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【東京「町」歩き】23区 品川区編 品川区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 南部に位置する品川区には 27の町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。

でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。
市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第10回目は、「品川区」です。

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品川区の面積は22.84平方キロメートル。23区の中で10番目の面積。人口が42万人余り。


区の木はシノキ、カエデ。2つありますね。区の花はサツキ。


令和現在の品川区は、区内へ通勤して来る人の数の方が多く、昼間の人口は夜の人口のおよそ1.4倍。


品川駅の通勤風景から考えますと、もっと大きな倍数なんじゃないかって感じますけれどね。


凄いですよ、朝の品川駅。


コロナ感染のニュース映像で、よく使われている品川駅の通勤風景ですが、人の多さを映し出したい意図があっての映像なんでしょうけれど、通常はあんなもんじゃない、っていうのが、実体験者の共通認識じゃないでしょうか。


品川駅の近辺にはけっこう大企業のオフィスもあって、リモートワークに取り組んでいるところも少なくないという事情だし、撮影している時間帯もピークを外しているんだろうと思われますよ。だから少ない。


平日の朝、コロナ前のことですけれど、8時から8時半の30分は、日本って、こんなに人が居るんだなあって、ちょっとゲンナリ気分で納得させられてしまうほどの人数です。


みんな真面目に働いているんだなあって、そう感じて、自分も頑張ろうって方向に気持ちがいかないです。なんでこんなに画一的に仕事に向き合わないといけないんだろうって、マイナス方向。
だって、あまりにも人の数が多いから。


品川駅には、東海道新幹線、山手線、東海道線京浜東北線総武線横須賀線京浜急行が乗り入れています。


電車を降りますと、まずホームに余裕がないんですね。空いているスペースがない。前の電車から降りた人たちが、まだホームに遺っているところへ、今、電車から降りた人たちが続きます。


ギューギューの電車から解放されたと思っても、すぐ、人でギッシギシのホームです。


ホームから階段を上って改札まで、ずっと途切れることなく人が続いています。自分のペースなんてとれませんよ。ただ人の流れに従って、しずしずと進むだけしかできません。


東改札、西改札、合わせて10以上はあるだろう自動改札を抜けて、かなり広いコンコースへ出るわけですが、南側と北側へ人の波はキレイに別れて歩いて行きます。でもやっぱり切れ目なくぞろぞろと続いて流れていきます。


その一連の流れの中を、改札口の違っている新幹線利用者が出たり入ったり、横切ったりです。
渋谷のスクランブル交差点なんて目じゃないんですよ。


階段を降りて、やっと駅を出て、2つ目の信号を渡りきる辺りまで、ずっと、うつむき加減のスーツ行進です。


ま、受け止め方は人によるでしょうけれど、かなり疲れを感じてしまう朝の通勤風景です。みんな下を向いて無言で歩いているんです。


品川駅の1日平均乗降人員っていうのは110万人らしいですね。
1つの駅に110万人。しかも朝は集中しています。


品川地区のサラリーマンたち、男女ともに、朝の通勤で一日の体力の半分以上を奪い取らているような気がします。一極集中って、産業効率、悪いっすよ。みんな朝からポンコツになってしまいます。ウンザリです。


こんな朝の駅のことを考えると、昼間の人口が1.4倍にしか増えていないって、ん? って感じで腑に落ちませんねえ。


110万人のうち半数が朝の品川駅で降りる人数だとすると、それだけで区の人口が倍になっている計算ですけれどね。ま、乗り換えや、ちょっと寄っただけっていう人数も少なくないのかもですけれど。


でもまあ、駅の周辺、オフィス街だけが品川区ってわけじゃありませんからね。古くからの住宅地もある品川区です。

 

ところで、みなさんの住んでいる町にも当然のことながら商店街がありますよね。


なんていう名前の商店街ですか? いつも行っている商店街って「〇〇銀座」って言いませんか?


そんな名前じゃありません、ってこともあるかと思いますが、見たこと聞いたこと、はありますよね「〇〇銀座」っていう商店街。


昭和のブーム的なネーミングなんでしょうけれど、商店街が「〇〇銀座」と名乗った最初。「〇〇銀座」商店街第1号っていうのは品川区の「戸越銀座」です。


豊町、戸越、平塚を通る全長1.3㎞の戸越銀座通りに沿った商店街が「戸越銀座」


聞いたことのある人もいますよね。けっこう有名。


関東大震災の復興で銀座の通りがレンガからアスファルトに替えられたっていう改悪事業で、大量に余ることになってしまったレンガ。


その廃棄処分のレンガを敷き詰めていち早く大震災から復興を遂げたのが戸越商店街。
で、銀座とのご縁ってことで「戸越銀座」と名乗ることにしましたとさ、ってことらしいです。


品川区には他に「荏原銀座」「三ツ木通り銀座会商店街」「山王銀座商店街」「大井銀座すすらん通り商店街」「大井銀座商店街」「品川銀座商店街」があります。
戸越銀座の賑わいを、みんなマネッコしたわけですね。全国的にね。

 

品川区を通る京浜急行の駅に「青物横丁駅」っていう、なんともレトロな名前の駅があって、ここの「青物横丁商店街」も有名ですね。


十字にクロスした通りの商店街なんですが、そのクロスしている1本、南北方向の通りが「旧東海道」東西方向が「ジュネーブ平和通り」
ジュネーブ? ま、普通に友好都市の名前かと思いきや、へええっていうエピソードがあったのでした。


青物横丁駅のすぐ東にあるお寺「品川寺(ほんせんじ)」
シナガワ、じゃなくって、ホンセン。へええ、です。


この品川寺に徳川四代将軍家綱から贈られたとされている梵鐘があります。
1657年の鋳造だそうですから、歴史的にも相当なもんです。


で、その梵鐘が行方不明になったことがありました。ってなんでやねん! そんな大きなもんが。
石川五右衛門でも日本左衛門でも運びきれないでしょ。


事の顛末はよく分かっていないそうですが、時の将軍から贈られた梵鐘ってことで1867年のパリ万博に出展。
で、そのパリ行きの積み荷リストには載っているのに、パリには到着しなかった。


でっかい梵鐘、行方不明。行方知れず。どっか行っちゃった。


ま、そういうトンマなこともあるんですね。品川寺の和尚さん、真っ青!


時はちょっとだけ流れて1884年。スイス、ジュネーブのアリアナ公園ってところに開設された「アリアナ美術館」


創立者で芸術品蒐集家のグスタブ・ルビリオさんが、ある日アーラウ地方の鋳造所で梵鐘に遭遇。
行方不明だとかのいきさつなんて知らないグスタブさん「お、キレイですねえ」って感じで、開設したばかりの美術館に設置。


「閉館ですよ~。ゴ~ン」ってやってたらしいです。


いや、これ、たぶんホントですよ。
パリの「ルパン2世」あたりが、うまくちょろまかしたものの、金に換算するのがうまくいかなくって、物は大きいしで処置に困って鋳造所へって、普通に考えられそうです。


芸術品蒐集家の「閉館ですよ~。ゴ~ン」っていうセンスにも助けられたってことだと思います。


「閉館ですよ~。ゴ~ン。よい子はまっすぐ家に帰りましょう。ゴ~ン」


なんでここ、スイスで日本の鐘の音が? って不思議に思った日本の学生が、とも、スイスで開かれた国際会議に出席した外務省の事務官が、とも言われているようですが、とにかく「閉館ですよ~。ゴ~ン」に気付いた。


いや、まあ、時を告げるって意味では間違っていないんですけれど、って見てみると、この梵鐘、由緒正しすぎませんか!


ってことで、情報を知った品川寺がアリアナ美術館と折衝を続けて、1930年、63年ぶりに戻って来たそうです。
めでたしメデタシ。


それからさらに60年。梵鐘を無事に戻してくれたことに感謝して、品川区民からの寄付を募って梵鐘のコピーを鋳造してアリアナ美術館に寄贈したそうです。1990年のことですね。


日本の坊主も、なかなかアジなことやっていますよ。


で、1991年、寄贈を喜んだジュネーブ市と品川区は「友好憲章」を結んで、ジュネーブ市から「平和通り」という標識が贈られた。
ので、通りの名前を「ジュネーブ平和通り」としましたとさ、ってこういう話なんです。


交差している「旧東海道」のほうですが、要するに青物市場って「品川宿」の跡地なんですよね。


品川宿の近くで開かれていた野菜、山菜の市場。その青物市場がそのまま名前として残っているってことなんです。
青物市場は地名としては残っていなくて、住所としては南品川になります。


こういうお役所仕事って、けっこういろんなところにあるんでしょうね。南品川が悪いとは全然思いませんが、青物市場って名前を遺そうって意識、歴史を思いやる気持ちが欲しいもんだなあと思いますです。

 

地名としては消えてしまった名前で有名なのが品川にはもう1つあります。


「鮫洲」です。


警視庁鮫洲運転免許試験場のあるところですね。
免停とかでお世話になっている人も少なくないかもです。
住所としては東大井ですね。


鮫洲っていう名前は、鮫がいっぱい獲れたからなのかっていうと、そうじゃないみたいです。


13世紀の中頃、品川沖で漁をしていた男が鮫に襲われた事件があって、男は命に別状はなかったけれども、いつも懐に入れていた観音様が無くなっていた。
その後しばらくして浜に打ち上げられた鮫の腹から、その観音様が出てきたんだそうです。


その話を伝え聞いた、時の執権、北条時宗が、その観音様を安置せよ、としてその男に寺領を与えて地名を「鮫洲」とした、という謂れがあるんだそうです。


鮫だし、警察だしってことで、あんまり近寄りたくない感じもあった鮫洲なんですが、なんか信心深い土地だったのでありました。

 

落語の「品川心中」も今は昔の品川区ですが、町の名前は27ありました。


「マチ 1」「チョウ 1」「町が付かない 25」でした。


「マチ 1」
「広町」


「チョウ 1」
「豊町」


「町が付かない 25」
「荏原」焼肉のタレの荏原食品株式会社がここで創業した町です。
「大井」「大崎」「勝島」「上大崎」「北品川」「小山」「小山台」「戸越」「中延」「西大井」「西五反田」「西品川」「西中延」「旗の台」「東大井」「東五反田」「東品川」「東中延」「東八潮」「平塚」「二葉」「南大井」「南品川」「八潮」


菊池桃子黒澤明真田広之島倉千代子高中正義、Char、山本直純
けっこう音楽関係の人が多いのかもって感じですね。

 

< チョウかマチか >

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