)っていう女性と、騅(すい)っていう愛馬が片時も離れることなく付き従っていたそうです。


虞姫っていう人が虞美人なんですけど、夫人じゃなくって愛人ってされていますね。


「美人あり、名は虞」って紹介さてています。


美人っていうのは西楚の国の側室の位階名称じゃないかっていう説もあるみたいですけど、別嬪さん、っていう理解でイイんじゃないでしょうかね。美人ね。


愁風五丈原諸葛亮公明もそうですけど、中国の歴史書にも日本でいう判官贔屓みたいな心情がベースにあるような気もします。


逃れようもない状況を悟った項羽は、その嘆きを詩に託すんですね。


力は山を抜き 気は世を蓋う


時利あらずして 騅逝かず


騅の逝かざる 如何すべき


虞や虞や 若を如何せん


山を引き抜くようなチカラがあったし、世界を覆うような気力もあった。


だが今、私に時は味方せず、愛馬の騅も疲れ果てて動こうとしない。


騅が前に進まなければ、どうすることも出来はしない。


虞や虞や、そなたをどうしてあげることも出来なくなってしまった。


虞美人はこう返します。

 

 

漢兵 已に地を略し


四方は楚の歌聲


大王の意気はつき


賤妾 いずくんぞ生をやすんぜん


どうやら漢の兵士たちは西楚の地を攻略してしまったようですね。


周り四方から楚の歌が聞こえて来るではありませんか。


こうして大王が諦めきっておられるというのに。


私ごときがどうしてのうのうと生きておられましょうか。


項羽本紀」の中では虞美人の最後までは触れられていないようですが、京劇なんかでは、詩を返した直後に項羽の刀を抜くと、真っ赤な血をほとばしらせて自ら命を絶ったってされているのが虞美人です。


覇王項羽、30歳。虞美人、29歳。


夏になると虞美人の墓には、真っ赤な鮮血を思わせるひなげしの花が咲き誇って、人々はその赤い花を「虞美人草」って呼ぶようになった。
っていうのが虞美人草の謂れ。

 

 

 


ヨーロッパでは小麦畑に生える雑草として「コーンポピー」って呼ばれているそうで、虞美人草は案外、生命力が強いみたいです。


フランスでの呼ばれ方は「コクリコ」


与謝野晶子(1878~1942)」がフランス旅行をした際に、小麦畑に咲き乱れている虞美人草を目にして歌を詠んでいます。


ああ皐月
フランスの野は
火の色す
君もコクリコ
我もコクリコ


やは肌のあつき血汐にふれも見で、の人ですからね。やっぱり血を見ていたんでしょうか。


今では虞美人草って、あんまり言わないかもですね。
ポピーか、ひなげし。でしょかねえ。


虞美人草。。。花の名前ってねえ。。。

 

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