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【東京「町」歩き】23区 文京区編 文京区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 だいたい真ん中に位置する文京区には 19の町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。


でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第21回目は、「文京区」です。

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文京区の面積は11.29平方キロメートル。23区の中で20番目。


人口が24万人余り。


区の木はイチョウ。区の花はツツジ


令和現在の文京区は、区外から通勤して来る人の数の方が多く、昼間の人口は夜の人口のおよそ1.8倍。


文京区はなんだかすごく静かなイメージがあります。
文京区は、文教地区ってこともありますけれど、ごちゃごちゃしたイメージのない閑静な地区ですね。


なんでそう感じるのか。


それはたぶんですね、地上の駅がないから、なんじゃないでしょうか。


JRの駅が区内に1つもありません。文京区全体がすっぽり山手線の内側に入っています。
電車は通ってますよ、もちろんね。
丸ノ内線」「南北線」「有楽町線」「千代田線」「三田線」「大江戸線
ね、みんな地下鉄です。
駅前のロータリーが1つもないんです。


商店街も、もちろんあるにはあるんですが、他の街の駅前商店街の様相とは違っていますね。この辺りが静かなイメージの源泉なんでしょう。


文京区内の道は幹線道路を除くと、たいてい道幅の狭い、坂道の路地です。
昔、さだまさしさんが「長崎はですね、すごく坂の多い街で、しかもなんと、上り坂の数と下り坂の数が同じなんですよ」って言ってましたが、坂の多い文京区の上り坂と下り坂の数は、はい、やっぱり一緒ですね。

 


森鷗外の短編小説に「鼠坂」っていうのがありますが、この坂はネズミしか通れないような細長い坂っていうのがネーミング理由だって説もある、文京区の急坂です。


文京区の特徴としてハッキリあるのは、江戸の名残りといいますか、徳川ゆかりの土地なんだなあって思える土地が多いっていうことでしょうか。


文京区から江戸城、皇居の方へ向かって南に行くと千代田区の「北の丸公園」になりますが、北の丸っていうのは将軍の正妻のことですよね。
元々お城としての北の丸のあった北方が北の丸公園で、そのさらに北側の地域が現在の文京区の地域なんですね。


北の丸地域にあった竹橋御殿には、あの「天樹院千姫」さんが長く暮らしたそうで、お墓は文京区の小石川伝通院にあります。


千姫さんは2代将軍徳川秀忠の長女。将軍の正妻というポジションでは無いですが、徳川家の女性として下へも置けない人ですよね。
織田信長の姪を母に、徳川家康を祖父に持つっていうチョービップです。


北の丸で暮らした徳川家の女性として知られているのが「麟祥院 春日局


この人は幕府老中にまでなっていて、江戸時代初期の豪傑といえるでしょうね。


徳川3代将軍家光の乳母として権勢を誇った春日局は、1630年、家光の征夷大将軍任命の際に北の丸北方に土地を拝領したんだそうです。
春日局はその土地を町屋として整備したそうで、後々、大奥を退いた女性たちの隠居所のような性格を帯びた地域になっていったことが考えられます。


大奥っていう呼び方は4代将軍徳川家綱以降に始まったとされていますが、その制度、あるいはその原型のようなものを整備したのは、春日局でしょう。いろいろな説があるんですが、春日局って政治手腕というか、制度を整備するっていうような政治力って、完全に将軍の右腕といいますか、江戸初期の政治家として外せない力量の人だと思いますね。


春日局が拝領したその土地が、現在の文京区「春日」辺りになるそうです。明治以降もその名前を残したいっていう地元の人たちの思いが、江戸初期からずっと続いていたってことなんでしょうね。
令和現在では、文京区役所、講道館のある地域です。


土地の歴史といいますか、トポスの力といいますか、どことなく品があって閑静な地域です。

 


春日局が絶大な権勢をふるっていた頃、家光の側室の1人に「お万の方」という人がいて、そのお万の方の部屋子、玉という女性が目にとまって直接指導をするようになって、やがて玉さんは家光の側室になったそうですが、なんだか凄いコントロールですよね。お世継ぎ作りです。


将軍の乳母の権限って、ちと想像できないぐらいのものなんでしょうね。


その玉さんは家光の側室となって「桂昌院」と呼ばれますが、5代将軍綱吉のお母さんなんですね。


春日局の裁量でやっていることですから、文句の言い様もないんでしょうけれど、大奥の女性たちからは武家の出じゃないってことで、いろいろやっかみがあったようで、女同士の争い。この辺りのぶつかり合いが後世になって大奥残酷物語的に小説、映画の基になっているんでしょうね。


で、この桂昌院にも土地が与えられたとき、桂昌院は自分自身の土地とせず、お気に入りの奥女中「音羽」に託したんだそうで、そこが文京区、護国寺門前町音羽」なんですね。


人間関係としてちとややこしかったですが、徳川家光の乳母、春日局のお気に入りの側室、桂昌院。その桂昌院のお気に入りの奥女中が音羽さんです。


春日も音羽も江戸初期以来ずっと残されている名前なんですね。


文京区の真ん中あたりに「小石川植物園」があります。


栃木県の日光市に分園があるっていうこの植物園は、正式名称「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」っていう長い名前です。看板作るとき、特別料金取られそうなぐらい長いです。
東京大学の付属施設なんですね。


でもね、東京大学なんちゃらって名前だと、一般に開放されているとはいえ、誰も行かない感じ。
やっぱし通称の「小石川植物園」でイイですよね。看板だって普通料金。


ここは元「小石川療養所」なんですね。


で、今の住所的には文京区白山にあるんですが、小石川療養所の名前の方が馴染みがあって、小石川植物園って呼ばれて、今に至る、みたいな感じなんでしょうかね。


山本周五郎が1958年に発表した小説「赤ひげ診療譚
そしてそれを原作とした1965年の映画「赤ひげ」テレビドラマでは何回も制作、放送されています。
三船敏郎だとかが赤ひげセンセをやってましたねえ。


庶民の味方赤ひげセンセが活躍するストーリーですが、その舞台が「小石川療養所」


8代将軍徳川吉宗享保の改革で、1722年に開設された「小石川療養所」


徳川幕府中興の祖っていわれる人ですからね吉宗さんは。この人自身もテレビドラマの主人公になっていますよね。いくつもね。
享保の改革って、大まかに言ってしまえば、人口爆発した江戸の町の防火対策、風俗取り締まり、下層民救済を目的としたものですね。


完全アナログの江戸時代のことです。江戸町人の声を吸い上げるのに「目安箱」を設置して、要望のある者はその目安箱に上書を入れろ、っていうシステム。


で、そこに施薬院を設置してよねえ、って投書したのが実在の人物、町医者の漢方医「小川笙船(おがわしょうせん)」


で、町奉行預かりの案件として取り上げられて、聴取、吟味。
この時の町奉行が中山時春と大岡忠相。そうです、大岡越前守忠相です。


1722年、享保7年に小石川薬園の中に町奉行支配として「小石川療養所」が設置されたっていう流れみたいです。


1870年、明治2年漢方医廃止の方針に従って文部省管轄になって閉鎖されるまで、小川笙船の子孫が「肝煎」所長職を世襲して続いていたそうです。
代々、赤ひげだったのかどうかは、分かりません。

 


豊島区の「駒込」に対して文京区の「本駒込」っていう町名があります。


これって、文京区がホンモノの駒込なんだかんね! っていう主張じゃなくって、文京区本郷地区の駒込なので、本郷駒込から本駒込なんだそうです。要は駒込地区が豊島区と文京区に分かれたってことみたいです。
誰も、何も争ってはいませんよ。


本郷にある「東京大学」は、元加賀藩前田家上屋敷後ですね。


この本郷は日本の文豪たちに縁の深い土地で、坪内逍遥森鷗外夏目漱石樋口一葉石川啄木だとか錚々たる作家たちが一時期にせよ暮らしていた町なんだそうです。


東大の赤門が違和感なく馴染んでいる、その気になれば江戸の風を感じられそうな街並みの、文京区の町名の数は19。


「マチ 0」「チョウ 0」「町が付かない 19」でした。


「マチ 0」「チョウ 0」
文京区にはマチもチョウもないんでした。江戸八百八町って、正式には分かりませんが、やっぱりマチもチョウもないんじゃなかったでしたっけ。


「町が付かない 19」
「大塚」「音羽」「春日」「小石川」「後楽」「小日向」「水道」「関口」「千石」「千駄木」「西片」「根津」「白山」「本郷」「本駒込」「向丘」「目白台」「弥生」「湯島」


有島武郎逢坂剛大滝秀治大原麗子、おのののか、小渕優子金田一春彦武田泰淳立川談志田中眞紀子朝永振一郎永井荷風奈良岡朋子野々村真鳩山由紀夫星新一堀口大學三波伸介森茉莉吉本ばなな


ふむふむ、ぽちぽち居ますね、大奥っぽい空気感の人。容姿的にも頭脳的にも。

 

< チョウかマチか >

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