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【東京「町」歩き】23区 中央区編 中央区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 中央部に位置する中央区には 36の町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。


でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第16回目は、「中央区」です。

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中央区の面積は10.21平方キロメートル。23区の中で21番目。


人口が17万人。


区の木はヤナギ。区の花はツツジ


令和現在の中央区は、区外から通勤して来る人の数の方が多く、昼間の人口は夜の人口のおよそ5.0倍。この数字は2020年のものですが、2005年時点では昼間の人口は夜の人口のほぼ6.6倍だったそうです。


ここだけをみると、東京都心の一極集中が緩和されてきているようにも思えますが、こういう人口移動はコロナが落ち着いてから、全区、東京全体についていろいろデータが発表されるでしょうから、注目していきたいところです。


1943年、昭和18年東京府が東京都になってから4年。1947年に日本橋区京橋区の2つを併せて「中央区」となったそうですが、なんで「中央」を名乗ることにしたのか。


だいたいさあ、真ん中へんだからさあ、中央区ってことでイイんじゃないの。
いやあ、区部の真ん中ってことだと千代田のほうが。
ん~。でもさあ、大きな会社なんかはこっちに集まってるしさあ、経済的な中央ってことでさあ。
そうですねえ、そうしますかねえ。


とか、こんなゆる~い話し合いがあったかどうかは分かりませんが、地名として正式に「中央」を名乗ったのは東京23区の「中央区」が最初なんだそうです。

 


経済的な中央っていう自負は、なんたって「銀座」と「日本橋」がありますからね、戦後すぐとはいえ、お役人さんたちにとって当然の意識なのかもしれません。


江戸時代から金融の中心だった「銀座」


そして、甲州街道を除く江戸五街道の起点「日本橋」は時代が進んでも陸運海運流通の起点であり続けていたんですからね、元気いっぱいで中央って名乗りを上げたんじゃないでしょうか。


江戸前東京湾を区部に加えて考えれば、無理矢理、地理的に真ん中じゃん! って言えそうではありますしね。


全部で36ある町の名前のうち、頭に「日本橋」が付いている町が20もあります。


日本橋区地域ですね。なんとしても旧名を残したい、名乗りたいっていう要求があったんだろうと思いますね。このあたりは商店、お店が多い地域です。たぶん江戸時代からずっとそうなんでしょうね。
なにせね、お江戸日本橋なんですからね。


問屋さんもいっぱいありますし、松屋百貨店本店が銀座3丁目、三越本店、今は三越伊勢丹ホールディングスですが日本橋室町1丁目、日本橋室町2丁目には三井本館がありますし、銀座から少し離れた日本橋兜町には東京証券取引所日本橋本石町2丁目には日本銀行本店。


服部時計、和光本館の時計台があるのは銀座4丁目の角、銀座のシンボルですね。


1936年、昭和11年の2.26事件という史実に基づいた悲恋物語北村薫の「鷺と雪」で重要な役割を果たしているのがこの時計台、本館でしたね。第141回直木三十五賞受賞作です。


令和現在の銀座通りは、海外ブランドの店も軒を並べていますよね。ブランドの名前とか言われても知らんけど。


銀ブラ」なんていう流行りもありました。
「巴里のマロニエ 銀座の柳」っていう歌詞の歌もヒットしましたしね。華やかなイメージです。
江戸時代の町奉行与力、同心の組屋敷が建ち並んでいて、時代劇には必ずといってイイほど登場する八丁堀も中央区です。

 


なんとなくオカタイ感じの、ドレスコードがありそうな場所ばっかりかというと、そんなことはなくってですね、ラフな私がコロナ前はちょこちょこ通っていた地域があります。


月島です。もんじゃストリートです。


月島は明治になってからの埋め立て地らしいんですが、空気感は完全に下町ですね。イイ感じですよ。


東京の「粉もん」って言える、もんじゃって、食べたことあります?
聞いてみると意外に少なかったりしてビックリすることがあります。
月島じゃなくたって、方々にあるんですけどねえ、もんじゃ焼き屋さん。


浅草辺りの駄菓子屋で、関西で流行っているお好み焼きを子供たちに勝手に作らせていたら、出汁を入れ過ぎて失敗するオコチャマが続出。
でもそのころの下町のオコチャマはお好み焼きなんて、そもそも知りませんからね、流れ出す汁で鉄板に絵をかいたりしながらワイワイ食べていたのが始まり、って説があります。


ホントかどうか判断の難しいところですが、なんだって月島にもんじゃが集まってきたのかは「ナゾ」らしいです。


75軒集まっているってことらしいですが、冬なんかにですね、もんじゃストリートに足を踏み入れただけで、焼けるソースの香りがそこいらじゅうに立ち込めていて、脳みそがビールを要求しますよ。


こういう鉄板焼きとかって実に不思議なもので、同じ材料、同じ道具、同じ環境であっても、へぼが作るとへぼいもんじゃになりますし、上手が作ると旨いもんじゃになります。


シングルでっていう人も居るでしょうけれど、何人かで行って、そのメンバーの中には最低1人、もんじゃ上手を入れておきましょう。


知り合いに居るんですよ、店のおばちゃんに認められているもんじゃ名人が。
そいつが作ると、派手に湯気が上がって、ササっと出来上がって、すんげえ旨いんですね。
何がどう違うんでしょうか。さっぱり分かりませんです。


手際がイイです。香りがイイです。食べる前から旨いんです。月島のもんじゃ。


もんじゃの月島の隣りは佃島です。


佃島は江戸初期の埋立地徳川家康が大阪の漁師たちを呼びよせて住まわせたって話があります。


江戸にも元々漁師はいたんでしょうけれど、足りなかったってことなんでしょうかね。


で、佃島に呼び寄せられた大阪の漁師たちが売りに出せないような小魚、貝類をしょう油で煮詰めて、自分たちで食べる保存食だったのが「佃煮」なんだそうです。


江戸前では雑魚がたくさん獲れたんでしょうかね。いっぱい佃煮を作って、徐々に広まっていったってことみたいです。
今はだいぶ甘辛い佃煮ですが、江戸時代だと砂糖なんか贅沢品でしょうからね、どんな味だったんでしょうね。


住所的に、月島には島が付いているのに、佃島は佃で島は付いていません。なして?

 


海外一流ブランドからもんじゃ、佃煮まで揃っている中央区の町名の数は36。


「マチ 1」「チョウ 19」「町が付かない 16」でした。


「マチ 1」
日本橋室町」


「チョウ 19」
「明石町」「日本橋大伝馬町」「日本橋蛎殻町」「日本橋兜町」「日本橋茅場町」「日本橋小網町」「日本橋小伝馬町」「日本橋小舟町」「日本橋富沢町」「日本橋人形町」「日本橋馬喰町」「日本橋箱崎町」「日本橋浜町」「日本橋久松町」「日本橋堀留町」「日本橋本石町」「日本橋本町」「日本橋横山町」「豊海町


「町が付かない 16」
「入船」「銀座」「新川」「新富」「築地」「八丁堀」「浜離宮庭園」「東日本橋」「湊」「八重洲」「日本橋」「日本橋中洲」「勝どき」「月島」「佃」「晴海」


芥川龍之介岩下志麻植草甚一柄本明岸田劉生、城戸四郎、鈴木清順立原道造ちばてつやテリー伊藤なぎら健壱松木安太郎宮本亜門若林正恭


凄い名前が並びますが、どうなんでしょ。佃煮、もんじゃで育った人は、何人いらっしゃいますかねえ。

 

< チョウかマチか >

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【ぎゃくぎゃくどんく】と【あまのじゃく】と【雨ダルさん】

< 気圧と湿度と水分バランス 体調不良をバシッと払いのけていきたいもんです >

オリンピックの開催自体には、なんだかなあって感じがあったんですが、実際に競技を見ちゃうと思わず知らず、応援に力が入っちゃいましたね。


まさにアスリートマインドというのか、負けても相手選手を讃える態度がスマートだった選手が大勢いました。日本選手ばかりじゃなくって、海外の選手にも、敗れてなお御見事っていう姿がたくさん思い起こされます。


印象深かった選手が何人もいますが、ボクシング女子フェザー級の入江聖奈選手。
金メダルが確定した瞬間にぴょんぴょん飛び跳ねていた表情が凄く良かったです。自然体のアスリートですよね。


「聖奈」という名前は、アイルトン・セナから、ということですね。
ほほ~って思いました。

 


音速の貴公子。F1パイロット。一世を風靡したブラジル人ヒーロー、アイルトン・セナ・ダ・シルバが、イタリア、イモラ・サーキットで命を落としたのは1994年5月1日。


高速コーナーのタンブレロに差し掛かって、コーナーをカーブすることなく、そのまま、まっすぐにコンクリートウォールに激突していった、あのシーンは記憶から消えません。


この時のイモラ・サーキットは不吉な、悪い空気に支配されていたというイヤな感覚も消えません。


1994年のF1レースは第3戦をイタリア、半時計回り周回のイモラ・サーキットで4月29日金曜日の予選からスタートさせました。


この1日目の予選でジョーダンチームのルーベンス・バリチェロがヴァリアンテ・バッサシケインで空中に舞い上がってしまう衝撃的な大クラッシュ。結果的には鼻骨骨折だけで命に別状はなかったものの波乱の幕開けでした。


4月30日土曜日。予選2日目。
シムテックチームのローランド・ラッツェンバーガーのマシンがヴィルヌーヴ・コーナーでフロントウィング脱落。そのままコンクリート壁に激突して、一つ先のヴィルヌーヴ・コーナーまで吹き飛ばされてしまって、即死。


そして翌日の5月1日日曜日。
ウィリアムズチームのアイルトン・セナのクラッシュ。


事故の危険が付き物ではあるカーレースですが、救急のヘリコプターがイモラ・サーキット緊急着陸した光景はかなりショッキングな記憶です。


悲惨な話が長くなってしまいましたが、セナがこの世を去ったのが1994年で、入江聖奈選手が生まれたのは2000年。


お父さんがファンだったということが名付けの由来らしいですが、生まれてくる子供が男の子であっても女の子であっても「聖奈」という名前は譲れなかったのかもですね。


世界チャンピオンの名前。そしてボクシングの世界で金メダリストになった娘さん。
入江聖奈選手の家族はメディアに出てきていないみたいですが、噛みしめている喜びは一入なものがあるでしょうね。


入江聖奈選手も、ご両親も、おめでとうございます。


その入江聖奈選手の人気は、ボクシングの強さばかりじゃなくって、カエル好きっていう、オチャメというか、なんて言うのか、ゆるふわな空気感によるところも大きいんじゃないかと思います。


フェザー級金メダルをかけた決勝戦に臨むにあたっての作戦名が「トノサマガエル」
なんなん? それ?


対戦相手によって作戦をたてるっていうのは、当然ね、アスリートは誰でもやるんでしょうけれど、その作戦名が入江聖奈選手の場合はみんなカエルの名前なんでしょうかね。

 


カエル好きで知られた浮世絵師に「河鍋暁斎(かわなべきょうさい)」という幕末、明治時代の人がいます。


今の茨城県古河市の人らしいんですが、埼玉県蕨市(わらびし)に河鍋暁斎記念美術館が設立されていて、館内に「かえる友の会」というのがあるそうです。


その「かえる友の会」が定めたのが「6月6日は、かえるの日」
ケロケロ、ケ6ケ6なので、6月6日。だそうです。ん~。。。


入江聖奈選手についてのニュースはあれこれ飛び交っていますが、入江聖奈選手自身が「かえる友の会」に入会しているのかどうかについてのニュースは、聞きませんねえ。


日本の都市生活の中では、出会う機会が極端に減っていますよね。カエル。


ま、カエルに限らず、デンデンムシだとか、赤とんぼだとか、童謡に登場してくる生き物たちがみんなどっか行っちゃってますね。居ませんよ。その辺にはね。


生き物じゃないですけど、ちょっと前までは薬局の前に、よく居ましたよね「ケロちゃん
ケロちゃん」は女の子で、「コロちゃん」っていう男の子のカエルも居ました。


興和の「コルゲンコーワ」マスコットキャラクターでしたよね。たいていのケロちゃんは日に焼けて肌の色が薄くなって、薬局の人に引退させられちゃったんでしょうかね。で、世代交代はしない、っていう現状なのかもです。
でもまあ、居るところには居るんでしょうね。「ケロちゃん」「コロちゃん」


日本で一番名前の知られたカエルは「ケロちゃん」なのかもしれませんが、二番目ぐらいにくるのは「アマガエル」じゃないでしょうか。三番目が「トノサマガエル」
でもって、「ヒキガエル」「ガマガエル」「ウシガエル」っていう名前が続いているって感じでしょうか。


「アマガエル」って最近見ました? ニホンアマガエル

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なんでアマガエルって呼ばれるかっていうと、そです、雨が降りそうになると鳴くから、ってことですよね。
ホントなんでしょか?


カエルってみんな、雨が降ってくれば濡れて嬉しく鳴くんじゃないの? っていう気もするんですが、アマガエル擁護派(んなのあんの?)から言わせますとですね、アマガエルは雨が降ってから鳴くんじゃなくって、降る前に鳴くの! だそうです。


メスにアピールするために鳴く「広告鳴き」は春の夜、アマガエルみんなで一緒に鳴くんだそうですが、雨が降りそうになったときの「雨鳴き」「レインコール」は、季節も夜も昼もなく、「雨が降るぞ~」って鳴くんだそうです。
ふううん。


そういう名前になるぐらいなんですから、ホントなんでしょうね。アマガエル。雨蛙。


じゃあさ、なんで雨が降りそうになると鳴くの?


その答えには、こんな話があったのでした。九州地方の昔ばなし。

 


「ぎゃくぎゃくどんく」私家版。


昔々、あるところに、アマガエルの親子が住んでおったそうじゃあ。
子ガエルはどうにもへそ曲がりな性格でな、親の言うことの反対ばかりやっておった。
親ガエルは困ったもんじゃと思いながらも、反対のことをするといっても、ひっくりカエルようなバカ事をするでなし、まあ、しょうがないと諦めていたそうじゃ。


やがて、時が来て、いよいよ親ガエルは自分が死ぬということが分かった。
親ガエルは、自分が死んでも、反対のことばっかりやるだろう子供を見守ってやろうと思ってな、山の上に墓を作って欲しいと考えた。


ここで親ガエルは頭をひねってアイディアを思いついた。


子ガエルは何を言っても逆のことをするんだから、遺言としては川の傍に自分のお墓を作ってくれと言うことにしよう。そうすれば子ガエルは川とは逆に山に墓を作ることだろう。
そして、その通りに言い残して親ガエルは死んでしもうた。


ところがここで、親の子を思う気持ちが通じたのか、これまで逆のことばかりやって来た子ガエルが考え方を改めた。
親の遺言はきちんと守らなければならんぞ。


子ガエルは遺言通りに川の傍に親ガエルの墓を建てて、供養したそうじゃ。


ところが、守らなければならない親の墓は、雨が降って川の水かさが増せば流されてしまう。


そこで雨が降りそうになると、


「神さま、お願いでございます。この川の傍には親の墓があります。遺言に従って川の傍に建てました。雨が降って川の水が増えてきますと、親の墓が流されてしまいます。どうか、雨の降る量を加減してくだされ。お願いいたします。お願いいたします。加減してケロ、流さないでケロ」


と涙ながらにうったえるようになった。


この逆のことばっかりするカエルの子孫たちは必然的に雨が降りそうになると、先祖の墓が流されないように泣きながらお願いする習慣になって、それ以来、人間たちはカエルの鳴き声が聞こえてくれば雨が降ることを知るようになった、と、こういう話。


カエルの子どもってオタマジャクシでしょ、っていうクレームは受け付けられていないと思います。


で、九州辺りではカエルのことを「どんく」と呼ぶんだそうですが、親の言うことをきかず逆らってばかりいる子供を「ぎゃくぎゃくどんく」と呼んで、そんなことばかりしていると、やがて親のことを思って泣き暮らすようになるんだぞ、と戒める使われ方もするそうです。


雨が降りそうになると鳴くアマガエル。


ふううんって話ですが、親の、あるいは他人の言うことの反対ばかりする、ぎゃくぎゃくどんく。


これに対して、自分の思い、考えに、無意識に逆らった言動をしてしまう鬼っ子を「天邪鬼(あまのじゃく)」っていいますよね。
自己完結の正反対、自己矛盾。


でも最近は聞かなくなったような気もしますね天邪鬼って。SNS時代にはそぐわないんでしょうかね。
たいていの場合、自分で分かっているっていうのが天邪鬼の特徴でした。


天邪鬼は雨の気配に敏感じゃないでしょうけれど、アマガエルが傍に居ない我々が頼りにしているのは気象予報士さんですね。


鳴いて雨が降らなくたって、ぎゃくぎゃくどんくは文句を言われることはありませんが、気象予報士さんは、予報が外れると批判にさらされてしまいますね。


批判してくる人たちに対して「アマガエルじゃねえよ!」とは言えないでしょうからね。


一方で、雨が降ると、あるいは降りそうになると、頭痛、めまい、耳鳴りがして身体がだるくなってしまうっていう人がいます。


漢方系の薬も出ているようですが、なぜそういう反応が人体に起きるのかは解明されていないようですね。
「雨ダルさん」っていう言い方もあるみたいです。


気圧の変化でそうなるんじゃないかって説が有力だそうですが、人間も不思議なアンテナを持っているんだろうとは思いますね。


アマガエル、天邪鬼と同様に、自分でコントロールできない特殊能力、と言えるかもしれません。


嬉しい方向の能力じゃないところが残念ですが、病気って考えるんじゃなくって、特殊能力って捉えると、薬に頼らずに自分と付き合っていけるんじゃないかと。
気圧エスパー、とか。


カエルと一緒にするんじゃない! って、そですよね~。はい~。

【日本という病】砂に頭を突っ込むダチョウを笑っていられない状況なのかもね

< 失われた30年って言いますけれど 誰が 何を 失ったんでしょうか >

そうそう、いつのまにか「失われた20年」は「失われた30年」ってことになっているようですね。
ふううん、そなのね、って思いましたです。


で、今回はちとオカタイ話。


1989年の暮れに日経平均株価史上最高「38,957円」を記録して、翌年、バブル崩壊
今は2021年ですから、確かに30年過ぎていますね。


一気に景気回復の起爆剤となる予定だった東京オリンピックパラリンピック2020も、無観客開催で経済効果もなにもあったもんじゃない状況になってしまって、まあね、好い方向の話って、なにもないのかもですね。


ただですね、東京のすみっこで暮らしながら思うことは、何がそんなに長いこと失われちゃったのかなあってことなんですね。30年も。
個人的にバブルの恩恵も受けていませんし、税金が高くなったし、消費税も上がったけれど、失ったって感じるものは、な~い気がするですよねえ。


もちろん、コトは個人レベルじゃなくって国ってことではあるんですが。


世間的には「失われた30年」ってことで、経済界では「日本病」っていう表現もあるそうです。
バブル崩壊以降、ちっとも経済的に回復しない国、日本。


病気なんだからしょうがないんだよ。っていう診断みたいですね。30年も患ってる。
ん~。ずっと右肩上がりとか、有り得るんでしょうかね。知らんけど。


コロナでの落ち込み度合が明らかになってくるのはこれからなんでしょうから、またすぐに、次の10年ってことになっちゃうのかもですねえ。
そうなるとすると「失われた40年」ってことになるわけで、そりゃあさあ、失われたっていうか、恒常的なもんじゃないの? ってことにはならないんですかね。


あるべき国の姿の、その描き方自体がおかしい。

 


経済学者とか、経済評論家って全然信用できない人種で、政策批判はイイとして、目論見が大外れってことになっても「経済は生き物ですから、予測は困難なんです」とか言っちゃって、ケロッとしてますよね。
それで成り立っちゃうのかよ、っていっつも思います。


「日本病」っていう表現を使っている人たちは、かつての「イギリス病」っていう言葉にあやかっているんでしょうけれども、共通しているのは、国のチカラ、下り坂ですよねって部分だけで、ディテールとか全く違っているように思うんですがね。どうなんでしょ。


ゆりかごから墓場まで」っていうスローガンでやり始めたイギリスの政策はやり過ぎで、イギリス国民の労働意欲減退症候群が起きて、社会的活力がなくなっちゃった。っていうのが「イギリス病」ですっていう分析も、どうだか怪しいもんだって思うんですが、日本の場合はどうなんでしょう。


時代背景も国民性も、全く違いますよね。

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日本は子どもが少ないって言っているくせに「ゆりかごから」なんていう状況じゃ全然なくって「保育園落ちた 日本死ね」って話題になったのは2016年だったですね。


政治のやることって、どうもね、トンチンカンですよ。日本は特にそんな感じ。
昔から三流って言われている日本の政治です。


「イギリス病」が完治したのかどうか、誰もハッキリ言う人はいないみたいですが、EU脱退、ブレグジットの結果が出るのはこれからなんでしょう。


ただ、脱したっていう評価があったのは、1980年代半ば、鉄の女と呼ばれた「マーガレット・ヒルダ・サッチャー」首相の時でした。
低迷していたイギリス経済を立て直したっていう評価ですね。


サッチャーさん。今の日本にも信奉者は少なくないみたいですよね。人気の政治家です。


でもこのサッチャーさんも、政策による経済回復っていうより、北海油田の利益が上がったっていうタイミングが味方したように思えますけれどね。
どんな政策方針だったとしても、オイルマネーによって経済的回復は約束されていたんじゃないのって気がします。
サッチャーさんじゃなくたってあの時期のイギリス経済は回復した。んじゃないのかなあ。


理由は何であれ、回復したかつての大国、イギリスの首相っていう存在はとてつもなく大きなもので、ソビエト連邦ゴルバチョフ大統領、アメリカのレーガン大統領との続けざまの会談で「ベルリンの壁崩壊」を演出したのは、この鉄の女、サッチャーさんだったんだと思います。


経済感覚の政治家ではなく、政治的センス、政治的信念の人。


ま、そんな人って、ほとんど居ないんでしょうけれどね。世界史に名前を残す政治家でしょう。

 


「イギリス病」は20世紀後半のビョーキでしたが、「日本病」は21世紀を跨いでしまったってことになるんでしょうか。


そもそもホントにビョーキなの? 日本?


って思っていたらですね、この前、町中華のカウンター(こればっかですけれど)の背中から聞こえてきた、三人の中年男女の会話で、やっぱ病気なのかもなあって思わされました。それもかなり根深い病原の。


どうやらテレビで宮崎アニメの放送を見たらしんですね、三人とも。


「だからね、やっぱり日本がダントツなわけよ」
「そうね、それはマチガイナイ」
「もう20年以上前のアニメなんだけど、今の外国アニメには出せないクオリティ」


三人ともウーロン茶で乾杯だったらしいです。町中華のおかみさん情報。


「日本人にしか出せないんだよね、あのクオリティは」


特定のアニメについての評価じゃなくって、日本のアニメ全体についての高評価で場は盛り上がっているのでありました。


まあね、日本は絵巻物文化っていいますか、昔からマンガ、アニメに親しんで来た国民性ってものもあるんでしょうし、宮崎アニメが国際的評価が高いってのも、知られていることですね。
日本人として嬉しいことです。誇れることだと思います。


オリンピアンのメダリストにしても同じことが言えるかもですよね。日本人として胸を張りたい気持ちになります。


でもねえ、ってことですよ。


その感動するアニメ作ったの、あんたじゃないよね。


世界のアスリートたちとの真剣勝負で、メダルを獲得したオリンピアン、パラリンピアンたちの日頃の鍛錬に何か貢献したわけじゃないよね。


喜んで、一緒に笑って、誇らしく思うことは、感動として、アニメのスタッフじゃなくたって、アスリートじゃなくたって、味わえるものだと思います。
感動するための、感情を揺さぶられるための、アニメ観賞であり、オリパラ応援という側面があることは否定できません。


でも、そこから「日本人、凄い」っていうふうになっちゃうのは、なあに?


確かにね、その感動したアニメ映画を作ったのは日本人がメインだったでしょうし、メダルを獲ったのは日本人アスリートですが、スタッフには外国の人もいます。
アニメも競技練習も。


それよりなにより、そこに、あんた、絡んでないでしょ。


背中から聞こえてきた「日本人 凄い」発言は、かなり根深い「日本病」なんじゃないかと感じたわけです。
経済的な話とは全然関係なくですね。


なんかね、お手柄は個人のものじゃなくって、みんなのもの、日本のもの。


でも巧くないことは、他人事、我関せず。って空気感、ありませんか? ご近所で感じませんか?


「日本 凄い」「日本人 エライ」って世界観に浸りたい症候群、なんじゃないでしょうか。


根っ子にあるのはなんでしょう。依存心みたいな心理でしょうかね。

 


東京都は、渋谷区で予約なしのワクチン接種を始めました。
朝8時に現場へ行ったら既に受付終了。だったらしいですね。


担当者の説明は、予想外の人数でした。って、あのね。しかも300って数しか用意していないってさあ。


知事スタッフ、どんな脳みそしてんの? どんな予想?


そもそも10億円と言われている予算のうち、「接種をためらう若者に接種を促すPR費用」に7億5千万円を割いているらしいですが、75%の予算をPRにあてている根拠は、若者の2割は接種に懐疑的というデータがあるから、っていうことらしいんですが、これ、本気で考えているんですかね。お役人さんたち。


なんで接種を希望している8割の方に予算割かないの?


いやあ、もう自分は打ってますから。とか、そゆこと? ですか?


まずいことは我関せず。自分のせいでうまくいかないわけじゃないです。


なのに、評価されることに関しては、そりゃね、我々日本人ですからね、当然ですよ。
若者だからとか、老年者だからってことじゃなくって、そういう感覚の「日本病」


世の中イイ方が、そりゃイイですよ。
イイことに心動かされて、自分の行動を律するって方向じゃなくって、ほらね、自分、凄い、ってなっている人。どっかでコケまっせ。高転びに転びまっせ。


そっちの方向に自分のアイデンティティをもっていくのは、無理がありますよ。
評価されなくたって気にする必要なんて無いっすよ。


でも自分のやったことに関してはしっかり責任を持たないといけないですよね。


「先に灯りは見えています」
って原稿を書いたスーさんスタッフ。誰なんでしょ?


言葉が、ダメですね。狙いに考えがありません。感じられません。


コロナは他人事。お役人サマとシモジモノ者とは、別の生き物。そう聞こえてきますよ。


日本の優秀な人たちの日本語教育が決定的にダメなんじゃないでしょうか。


ま、こんな犯人探しに意味があるとは考えませんけれど、コロナ禍を自分事として考えていないのは為政者としてモンダイアリ。


「経済禍」ではなく「心理禍」が「日本病」の根源だとすると、なかなかエライこっちゃ。
ですよ。知らんけど。


ビックリするほどしっかり者の若い人が居ることも事実ではありますけれど。


根底の勉強環境、試験の根本的変更っていうような改革が必要なのかもですね。時間のかかる療養でしょうけれど。
病気だという自覚の難しい病気、なのかもです。


自分の頭で自分自身のことを考える。これって言うほど簡単じゃないけど、ここから、なんじゃないでしょうかね。


ジャパン・アズ・ナンバーワンは、遠い過去です。
でも、リベンジは充分に可能だと考えます。大事なのはこれからの日本です。たぶんね。


なんだかハラタツほど情けない感じの、2021年夏の政局。


「やっぱりオオカミ」の気分です。「ケッ!」

【火焔太鼓】ついでに生きてるような塩梅でも イイことがまわってくることもあるっていう一席

< この話の主役はね 道具屋の亭主じゃなくって そのカミさん ごく普通のおんなのシト >

こないだね、ラジオでなんとかっていう噺家が出てて「落語はいかに聞いてもらえるように語って聞かせるかなんですよ」なんてね、真面目な調子で言ってましたよ。


バカ言っちゃいけません。冗談じゃないってんですよ。
語って聞かせるなんて、ウエからものぉ言っちゃいけません。


落語ってのはね、本来、高座を見に行くもんですよ。


ラジオとかCD聞いてニンマリしているってのも、ありゃあね、その噺をしている時の落語家の顔をね、思い浮かべて、へへってな楽しみ方をしているわけなんでございますよ。


演者ですからね、噺家は。落語家ってもんは頭の回る役者みたいな奴らですよ。


顔がイイとか、そんなんじゃないですね。姿かたちなんて、ああして座布団の上に正座しちゃってますからね、分かりゃしません。


それでイイんです。だいたいにおいてですね、イイ噺家なんてのは、ジジイが多いんですから。


顔がイイったって、女の人たちが黄色い声を上げて、キャーキャーいうのとは違いますね。種類が違います。
噺家のツラなんてえものはね、あれですよ。まあ、そこんとこは自主規制でやめといて、続きです。

 


落語ですね。噺の中にはいろいろ人間が出てまいりますね。八っつあん、熊五郎与太郎、ご隠居。
こういうのを演じ分ける、語り分ける、ってのが巧い噺家ってことになります。


だんだん、そいつの顔に見えてくる。右向いたり、左向いたりしてるだけなんですが、ちゃんと伝わってくる。


噺の中には、色っぽい花魁なんかが出てくるのがありますね。傾国の美女、天下一のキレイどころをね、疲れ切ったようなジジイが演るわけです。
こりゃあね、美人になんか見えるわけがない。そんなわけはないんですが、美人として伝わってくるってのが、名人芸の不思議なところ、ウデなんでしょうね。技です。演技。


タダね、こんなことは先刻みなさんご存じのことなんではありますけれどね、なんでそうなるかっていうのは、ハッキリした理由がありまして、はい。


噺を聞いて、見ている方が、勝手に頭の中で描いちゃうんですね、花魁を。与太郎をね。
噺家は右向いて左向いて、演じている役が変わったってことを伝えてるんです。
その合図の巧さが名人芸っていうことなんでございますですよ。


つまり、落語を寄席で見て、聞いてる連中ってのは、そこそこ想像力、連想力ってものがなくっちゃいけません。
ボーッとしている奴はダメなんです。


最初っから声だけの落語しか知らないんじゃ、そりゃ、半分も、ってことです。


想像力、連想力ったって、特別な頭の良さが求められるわけじゃないんで、ごく普通の常識、感性ってことです。


で、ヘタと名人の違いってのは、右の向きかた左の向きかたじゃなくってですね、高座に集まって来ている連中の、息の合わせ方。客の呼吸をひとつに出来るかできないか。


寄席で、ひとりの噺家をひとりの客が聞いてる見てるってわけじゃございませんからね。たいていは、いっぱい客が入っておりますね。そうじゃないと、おまんま食えませんからね、奴らね。


客はみんなそれぞれ勝手に息をしてますね。当たり前です。客席に座っている老若男女、全員ばらばらですよ。
なかには知り合いなんてのも居るかもしれませんが、それにしたって、呼吸なんてものは、普段から意識してやってるもんじゃありませんし、自然に、勝手にスーハーやってる。


その客席のてんでんばらばらの息をですね、なんとなあく一つにまとめちゃう。


そうしますってえとですね、ハッと息をのんだり、うははって笑っちゃうタイミングが一つになる。


周りがドッと笑っている時に、同時に自分も笑ってるってのは、気持ちがイイんですね。特に日本人はね。


それを話の本題に入る前、枕の辺りまでにやっちゃうのが名人。


客席の息を一つにするどころか、自分の息がハアハア上がっちゃうようなのがヘタ、ってこういうことなんで。


名人、立川談志って人はね、これが実に巧かったですよ。


枕を始める前から、客席をね、じい~っと見降ろして、睨みまわす。睥睨ってやつですね。
だいたい無言でね。ちょっとずつ、枕っぽいようなことを言いながらね。自分の息と客席の息を一つにしちゃう。


談志自身が頃合いかなって思ったら、いきなり本題に入っちゃう。


さっきまで立川談志だったのに、もう噺の中の人間になっちゃってる。


「疝気の虫」なんかだと、いきなり虫になっちゃってますよ。虫の顔してる。いやホント。


巧いもんなんですよ。悔しいけど、感心しちゃいますね。って何も寄せ行って悔しがることはないんですけれどね。


「火焔太鼓」ですがね、これは三代目古今亭志ん朝が巧かったですね。まさに名人芸。


この人は高いところから睥睨なんてしませんね。話の本題に入りながら、登場人物の話し方のうちに、客席の呼吸を取り込んじゃうような巧さがありました。顔の作り方も巧いんです。女のシトのしなの作り方で笑わせる「芸」がありましたね。


火焔太鼓なんてね、シマラナイ噺なんですよ、そもそもが。気の利いたもんじゃない。


これをうまく演るっていう、ちゃんと笑わせるってね、ホント、凄い「芸」なんだと思いますねえ。


「猫の皿」みたいにね、茶店の店主が気の利いたことやって、ゼニ儲けするっていうようなオチのつく噺じゃないんです。


「猫の皿」はまた別の機会に譲ることとさせていただきまして「火焔太鼓」です。

 


骨董屋ってレベルじゃなくって、古道具屋の噺です。


噺としては、道具を見る目があるわけじゃない店主を主人公として噺が進んでいきますけれど、実はこの噺を回しているのはおかみさん。店主の奥さんなんですね。
おそらく美人じゃないでしょう。昔はどうだったか知れませんが、この噺の時にはね、ごくふつうのおかみさんなんでしょう。


店主も押され気味ながらも「化けべそ」なんて悪態を吐くようなこともありませんからね、ホントにごく普通のおかみさん。


どういう経緯でこの男が古道具屋になったのか、なんだってこの女のシトが嫁いできたのか、なんて何にも触れません。
とにかく夫婦なんです。夫婦なんてそんなもんです。


でもまあ、一応ね、噺の始まりに、店主がどうしようもない男だっていうことと、おかみさんがしっかり者だっていうことが語られます。


全然商売になって無さそうな店なんですが、甥っ子をひとり雇っていて、仕入れをする金はあるようなんですね。


店は住居兼ってやつで、二階家みたいです。
なんだかね、儲かってはいないにしろ、そこそこの生活なんじゃないのかって思いますけれど、そこはまあ落語ですから、おかみさんは、腹が減り過ぎて、ヘソが背中へ出ちゃうよ! って言ってます。


きょうもきょうとて、得体の知れない大きなものを仕入れてきた亭主に毒づきます。


火焔太鼓って噺も、江戸の昔からだんだんに出来上がっていったもんだそうで、その時々の噺家の工夫が入っているんだと思いますけれど、毒づくあたりのおかみさんを、噺家がどう演るかで、この一席のデキが決まりますね。


おかみさんを如何にミリキ的に感じさせるか。


サンザこきろすけれど、エバッテ無いんです。なんとも普通で、なんともデキタ女のシトなんです。
その辺を巧く演れるのが名人芸。


亭主が市から仕入れてきたのは、「太鼓」だという。
おかみさんは言います。


「それだからお前さんは人間がアンニャモンニャだってんだ」


「太鼓なんてもんは、祭りの前だとかに頭の働く人がサッと仕入れて、パッと売っちゃうもんだろ」


「お前さんみたいにね、「ついでに生きてるような人」に扱えるもんじゃないだろ」


このね、「ついでに生きてるような人」ってセリフですね、誰が考えたんでしょうかね。


三代目古今亭志ん朝本人なんでしょうか。不思議に染みる言い方ですよ。


2005年に河出書房新社から「世の中ついでに生きてたい」ってのをご本人が出してますけれどね。

 

極楽とんぼ」なんて言い方もありますけれど、なあに考えてんだか、っていう男は、今も昔も、どんな時代にもノホホンと生きています。


で、男が自分から言うセリフとして「世の中ついでに生きてたい」っていうのは「火焔太鼓」っていう噺があってこそですね。
火焔太鼓を知らなきゃ、響き方がね、全然ホンモノじゃなくなっちゃいますよ。


アンニャモンニャっていうのも面白い表現ですが、「アんだと、この野郎」って理屈じゃない反論を即座に出来そうですが、「ついでに生きてるような人」って言われたら、これはね、一定数の大人の男は、黙ってしまうでしょうね。


すんごく深いセリフです。そういう評価をされたら、自分ってものがなんなのか、考えちゃいますよ。
一冊の本のタイトルにしちゃうぐらい、不思議な魅力を湛えた言葉なんだと言えるでしょう。


で、火焔太鼓の古道具屋の亭主も、そう評価されてぐうの音もないんですが、降り積もった埃を甥っ子に払わせていると、甥っ子は払うっていいながら、太鼓ですからね、ドドーンと叩いて音を響かせますね。

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そうじゃないと噺が進みません。


で、その音を、さるお殿様が聞きつけて、お買い上げになる。っていう噺です。


こうやって骨だけを書いてみますと、ね、面白い噺じゃないんです。
「芝浜」みたいに、グッとくるような内容なんてないんです。


一分(いちぶ)で仕入れた太鼓が三百両で売れちゃうんですね。


おかみさんは、お城へ呼ばれた亭主にいろいろ知恵を授けます。
ここんところが、情緒ってやつですね。


亭主をこき下ろしながらも、身の安全を心配して、こんな埃だらけの太鼓なんだから、儲けなんか考えちゃいけない。
へたに商売っ気を出したりすると、お庭の松の木へ縛られて帰って来られなくなっちまうから、一分で仕入れたって話を正直にして一分で売って無事に帰ってこい、ってね、こんなことを言うわけですね。


このくだりを、どう演ってくれるのか。ここが噺家のウデの見せどころ。


セリフはポンポンいうけれど、表情が違って来ます。一組の夫婦があって、その妻側の表情です。アンニャモンニャってやっつけていた時の顔じゃありません。


でも、なんだかお城ではトントン拍子に話が進んで、おかみさんのアドバイスも、ついでに生きてる亭主は「舌がツっちゃって」ちゃんとしゃべれず、ではあったんですが逆に殿様側の言いなりになって、国宝級の火焔太鼓だってことになって三百両です。

 


で、なんとなればそこで終わってもイイ噺なんですが、火焔太鼓のイイところはここからなんですね。
名人の火焔太鼓はね。


おかみさんの変わりようで笑わせるんです。泣かせるんです。ま、泣くってのは大袈裟ですかもしれませんが。


無事帰って来た亭主が売れたよっていうのを聞いて、あ、そ。ってもんですね、おかみさんは。
ここも演じどころです。ちゃんとあたしの言った通りにやったんだろ、って受け止めです。


で、ここで、三百両! って話になります。


ええ~っ! あのゴミみたいな太鼓が、さ、三百両!? ってことになります。
おかみさんのパニック。ここがクライマックス! 噺家のウデの見せどころ。


「なんだってエ、あれが、あの太鼓が、三百両」


「ホントなのかい。あら、ちょいと、おまえさん、ウソだろ、三百両、見せてごらんよ」


「ほら、さあ、早く、さっさと見せてみろってんだ、こんにゃろ、出して見せやがれッ!」


ここの豹変ぶりに気持ちがついていけるかどうかが醍醐味です。


客席は全員、おかみさんに感情移入して、前のめり。


見せやがれ! って、ほとんど逆上しているおかみさんに、こっちはとっくに破裂しちゃっているついでに生きてる亭主は言います。


「バカヤロー、なに言ってやがんだ。ホントなんだ。どうだ、これ、見やがれ!」


「いいか、ほれ、これが五十両だ! 五十両の束だ!」


「ありゃま、ちょいと、お前さ~ん」


「ほれ、これで百両! んでもって、これで百五十両! どうだあ!」


「大変、大変だよ、お前さ~ん」


「まだまだあんだぞ、ビックリしてバカになっちゃいけねえぞ!」


で、三百両が目の前に並んで、少女漫画の目、瞳の中に星があるキラキラアイになったおかみさんが言います。


「ちょいと~、お前さん、なんて商売上手。儲かるねえ、一分が三百両。これからは音のするものに限るねえ」


「おおよ、今度は半鐘を仕入れてくる」


「いいや、お前さん、半鐘はいけないよ。オジャンになっちまう」


これが「火焔太鼓」って噺なんですが、半鐘とジャンっていう関係が分からないだろうってんで、サゲをいろいろ工夫している現状なんですが、サゲ、オトシが問題じゃないんです。


このおかみさんの魅力ってもんを、泣き笑いで伝えられているかどうかで、噺は終わっているんですよね。
世の中、こんなうまい話しあるわけない、ってそういうことじゃなくってね。


よかったねえ、おかみさん。っていう気持ちに共感できるかどうか。そういう空気にもっていってくれるかどうか、そこが落語のチカラってもんでしょうね。


ついでに生きてる、ってね、何のついで? ってことになるんだと思いますが、そこに生きているっていう本質があるのかもねえ、って思うでありますよ。はい。


おあとがよろしいようで。

【壬生菜】と【水菜】 もっと菜っ葉を食べましょう 京都市 苦しいらしいです

< ども~ ミブナでっす ミズナでっす しっかり違う野菜ですが 血縁関係みたいでっす >

京都市の財政って、壬生菜、京菜ぐらいでどうなるもんでもないでしょ。とか言わずにね。
小さいことからコツコツと、ですよ。たぶん。


菜っ葉の話です。


耳から聞こえてくる音声だけだと、ほぼ区別ないですよね、壬生菜と水菜。


この前、ノンアル営業のダイニングバーで並べて見せてもらったんですが、
「ほら、ここ。水菜はトゲトゲしてるけど、壬生菜は丸いでしょ」
はは~ん、そうねえ。言われてみればねえ。って感じでした。

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ミズナ


そんな野菜です。知ってました。毎日料理している人にしてみれば、あったりまえやん! って違いなのかもですが、ミズナ? ちゃうってミブナ。ミブ?
とかいうレベルですからねえ、並べて見ても、確かに違うけれど、なんかねえ、似たようなもんなんですよ。

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ミブナ


で? 使う料理とかに違いがあるの? それぞれに向いている料理とか?


いいや、違う野菜だけど使い方は一緒。区別なし。


ん~。まあねえ、葉っぱの違いって、ドレッシングの違いに負けちゃうかんじだもんねえ。


でも、これ、ひょっとして、トゲトゲした水菜が、オットナーになって、丸くなると壬生菜、ってこと?

 


って思ったので調べてみました。


そこのダイニングバーでは、いつもは焼酎か泡盛呑みながら、サラダをよく食べていたんですね。
コブサラダとか豆腐サラダとか。


今はノンアル営業になっていて、ポークソテー定食とか、そんなんを食べて帰ってくるだけなんですけれど、定食に付いてくるサラダ。これがいつもと違う葉っぱ。菜っ葉というんでしょうか。レタスとかキャベツじゃないので、この葉っぱ、なに?


というところから話が始まって、壬生菜と水菜と、両方、わざわざ揃えてくれて、ご丁寧に説明してくれたのではありますが、結果、ん~? だったということなのであります。


野菜を食べましょう! っていうのは、いろんなところで、かなり前から言われていることですけれど、そうですねえっていうノリで食べてる野菜って、なんでしょう?


外食の場面ですと、圧倒的に多いのがレタス、キャベツですね。それとモヤシ。


町中華の野菜炒め定食は、もう30年も前からモヤシ炒めになってしまっています。


その変化の影響を受けたのは、元からあったモヤシ炒め。モヤシばっかりの野菜炒めと区別がつかなくなってしまいましたので、今の町中華メニューにありませんよね、モヤシ炒め。


青物野菜でいうと、ほうれんそうは、ポパイエッグとかで食べますね。ファミレスメニューにありますよね。


あと、肉系の付け合わせにクレソンだとかルッコラだとか、そういう菜っ葉、葉っぱもありますかね。


でもそれぐらいかもしれないですね。


江戸東京野菜コマツナも、そんなに見ないっていう現状です。


レタス、キャベツみたいに葉っぱが重なって丸く固まっている形の野菜。この種類を「結球性葉菜類」っていうらしいです。


個人的な感覚としまして、「結球性葉菜類」は「葉っぱ」っていう感じがします。
種類によって違いますが、一枚一枚がそこそこの面積を持った「葉っぱ」


それに対してほうれんそう、コマツナ、水菜だとかの、丸く固まった形状をしていない野菜。これは「非結球性葉菜類」っていうらしいです。


「結球性葉菜類」「非結球性葉菜類


なんでしょう、このネーミング。流通業界か外食業界が名付けたんでしょうか。メインがレタスとキャベツ。丸くなる、結球性の性質を持った野菜が正しくて、レタスとかキャベツ以外は「そうじゃないヤツ」っていう、なんとなく差別意識みたいなものを感じちゃったりします。


ま、そうじゃないでそうし、言ってもしょうがないですけれどね。


で、その「非結球性葉菜類」の方は「菜っ葉」って感じがします。


「葉っぱ」と「菜っ葉」区別する必要があんの? ん~。ないでしょね。はい。


なんか語呂として、そんな感じがるなあってだけの話でありますです。


コロナ禍で自炊するようになって、キッチングッズを初めて買い揃えたっていう人も少なくないと思います。


2020年のことでしたが、20代の独り暮らし、上京したての男子がこう言っていました。
「いやあ、なんだか分かんないから、三角包丁も買いましたよ」
三角包丁。。。
たぶん「出刃包丁」のことでしょねえ。


菜っ葉を切るのが「菜切り包丁」で、魚とか捌いたりするのが「出刃包丁」なんだよオって、そのツレが説明していましたけれど、ま、全くの料理未経験者だとそんな認識かもですねえ。


菜切り包丁は特に菜っ葉専用ってわけじゃなくって、万能に使えますよね。家で使う包丁は菜切り包丁だけっていう人も少なくないかもしれません。


固くても南瓜に出刃をつきたてるっていうシチュエーションも、普通は、ないですよね。
レンジでチンして菜切り包丁ですよね。

 


ところで菜を切るから菜切り包丁っていうのは分かりますが、出刃包丁の出刃って? なんでしょ?


ま、確実な説っていうのはないみたいなんですが、出刃とは出歯のことで、この包丁を初めて作った男が出っ歯だったから出歯包丁で、出刃包丁ってことなんですよっていう説があります。
どうなんでしょね?


ま、巣ごもり生活で出刃包丁で菜っ葉を切っている人も、居るんでしょうかねえ。
何が正しいってもんでもないでしょうし、楽しんで自炊できていればイイことなんだろうと思います。


壬生菜と水菜の違いを、説明するためにワザワザ揃えてくれたダイニングバーも、商売としてはダメダメなんだけれど、初めてやってみるメニューを考えるが楽しいですよって笑っていました。


「なもんで、ほら、かき氷もやってるんですよ。どうすか? 冷たいっすよ」
そりゃかき氷は冷たいでしょうけれどねえ、ポークソテーの後に、要らねっす。。。


かき氷は要らないけれどね、無理矢理でも何でもイイから明るく楽しくやっていくしかないでしょ、っていうマスター、賛同します。乗り切りましょうねエ。


で、本題の「壬生菜」なんですけれど、そのダイニングバーでは、京都から仕入れているって言っていましたね。


ええ~!? って思いますよね。今どき、京都でしか作ってないの?
いや、それはどうだか知りませんけれど、仕入れている八百屋さんのこだわりで、産地から仕入れているってことなんでしょう、ってことでした。


ふううん、そですか。


確かにね、壬生菜って京野菜。京都名産の菜っ葉らしいですね。


壬生っていう地域、いきなり「みぶ」って読めちゃう人も少ないだろうと思うんですが、2000年に発表された浅田次郎さんの「壬生義士伝」が知られていますよね。
2002年にはテレビ東京系列でドラマになりましたし、2003年には松竹系で映画化されましたね。


新選組が京都の屯所を置いていたのがこの壬生だったそうです。
屯所の建物は今も遺っていて観光名所ですね。


荒くれ者ぞろいの新選組は「壬生浪」と呼ばれて、地元の人たちからは敬遠されていたという話もありますが、壬生は、元々の歴史をたどれば「平安京大内裏」の敷地にあたるそうですからね、権威の場所です。


江戸時代の末期にはそんな宮城の雰囲気は残っていなかったとしても、地元の人たちからすれば、自分たちは歴史の中に生きているんだというような風土もあって、殿上人たちの土地に、あんたら、なんですのんや、っていう眉をしかめる気持ちがあったんでしょうね。


きらびやかな殿上人のイメージとは正反対の、やさぐれた見た目の浪人の集まり。しかも野蛮。
この嫌われ者だった「壬生浪」を追い払った長州の「奇兵隊」っていうのも、小汚いなあ、くっさいなあと言われたっていう話があります。


外から入ってくる軍隊ですからね、歓迎されはしないでしょうけれどね。


平安京大内裏」の歴史っていうのは、8世紀末から始まっているようですから、壬生浪の時点でほぼ千年、続いていたってことになります。


でもですね、この大内裏って、完成直後からしょっちゅう火事にあっていて、焼亡、再建築を繰り返している歴史みたいで、だんだん再建できる規模も小さくなってしまって、13世紀初頭の焼亡以来再建築されない、ほったらかしになっていたエリアもでてきたらしいです。


そのほったらかしの代表的な土地が「内野」って呼ばれている地域で、畑として利用されていたそうです。
大内裏の敷地跡が畑。庶民はたくましいんであります。


ここの畑ではカブが栽培されていて、なにせ元々は大内裏ですからね「内野蕪菁(うちのかぶら」って名物になったそうです。


で、また、この辺りがさすが京都。


ずっと歴史の中心でしたからね、この内野カブラの名産地に、戦国末期、豊臣秀吉が、あの「聚楽第」を築きます。


聚楽第は関白職を告がせた甥の秀次に与えられましたが、秀頼ちゃんが生まれたんで、いろいろね、政略に巻き込まれた形になって、完全なワルモノに仕立て上げられて、謀反の疑いってことで切腹させられちゃいますね。
結果、完成から8年しか経っていない聚楽第は完全に破壊されて、元の荒れ地に戻ってしまいましたとさ。


いやいや、なに言うてんねん。ここは聚楽第の前から「内野蕪菁」の名産地でっせ。荒れ地ちゃいますよ。


ってことで、またカブの栽培がさかんになったそうです。聚楽第以降、名前として「聚楽蕪菁」って呼ぶこともあるそうです。


で、この内野っていう地域と隣り合っているのが「壬生」


この壬生では京菜として「水菜」が作られていたそうなんですが、やがて水菜と内野カブが雑交配して出来上がったのが「壬生菜」なんでっせ。
ホントかどうかは分かりませんが、そゆことらしいです。


これですね、実際にしげしげと観察してみますと、水菜とカブの特徴、確かにですね、似てますねえ。ま、全くの野菜素人ですが、感じますよオ。

 


明るい話題の少ないコロナ禍での巣ごもり生活ですが、暗いニュースとして「京都市が財政ピンチです」っていうのが報道されています。


世界的な観光地の京都、その中心地、京都市が。。。


でもまあ、コロナが明ければ内外の観光客も戻って財政も盛り返すんじゃないの、って思って調べてみますと、観光客の落としていくお金って、京都市じゃなくって京都府に入るんで、コロナが明けても楽観できない、ってことみたいなんですよ。


ですので、壬生菜をどんどん食べましょう、ってことを言いたいわけなんですが、なんかねえ、東京近県で作っているような気がするんですけれどねえ。京都の壬生菜。
内野カブとかは、縁がない感じですしねえ。聞いたこともないです。


あ、そっか、京都行って、京都市の店で食べればイイんですね。そですね。


ん~。まだ、どこにも行けないような雰囲気ですよねえ。壬生菜、優しい感じの菜っ葉です。


水菜、壬生菜、カブ。
サラダっていうか、お浸しっていうか、とっさにメニューは思い浮かびませんが、たぶん相性は好いはず。ですよね。

 

京都にはなにかそういうメニュー、あるんでしょかね。