ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【カウチポテト族】は進化して マウスポテト族 さらにスマホポテト族になったの?

< カウチポテトってポテトチップスの1種類じゃないんでした >

2021年9月30日に東京都の緊急事態宣言が解除されてから、下げ止まりといわれながらも新規感染者数は低いまま年末に向かっています。


経済活動を早期に復活させなくっちゃねえ、っていうのは誰しもいうところなんですが、例えば夜の居酒屋さんに客足が戻らないっていうことも続いているそうです。


あのねえ、経済を戻そうってのは分かるんだけどさあ、第6波って、これから来るらしいしね、まだまだ安心出来ないでしょ。
そうですよねえ、なかなかねえ、慎重にならざるを得ないとこがありますよねえ。
ってことで、みんなが慎重だから居酒屋にお客さんが居ないんでしょうか。


もちろんそういう理由もあるでしょうけれど、実際、どう思います?

 

 

 


どうもね、日本の酒呑みの多くは「面倒くさがり」になってしまっているからじゃないでしょうかね。
巣ごもりが随分長く続きましたからね、みんな動かなくなってしまっている可能性、けっこう高いですよ。


大きなことを言ってしまえば、資本主義社会の行き詰まりって、個人個人の運動性が低下しているってことと同意じゃないかって思うところもあります。


1966年ぐらいからアメリカで言われ始めた「boob tube」っていう言葉があります。
「boob」は「おっぱい」
「tube」は「テレビのブラウン管」


テレビが全家庭に行き渡った結果、ずっとテレビにかじりついているヤカラが目立ってきて、そういう動かなくなった人たちを揶揄して言う言葉みたいですね。


テレビおっぱいから離れられない。


で、これって特にアメリカだからってことじゃないと思われますよね。


1966年って言いますと、日本は昭和41年。東京オリンピックから2年が経って、人口が1億人を突破、日本経済は右肩上がりで世の中が沸き立ち始めているころですね。
ビートルズの来日が、この1966年です。


日本のテレビでは「ウルトラマン」「笑点」「銭形平次」の放送が始まった年で、テレビは人を惹きつける力を驚くほど強く持っていた時期だったと思われます。


この頃のテレビはたいてい「足」が付いていて、お茶の間に「鎮座」していた存在でした。
みんなが正座してテレビの画面と向き合っていた時代。


時間を決めてテレビと向き合っていた人も、もちろん多くいたでしょうけれど、日本にも「boob tube」っていう人もいっぱいいたでしょうね。
テレビをおっぱいって言ってる人は居なかったでしょうけれど。


資本主義社会はどんどん発展していって、生活はどんどん豊かになっていった20世紀の半ばごろ。
世の中全体が急激に変わり続けた時代です。


たぶんおそらく、この辺りが人間の幸福感の行き詰まり、の始まり、なのかもしれません。


アメリカではテレビの前から離れない人をじゃがいもになぞらえた「couch potato(カウチポテト)」という言葉が生まれます。1976年のことです。


カウチっていうのは一般的に、でっかいソファのことを言いますよね。
アメリカのリビングって広いんだそうで、ソファもやっぱりデカイ。
カウチに寝転んでテレビを漫然と眺めるっていう「くつろぎ」
ただゴロゴロしている「じゃがいも」じゃん! っていうのが「カウチポテト」ですね。

 

 

 


で、アメリカは知りませんが、あんなに魅力満点だった日本のテレビ番組は、だんだん「おバカ光線」をブラウン管から放射するようになっていきました。それを見る側も、もう姿勢を正してなんて見ていませんね。
だらあっとして、漫然と「眺めて」いるようになってきます。


おバカ光線に当てられ過ぎて、おバカになっちゃう人なんかも出てきちゃったんですかねえ。


日本の家庭でカウチを持っている人って、そんなに多くは無いでしょうけれど、ソファでもイイし、床に寝そべってでもイイし、蒲団の中からでもイイんですが、日本版「カウチポテト族」もいっぱい登場してきます。


休日にゴロゴロしていてジャマ! っていう夫を「粗大ごみ」って言うようになって、それって男性差別じゃないの、って話題になったのが1980年ごろですね。


アメリカでは1984年に「椅子にもたれてテレビを見ている、ジャガイモの形をした人間という空想的表現からなる図柄」つまりカウチポテトが、ロバート・アームストロングっていうマンガ家によって商標登録されます。
このマンガによって日本に「カウチポテト族」っていう言葉が浸透し始めるんですね。


ただ、日本では「カウチの上のじゃがいも」っていうイメージじゃなくって、寝っ転がってポテトチップスを食べているってイメージで伝わりました。
日本的~! なんでしょか?


ま、正しいとか間違っているって判断するんじゃなくって、アメリカと日本の生活環境の違いってとらえればイイんでしょうね。知らんけど。


1980年代はレンタルビデオレンタルCD全盛の頃です。
結果、部屋の中でゴロゴロする時間が急激に増えました。「ストレス社会」っていう言葉も、この頃から言われるようになりましたですね。


なんか、疲れたなあって人が多くなって、アメリカではじゃがいも、日本では粗大ごみになって来たんですねえ。


やがてテレビはブラウン管からディスプレイ型に代わっていきました。


ブラウン管の電子銃から発せられていた「おバカ光線」がなくなって、魅力を感じられなくなったのかどうか、テレビ放送ではなく、パソコンでDVD観賞やら、ユーチューブ閲覧ってスタイルに、少なくない人数が移行していきました。


そうすると「カウチポテト族」は「マウスポテト族」と言われるようになるんですね。
じゃがいものままです。ブルーライトじゃがいも。


だらッとしていても社会のしんどさは変らないまま、時代は進んで21世紀を迎えます。
コロナ禍のテレワークっていう形態があろうがなかろうが、デスクワークの仕事はずっと座ったままです。
モニターの前から解放されても、道を歩きながらでも、今はみんなスマホですね。


床に、ベッドに、ゴロゴロしてスマホです。

 

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スマホの浸透によって「マウスポテト族」は「スマホポテト族」になっただけのことかもしれません。


ストレスから逃れようとする無意識の行動なのか、より多くの快楽を日常生活の中に求めた結果なのか、あるいはコロナ禍の巣ごもり生活の影響なのか、五感を身の回り数十センチに留めようとする傾向があるのが「スマホポテト族」


スマホ画面に視覚を、スマホからのブルーテュースで聴覚を、ケーブル接続のイヤホーンもありですけどね。スマホのタップで触覚を、残りの嗅覚と味覚は、目の前のポテトチップス?


もう2年近く、そういう生活に閉じ込められいましたからね、部屋から出ません。


ん~、でもね、スポーツジム行ってるからね、「スマホポテト族」じゃないよ。って意見もあるかと思います。
でもですね、やっぱりずっとゴロゴロしていたり、座っている時間が多い人で、身体を動かすためにスポーツジムに通っているっていう人、安心できませんよ。


健康意識の高さはイイんですがそういう人を「アクティブカウチポテト族」って最近言うらしいんですよ。


特に日本人は世界的に座位時間が最長なんだそうです。
心身の健康には、ちょこまかと動く習慣が欠かせないってことらしいです。


身体的な悪影響についての研究は進んでいるみたいですが、やっぱりね、精神的な負荷もかなり大きんじゃないかって思います。


外に出て、歩いて行っても、酒呑むだけじゃん、っていう反論もおありでしょうが、くだらない話しでも居酒屋で交わすリアルコミュニケーションって、とっても大事だと思います。


ヤな奴と話す必要は、もちろんないんですが、歩いて行って、ナハハって笑い合える場に身を置いて、スマホから離れる時間を持ちましょう、ってことだと思います。


「アクティブカウチポテト族」
部屋の中でずるずるだらだらしているんだったら、居酒屋で気持ちを解放してあげましょう。
自分を大事にする1つの方法だと思います。呑める人はね。

 

 

 


ちなみに、カウチポテトの絵で登録商標を取ったロバート・アームストロングは、マンガの「ミッキーラット」の作者でもあります。
ほら、あの、鼻がふにゃふにゃって長い、ミッキーマウスのパロディです。
今でもTシャツで見かけること、ありますよ。


大型のネズミがラットで、小型がマウス、っていうぐらいの違いしかないそうなんですが、ミッキーマウスは1928年のデビューですね。
テレビ文化の前から動いている人気キャラクターです。


テレビ放送が始まったのは、イギリスBBCが1932年。アメリNBC、ソヴィエト国営放送が1939年です。
日本はNHKが1953年にかなり遅れてテレビ放送を開始していますが、これは戦争と敗戦による内外の規制が原因らしいです。


半世紀を過ぎてポテト族からも距離を置かれ始めているテレビってことですかねえ。


おバカ光線って、ブルーライトになっても気持ちイイもんなんでしょうから、ハードウェアが変わってスマホになって、ゴロゴロし易くなったってことでしょう。


いやまあ、日本とアメリカだけじゃなくって、世界的に、人はゴロゴロしたい生き物なのかもです。知らんけど。

 

中国では、

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【そばがき】【そばきり】こだわりの蕎麦職人 コロナ禍で閉業しちゃったの?

< マズイ蕎麦っていうのは ほぼ無いですが 旨いっていうのも少ないです >

コロナ禍によって閉業しちゃった店舗って私の周りでも少なくないんですが、その中でも特に残念なのが、とある「蕎麦屋」さんです。


ちょっと遠くまで足を延ばす散歩コースの途中にあった、小さなビルの1階の店舗。
そのビルの1階には3軒の店舗が並んでいて、右側が理容院、左側が八百屋、そして真ん中がその蕎麦屋さんだったんですね。


不愛想な外観ですし、かなり古い感じの全面ガラスの引き戸は、そのまま店内が見渡せるはずの作りになっているんですが、いつも暗いんですね。中が見えません。
で、いつも素通りしていたんですが、数年前のその日、ちょうど通りかかったときに引き戸を開けて中から女性の2人連れが出てきました。


で、その時その店の引き戸のガラス、実はスモークが貼ってあって、店内は意外に明るい。
ふむ、っと思って入ってみたのでありました。

 


と、ガラス戸の店内側はミラーになっていて、なんだか食べもの店じゃない雰囲気でした。


「いらっしゃいませ~。いやあ、ここ元は撮影スタジオだったんですよ~」


怪訝そうにガラス戸を見ていたので、フォローとしての説明だったと思うんですが、短髪白髪の店主さんがちょっと甲高い声で迎えてくれました。


「もっとねえ、蕎麦屋っぽく変えようかって思ってはいるんですけど、なかなかねえ」


けっこう軽いトークでよくしゃべる店主さんでした。
メニューは「せいろ」「大せいろ」「そばがき」「そばプリン」の4つだけ。
プリンってなんやねん! って思いながら「大せいろ」を注文しました。


時間はたしか2時ちょっと前ぐらい。客は他に誰も居ませんでした。


2人がけのテーブルが6つ。ザッツイット。カウンターは無し。
コロナ前でしたが、店内は空き空きのスペースでした。しかもテーブルは全部2人がけっていう不思議さ。
テーブル席から厨房は全く見えません。


全体としての店内風景は、入り口のミラーガラスが悪目立ちしています。
どうでしょう、期待できる店なんでしょうか。って、出されたお茶を口にしてみると「そば茶」
悪くない感じなのでした。


と、姿の見えない厨房から声だけが聞こえてきました。


「お客さん、ウチは初めてですよね」


腰高の白木板張りから上は、ウグイス色の壁紙。
撮影スタジオに後付けしたのかもしれませんが、ちゃんとした壁があるのに、店主の声はやけにハッキリ聞こえてきます。


「脱サラしてね、もう2年になるんですが、お客さんがなかなか入ってくれなくってねえ」


げっ! 脱サラの蕎麦屋さん。


雑誌だとかでよく取り上げられていますよね。店主の自己満足だけで始めちゃうので長続きしないっていうニュース。
ここもそうかなあ。ダメダメな店につかまってしまったかあ、ってすっかり諦めモードになりました。


「きょうはかなり出来がイイんですよ。お客さんラッキーですよ」


ほら来た。。。


正直といえば正直でイイことなのかもしれませんが、一応、脱サラであれ何であれ、プロとして、店舗を構えている蕎麦屋さんなんだから、きょうの出来はイイとか、普通言わないでしょねえ~。
期待値ゼロッ! やっぱりハズレ~。

 


「蕎麦つゆは陶器と漆器、どっちにしますか~」


え? つゆの容器のこと? なんだかヤッカイな店に入っちゃいましたねえ。


陶器をお願いしました。


で、おまちどうさまって出てきたのは、平たい丸型のせいろに盛られた更級蕎麦と、ごつごつとした見た目の凝った陶器に入った蕎麦つゆ。刻み葱とわさびの小皿。


「ごゆっくりどうぞ」


はいはい。サッサと食べてサッサと出ようって思って蕎麦をたぐってみますと、なんと、蕎麦、旨い!


つゆもしっかりと出汁が利いていて、どちらかというと重い味なんですが、コシのしっかりした蕎麦との相性が抜群です。
あれ? って思いましたね。


食べもの屋っぽくない内装に店主のカルイ感じと、出された蕎麦の重厚さがちっとも釣り合っていません。
大せいろを注文したからとはいうものの、ボリュームもたっぷりです。


壁の向こうでは洗い物をしている音が聞こえてきました。


「お客さん、食べっぷりイイねえ」


見えてないのに、なんのこっちゃ。


「ちゃんと蕎麦をたぐって食べてくれる人って、今少ないんだよねえ」


ははあ、そですね。ヌードルハラスメントなんていうことも言われる世の中ですからねえ。


脱サラして蕎麦屋を始めるくらいですからね、蕎麦に対するこだわりがあるんでしょうね、って、その時はそれぐらいの感じで、でもまあ、満足して出てきました。
大せいろ、800円でした。値段も高くないですしね。


店主の問いかけがちょっと面倒くさい気もしましたが、通ってよさそうなイイ味でした。満足。


で、月に数回の割で通うようになったのでした。


ある時、そばがきを注文すると、


「あ、すみません。きょうはそばがきないんですよ」

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あ、そですか。ま、せいろでイイです、オッケーです。


だったんですが、店主さんはいつも通りに甲高い声で話し始めました。


その話によると、蕎麦が巧く出来なかった時にだけそばがきにするんだそうで、そばがきの日はせいろが無い。
ん~。そなんですね。そういうこだわり。


自分で蕎麦を打ったりしたことがありませんので、蕎麦粉とそばがき、蕎麦切りの関係がよく分からないんですが、そういうもんなんでしょうかね。
そういえばここ最近は、そばがきを出してくれる蕎麦屋さんって少なくなった気がします。


その店は入り口の引き戸を変える雰囲気は全然なく、営業を続けていました。


なかなか入り難いんですが、一度入ると通うようになる私と同じような人が少なくないようで、店の中で見かけるお客さんの顔はだいたい決まっていました。
ちょっとしゃべり過ぎる感じの店主も、慣れてしまえばオッケーですし、なにせ蕎麦は一級品でした。
むしろ穴場ってとこなのかもです。


で、2021年4月12日からの「まん延防止等重点措置」が始まった日から、


「東京都のまん延防止等重点措置の発令に従いまして、4月24日まで休業とさせていただきます」


っていう張り紙を例の入り口引き戸に張り出して、しばらくのお休み期間に入りました。


ところがですね、この時のまん延防止等重点措置は4月24日で終わらず、25日からは緊急事態宣言が発令されてしまったんですよね。
みんなガッカリでしたが、新規感染者数が増えてしまったので致し方ありませんでした。


張り紙は、


「東京都の緊急事態宣言に従いまして、6月20日まで休業とさせていただきます」


に代わっていました。


ところが、6月20日で無事解禁とはならず、またしてもまん延防止等重点措置が発令されました。
張り紙もそれに合わせて代わりましたね。


「東京都のまん延防止等重点措置の発令に従いまして、7月11日まで休業とさせていただきます」


ここまでで、もう4か月が経過しています。


店の家賃がそんなに高くは無さそうに、勝手に思ってはいるんですが、協力金が支払われるとはいえ、気持ちを維持するのも大変だろうなあって思っていたんですが、こんな状況になって来ますと、しゃべり過ぎる感じの、あの店主が懐かしく感じられてきますし、なんといっても、あのせいろがもう一度食べたいなあって気持ちがどんどん強くなってきていたんですね。


なのになのに、7月12日からは、またしても緊急時多宣言が発令されてしまったのでした。


ところが店の張り紙には変化がありませんでした。


8月を過ぎて9月になっても「7月11日まで休業とさせていただきます」のまま。


そして9月30日に緊急事態宣言が解除されても、店が再開する様子はありません。
張り紙もそのまま。


今はもう12月になろうとしています。

 


結局、その店のそばがきを食べる機会はなかったんですが、このまま閉店ってことになってしまうんでしょうかねえ。


別の店舗が入ったような形跡も見られないんですが、再開は期待薄な感じです。


まだまだ通りがかりに気を付けて観察しようとは思っているんですが、この蕎麦屋さんに限らず、今回のコロナ禍で閉店、閉業した店舗は少なくないです。
居酒屋さんに客足が戻らないっていう話も聞きますし、どうもね、2021年は明るさの無いまま暮れていきますね。


コロナ明けでマスク着用無用っていうふうには、まだまだなっていませんが、3回目のワクチン接種も始まりそうですし、2022年が明るい年になることを、ちと早いですけど、願わざるを得ませんですね。


みなさんの周りの店舗事情、どうですか?

【第4次激辛ブーム】ほほう 第4次なんですか って話

< ポテトが辛くてなぜおいしい! って「カラムーチョ」が登場したのは1984年 >

時々行く町中華なんですが、大きくない店舗なんですね。


コロナ禍のソーシャルディスタンスでカウンターは5席。背中側の4人がけテーブルが3つ。
でも厨房には3人、客席担当が1人で、店の人員はちょっと多め。人気店なんです。
カウンターの向かい側が長~い厨房。


豚肉ソバ、豚肉チャーハン、豚肉中華丼って個人的には豚肉中華屋さん、みたいな感じで利用させてもらっています。
豚肉、白菜の細切りのあんかけで、何でもない材料なんですが、スパイシーで旨いんです。
コショウ系ですね。


月に2回ぐらい、餃子の日っていうのがあって、半額で270円になるんです。
で、たまに食べますけど、餃子はフツーな感じです。
韃靼餃子っていうのがちょっと高めで、半額で320円。これもなんだかフツー。
血流にイイんだそうですよ、韃靼。

 


で、つい最近行ったときに、カウンター席の隣りにグレースーツのサラリーマンが座りました。


客層はいつもばらばらで、学生さんもいれば、妙齢の女性が1人で食べていることもあります。
でもまあ、サラリーマンが多いでしょうかね。コロナ前はミニ宴会みたいな状態になっているグループもけっこういました。


40代ぐらいでしょうかね、グレーのスーツはヨレヨレしてました。
服装なんかちっとも気にしないんですが、そんな私でも「けっこう疲れてまんな~」って思うほどのヨレヨレ具合でした。スーツがね。


でも本人は元気いっぱい。
「ナマ中くださーい」
って言って、3枚あるA4判メニューをてきぱきとひっくり返しながら品定めです。


ま、そんなにじっと観察していたわけじゃないですけどね。


「ナスの辛子炒め、単品できますかー」
「はい出来ますよー。ナスカラ、一丁!」


ナスの辛子炒め、メニューには定食として写真付きで載ってます。注文する人多いですね。人気あります。


町中華呑みで、定食メニューの単品オーダーってイイですよね。定番だと思います。
パパっとすぐに出てくるところも町中華呑みのイイところ。


ヨレヨレグレーさんは、食べ始めてすぐ言いました。
「あれえ、辛子炒めって全然辛くないですねえ」


この店のナスの辛子炒めは私も前に食べたことありますけれど、辛子っていっても、風味でしょ、ふうみ。
トウガラシが入っているわけじゃないし。


って思うんですけど、この店でしか食べたことがありませんので、辛いナスの辛子炒めがあるのかもしれませんけどね。


ただ、ちょっとびっくりしたのはこの後のヨレヨレグレーさんの発言と行動なのでした。


「辛くないんでマイイチミ使っていいですかー」


は? イチミ? my一味? ずいぶん前に聞いたことがあったような、なかったような。あれはマヨネーズだったかなって思いながら、ヨレヨレグレーさんの方に目をやりますと、店側の返事を待つまでもなく、背広のポケットから、背広のポケットからですよ、一味の小瓶を取り出して、ババーっと振りかけていました。


あっという間に真っ赤なナスカラになっていました。風味とか全く関係なし。


厨房の調理人も、運んできたお兄さんも、何を言うでもなく渋い顔で見守っていました。


カウンターの上には一応調味料が置いてあります。当たり前の調味料。
ラー油、酢、しょう油は餃子用ってとこでしょう。その他にコショウと七味が置いてあります。


なので、客が好みで「辛味」を調整するのはオッケーなはずです。


でもねえ、背広のポケットから出てくるマイ一味ってねえ。
言葉遣いは丁寧な感じですけど、慇懃無礼っていう行為ですよねえ。


ま、ただ偶然に隣り合わせた客が、他の客の行動に対して何か言うべきことでもありませんので、すぐに自分の豚肉ソバに戻りましたです。


にしても、その背広のポケットには何が入っているんだ? って思いました。


そんなの入れて歩いているからヨレヨレになっちゃうんじゃないのかなあ。グレースーツ。
まあねえ、大きなお世話ですけどねえ。


にしても辛いの好きな人って、どんどん増えてきている感じがします。

 


で、調べてみたらですね、2020年辺りから「第4次激辛ブーム」みたいですよ。


え~! ブームっていうのがあったのは何となく分かるような気がするんですが、「第4次」ですかあ。ちょっとビックリ。
前に3つもあったなんて、そこまで意識したことなかったです。


第1次ブームはスナック菓子が中心だったそうです。


火付け役は、1984年発売の湖池屋「カラムーチョ」
ありました、ありましたって思ったんですが、今でも人気らしいですね。


「ヒーおばあちゃん」と「ヒーヒーおばあちゃん」
なんだってまた「おばあちゃん」を辛いスナックの対象にしたんでしょう。


でもまあ、それが当たったってことですもんね。辛いポテトチップス。ここから始まったんですねえ。


1985年、当時のベルフーズ、現在のクラシエフーズから出た「カラメンテ」


激辛カップラーメンは一気に人気が出て、ストレス解消って言われましたね。ストレス社会って、この頃にはもう定着した概念だったってことですかね。


1986年にはエースコックがカラメンテの対抗馬として「カライジャン」っていうのを出しています。


この1986年の新語・流行語大賞には「激辛」っていう言葉が入りました。
ここまでが第1次ブームなんだそうです。


で、第2次ブームは1990年からの数年間。


韓国ドラマのヒットがトリガーだったのではないかっていうことなんですが、韓国料理だけじゃなくって、辛いタイ料理もブームになりました。
家で食べるんじゃなくって外食としての激辛ブームだったわけですね。


そんでもって第3次ブームは2000年代。


2003年に東ハトが出したスナック菓子「暴君ハバネロ」が激辛ブーム再燃に火をつけました。
ハバネロってなんやねん? って思ったのを覚えています。

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意地悪そうなトウガラシのパッケージも印象的です。


東ハトは姉妹品として、2004年に「暴君ベビネロ」「麻辣仙人マーラーセンニン)」
2007年に「大魔王ジョロキア」を次々に市場投入してますね。


このシリーズでトウガラシっていろんな種類があるんだなあって知りました。


からうまラーメン日本一で人気の蒙古タンメン中本が不動のポジションを得たのも2000年代でした。


中本の「北極」を1回だけ食べたことありますが、「ヒーヒーおじいちゃん」になりました。


2009年には、「辛そうで辛くない少し辛いラー油」っていうキャッチコピーで桃屋の「食べるラー油」が発売されて大ブームになりました。
家で食べるだけじゃなくって、居酒屋さんにも置かれていたりしました。今は店では見ませんけどね。


ペヤング激辛やきそば」が出たのは2012年でした。
ペヤングの激辛は、中本の北極レベルで、ちょっとね、子供には危険レベルじゃないでしょうかね。


で、今、2019年辺りからが第4次ブームってことらしいんですね。


特徴的なものとして「マー活」っていうのがあります。


要は辛いものを食べる活動ってことなんでしょうけれど、しびれる辛さが第4次の主流らしいです。
「マー活」って調べてみるまで知りませんでしたが、「マー」っていうのは「麻」だそうです。
麻辣(マーラー)ってやつですね。
麻婆豆腐、山椒たっぷりの辛い、しびれる麻婆豆腐が主流。


これは「シビレ系」っていうらしいです。


これに対して「突き抜ける辛さ」を求める「ストロング系」っていうのもあるみたいです。
突き抜けちゃったら、なんだか、大丈夫なのか? って気もしますが、「花椒」だとか「コショウ」だとか辛さのバリエーションが特徴なんだそうです。


ストレス解消に激辛を求める。激辛ブームは30年以上続いているっていうことらしいんですが、30年も続いたら、それはもうブームとかいうんじゃなくって、日本人の食生活、食習慣が変わったんじゃないかって思いますが、どうなんでしょうね。


そもそも辛いものを食べて、汗を流してスッキリしようって思うのは、ストレスだけが原因なんでしょうか。
分かりませんね。

 


夏の暑い時期に辛いカレーっていうのをウリにしている外食店は昔からありましたね。
暑い沖縄には「コーレーグス」っていう、ラー油というか、辛い調味料があります。
トウガラシがギュウギュウに入っている瓶は、見た目だけでも充分辛いです。


島トウガラシを泡盛に漬けたもの。


その液体がコーレーグス。いやいや漬けてあったトウガラシこそがコーレーグス
両方ともコーレーグスでイイんじゃないの。そですよね。って感じみたいです。


漢字で書くと「高麗胡椒」らしいんですが、トウガラシを胡椒って呼ぶのは、まあ、アリだった時代があるんでしょうね。


中本の激辛ラーメンは北極ですが、寒い地方の辛い食べもの、調味料って何でしょう。
サッポロ味噌ラーメンには七味が合いますけどねえ。あれもやっぱり風味で、辛さじゃないようにも思います。


日本人は冷えた身体を温めるための辛さっていうんじゃなくって、暑さ、ストレスのための辛さ、を求めているってことなんでしょうか。


コロナ明けには第4次激辛ブームのメダマになる食べもの、アイテムが出てくるかもです。

 

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【鉄腕アトムの世界】空飛ぶ車ってまだまだ出来そうにないけど

< 自動運転とかを真剣に実現するのに 宇宙ゴミの問題ってどう解決すんの? >

21世紀が半世紀も先のことだった1952年にデビューした「鉄腕アトム」の誕生日は、原作では2003年4月7日となっています。


この記事は2021年11月に書いていますが、現時点でもロボットは居ますね。
もちろんアトムのような完成度を持ったロボットには及びもつかないんですけどね、


手塚治虫さんがアトムの構想を練っていた1950年代初頭に描いていた近未来の2003年を、20年近く経過して、現実の社会は作家の想像力に追い付いていないわけです。


アトムが活躍する街にはチューブ型の高速道路がビルの間を縫うように巡らされていて、空飛ぶ車が行き交ったいました。
移動手段が地面から離れているように見えました。


21世紀という進歩した社会を、半世紀前のマンガ家であり医学博士でもあった作者は、期待を込めてそんな世界観として思い描いていたんでしょうね。
何の根拠もなく、あの絵面を考えたんじゃないと思います。

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車はまだ空を自由に跳んではいない2021年現在、まもなく21世紀の四半世紀を迎えようとしているタイミングですが、衆議院選挙の辺りからでしょうか、街に活気が戻りつつあるように感じます。


アトムも経験していないコロナ禍という世界的パンデミックで、どうしても停滞気味だった東京の街でしたが、道路を走る車の数が明らかに増えました。
それも工事車両が増えているように思います。


閉業していた店舗の改装、空き地になっていた場所での新築工事も少なくない場所で始まって来ました。
ようやく動き出しましたかねえ。

 


岸田首相は「新しい資本主義の実現」ってなことを仰っておられますねえ。


どんどん切り開いていくタイプには見えない首相ですが、「新しい」っていう言葉の選択には、どんな具体を考えているのか、まだ見えてきてはいませんね。


ただ、これまでの政治家は、特にアメリカの政治家ですが「チェンジ」を声高に叫んできたように思います。


「変化」と「新しい」にはハッキリした違いがありますよね。
なにがどう違うんでしょう。


特に今回の場合、「新しい」にくっ付いているのが「資本主義」ですからね、なんだか根本的に仕組みづくりを考えて行こうっていうことなのかもしれません。


ただね、「化石」と評された日本ですからね、日本なりのニューディールといいますか、「脱炭素」に関して産業構造は変化せざるを得ない感じなんでしょうから、政府じゃなくって企業の方にこそ「新しい」が求められているのかもしれないですよ。


モノづくり日本の代表的産業といえば、令和現在では自動車産業ってことになるでしょうか。
トヨタ自動車が世界ブランドですよね。でもトヨタだけ。


「脱炭素」の活動について、最も目立つのが自動車のガソリン離れです。世界的にね。
2003年にカリフォルニアで設立された電気自動車メーカー「テスラ」は、順調に業績を伸ばしていますね。


テスラっていう会社名は、あのニコラ・テスラとは全く無関係なんだそうですが、出てきたときは何だか怪しげな雰囲気を感じていましたが、電気自動車っていうものを現実のものにした実績はさすがだなって思わされます。


トヨタはハイブリッドでした。日本メーカーはハイブリッド技術で世界をリードしていたんですよね。


2003年当時はテスラの電気自動車はまだ実用的ではなかったですしね。価格と持続走行距離でね。


でもまあ、世の中は急激に変化します。


「脱炭素」の活動はまさに待ったなしという世界的認識になりました。


グレタ・トゥンベリさんだとかに、私たちの未来を奪うのかなんて言われてしまえば、世界の大人たちは、トランプさんを除いてグーの音も出なかってってことですね。

 


中国もガソリン車から一足飛びに電気自動車に移行することを発表しました。
そしてその流れは、あっと言う間に世界的潮流になって、自動車はハイブリッドではなく電気自動車、EVになってきていますね。


EUも「2035年にエンジン車・ハイブリッドカー禁止」という政策を打ち出してきました。


ホンキの「脱炭素」です。


そんな流れの中で中国製50万円EVが発売されて話題になっています。


2022年以降、日本の流通業界に大量投入されるみたいなんですね。
中国で安く作られた車が、そのまま日本で走れるっていうそのわけは、設計を担当しているのが日本の会社だからだそうです。


設計段階で日本の基準をクリアしているので、そのまま日本で走れる中国製EV。


それは「ファブレス生産」と呼ばれているもので、設計だけを行って、車の生産自体は別企業に委託するっていう業務形態なんだそうです。
日本の流通業に納入される中国製EVの全てが50万円ってことはないんでしょうけれど、それ相応に安いんでしょうね。
1社で1万台導入とかいう話も出ています。


ヨーロッパの各メーカーでもEVシフトはどんどん進んでいる中で、日本の自動車メーカーは、なんだかパッとしませんね。出遅れって評価です。
大丈夫なんでしょうかね。


って思っていたらですね、アメリカ、ミシガン州に本社を置く新興電気自動車メーカーの「リビアン・オートモーティブ」が2021年11月10日に、アメリカ、ナスダック市場に上場して、時価総額11兆円を超えたという報道がありました。


テスラの好敵手が、同じアメリカに登場してきたってことになります。


自動車産業は元々アメリカの基幹産業の1つでした。自動車のアメリカ、復活かもです。
ますます加速する「脱炭素」の活動は日本のメーカーも避けて通れないわけなんですが、なんでしょう、日本のメーカーは全然EV業界に登場してきませんね。話題になっていません、


エンジンからモーターへのパラダイムシフトですから、全く新たな技術が必要になるんでしょう。


さらに言えば、今の車はスマホがそうであるように、高速移動できるコンピュータと見ることも可能です。
ほとんどの機能が電子制御です。ガソリン車でもね。


これからの自動車産業に決定的に必要とされるのは「車のOS」ってことになるんじゃないでしょうか。


自動運転システムだとか衛生との通信によって制御する分野は広がりこそすれ、制限される方向には向かわないでしょう。
駆動がエンジンからモーターに代わって、ハードウェア的な変化とともに、車のコントロールに特化した、あるいはIoT的な交信を自社独自に行えないと、国際的な競争力を持てないかもしれませんよ。


世界に名だたるトヨタはどうしちゃったんでしょう。

 


どうもですね、トヨタはハイブリッドからEVに行かずに「水素エンジン車(FCV)」に行っているみたいですね。
電気じゃない「脱炭素」


価格帯も含めてどの程度まで実用化の目途が立っているのか、現時点では不明ですが、燃料供給のインフラ整備も含めて、まだ時間がかかりそうな感じです。


コロナワクチン、治療薬の開発にも出遅れた感のある日本ですが、自動車の「脱炭素化」にも出遅れたという評価の出ている中で、トヨタ、なんとか頑張って欲しいところです。


トヨタとしてはEV車にしてしまうと多くの雇用が失われてしまうけれども、水素エンジン車であれば雇用の多くが守れるだろうっていう意向もあるのかもしれません。
あくまでもエンジンです。


それはカッコイイ姿勢だと思います。すそ野の広い自動車産業の雇用維持です。


でもねえ、EV車ってオヤスイのが魅力ってことになりますよ、っていう中国生産方式もありますからねえ。
商売としてはかなり厳しいことになる、のかもです。でも、なんとか、トヨタには頑張って覇を唱え続けて欲しいです。


それとですねえ、全くの外野席から申し上げさせていただきますが、EV、モーター車ねえ、マブチモーター製の車とか、そういうのって出来ないんでしょうかねえ。


単三4本で6時間走りまっせ! とか、そういう1人乗りの、既成概念にとらわれない乗り物。
技術は充分にお持ちでしょ。知らんけど。


ま、移動や輸送の方法については、究極「ドローンタクシー」ってことになっていくのかもしれないんですが、これもまたね、ホンダあたりがドドーンっとやってくれちゃったりするとウレシイんですけどね。


いや、これ、シャレじゃなくってね、何か技術立国ってところを示さないと、ホントに。


それとも鉄腕アトム、マジで開発中ってメーカーがあったりするんでしょかねえ。


競争相手はアトムの敵として考えるべきかもしれないITジャイアントでっせ。


天馬博士とお茶の水博士。どこ居るの?


宇宙ゴミ問題の解決とかに、先鞭をつけたりなんかできるとカッコイイかもですけどねえ。

【侘び寂びサイバー】って なんのこっちゃねんっ!

< 日本文化の中心思想って言われる「侘び寂び」と「サイバー」がくっ付いちゃって >

最新作「ポーの一族 秘密の花園」も好評だそうな萩尾望都さんですが、2009年にナポリ東洋大学アジア学科で「少女漫画 少女達が夢見た世界」っていう講演をしたんだそうですね。


2009年発売の「夢見るビーズ物語」っていうコミックエッセイ集を読んで知りました。

 

さすがですね。国際的にご活躍です。


その講演は「侘び寂びサイバー会議」の中で行われたってことなんですが、イタリアで侘び寂びの会議? って思いますよね。しかも後ろに「サイバー」っていうのがくっ付いてますよ。


なんなん?

 

 

 


調べてみますと
「侘び寂びサイバー会議は現代と伝統の相互関係を取り上げます」
なんだそうです。


現代っていうのがサイバーで、伝統っていうのが侘び寂びってことなんでしょうかね。
ナポリ東洋大学って初めて聞きましたが、その名の通りイタリア、カンパニア州ナポリにある大学で、創立はなんと1732年。


18世紀初頭、中国が清王朝になって開放政策を取り始めたんで、中国でのキリスト教布教活動が盛んになった。
そんで、イタリア人宣教師が中国人キリスト教徒を連れ帰って「中国学院」を創設したのが始まり。だそうです。


まあ、当然のようにヨーロッパにとっての東洋といえば中国ですね。陸続きですからね。
この時の日本はキリスト教を禁止していた江戸時代、享保の大飢饉が1732年です。


「中国学院」は19世紀に「王立アジア学院」となって中国ばかりじゃなくって、多くの国の言語を学ぶ場になっていって、ナポリ東洋大学となった現在では世界50か国の言語を学べる大学になっているんだそうです。


「侘び寂びサイバー会議」は2005年から始められている「ニッポニカ」日本、イタリア文化協会の企画の一環として行われている会議体らしいんですが、「現代と伝統の相互関係」ってなんだか興味深いんですが、難しい感じもします。


侘び寂びって、令和日本でみんなが口にするような言葉じゃないですもんね。
メディアなんかでもあんまり聞きません。


そもそも今の日本で「侘び寂び」って、そういう一語、1つの単語みたいに捉えている人もいるんじゃないでしょうか。


知っている人にはわざわざ言うまでもないことでしょうけれど、「侘び」と「寂び」は意味の違う2つの言葉です。


で、改めて侘びってナニ? 寂びって? となりますと、うまく説明するのって難しいです。
なにせどの言語にも翻訳できない日本語の代表みたいなもんですからね。


ちょっと真面目に調べ始めると、けっこう哲学的な言い回しの説明がドドーって出てきて、結局なんやねん!? ってことになっちゃいがちに思えます。
それに、最近の使い方としては2つの言葉を一緒にして「侘び寂び」っていう言い方をすることも多いですからね、意味として捉えどころが変化してきている可能性もあります。


いやいや、元々の意味があるんだから変化するっておかしいでしょ。っていう捉え方が尤もだろうとは思いますが、そもそもの意味と現在の意味が違っている日本語っていうのも少なくないです。


たいていの場合、口にする時に「ワビサビ」って言いますよね。「サビワビ」とは言いません。
ですが、言葉の意味を理解するのに便利なのは「サビワビ」の順番の方だろうと思います。個人的にですけどね。


サビ、寂びっていうのは乱暴に言ってしまえば「錆び」です。
経年劣化ってやつですね。


モノはなんでも時間の経過に従って、色褪せたり、形が崩れたりして劣化します。
陶器だとかは割れちゃったりもしますね。
そうして劣化した姿の「美しさ」が「寂び」なんですね。


そして、その「寂び」を美しいと感じる、ものを見る心が「侘び」ってことなんです。


なんだか分かったような分からないような、って感じでしょかねえ。

 

 

 


ソシュール記号学で言う「シニフィエ」と「シニフィアン」っていう概念に似ているかもしれません。


記号学言語学ですからモノじゃなくって言葉なんですが、「皿」っていう言葉そのものをピックアップしてみます。


「皿」っていうこの文字を見たり、発音を聞いたりしたときに、普通に使っている、見慣れた生活道具の「皿」を思い浮かべますよね。そのイメージされる「皿」が「シニフィエ」です。


「皿」っていう文字や音声が「シニフィアン


シニフィアン」が「意味しているもの」で、「シニフィエ」が「意味されているもの」なんですね。


侘び寂びに関係づけてみますと、侘びがシニフィアンで、寂びがシニフィエ


ますます難しくしてるやん! ってことになっちゃいましたかね?


も1つ、別の方面から。


京都市左京区にある臨済宗のお寺「慈照寺(じしょうじ)」
ここは東山文化を代表する「銀閣寺」の名前で知られていますね。

 

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金閣寺」の北山文化と比較されることが多いですが、室町幕府8代将軍の足利義政の開山です。


金箔鮮やかな金閣寺に比して、質素にさえ見える木造二階建ての「銀閣」は慈照寺の観音殿なんだそうです。


一日も早くインバウンドが戻って欲しい京都観光だとは思いますが、観光客の目は、どうしても金閣寺に集まりがちらしいんですね。
北山文化、3代将軍足利義満、凄い! ってことですよね。


さすが世界遺産、ってことで分かりやすいんです。ピッカピカです。


一方足利義政っていう人は、あんまり評判の芳しくない将軍サマです。
なにせ応仁の乱の時の将軍ですからね、無能、とか言われちゃったりもします。


銀閣を見ても、なんやねん、ちょっと大きいだけの普通の木造建築やん。なんでこれが世界遺産やねん!
っていう評価になりがち。


でもですね、銀閣こそが「寂び」を具現化しているんだと思うんですね。


将軍としては、つまり政治家としては活躍できなかったらしい足利義政ですが、一級の文化人であったことは間違いなさそうです。
自然の景観の中の金ぴか金閣寺より、しっとり京都の緑の中に溶け込んでいるのが銀閣寺じゃないでしょうかね。


そして、経年劣化を考えてみますと、金閣寺をメンテするのは大変だと思いますが、銀閣寺はその劣化が、枯れていく様を見せてくれているように感じられて、日本人の心を落ち着かせてくれるんだと思うんですね。


銀閣寺を見て、どう思うか。何を感じるか。あの静かさはあそこにしかないんですよね。


銀閣寺が「寂び」「シニフィエ


その銀閣寺を鑑賞する側の気持ちが「侘び」「シニフィアン

 

 

 


って、こんなところで切り上げておきますが、焦点はここじゃないんです。「侘び寂びサイバー」です。


イタリアの大学の会議体で「侘び寂び」とネット空間としての「サイバー」について議論されているって、すばらしいことだとは思うんですが、侘び寂びの国であるはずの日本ではどうなんでしょう。


サイバーはダメダメだし、もののあわれを感じ取れる心、忘れ去られていませんか。


日本、大丈夫?


なんかね、コロナが治まりかけてきているのかな、ってなった2021年の初冬。
死刑になるために人をたくさん殺そうと思った、とか言ってる事件が頻発しちゃって、なんでそういう心理状態になってしまうのか、普通には理解しがたいところですが、そんな報道に触れて、侘びと寂と、日本で独自に醸成された心理的文化、国民性の根底みたいなところが無くなってしまっている令和なのかなあって、思ってしまったでありますよ。


今は案外イタリア人の方が侘び、寂びについて理解している可能性もありますよね。
ホント、日本、大丈夫なんでしょか。なんだか心配になって来ます。


鎌倉幕府3代将軍、源実朝になぞらえて評価する人も居る足利義政ですが、銀閣の完成を見ることなくこの世を去っています。


実朝は悲劇のヒーローで、義政はアンポンタンって評価する人、侘び寂びを分かっていないんじゃないのかなあ。
日本人の、なんとも日本的な心の自由、審美眼。どっか行っちゃったんですかねえ。。。


良く生きるための頑張りのベース。侘びの獲得。寂びの理解。いとをかし。。。

 

 

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